2010年10月
■買っておいたゴーヤや/Sunday,31,October,2010

 買っておいたゴーヤや豆腐やその他の野菜でゴーヤチャンプルーを作った。欧州の旅から帰ってきたとき、東京駅の地下の飲み屋で食べたゴーヤチャンプルーがおいしかった。それで、ときどき思い出してそれらしきものを作るのだ。自分ではうまいと思うのだけれど、他には誰も食べる人はいない。それと以前冷凍しておいたカレーがあったので、それを解凍してご飯にかけて食べた。

 いつもの日曜と同様、いつの間にか昼になる。正午からustreamで坂本龍一のライブがあるというので見てみた。画像は粗いものの、音は非常に良くて、音量を上げて聴くと素晴らしい臨場感があった。シアトルのライブが瞬時に世界中に届けられているという不思議さ。ピアノの音色と未来的な感覚にうっとりしながら2時間聴いていた。昼飯は残りの野菜を炒めて、茹でたスパゲティと混ぜて食べた。これもなかなかうまかったのだが、残念なことに自分しか食べる人がいなかった。

 その後眠くなってうとうとしていると携帯電話が鳴った。仕事関係の電話には赤いランプが点く。赤く光る電話を見て嫌な気持ちになった。幸い緊急性のある内容ではなかった。とりあえず感謝を伝えて切った。

 ツイッターでは欧州に住む方とやり取りがあった。やり取りがいくらか往復したのは初めてだった。日本人は討論ができないとのこと。そういう日本人はおそらく多いのだろう。よく言われるので自覚はしているつもりだが、それならどこをどうすればいいのかが感覚として掴めていない。克服したいとは思うけれど、うまくいかない。実にばかだとは思うけれど、みえないんだよね。日本の社会を日本人自身が窮屈なものにしているという指摘はもっともだと思った。そうやって窮屈な社会を作ることが、更なる自殺者を増やすし、日本の社会のためにならないのだ。それが嫌だ、変えたいと感じているにもかかわらず、窮屈な社会作りに一生懸命頑張って加担している自分の姿をみた。なにもみえていない、違う社会に住んだのに、訪れたのに、なあーんにもわかっていない。

 いまは、ustreamで警察腐敗についての対談を聞いている。がっかりくるし、恐ろしくなる。そして確かに僕は警察について知らな過ぎる。きょうは教員の不祥事についてのニュースもみた。がっかりして、きょうはなんだか具合が悪くなった。もう19時を回ってしまった。まだ一歩も部屋から出ていない。

■浜の町にいるはずが/Saturday,30,October,2010

 浜の町にいるはずが、またの機会にと返事が来て、出かけないことになった。仕方がないので切り替えて仕事を進めることにした。10時には職場に行き、20時頃までずっと机仕事をした。おかげで月曜日までのノルマを終えることができた。昼過ぎには終わるだろうと思っていたのだが、意外と時間がかかった。多くの情報をひとつにまとめてオリジナルの一覧を作るというのは大切であると思う半面、これだけネットが普及した時代にこんなことをする意味は薄れていることを感じる。ここまでお膳立てするのではなく、情報のリテラシーをつけることに専念したほうが、よっぽど相手の役に立つのではないかという気がする。国際支援に置き換えて考えれば、即物的に金や食料を支給するのではなく、農作物の育て方を指導したり、マイクロファイナンスのシステムを導入したりという長期的な支援のほうが、どう考えても相手を活かすことにつながるはずなのだ。

 昨日の昼に弁当を食べていなかったことを昨夜の飲み会で人に言われて思い出した。今朝来たらそのままあったので、開いておそるおそる箸を付けてみると、まったく問題なく食べることができた。このところ寒かったおかげで、腐敗しなかったらしい。少し遅い朝食。残飯にせずに済んでよかった。

 今やっていることに固執せず、これまでやってきたことを土台にしながら、何か自分にできることがあるのではないか。自分の力を活かせるところがあるのではないか。言い訳とか逃げ口上でなく、今の仕事上にある可能性も含めて考えていけるといい。

 生まれ故郷に帰って来たはいいが、失望することは多い。景色はさすがに美しいけれども、内面はずいぶん崩れてしまっている。しかも、あまりに未整備の部分が目について、気持ちを維持することが難しい。だからといって、多くの人のように憂さを晴らそうという気にもなれないのである。

 休日にまる一日仕事をするなんて、実にばからしい。だが、ほとんど誰もいない部屋で集中できたのは悪くなかった。過労で死ぬというのは、単に働く時間の長さのみが影響するのではない。仕事の質とか、共に働く人間たちとの関係とかが左右するのだろう。コミュニケーションということか。

■言われていることはごもっとも/Friday,29,October,2010

 言われていることはごもっともでただ受け止めるしかない。しかしそれを面と向かって言って下さるのと、聞こえよがしに近くの誰かに囁くのとでは、こちらの気の持ちようが変わる。ばかはダイレクトにばかと言われたほうがよっぽど清々する。しかしそれをされないことの狙いも効果もわかる。10年以上前のことを思い出した。何だ。全然成長していない自分を丸裸にされた気分だ。あの時はそれを悪意と取った。だが今はそうではない。裸になれ。もっと恥部を晒せという暗黙のメッセージである。

 それと並行して別の上司から連絡忘れを指摘された。同じことを何度も繰り返している。まいった。一つに注意がいくとほかのことから注意がそれてしまう。後回しにしたつもりが忘れてやらないでしまう。次から次へと移り変わる流れに追い付かない。そんな中できょうのこともあった。きょうの結果は完全に予想どおり。あれもこれもダメ。自分の生き方を否定されたような気になって多少落ち込んだ。死にたくなる気持ちもわかる。そこから起死回生を狙う誰かの思いも痛いほどわかる。明日にはまた別の人に生まれ変わり新しい人生を生きるのである。

 夜には何人かとの飲み会で元気が戻った。皆が気分よく飲めたいい会だった。人の印象もいろいろ変わった。自分に足りないものが、周りの人々の中にみえる。細やかな心配りの総合がいまの安定をもたらしている。それらを栄養としてこれからも生きていく。結びつきの違いはやむを得ないにせよ、もう少し僕も中に入っていかなくてはと思った。

