2010年9月             

■父の命日に/Thursday,30,September,2010

 昨夜は職場に戻ってから資料を作った。その資料を使ってきょうのプログラムを行った。このような自転車操業から早く脱却したい。しかし、ここにいる間は脱却できないだろう。いろいろなことがほんとうにおかしい。そのおかしさでさえ、自分を変えてくれる有為な出来事であるならば、この状況を甘んじて受け止めよう。ばたばたした空気の中で、資料を作ったり、打ち合わせをしたり、電話で交渉したり、資料の整理をしたりした。寝不足のまま週末が近づいているからか、少し頭痛がした。

 父の命日。13年目。あの年のいつまでも蒸し暑かった空気を僕は忘れないだろう。葬式が済んでからようやく涼しい秋の空気に変わった気がした。帰りの車の中で父のことを思い出した。あなたが死んでからというもの、いろいろなことがありました。いろいろなことが変わりました。苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。その振幅が激しくなりました。それはきっと、幸を感じられるほどの心の深みができてきたのでしょう。でもまだまだです。いまだ僕の周りの人たちを誰一人幸せにできません。

■記念すべき日/Wednesday,29,September,2010

 記念すべき日。記憶に留めておきたい。高校時代の恩師が現在受け持つ大学の教室で、90分の講義をした。朝には3時間ぶっ続けで普段のレギュラープログラムをこなした。忘れ物が激しくて、部屋を行ったり来たりして汗をかいた。終わるとすぐに職場を出た。準備は終わっていたので、後は気分よく向かうだけだった。休暇を取って行ったのは、報酬が出るからだった。

 さすがに何も食べないと頭も回らないだろうと、途中のコンビニで食料を買って、運転しながら詰め込んだ。ゼリー状の栄養補助食品も摂った。背に腹は代えられない。頭の中が真っ白で何も浮かばなくなったら目も当てられない。

 開始の15分前に滑り込み。先生は外で待っていて下さった。僕が在学中とその姿はそれほど変わりないのだが、その頃とは25年の隔たりがある。それぞれの人生の道程があった。しかし、僕自身は何一つ変化していないように感じてしまうのはなぜだろう。

 始めに教官室に通されて、コーヒーを一杯いただいた。教室には40名を切るくらいの学生たちが廊下側に偏って座っていた。あとはまとめていたことからかいつまんで思うままに話をした。途中で演習をするつもりだったが、案の定時間がなかった。予想通り、考えたことの半分も話すことはできなかった。話があちこち飛んでしまったが、まあできるだけのことはした。少なくとも先生は安心されたことだろう。

 その後、教官室で先生と1時間半くらい話をした。ほとんど最近の仕事についてだったが、楽しい時間だった。同じ色の背広とネクタイだと指摘されて気がついた。感性が似ているのだと思う。というか、先生の感性が高校の3年間で刷り込まれたのではないか。

 自分は不良だと仰っていたが、僕も根っからの不良だ。羊のような顔をしながら、角で人を刺すし、牙で人を噛んで、傷つける。ふわふわなウールにみえて、ヤマアラシのように刺が刺さっていつまでも抜けない。実際にどうかは知らないが、自分ではどうも、そうありたいと望んでいるフシがある。

 4時から会議だというので、キャンパスを後にした。職場に戻りたくなくて、途中で道草をして写真を撮った。小鳥沢の見事な河岸段丘と河川敷。子どもの頃親戚たち皆で遠足した想い出の場所だ。今ではここのすぐ裏まで住宅が広がっているが、橋の上から見る眺めは今でも相変わらず壮大だ。

 出会いというのは不思議なもので、一生の間に出会える人はごく限られている。その限られた人々は皆かけがえのない人物で、誰もが自分に影響を与え、自分を育ててくれる。その縁というものに感謝をしなければ罰が当たる。たとえ嫌いな人でさえ、自分に大切なことを教えてくれる人なのである。今なら僕は堂々と言える。あなたの嫌いな人こそ大切にすべき人であると。 