 戻ってくると23時を回っていた。明日は朝から仕事に行って、昼までにやるべきことを終わらせよう。そして久しぶりに浜の町へ行こう。そう思ってメールを打った。

 

■あれだけ念入りに仕上げた書類も/Thursday,28,October,2010

 あれだけ念入りに仕上げた書類も、郵便局に出してしまえばそれで終了。客観的に見ればどれほどのものでもないのだが、確かにこれにすべてを懸ける瞬間があった。そういう思いで仕事に向き合う一瞬一瞬の連続により、社会人の人生が構成されている。若いあの人も老いたこの人も、皆それぞれに努力している。そんなふうに考えたい。見方によっては、いろいろなことが目につき、鼻につく。でも、個人の至らなさばかりを否定していると、本質を見失ってしまう。たまねぎの皮を一つ一つ剥いでいったら最後には何も残らない。多様な成員と繋がり合いながら進むのが社会人の歩みだ。仕事場においてはいつでも誰に対しても寛容でありたい。問題はきっと別のところにあるから。

 戻ると、明日のイヴェントの準備を行った。運営に関してはよくわからなかった。わからないというのではいけないのだろうが、わからなかったのだ。役に立つ経験も知識も備わっていなかったのが申し訳なかった。個人的な結論は、もうやめたほうがいいのではということ。実に旧態依然とした因習を未だに引きずっているようにしかみえない。今回は今回で一生懸命やるしかないのだが、出すべきところでは意見を出さねばならない義務を感じる。

 ひとつ、話を聞いた。コンピュータが未整備である理由は、「維持費がかかるから」だ。それが我々の労力をいかに増大させているかについて、上の人は何も考えないという事実。目の前に見えないことを想像するのはそれほどまでに難しいことなのか。現場の苦しみをかつて味わっているはずではないか。ある人はこのことを考えると涙が出てくると言っていた。僕の場合は吐き気がしてくる。システムの不備こそが非効率の大きな原因だ。無駄に悩まず、問題の根本に目を向けたい。そして想像力を鍛えたい。それにしても誰か死んだら誰が責任とるのだろう。現代社会から20年は遅れを取っているね。

 プリンスの"20ten"と名付けられた新譜は店では売られていない。ヨーロッパでは新聞の付録として無料配布された代物らしい。見方によってはプリンスほどばかなアーティストもあるまい。それを通販で買う自分もばかかもしれない、youtubeで聴けるのにね。僕にとって彼は神様だと言っていい。出会ってから20余年、プリンスの音楽は僕の人生のさまざまな局面に彩りを添えてくれているし、その音楽や人となりから受けるインスピレーションは僕の生き方に大きな影響を与えてくれている。誰もそんなふうには感じないだろうけれど。"Sticky Like Glue"を何度も聴いている。音楽を聴いてこんなに興奮するのは久しぶり。ほんと、すごい。

■一つの仕事を終えて/Wednesday,27,October,2010

 一つの仕事を終えて一息つく間もなく次に向かう。朝から晩まで休む暇はないが、日中にも少しは休みたい。どこかからお喋りが聞こえてくるが、それくらいの余裕を僕も持ちたい。いろいろな部署でいろいろな予定がどんどん書き込まれるので、当初入っていた予定ですら邪魔に見えてくる。文句を言われる筋合いは無いはずなのだが言われる。こういうときはドライに対応するのみ。

 きょうはまた余計な仕事。金額が改訂され、返金の必要が生じた。余計といってもやらなければならないことだからやるのだけれども、予定は狂う。実にばかな記述であることは自覚している、つもり。愚痴のオンパレード。しかし、以前とは矛先が違う。恨むべきはシステム。

 死んでたまるかと思う。でも心臓は弱いと思う。4階まで駆け上がるともう話せないくらい。死ぬかと思う。いついかなる時にもつきまとうハートアタックの恐怖。もしものために謝っておきますが、もしものことがあったらごめんね、ホントに。

 

■雨が降るというので/Tuesday,26,October,2010

 雨が降るというので車で出かけた。雨が降るからというのはどこか言い訳がましい。しかし今夜は遅くなったので、結果的には車という選択でよかった。たった一つの書類を調えるのにこんなにも神経を使う。しかも、情報を確認するのに資料をひっくり返したり、電話をかけたりと、これっぽちのことについても一筋縄ではいかない。早めに早めにという言葉はその通りだ。最近ではトロントのことをよく思い出す。景色ではなく、仕事のことだ。あのときも格闘していた。あのときの感覚と似ているところがあるのだろうか。しかし、今はあのときほど余裕はない。なぜなら、いくつもの仕事が並列しており、一つに集中することができないからだ。どうしても余計だと思うこともある。人間ひとりがやらなければならない仕事量が多過ぎる。ラジオでは、仕事が足りない、雇用が足りないなんてばかなことを言っている。そのくせ死んでしまう人が後を絶たない。ほんとうにアンバランスな世の中だ。 

散歩するのは/Monday,25,October,2010

 散歩するのは気分転換になってよい。歩いて通勤するのは散歩気分で悪くない。これからどんどん忙しくなると脅される。もっともっとたいへんになってくると誰もが言う。これ以上働いたら死んでしまうかもしれないけれど、それもまた人生である。ただの人生ではない、ばか人生である。自分にとっては未知の領域なのだが、他人にとってはできて当然のことばかりだろうから、他人の目から見た自分に追い付けるように日々闘っていかなくてはならない。そのためにも、散歩は重要である。

 通りを歩いていたら、後ろで僕の名を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると何人かが見えたが、自分と目を合わせる人はいなかった。誰かが名を呼んだのは間違いないが、接触するほどのつもりはなかったのだろう。気にも留めないで歩くが、ちょっと気味悪い。夕飯を食うのをやめて、遠回りして本屋に寄り、何も買わずに出て、コンビニで弁当を買って帰った。今夜は変な散歩になった。

■あっという間に終わった週末/Sunday,24,October,2010

 あっという間に終わった週末。今朝は二度寝三度寝で起きたのは9時を回っていた。だから12時を回るまでもあっという間だった。車を走らせてラグビーの試合を見てきた。応援に行こうと思ったのは、知人が出ていたからだった。ここ数週間で2度彼に会って、その成長ぶりが嬉しかった。人間というのは変わる部分と変わらぬ部分があり、すべてを包含しながら変わっていく。というようなことを感じ、僕自身が励まされる思いがした。それで、恩返しというつもりでもあった。

 前半はよかったが、後半は逆転され、結局負けてしまった。試合内容がどうだったか、評論家でないからわからないけれど、言及したくないけれど、かれらはよくやったのだ。

■あっという間に来た週末/Saturday,23,October,2010

 あっという間に来た週末。週日が充実していると言えば聞こえはいい。でも聞こえだけ。くったくたになって迎えた土曜日。今のように日記が公開できる時代になる前、人々はこんなたわいもない情動をどうやって伝えてきたのだろう。それはごく自然な形で、身近な人々に、囁いたり、呟いたり、喚いたりしていたのだろう。それは今でも同じか。でも、記録することも、発信することも、自分にとって大切だから、こうして書いているのであって、それができなかった時代とはまったく異なる活動だと僕は思う。

 死ぬとかばかだとか、どちらかというと避けて通ってきた言葉を今月は敢えて混ぜ込んでいる。それが何の意味を持つのかわからない。けれどここまで書いてみえてきたのは、これらは忌み嫌われる言葉ではないかということだ。サイト全体が負のオーラを帯びてしまうのかもしれない。それでも今月は続けてみよう。少なくとも死ぬことは独り生きる個として直視しなければならないものであり、ばかということは、他と関わり合って生きる者として検討し続けなければならないものだということは言えるだろう。だから思考を停めてはいけない。

 さて、きょうも朝には平日と同じ時間に準備して職場に向かった。いつもの仕事が3時間超。その前後に会計関係の仕事を二つした。終わると13時を回っていた。スーパーに寄ってパンとパックのサラダを買って昼食にする。サラダは20%増量と書いてあり、食べごたえがあった。それからは「かんさい土曜ほっとタイム」を聴くが、あまり集中できなかった。

 お盆以来実家に行く。母を温泉に連れて行き、その後は道すがら夕飯を食べて帰って来るのが毎度のコースである。ここ2か月ほどのことについて情報交換する。さして変わりはないけれど、少しの変化というものはある。そして見方によっては、少しではない大きな変化と言えるものもいくつかある。来月数えで百歳を迎える祖母はいたって元気で、誰にでも笑顔を振りまいているそうだ。ホームでは咳払いで自己主張をし、家に帰ると食欲旺盛でとにかくたくさん食べるという。それから一ついいニュースを聞いた。幸せをもたらすニュースだった。僕も肖りたい、けれど。

 台温泉は混んでいた。流し場が空くのを待ってお湯に浸かっていたから、いつもよりゆっくりと入ることができて、疲れが取れたような気がした。お湯はいつもの通りガリッと熱く、全身が真っ赤になった。悪い温泉ではないが、たぶん熱過ぎて入れないという人もいるだろう。以前は温めが好きだったが、いつの間にかこんな湯が好きになった。

 

■途中3時間ほど出張だった/Friday,22,October,2010

 途中3時間ほど出張だった。天気が良く、林檎畑を抜ける道を車で走ると気持ちがよかった。林檎の実はすでに赤く、気付かぬうちに収穫の秋を本格的に迎えているのだった。そういえば、林檎を食べるようになってから調子がいい。岩手に住むことのメリットのひとつは、おいしい林檎を極めて安価に手に入れることができることである。岩手の林檎の味は、世界で一番だと僕は思っている。林檎のある季節と無い季節を比べれば、ある季節のほうが百倍好きだ。道ばたに選果された末成りの林檎が山になって捨てられているのを見た。あのおいしい果実の収穫の裏で、多くの死にゆく命があることを知った。

 出張先ではあれこれ説明を聞いたのだが、衝撃的だったのは自分と同系の部署の人員が5名もいたことだ。もちろん仕事の内容はずいぶん違うことは承知だが、方や一人であくせくやっているのに対して、5人体制でやっているというのはあまりに力の入れようが違う。結果だって変わってくるのは当然だろう。最も重要な分野だと良く言われるにも関わらず、十分なカネも人も時間もかけないで要求水準だけがどんどん高まっているというのは面白くない。とにかく休む暇もなくくるくると動かねばならぬから、そのときは何も感じないけれど、ちょっと止まって考えれば、ほんとうにばからしい。これを3年も続けた前任者には恐れ入るのであるが、それと同時に、なぜに少しは効率化を考えなかったのかと少々恨めしい。僕の後任者は今年よりずっと楽に仕事ができるだろうと思うので、期待してほしい。

■隙間時間を使って/Thursday,21,October,2010

 隙間時間を使ってちょこちょこと仕事を進めるのはあの街で暮していたときに覚えた。限られた時間でやるべきことを終えるための技術は、平日の夕方や休日を有意義にするために必要だったから。

 今では仕事時間は無限にある。何時で終了という制限がないから、ともするとのべつ幕無しに続くことになる。しかも明るいうちには帰れないし、休日だって大概は仕事だ。ばかみたいに仕事仕事の世界。とにかくこれで終わりということがない。こんな社会でよく皆死なないものだと思う。いや死んでいるか、多くの人々が。当然である。ほかの社会をみてきたものにはわかる。幸い、わかるだけまだ心にゆとりがある。

 

■研修のため/Wednesday,20,October,2010

 研修のため、通常業務は午前で終了。僕が所属する会は本日は行われなかったので、14時過ぎからは自由に使える時間になった。書類の積み重なった机を片付けているうちに2時間くらい経ってしまったのだが、お蔭ですっきりした。これでしばらくは大丈夫だろう。きょうは、書類を分類し、ファイルしということを繰り返すうちに、頭がおかしくなってきた。どうしてその都度整理してこなかったのかと、自分のあまりのばかさ加減には呆れてものも言えない。頭の中がそのまま机上に表れたのだ。