■些末で雑多な事柄が/Tuesday,28,September,2010

 恩師よりメールが届く。おそらく不安なのだろう。それはそうである。朝に返信する。しかし、風を入れるくらいなら、窓を開けるくらいなら、その部屋の住人にはわけもないことである。それだけの蓄積がないとしたらニセモノもいいところである。

 しかし、書き出した内容を整理すると、本当に大切なコアの部分はむしろ小さい。その周辺にある、些末で雑多な事柄が、自分の職業生活を支配していることに改めて気付かされる。さらに、コアの部分について、あまりに研修が足りない。

 資料をいくつか見繕って、印刷をする。伝わらない、伝えられない日常よりも、伝わる可能性のある特別な時間にかけようとする気持ちは殊の外強くなっている。休みを取って行くのだから、それは本分でもなんでもない。自己存在の本質的なところが、そもそも些末で雑多だということか。

■書いただけ話せるとは到底思えない/Monday,27,September,2010

 月曜日に何をしたかなど覚えていない。だが、仕事についてのさまざまなことをまとめていたことだけはたしか。冴えているからか鈍っているからかわからないが、たくさんの言葉が頭の中に渦巻いて、書き出すと1万字くらいになった。原稿用紙にすると25枚か。あと10枚くらいは書けそうだが、やめておく。書いただけ話せるとは到底思えないからだ。たぶん半分も話せないだろう。

 そんなことばかり考えているわけにはいかず、優先して本分を淡々とこなすのみである。がちゃがちゃしたノイズにかき乱されそうになりながら、冷静を努めようとする。

■そういう心性なのだから/Sunday,26,September,2010

 朝は放射冷却現象のために気温が下がった。そのため空は気持ちよく晴れた。これくらい下がったほうが過ごしやすい。朝に少し川の近くを散歩して、そのついでに朝飯を買ってきた。そのあとは、テレビを見たり、ラジオを聴いたり、パソコンを見たり、新聞を読んだりしながら、仕事を少しずつ進めた。ツイッターを見始めると時間がすぐに経ってしまうことがわかった。書き込みをしたり、日本語では飽き足らず英語のつぶやきもしたりした。英語を打つと、キーボードは英語に最適な配列になっていることに気付く。ローカルな言語の使い手は、ローカルな言語を使う時点でもう不利な立場に置かれているのだ。それに合わせて使いこなそうとしていることも素晴らしいが、何もローカルのままである必要もない。グローバルの言語である英語を我々はもっと使いこなせるようにならなければいけない。ツイッターの140字という制限は、簡単な作文をするのにはひじょうに手軽な字数だと思う。このような仕様も、錬りに錬られた結果なのだろう。世界を動かす人の視点というのは凄いものである。

 仕事にも一段落がつき、夕方からは仕事上のつきあいのある方々と共に焼肉食べ放題のイベントに向かった。一度も来たことのない店であったが、とてもおいしくいただいた。食べ放題だからといってがっつくわけでもなく、適度に満足感を得て帰宅した。これまで同様のイベントをしたときには、いろいろと気を遣うことが多かったが、今年はどういうわけかずいぶんと気楽でいられる。自分の心境が変わったというよりも、今年のあの方々がそういう気を遣わせない方々なのだろう。これには恵まれているといっていい。どんな状況においても人には恵まれる。なぜならそういう心性なのだから。以前よりもいまのほうが生きやすくて当然。なぜならそういう心性なのだから。言いたい文句は誰にも言わないうちに跡形もなく消えた。明日もいっちょがんばるか。

■延長線上に皆さんとの出会いが/Saturday,25,September,2010

 ツイッターに飛ぶボタンを付けた。だからといってアクセスが増えるというわけではないのだが、実験としてやってみた。実はその他にもいくつかのところにリンクを張ったりして、アクセスできるように工夫しているつもりなのだけれど、それほどの成果はない。逃避と言われるとその通りなのだが、逃げ道がないのであればせめて自分のためになる時間の使い方をしたい。

 ところでこのサイトは、Macintoshなら問題ないのだが、Windowsでしかもインターネットエクスプローラだと画面が真っ白になる現象が起きるらしい。そうは言われても対処のしようがない。Macintoshで見てください、ブラウザはfirefoxにしてくださいというしかない。もしも真っ白にしか出ないというかたがいたらお知らせください。といっても、真っ白だったらわからないか。そういう方とは縁がなかったということになるのだろうか。

 せっかく顔を合わせても始めからあれこれ不満ばかりを聞かされると辟易する。その表現力をほかのところで発揮すればいい表現者になれると思う。僕の場合はあれこれ呑み込みながら昇華させようとしているつもりである。愚痴を言わないのもその一環。曲がりなりにも毎日書くことで、思考の整理をしている。大切な時間である。同じようにやってみればいいのにと他の人にも勧めたくなる。ひとり自分に向き合い、言葉にすることが必要。それは誰でも同じではないかな。そして少なくとも僕の場合はそれが必然だった。その延長線上に皆さんとの出会いがあるということだ。

■憧れの早期リタイヤ生活を目指して/Friday,24,September,2010

 時間の合間に様々な構想を紙に書き連ねた。これにより少しずつ目処が立ってきた。土日のいずれかでパソコンに打ち込んでみよう。そうすれば、なんとかなるような気がしてきた。休みの狭間だから何だか気楽。そこには先延ばしの論理が働いている。きょう一日分働いたらまた二日休み。また来週やればいい。それでいいのだと思う。

 きょうできることを明日に伸ばすなとよく言われる。しかし、勤務時間は限られており、毎日2〜3時間はそれを上回っているにも関わらず、まだきょうできると判断する麻痺した感覚など、僕は持っていない。きょうできないから明日に延ばすのであって、無理に夜中までやる筋合いがどこにあるというのだろう。

 とはいえ、土日に持ち帰る仕事の量は半端ではない。これでは休みでも「休むな」と言われているのと同じだ。それは何より嫌なことだけど、自分だってやらねばと思うから今は休まない。ホントのことを言えば、人より働こうなどと言う気はさらさらない。つまりは、憧れの早期リタイヤ生活を目指して目の前のことを淡々とこなすのみ。でなければばからしい。

 できる範囲の仕事をできるかぎりやればよいのであり、それを越えようとするとどこかで破綻を来す。健康を害したり、自分の時間が削られたりする。こんなに仕事だらけの生活なんて、まるでリボルビング払いの借金返済のように、いつまでいってもクリアになることがない。けして無理せずに、身の丈より上のことは考えず、つつましく働こう。たかが仕事だもの。余計なことを排除して、本分にだけ専念する姿勢をもちたい。

■ネットで注文したほうがずっといい/Thursday,23,September,2010

 秋分の日。昨夜の仲秋の名月は曇りで見ることができなかった。朝からしばらくは雨が降っていて、早朝に目覚めてしばらくはラジオを聴いていたが二度寝した。ツイッターをみていると時間の経過が早く感じられ、気がつくともう13時を回っていた。来週の恩師との約束のための準備にあてるつもりでいたこの休日は、もう残り時間が少なくなった。

 夜になってから車を走らせ、郊外の本屋に行った。以前愛用していた久しぶりの店は、品数が激減し、魅力半減の店舗に成り下がっていてがっかりした。店を畳むのも時間の問題という気がした。続いて入ったCD屋も同様で、もう店で時間をかけて品定をするなどということは到底無理な雰囲気だった。せっかく店に行っても在庫が見込めないようでは話にならない。最初から、ネットで注文したほうがずっといい。消費者の心理として、こんな流れになるのは至極当然のことである。

■やることは黙ってやろう/Wednesday,22,September,2010

 懸案事項はいくつもあって、それらを減らそうと努力しているうちにまた新しいことが発生して、何かを積み残しては終わる毎日である。今年は特にそれの途切れることがない。おそらくはこれが3月の最後まで続くのだと思うと、去年までが懐かしく感じられ、あれは一体なんだったのだろうと思ってしまう。

 煩わしいことは山ほどあり、その山をほんの一つ崩したからといって心が休まることは無いし、ずるいことをして遠回りしようとすれば他のところで痛い思いをすることになるのが常である。苦労した分自分に返ってくるものは大きいから、機会を与えられたことは感謝すべきことだ。逆に、一つ逃げてしまうとそれが癖になり何でも無意識に逃げる人になる。そういう人は、周囲から見れば「いつも使えない人」ということなってしまう。