 しかし裏を返すと、この一月半というもの、片付けに割けるまとまった時間が確保できなかったのだ。とにかく毎日イヴェント続き。そのうち自分がコントロールを要求される事業が週に3つは下らない。試されているといえば聞こえはいい。その通り、限界を試されているのである。そして三月には解放されるはず。

 それぞれ研修場所に散ってしまい、人もまばらだった。離れた席から少しゆるいおしゃべりも聞こえてきたが、加わるだけのゆとりは無かった。きょうはそれより定時で帰りたかった。ものを片付けると同時に頭の中が片付いていく。とりあえず積み残した部分もあるが、期限を考えれば優先順位は下である。まだ十分間に合う。

 定時で退散するといいことばかり。神社をお参りし、序でに古いお札類を返納した。巫女さんがお守り売り場を閉めるところ、ちょうどよく手渡すことができた。郵便局もまだ開いていたので、三つの用件を一度に済ませることができた。いつもなら、時間が遅いので、ぐるっと遠回りして本局に行かなければならないのだ。そして、町中の産直で梨と豚肉を買った。コーヒー屋で豆を買い、デパートでパンやジャムを買うことができた。美しき消費生活。残業をしなければ、このような都市生活のメリットを享受することができるのだ。しかし、現在の状況は、せいぜい二か月に一度というところか。実に約しい暮らし。残業の後は死にたくなるほどへとへとになって帰るのだがきょうは元気だ。驚いた。まだ18時過ぎだ。

■初霜が降りたそうだ/Tuesday,19,October,2010

 初霜が降りたそうだ。急に寒くなったように感じてしまうが、これまでの気温が高過ぎたのだ。これくらい下がると自然に歩きたい気持ちがわいてくる。清々しい季節のはじまりだ。

 きょうも、昨日にも増していろいろなことを片付けた。片付けても片付けても毎日新しいことが出てくる。何度も同じことをして、自分がばかじゃないかと思えてくる。おまけに会議が2時間半もかかった。進行役からすれば余計なことは言わなかったつもりだ。どうしてこんなにかかってしまうのか。きっと提案が異常に長いのだ。僕は提案は30秒以内でと教わった。実践は難しいが意識すればできないものではない。

 会議を終えて洗面所で立ちながら考えた。多くの人は、時間は無限にあると思っているのか。時間は有限であり、我々は果敢ない。何時死ぬとも知れぬ命なのだ。それこそがすべての根源だと思う。それにしても、やりたくないときに限ってやりたくない役割が回ってくるものだ。これを不幸とか、自分ばかりとか嘆いていたのでは先に進めない。あえてこれを幸福な状況と仮定してみようか。たしかに幸福なのかもしれぬ。ただ正面から向き合っていないだけで、自分は素敵な人たちに囲まれ、その人たちに支えられて生きているではないか。目の前にいない時には特にその存在の有り難さが感じられる。それならば目の前にいる時にもっと有り難さを伝えればよいではないか。

■ここのところの一日の過ごし方は乱暴だ/Monday,18,October,2010

 ここのところの一日の過ごし方は乱暴だ。早朝目覚めてぼーっとしているうちに出勤の時刻。職場に着くと後は流れに任せていれば夕方になる。何の哲学も人生観も表れない。まるで抜け殻か操り人形のようにふらふらと漂っているように感じる。だとしたら自分がやっている意味がどこにあるのか。正しく言えば、哲学と人生観がそこかしこに見え隠れしながら、自分の声となり姿となっているはずなのだ。しかしその手応えを感じられないまま、夜になるのであった。

 帰り道は暗くて、店も大概は閉まっている。すれ違う人の顔さえ見ることができない。少し遠回りすれば本屋もあるし、映画館だってある。でも、そこに時間をかけようとするだけの気力も体力も残っていない。ただただ食べ、眠ってしまう。知性のかけらも無いただのばかの生と死を毎日繰り返すだけ。

 何事も丁寧に丁寧にと心がけていた頃とはずいぶんかけ離れた。とどのつまりは一単位時間にやることが多過ぎなのだ。それを強いられていることが堪らない。

■日曜日の朝は二度寝してしまった/Sunday,17,October,2010

 日曜日の朝は二度寝してしまった。朝のうちは天気がよかった。雑用を片付けると外に出たくなった。秋の山はどうだろうと、岩手山に行きたくなった。それで、焼走り溶岩流まで車を走らせた。溶岩の中の遊歩道をゆっくりと歩き、展望台まで行った。帰りは車の通る道を歩いた。紅葉にはまだ早く、歩くと少し暑くなった。しかし、天気は曇りがちで、ときどき小雨も落ちてきた。小一時間散歩して、西根の道の駅で野菜を買って、帰りは高速を使わずに国道を南下した。10年ぶりくらいに入ったラーメン屋で昼食。当時は夜も営業していたのだが、今では日中だけになっているようだ。ここで同僚とばったり会ったことを思い出した。過去は過去でいろいろ。良くやっていた頃もあったが、だいたいはばかなことばかりしていた。ここで食べていた頃は最悪だった。それでも死なずにここまできたのは、何かに導かれていたからだろうか。いや、たまたまだろう。店を出ると雨が本格的に降っていた。

 14時過ぎには帰ってきた。新聞などを少しは読んだりしたが、あまり頭には入らなかった。明日以降のことを考えると少し頭が痛い。買ってきた野菜でクリームシチューを作った。

■朝には4時過ぎに起きて/Saturday,16,October,2010

 朝には4時過ぎに起きて、ラジオのスイッチを入れた。今朝は雨は降っていなかったが、曇っており、何となく眠い。午前中は仕事だったので、いつもの出勤と同じくらいの時間に家を出た。朝には2カ所を渡り歩き、2カ所目では当初予定していなかったが、昼過ぎまでプログラムに参加することにした。人間の誠意を第一とする理念に突き動かされるように、その方は熱く力強く話をされた。以前一度話を伺ったことがあり、今回は2回目だった。しかし相変わらず話は素晴らしかった。目指すべきところがはっきりしており、それを信じて真っ直ぐに生きている姿が清々しいのだ。ばかがつくくらい正直で、嘘など吐く気持ちが無いから、いつでも口を突いて出るのはほんとうのことだけ。そしてもう相当のご高齢なのだが、死ぬまでの使命として運営に当たられている姿に胸を打たれる。

 僕はきょう、やらされているとか、仕事だから仕方なくとかいう気持ちを全く持たずに過ごすことができた。先週は三連休にも関わらず、二日間はすっかり仕事で休んだ気がしなかった。それに比べて今週は普通の土日で、しかも土曜の昼過ぎまでは仕事だったのにも関わらず、もうすでにゆっくりと休んだ気になっている。この差は何か。単純に仕事内容の違いなのか、木曜金曜の過ごし方の違いからなのか、きっとどちらも影響している。複合的な理由だろう。

 会場を後にして、ちょっと先のうどん屋に入った。食べはじめたところで隣の男に声をかけられた。最初の職場の同僚だった。もう20年近く前のことだ。二人で飲みに行ったこともあった。初めて豚足を食べたときのことを思い出した。

 帰宅すると部屋は空っぽだった。誰もいない部屋でいろいろな話し声が聞こえてくるような気がした。ぽっかりとした一人の生活はやはり普通の状態ではない。期限付きの試みの期間であり、理想の生活は、成員の互いのバイオリズムの上り下がりの中で、絶えず関わり合っていくことである。きょうは父の誕生日だったことを思い出した。

■朝には4時過ぎに起きて/Friday,15,October,2010

 朝には4時過ぎに起きて、布団の中でうとうとしていた。雨の朝で、暗く眠い。きょうは講演会だけなのでゆっくりである。コーヒーとパンの朝食。あれこれ止まらない話。すべて学びについてであるからすごい。この人は話すことで脳内が聡明になっていく。シナプスが張り巡らされていく。僕の場合はそれを聞くことで新しい情報が入力され、整理されていく。雨が強いのでタクシーで行くことにする。生憎中型しかなかったので、中型に乗る。近いので10円しか違わぬという。運転手さんといくらか話した。

 山折哲雄氏は花巻に疎開していた。その時今は亡き伯母と親交があったそうだ。その話を伯母から聞いたことがあったから、以前から身近に感じる存在だった。いくつか著作を読んだが、哲学的な随想には、まるで音楽のような緩やかな流れがあった。きょうの講演も、全体が長い一編の詩のような印象で、心に染み渡るような感銘を覚えた。ゆっくりとした語りには、迷いも淀みも無く、言の葉を茂らせた幹の太さを感じさせられた。今回のプロジェクト中で最も充実した時だった。

 終了後は小雨の中を歩いて自宅に向かった。途中デパートの地下で昼食を取り、部屋で休んでいると電話が鳴った。出張の日には職場からの電話が意外と多い。午後からは職場に戻って仕事をすることになる。しかし、いろいろとやかましくてはかどらない。ばか正直に戻ってきたりすると、こういうことになる。途中からパソコンを持って、別の部屋にこもって進めた。そしたら眠くて生欠伸が百回出た。

 夜には、近くの蕎麦屋でビールと天ぷらと蕎麦を食べた。帰るとずっと本を読んでいた。その後はあれこれまた話しているうちにもう眠くなってしまった。ごくたまに話す機会があるととめどなく言葉が湧き出てくる。これも試みとして受け入れるほかは無い。ここ何年かのことは、死ぬ前に特に懐かしく思い出されるのではあるまいか。

■初日は八時に集合/Thursday,14,October,2010

 初日は朝八時に集合。打ち合わせ会の後はかなりだらんとした時間を過ごすことになった。係とはいえ、終始張りついている必要も無く、かといって近くにいないわけにもいかず、微妙なバランスをとりながら立っていた。段取りの悪さというのはいつでも目につくもので、いくら周到に用意したつもりでも抜け落ちていることがあるものだ。せっかくスタッフを招集しているのにも関わらず、その人たちが生かされず死に体になってしまっている。ばかだと攻撃するつもりはないが、職能集団全体の質に関わる点で自分を含めもっと磨く余地はあると思われる。その他、本題については各地から素晴らしい実践家や論客が来ており、かれらの話から学ぶことが多かった。

 夕方職場に戻るもたいしたこともしないまますぐに帰宅した。久しぶりに再会した人とあれこれ話が止まらなかったが、部内の反省会があったので出かけた。その後はほどよく酔っぱらった。帰ってきてからも少し話をしたが、内容は忘れてしまった。 

■明日と明後日はほとんど出張なので/Wednesday,13,October,2010

 明日と明後日はほとんど出張なので、職場であれこれ時間をかけるのは今週はこれで最後。そう思うと一週間もこれで終わりだからと、どれもこれもやっつけ仕事のようになってしまった。本来なら死ぬ気で準備している方々を前にして、何か手伝いでも申し出ればいいのだろうが、それほどの必要はないらしい。だから何もしない。やっつけるとはいっても、そんなに気持ちよく片付いたりはせずに、机の上のものを右から左へ場所を変えるだけのような、効率の悪い、ばかなことだったりするのである。

■午前中は四時間立ちっぱなしで/Tuesday,12,October,2010

 午前中は四時間立ちっぱなしで、昼にはどっと疲れが出た。何のための三連休なのかわからぬ。休日と平日のバランスの悪さが、自分だけでなく多くの人を支配している。とにかく毎日やることが多過ぎる。きょうは徒歩通勤したら心臓がばくばくしていつ発作が起きて死んでもおかしくないと思った。階段を四階まで登ると足がぱんぱんになった。

 午後はパソコンでの仕事が多かった。ファクスで送る文書もたくさんあった。機械が紙づまりを起こしており、その紙を取り除くとメモリに溜っていた文書がたくさんプリントされて出てきた。この紙づまりのせいで先方とのやり取りがうまくいかなかった例がいくつもある。ファクスは恐ろしい代物だ。

 ネットが使えたら百倍楽なのにという仕事もいくつかあった。ネットが自由に使えない職場の苦労をいまどれだけの人が理解できるだろう。こういう環境で働いているのだと思うと、やる気が失せる。