 僕は誰を悪くいうつもりも無いが、自分が忙しいことを殊更に強調してそれをやらない言い訳にしたり、一度やると決まっていたことを有耶無耶にして放り投げたりするような人間は信用できない。そしてそういう信用できない人間は意外とたくさんいるのだ。なんだここにもこういう人がいたかと、きょうも思った。いいよ、そんな人たちには到底できないし、やってほしくもない。

 思うに、仕事が忙しいのはいいことなのである。仕事がないとか、開店休業状態だとか、世の中には働きたくても働けない状況を抱えた人がなんぼでもいる。やっぱりどう考えても、忙しくさせていただいていることにはありがたく思わなければ罰が当たる。問題は、本分と違ったところでへんなことが舞い込んでくることがあって、要らぬところで心を砕いたり、時間を潰されたりすることが多いことである。おいおいそれは僕の仕事じゃないだろうと言いたくなることもある。ジョブスクリプションの曖昧な社会だ。だが、前者と後者の峻別ができればまあストレスはそれほどかからない。

 とやかくいっても始まらない。やることは黙ってやろう。それしかない。

■すべての人がそれぞれの人生をまっとうできること/Tuesday,21,September,2010

 飛び石連休の週。きょうを限りに去った仲間の穴をどうやって埋めるかが頭の痛い問題。この一年というもの、僕の片腕というか両腕ほどの力を発揮してくれた。その功績について、僕より重大にとらえている人はなさそうだ。僕はひとりまた荒海に放り込まれたような気持ちになった。雇用は個人の契約には違いないが、仕事はチームプレーである。まるでメジャーリーグのように、契約を打ち切られた者の座席は翌日にはなくなっている。一人一人が、レースを闘うコマに過ぎない。ほんとうはそうではないと思う。なぜなら僕たちの仕事はレースではないから。すべての人がそれぞれの人生をまっとうできることが目標だから。

 きょうは午前中はずっと立ち仕事。午後には15時頃までしゃがみ仕事。その後は机で仕事をしていたが、きょうは早く帰るようにとの沙汰があり、それに乗って帰ることに。しかし、帰り際に人が訪ねてきたりして結局は定時よりも遅くなった。それでも明るいうちに帰れることなんてそうそうない。そこで床屋に行き、本屋をゆっくり見て回り、つけ麺を食べて、スーパーで買い物をして帰った。

■もうニッポンとはオサラバだな/Monday,20,September,2010

 敬老の日ってえのは9月15日と決まってたもんだ、昔は。それが年によって日が違ってしまったもんだから、決まりが悪くって仕様がねえ。休みは休みでいいけれど、何で休みなのか忘れちゃっちゃあお年寄りに申し訳が立たねえってもんだ。それがこの時期子どもたちは学校の部活とかなんとか言っちゃって、家にいないんだから困ったもんだねえ。敬老の意味も教えずに、休みにまで何やってんだい学校は。誰でも老いぼれちまうんだ。若い奴らばっかりチヤホヤしやがって、自分たちが年取ることなんか少しも考えてねえんじゃねえかい。馬鹿だねえ。年寄りを大事にしない世の中なんか先が知れてるってんだ。

 そういやおいらもこのごろ目が見えなくなってきやがった。新聞なんか活字が小さくて読めねえ。そろそろ老眼鏡をかけなきゃならねえのかもなあ。いよいよおいらも年寄りの仲間入りかあ。さあみんな、この年寄りを労ってくんなよ。ああもう働くのも面倒くさくなってきた。早くお役御免といきてえもんだよ。仕事辞めてからやっと面白い暮らしが始まるんだよ。これからの高齢化社会、年寄り天国にしなくってどうするってんだよ。ならねえってんならもうニッポンとはオサラバだな、あーばよっと。