 日曜日には当面のTo Do Listを作った。書き出したら30項目出てきた。その後でいくつも忘れていたことに気付き、さらに書き足した。日曜月曜でそれらの三分の一を片付けた。きょうは五つしか終われなかった。しかも昨日作った文書の修正が必要となり、いくつかが降り出しに戻った。いまリストを作ったら、さらに十くらいは書き出せるだろう。こうやってやることが積み重なり、その山を崩しているうちに一週間が終わる。積み残しは次週に回すことになる。こういうばかみたいなサイクルが途切れずに続く。これまでは多くのプロジェクトが単発で、終われば少しはすっきりした。しかし今年は、多くが三月まで引きずるものであり、終わったときの充実や満足というのが感じられない。

 

■三連休の最終日となり/Monday,11,October,2010

 三連休の最終日となり、なぜか気温がぐんぐん上がって、長袖では暑いくらいになった。空も晴れて山の様子も奇麗にみえたが、それがどうということはなかった。なぜなら、きょうも仕事だったからだ。昨日と同じ時刻に家を出て、昨日と同じ場所に1時間くらい居てから職場に向かった。三時間くらい文書作りと文書のチェックの仕事。合間には昨日と同様にコンビニのおにぎりを食べたが、きょうは気持ち悪くならなかった。

 昨日とは違って15時過ぎには終了し、帰り道では渋滞を避けてあまり通らない住宅地を抜けようと思ったら迷った。ばかである。それにしても、道路には自分だけでなくばかが多い。目につくのは自転車の乗り方だ。中・高校生というよりもむしろ大人のルール違反が多い。きょうは赤信号をブレーキもかけずに突っ切る女の人やら、左側通行の人と正面衝突しそうな右側通行の男の人やら、後ろを見ずにいきなり渡り出すお年寄りやらで、道路は大混乱。死ぬかと思った。こういう人たちを見ると、日本も発展途上国並みになったなと感じる。グアテマラシティで見た、いきなり道路を渡り始めるまるで動物みたいな老若男女を思い出した。これじゃいつはねられて死んでもおかしくないよなあ。

 夜にはサイトをいじってみた。字が小さすぎて読みにくかったことに気付いた。というよりも、目が弱って小さい字が見にくくなったので、字を大きくしてみた。サイトマップは無くして、ホームに全部集めた。ちょっとカッコつけて、スペイン語の飾りなどを施してみた。

■三連休の中日だが/Sunday,10,October,2010

 三連休の中日だが仕事。いつもどおりに起床。少し離れた場所に昼過ぎまで居た。コンビニでおにぎりを買って職場で食べたら気持ち悪くて吐きそうになった。四時間くらい文書作りの後、再び朝の場所に戻った。終了は17時。すでに薄暗くなっていた。そこからまた職場に戻るつもりではあったが、あまりにばかみたいに思えてきたのでやめた。全国の同業者がこれらのことを物言わず受け入れており、数十年来状況が何も変わっていないことに反吐が出そうだ。こういう週末の過ごし方で退職まで過ごし、ああ自分はいい仕事をしてきたな、幸せ者だったなと、満面の笑みで振り返るような、そういう充実感を感じるとしたら正直な話ほんとうのばかだ。そうして歳をとっても周囲から持ち上げられて、ばかのままに死んでいく。そういう同業者が実は多いのではないか。僕はそういうことに反対だ。

 産直で野菜や果物を買って、家で辛いカレーを作った。昼のおにぎりを消毒できただろうか。

■三連休の初日/Saturday,9,October,2010

 三連休の初日。昨夜は夜更かしをして、今朝はいつもどおりに起きた。午前中は何もしないうちに終わった。昼当たりから眠くなった。昼ご飯も食べずに寝ていた。むっくりと起きて、コーヒーとパンを買いに行く。明日と明後日は仕事だから、きょうのうちに家のことをやろうと思っていたが、眠くて何もやる気が起きなかった。無限の可能性があるのにそれを生かそうとしない。たしかにこれは人間の、ほんとうにばかな性質だ。

 USTREAMの東浩紀という人の番組をゆるゆると見ていた。常岡浩介という人のイスラムの話が興味深かった。この人はアフガニスタンで五か月に渡り拉致され、先月解放されたフリーランスのジャーナリストだ。タリバンの犯行と報道されているものが多いが、実はタリバンの名を騙る軍閥だったらしい。視聴が全部で千二、三百というのは多いとは思わないけれど、フリーの記者、小規模な新興メディア、こういう人たちが突破口になって、この国のメディアの在り方を変革していくのかもしれないと思った。

 その後は何度も横になり、短い周期で死んだように眠っては起きた。目覚めてもすっきりした感じがしない。週日の緊張が解けて、こういう日に弛緩し切ってしまう。変なリズムが染み付いている。

■どういう巡り合わせか今年も/Friday,8,October,2010

 どういう巡り合わせか今年も研修に関する大きなプロジェクトに参加せざるを得なくなって、半年くらい前から時々集まりをもってきた。その集大成であるイヴェントの本番が来週あるのだが、きょうは事前研修ということで自分が人前に立った。失くすわけがないものを失くして朝から慌てたりして、相変わらず落ち着かない、ばかな姿を露呈してしまった。実際にやってみると、計画からかなりずれた部分が多かったのだが、やってみればやっただけの収穫は得られるものである。結果、やはりやってよかった、勉強になったと心から思った。苦労は買ってでもせよ。いや、買ってまではしたくないが、巡ってきたらそれは間違いなくチャンスなのだ。だから死んでも蹴ってはいけない。なんてね。そう言えば昨夜ある依頼の電話がかかってきて、初めは断ったのだった。いくら何でも許容量を超えている。そしたら、労力を3分の1に減らすからとまで言われてしまった。他に引き受ける方が出なければ、また今年も受けることにした。昨年度の経験で、確かにやればやったで勉強になることはわかっている。ただのイエスマンじゃないんだよ。肯定するとそこから必ず好機が広がるのだから。

 その後には2時間半の研究会があったが、参会者どうしの忌憚のない意見交流ができ、計画をさらに見直すことができた。今朝まで使ってまとめた資料は、無くてもよかったといえばその通りだが、理論だてのためには有効で、きっと来週の担当者にとっては、見る目さえあれば役立つと考えている。来週の本番に向けていよいよ最終段階に入った。僕は併せて開催される講演会だけが楽しみだ。まだまだ別の仕事に向かわねばならず、息つく暇はないのだが、それでも大きな一区切りがついた。帰りには少し遠回りをしてひとり定食屋でお疲れ様の夕飯を食べた。その後は電話をして3時間半くらい話した。考えてみれば長過ぎだった、何をそんなに話すことがあったろう。その時は話したかったのだろうけれど。

決定を無視して逃げた者には/Thursday,7,October,2010

 決定を無視して逃げた者には鉄槌が下されるだろう。たとえその人が神の報いに因って死んだとしても、僕には何の関係もないことだ。僕は僕で自分に与えられたことを淡々とこなすのである。何だか晴れやかな気分で資料を調え、明日のシミュレーションなどを短時間に行い、帰宅した。いくら何をどのようにやろうと優れた者には叶わない。一兵卒としてやるだけのことをやるしかないのだが、一兵卒にもそれなりの意地があるし、ただ終わったからよしというのではあまりにばかみたいだし、自分自身が面白くない。やったからには自分の学びになったと言えるようにしたい。

  

■先月から懸案になっていたことが/Wednesday,6,October,2010

 先月から懸案になっていたことが二つ終わった。これらの準備や相手との交渉の中でコミュニケーションが最も煩わしく、それが担当者の仕事の中核であることはいうまでもないわけで、二つが一度に終わったのはその分安堵感も強い。しかし、その安堵感も1分も続くことはなく、さらに明日のことに目を向けなければならない、その先に明後日や来週や来月や再来月のことを見据えて。ここまで息つく暇がないとは、誰かにばかにされている気分である。

 19時で切り上げる。できなくても20時にはと思って9月はやってきたのだった。しかし、時間外の勤務はついに100時間を超えた。がっくり。努力が成果を生んでいない。悪いけどこれ以上労働に時間を割きたくない。たしかにこんな程度で過労で死んでしまうなんてことはあるはずがない。僕よりも3倍も4倍も過密に働いている社会人は山ほどいるだろう。だけど、だからといってもっと働けと言われる筋合いはない、と思う。今になって、いろいろとサボっていたやつのことが憎らしくなってきた。ずるいやつはずるいね。その報いが近々きっとあるだろう。誰か第三者が自分の労働量を計ってくれないものだろうか。

■老いて足ることを知る人も/Tuesday,5,October,2010 

 書家の榊莫山氏死去について、毎日.jpのニュースから引用。姿は焼酎のコマーシャルで見たくらい。作品に関してはよくわからない。たしか何かのドラマか映画の題字を書いていたのではなかったか。芸術家というより人の終末期の生き方として学べる点が多いと思った。それと自分をひき比べればまた切ない思いに駆られる。

 〜「死ぬまで現役でなくていい。幕の引き方が芸術家としての真価。枯れていく姿を世間に見せるのはやめよう」と、昨年から仕事を断っていた。作品を美術館へ 寄贈するなど「最後の準備をしてきた」という。莫山さんは原稿用紙に濃い鉛筆で「葬式も弔問も墓参もいらない。家族で般若心経を唱えてくれたらそれでよい」旨を書き残していた。(妻)美代子さんは「主人は人嫌いだったから」と言葉少な。お別れの会も行わないという〜

 老いて足ることを知る人もいるのだろう。そうありたいとは思う。しかし、この歳になってのこの欲望の激しさは何だろう。時としてうずうずしてどうしようもなくなる。少年時代に思い描いていた、落ち着いた紳士の姿などどこにも見当たらない。それはばかみたいにひたむきな思いであり、ばかみたいにシンプルな誘惑である。不惑など誰の話なのか。雑念に支配され、それを無いものと誤摩化す日々。外に出れば刺激に堪らなくなり、内に籠れば疲れて動けなくなり、眠ってしまえばそんなこともどこかに雲散霧消してしまう。その繰り返し。知足とは似ても似つかぬ。

 幕の引き方が真価というけれど、ただの一度も幕を開けていない。枯れていく前にそもそも何も咲かせていない。自分の四十代。惑わぬ理由など何一つ見当たらない。どこかにいます世間様のように落ち着ける理由などどこにもない。ただ体力の落ちるに任せ、気力の萎えるに任せ、熱い血の流れが夜気に冷めるに従い、言葉以前の衝動を無理に言葉で封じ、最後には一生を終えるように眠りに就く。無念の一生を生きる素浪人のように、朝に生まれ夕べに死ぬ。ただその繰り返し。

■朝から雨混じりの平日休み/Monday,4,October,2010

 朝から雨混じりの平日休み。時間が欲しいというけれど、いくら時間があっても体力がなければその時間を無駄にしてしまう。眠くて仕方がないので、頭も働かない。昨日まで誰がどのように評価しようと自分なりには力を尽くしたつもりだったからその反動が出てしまった。疲れて動けない。昼ご飯すら食べることなく夕方になった。仕事上迫られて少し本を読んだが、喜劇でさえ笑えない。どうしてこの本を扱うことにしたのかわからない。お気楽と言えばお気楽な話だ。皆が勝手気侭に自分をすっ飛ばして議論まがいのことをしてきただけなのだ。何も心に残るものはない。僕が今週やろうとしていることにだって何の意味もない。

 気になるいちばんは明日のことであり、にばんは明後日のこと。その日その日のことに明け暮れるだけの毎日。ところで、仕事のできる人間には、二通りある。一つはほんとうに能力のある人間で、他がばかでもまったく問題ない。ばかたちを上手にリードするからばかはばかでなくなり、仕事は組織として仕事の体を成す。もう一つは、何の意志もなく与えられたことをただ次々にこなすだけのこぢんまりとした人間である。そこには哲学がないから煩わしい感情も生じない。その分他に流されもせずに次々と片付けることができる。しかしそれきりで、組織には何の成長ももたらすことはなく、かれが去った後に何かが残るということはない。