■もごもごなものだから/Sunday,19,September,2010

 昨日のように外に立つ必要は無かった。ただし新しいことを分担して行うことになった。大きな声を出した。声を出すのは仕事柄どうということはないが、この声が果たして場にどのような影響を与えているのかは意識したことが無い。もごもごなものだから、ヴォイス・トレーニングを継続して受けたほうがいいかもと思うときはないわけではないけれど。

 ネリー・ファータドの声を聞いていると、あの人種のモザイクの中で散歩していた頃の快適な空気が蘇ってくる。彼女はポルトガル移民だった。夏のフェスティバルで芝生に寝転びながら聴いた誰かのファドや、赤茶けた屋根の多い街角の総菜屋で買ったコロッケなんかが懐かしい。いつかライブに行きたいと思っていたけれど、タイミングが悪かった。

 昨日よりも早く終わったので、どこかで食べていこうと思いつく。国道を走っていると渋滞。その先はどこかというとハンバーガー屋のドライブスルーだった。ちょうど日曜のお昼時、毎週こんな感じでマック渋滞が起きているのだろうか。なんて食生活が貧困なんだ。たまに食べたくなるけれど、並んでまで食べようなどとは思わない。グアテマラからホンジュラスに向かう時、国道のドライブインで食べた肉汁の滴るような炭焼きのハンバーガーの味を思い出した。これまで食べたハンバーガーではあれがいちばんだ。

 先週のつけ麺屋も混んでいた。ぐるぐる走って、結局初めて入る定食屋でサンマを食べた。今年初めてのサンマはきっと今年とれたものではないだろうが、久しぶりの焼き魚だったのでおいしくいただいた。

 帰ってからは何をしたかよくわからない。途中で眠くなり、暗くなってから目覚め、床屋に電話するも混んでいて予約できず、結局何もしないうちに一日が終わった。

■佐藤アナウンサーの声を聞くために/Saturday,18,September,2010

 仕事が終わったのは13時頃。意外と早く終わって、弁当をもらって食べて、家に帰ってからは、ゆっくりとラジオを聴いて過ごして、そのうちに眠くなった。まどろみかけた頭に不思議な空想が巡る。「ぼやき川柳アワ〜!」という佐藤アナウンサーの声を聞くために僕は生きているのだと思った。

 今朝は路上に1時間立って駐車場係の仕事を行った。特にトラブルはなかったが、以前田舎の町でやったときとは人々の反応が違っていたので拍子抜けだった。文句を言ってくる人は一人もいないし、質問する人もない。こちらから窓を開けさせて説明したのは数件だった。なるほど街場の人々はルールを普通に遵守するのだ。そういう側面があるのだ。

 しかしそれならあの自転車の不法な乗り方は何なのか。老若男女どの世代も左側通行しない人があまりに多過ぎる。遠巻きに見て僕は毎朝はらはらするのだけれど、当の自転車ドライバーたちは恐ろしいとは思わないのだろうか。日本とはこんな国だったろうか。いつからそうなんだろう。2003年以前のことは思い出せない。

■好意と温かみに包まれた新しいやり方/Friday,17,September,2010

 長い長い一週間。しかもまた途中。さまざまなことが頭をもたげ、どうもすっきりとしない。昨日の問題は結局僕以外の人々の努力によって解決の方向に進み、僕はその一部始終を黙って見詰めながら立ち尽くしているだけだった。信用を創るということはこのことだったのだ。僕は圧倒的な力を見せつけられ、同時に「お前には何もできない」「何の力もついていないではないか」と無言のうちに存在とこれまでの経験を全否定されたのであった、言葉ではない、しかも好意と温かみに包まれた新しいやり方で。

 駐車場に向かう真っ暗闇の中で、僕は一筋の涙を流した。感謝と哀しみと縁と情けなさといま置かれている境遇の不思議さの溶けた水は一瞬にして乾き、またいつもの空っぽの頭に戻った。