 いわゆるいい人みたいに、死んだその時くらいは誰もが惜しむだろうがそれっきりでおしまい。その後一瞬たりともかれを思い出す人は一人もない。よくも悪くも無に帰る人。僕もその典型。どうでも「いい人」。家賃を二か月分も滞納していたことに気付いて、少々慌てた。入力を済ませようとすると、お金がもったいないなどという感情が生まれた。これまでの分の家賃を支払っていない自分が悪いにも関わらずだ。時間が経つと、人の気持ちは変わるのだ。都合がいいんだ、いい人だから。

 このページ自体が、遺す言葉であると気がついた。可能な限り書き続けよう。これまでそれほど執着していなかったつもりだったけれど、お金の使い道について考えなければならない時期にあるようだ。そうでなければ使わぬままに死んでしまう。僕は旅に出ようと思う。もっといろいろと見たいところがある。それから、もっとこの感覚を、せっかく与えられた生を、もうちょっとはかわいがってから死にたい。

■自分の国の国歌を歌うのに/Sunday,3,October,2010

 自分の国の国歌を歌うのに躊躇するのはなぜだろうか。ときどき歌う場面があるといつも恥ずかしい思いをする。そこには自己同一性の歪みがみてとれる。中央に掲げられた日の丸に頭を下げるのもなぜかよくわからないけれど、それなのに君が代を胸を張り堂々と歌おうとする人が少ないのはどういうことなんだろう。かつてこの旗の下に多くの人が殺され、この歌に送られて多くの人が戦地に赴き帰らぬ人となった。この記憶が未だに人々を支配しているのだろうか。

 たとえば、柔道の世界では柔道ルネサンスという運動が展開されているという。だが、まったく盛り上がりを感じない。だいたい「ルネサンス」って何語だ。日本の伝統的な競技の原点回帰運動の名に何故外来語をつけたのか。ここにすでにかれらの歪みが表れているとは言えないか。練習のときの掛け声も「ファイト」と言う英語なのだ。他に掛け声はないのかと思うけれど、聞いているとばかの一つ覚えみたいにそれしか言わない。国際競技になったとはいえ、不思議である。

 優れた柔道家の中には人間として尊敬できる素晴らしい方が多いと聞く。郷土の先人三船十段然り、山下泰裕氏然り。いわゆる道の考え方からすれば、武道のみならず、華道でも書道でも極めるほどに立派な人格が育つはずである。技術だけではなく精神性を重んじるこれらは、日本人の教育法としても誇るべきものであることは言うまでもないだろう。その原点に帰ろうというのは大切な視点だ。しかし、これらに取り組む人々のうち、人間的に素晴らしいのはほんの一握りの人であって、多くの人々はアイデンティティの揺らぎに苦しんでいるようにみえる。問題を抱えていたり、問題を起こしたりなど、バランスの悪さの目立つ人が多いように感じられる。これも戦争に負けたダメージが今になっても癒えていないことの表れなのか。

 ときどき垣間見せられるナショナリズムは、スポーツの世界に限らない。先日の日中間の問題にしても過激なまでに敵対や排斥を叫ぶ声を、突如として耳にする瞬間があった。国という基礎にしっかり軸足を置いていないから、すぐに足下を掬われそうになる。子どもたちに道理をもって教えられる大人も少ない。実に危なっかしい。これまでその危なっかしさが故に傷つけられ死んだ者が多くいる。いつまた同じ道を歩むことになるか、一寸先は闇。恐ろしいことである。

■土曜日曜に仕事が入る/Saturday,2,October,2010

 土曜日曜に仕事が入るという日本のシステムに違和感を感じ、それを当たり前とするこの文化にも驚く。くだらないとは思わないが、我々の願う文化がこのような方向にあるものなのかどうかは重ねて検討が必要だと思う。

 きょう感じたのは、人とのコミュニケーションをとる仕事はなかなか面倒だということだ。お前はジェントルマンだと言われた。そうありたいと努めてきたし、何より僕は坊っちゃんで育ったらしいのでその類の人間になるのは必然だった。まあ真の紳士にはほど遠い、似非紳士だと思っているけれど。

 しかしそれではダメなのだという。世の中にはもっとばかなやつが多いからという。なるほど実態に応じた振る舞いをしようとしたら、僕みたいなのは不要なのだ。そしてお前みたいなのはきまって鬱になるのだという。同じようなやつを何人も知っているような口ぶりだった。そうなのだろう。それはよく理解できる。

 だからどうしろこうしろというアドヴァイスを僕はありがたく受け止めたが、同時にそれはひじょうに古めかしく響く言葉でもあった。多様であることをよしとするなら、僕はこれまでと同様に、道の真ん中ではなく端を歩いて行く。お生憎様僕は自殺した人々のようにはならない。なぜなら別の社会を知っているから。今より生きやすい場所を知っているから。一つの社会に与しない人間というのは生きづらいが、最終的には美しい死に方をする。

■年度の後半が始まった/Friday,1,October,2010 

 年度の後半が始まった。これまでの半年を振り返ると、一日一日をゆっくり振り返る暇もないくらい早かった。この調子で早く半年が過ぎればいい。夜に郵便局に行ったらゆうゆう窓口は長蛇の列だった。多くの人が同じような状況に置かれている。貧しくなったものだ。時間泥棒ってほんとうにいたのだ。年賀はがきのポスターがでかでかと出ていた。また新年が来る。

 人が見ないところを見たい。人が聞かないことを聞きたい。人が言わないことを言いたい。だから、人がいないところにいたいし、人がやらないことをやりたい。同じことなど自分がやる必要がどこにあるだろう。そう思いながら進んでいる。たしかに視点を変えればみなばかばかりだろう。しかし、また違う見方をすればばかは自分ばかりなのであり、ほんとうのことはわからない。それならどうしたらいいのか。僕は僕に与えられた仕事や生活を、無条件に受け止め、全うすることを心がけよう。そのために死んでも悔いはない。願いが遂げられなくても構わない。何もしないよりも、そうしたほうがいいと思うからだ。動かずに不平を言うよりも、進んで動いたほうがいいと思うからだ。その成果についてはあってもいいし、なくてもいい。