■人の生き死になんて関係なく/Thursday,16,September,2010

 不条理なことというのは起こる。冤罪の被害者の気分が少しわかったような気になった。しかしこんな場合でさえ自分に僅かにでも責任があり、方法によっては1%が100%に変わることもある。誤認逮捕され、謂れのない罪で死刑になることだって十分にある。痛い程よくわかった。犯罪を犯していない犯罪者が罪を認める心理を、自分のこととして理解しておかねばならないと思った。さいわい、僕の周りにいるのは素晴らしい人ばかりなので、僕にはいつも協力してくれる。今回も本人の知らない間にいろいろと手を回してくれた。何と他力本願な人生。人の厄介になってばかり。そこに胡座をかいてはいけないのだけれど。その代わり、かれらの身に何かあったときには僕がなんとかしなければならない。人の生き死になんて関係なく、それはやらなければならないことなのかもしれない。

■猥雑な雰囲気にあてられ/Wednesday,15,September,2010

 秋祭りをのぞいてみる機会があった。神社の境内を小一時間見て回った。神社の長い階段を、祭装束の男たちが神輿を担いで登るのを見た。屋台の食べ物の混じったにおいの中で、人込みに紛れて歩いた。猥雑な雰囲気にあてられ、胸が悪くなった。

 思えば幼いときから僕はこの祭があまり好きではなかったが、その理由は今ならわかるような気がする。今回は、山車にはお目にかからなかった。子どもの頃は、あの山車が目の前を過ぎるときに木組みの車輪が軋んでぎりぎりと異様な音を鳴らすのが怖かった。大きくなってからは、ヤーレヤーレという掛け声がスピーカーから大音響で鳴らされるのにうんざりして、祭嫌いがさらに進む原因となった。

■生きるのに必要なのは/Tuesday,14,September,2010

 ゆっくり考える時間すらないというのは言い訳だ。できる人は考えるのに時間は要らない。ほんの10分休んだだけで十分という人もいるのだ。眠る時間を削ってでも、自分ができることを情熱をもってやるという人もいるのだ。言い訳する者は愚かだ。

 幼稚な落胆は一夜過ぎれば忘れてしまう。もっている何かを最大限に活かし切る努力、そして、足りなかった何かを補う努力。求められるのはそれだ。誰か他の人と同様に一喜一憂している間に、世の中は二歩も三歩も先へ行く。置いてけぼりを喰う前に、自分のことをちゃんとやれということだ。いま生きるのに必要なのはその心構え、その覚悟。

■どのような情熱を/Monday,13,September,2010

 休めなかった週明けは憮然とした表情で始まった。午前中はずっと立ちっぱなし。午後になって、近くに勤める中学の同級生が職場に営業に来た。いくつか情報交換したが、思うような話はなかった。できれば使いたかったし、それは双方にとって悪い話ではなかったはずだ。しかし、そうそううまくいくものでもないのだということがわかった。

 どのような情熱をどこにどのように注ぎ込めばいいのかよくわからなくなっている。それの何が面白い、そこの何が大切なのか、すべてが訝しく感じられるという、あまりよいとはいえない兆候がみられる。病気休暇という噂の幾人かの顔を思い浮かべる。結局のところ、僕はかれらのようではなく相当に呑気で鈍感なのだろう。

■つまらないことをぶつぶつ/Sunday,12,September,2010

 6時半には家を出て仕事に行った。幸い雨は降らなかった。16時頃に終わり、帰宅するとしばらくぼーっとしていた。風呂に入るつもりがそのまま寝入ってしまい、目覚めると21時前だった。無為な週末を過ごした。部屋の片付けはおろか買い物すらろくにしなかった。ツイッターでつまらないことをぶつぶつ書きながら、さまざまな人のつぶやきを読んで時間を過ごした。

■丸九年/Saturday,11,September,2010 

 ニューヨークの同時多発テロから丸9年ということになる。当時勤めていた職場の記憶はかなり薄くなってしまった。事件の翌日に、これを評してある同僚が「人類史上最大の事件だ」と言ったことを覚えている。しかしその時のスタッフがどういう人たちだったか、名前すら挙げることができない。あんなことがあってもほんとうに行くのか、俺はやだ。そんなことを言った管理職は、いまどこにいるのか知らない。あの職場には5年もいた。長かった。記憶はブロックされているのだろう。日記を開けば、だいたい蘇ってくるだろうけれど。

 朝から仕事で出かけた。終わったのが14時近くで、外は雨が降っていて、車を飛ばしてとあるラーメン屋でつけ麺を食べた。翌日は早朝出勤だからと、早めに就寝した。なんだかほんとうにおもしろくもない土曜日だった。

 

■激しく疲れた/Friday,10,September,2010

 今週は疲れ方が激しかった。木曜日の夜にはまるで金曜日の夜のように足が上がらなかった。そして、きょうは15時から会議のため出張だった。14時過ぎに出て車を運転した。家に寄ってゴミを捨てたいと思ったが、日中の町中は意外と混んでいて、家には寄れなかった。運転中、眠かったので途中で停めて休憩した。会議は1時間半ほどかかった。ずいぶん早いと言っていた人がいたが、段取りさえ良ければ1時間で済む内容だと思った。帰りも17時には間に合わず、結局ゴミは出せずじまいだった。帰宅してしばらくぼーっとする。たまらず横になり仮眠を取る。そうしてとある飲み会に向かう。結局今週は飲んだくれて終わり。 

■見せ物じゃない/Thursday,9,September,2010

 たしかに暑さは和らいできたが、まだ快適といえるほど下がっていない気温。この三日間はどうも落ち着かなくていけなかった。たくさんのゲストが入って、それが双方に何らかの効果を生むのならまだしも、かれらは単に傍観者として、そこに黙って突っ立っているだけだった。終わってから捕まえて反応を聞き出そうと思ったが、顔を上げるともう姿はなかった。まるで、こちらとのコミュニケーションを避けているかのように感じた。きっと、こちらとのコミュニケーションをする意志がなかったのだ。これでも身体張ってやっているんだ。見せ物じゃないよ。

■街場に来てから/Wednesday,8,September,2010

 一日署長とかいうのがあるけれど、きょうの雰囲気はそれみたいなものだった、大仰なたすきなんかつけた。どうしてここまでのサーヴィスをかれらにせねばならぬのかと疑問が過る。気がつくともう夕方になっている。16時頃からあとはもう何もしたくない。部屋にも出入りしたくない。きんきんと耳に響く大声を聞くにつけ、正直うるさくて耐えられない。

 ここに暮らす片寄りとか、おかしくなってしまう原因とか。40年もこの仕事してると変になるという言葉を聞いた。それは長い期間が問題なのではなく、質の問題ではないかと思った。それで自分のことを振り返ってみと、街場に来てから質の高いことはひとつもできていない。街場に来てからって、いったいいつから。最初からじゃないか。

■布石を打てれば/Tuesday,7,September,2010

 あるイベントの主務ということで午前中いっぱい出かけた。バスツアーのガイドみたいなことをしたが、ことの内容がどんなことであれ、予定どおりに終わったり、それによって人々が充実の表情を見せてくれたりすると、よかったのかなとこちらも素直にうれしくなる。しかし、少し俯瞰してみれば無くてよい事業なのだと思う。準備して一応の成功を収めた者としては止めるのは残念かもしれないけれど。当事者として切るにはエネルギーが要る。でも冷静な目で見て、本分は何かを見据えて、残すべきもののみを残したい。できなくても、せめて布石を打てれば。

 全体の流れからみればどうでもよいことなので、自分が不在だったことなど誰も気付いていないのだった。午後にはまた一つ二つ山があって、それを登って降りるともう終了。個人にとって生産的なことなど一週間何にもできないで終わるのだ。

■こういう状況下で/Monday,6,September,2010

 今年度のシフトによると月曜の午前中はとにかくずっと立ちっぱなしだ。なんとかそれを乗り切るとどっと疲れが出てきて、週末の甘美な想い出から否応無く現実に引き戻されるのであった。そしてこの後金曜の夜まではとにかく仕事の奴隷だ。仕事をするために生きているわけではない。一般庶民の鬱屈した日常の原因の一旦は、きっと政治にもある。このごろネットでみる話題と新聞やテレビの報道との乖離が目につく。すべてとはいわないけれど、ほんの一部のことかもしれないのだけれど、いわゆるマスコミは自分たちに都合の良いように事実をねじ曲げて伝えているとしか思えない。こういう状況下で生きているのだな。

 魯迅の小説に描かれているかつてのどうしようもない中国の状況と、いまの我が国の状況が、ここまで近いものとして感じられたことはこれまで無かった。

■何気ない日常生活の中に/Sunday,5,September,2010

 海辺の町の朝は涼しかった。散歩に出ようか迷っているうちに太陽が高くなり、またすぐに暑くなった。職業とは別に何か自分が生きる意味を探ろうとしたら、何が浮かぶのだろう。奉仕者として一生を終えるなんて。自分の心ゆくまでの満足って、どうすれば得られるのだろう。きっとあまり大げさなことは望んでいない。むしろそれは何気ない日常生活の中にあるのだろう。半ば気まぐれで近くの海岸に行ってみた。美しい景観が目と鼻の先にあることに初めて気がついた。

 祖父が昔撮影した写真の原板がたくさん残っていて、それらを手に取って眺めたことがある。ガラス板に刻まれた白黒の画像には、どこの誰だか知らない人々ばかりが写っていた。そして、その人たちがどこの誰なのか知るすべはもうないのだなと思った。夥しい量のこれらの写真は、いったい誰のための写真なのか。残し残される価値ってどこにあるのだろうと思った。そのあとそれらの原板はすべて処分された。僕の脳裏にあのときの記憶が残るだけになった。

■それはただの感傷か/Saturday,4,September,2010

 午前中は仕事場に行って、少しはアクティヴに身体を動かしながら、仕事をしたのであった。昼には終えて、急いで帰宅し、ゴミを捨てた。部屋は散らかり放題だったが、そんなことはおかまいなしで、夕方にはまた車を飛ばした。自分の中で何が大切なのか。答えは明白だ。そして生活の大部分においてそれに向き合うことのできない現状をやはり憂うのだ。それはただの感傷か。先週のように温泉に行き、先週のように寿司屋に行った。先週のように自転車に乗ったが、先週とは風や気温が違った。季節は変わるが、変わらないものはそのままある。何を守りたいのか。答えは明白だ。

■夏のせいにするつもりか/Friday,3,September,2010

 一週間は長い。一週間はあっという間だ。仕事に没頭すれば日々はどうということなく過ぎる。しかし、自分自身のために何かしようとすると、家での時間には何もできない。ニュースを得るだけでもう終了である。読書する元気も視力も失われている。続けるのにもっとも必要なのは体力だということがはっきりしてきた。それから今年の場合は、暑過ぎた。暑過ぎる。この先もそういう年は増えていくのだろう。すべて夏のせいにするつもりか、自分の弱さを放置して。

 

■表現こそ/Thursday,2,September,2010

 大学生などどのくらいツイッターのアカウントを持っているのだろう。高校生だったらどうか。使い方によってはひじょうに面白い道具だと思うけれど、自分を含めて満足に利用できている人はそう多くはなさそうだ。読書生活が大切だとはよくいわれることだが、それでは国語教育が最終的に何を目指しているかというと、僕は読むことであるとは思えない。文字の無い時代に遡ったとしても人間的な営みはあったのである。表現こそ人間が原初から抱いている本能だと思う。読むことや聴くことを取り込みながら、話し手や書き手となる。踊りだって同じだ。見て楽しむだけの人生なんて嘘。パフォーマーこそ人類の目指すべき星である。

■こんなのは日記ではない/Wednesday,1,September,2010

 九月になったが変わらず暑い。八月は日記を書くだけの時間やエネルギーを捻出することができなかった。そのためたいしておもしろいものが書けなかったし、自分でも書くことを楽しめなかった。こんなふうにとりとめのないことばかりでも、書くことは楽しいし、僕の人生を楽しくしてくれている。これがなかったらとてもつまらない。書かない人間の生きる価値なんてないとさえ思っているくらいだから、そう思っている自分が十二分に書けるようでなければ何なのだと責められるだろう。ところが、これを書いているのは十一日の朝のことである。十日分、早朝から一気に書き上げた。こんなのは日記ではない。なんとかしたい。