2011年8月

■暑く燃えた8月も/Wednesday,31,August,2011

 暑く燃えた8月もきょうで終わり。日中は蒸し暑く、そして眠かった。机に突っ伏して眠りたくなるくらいだったが、生憎そうする時間はなかった。夜には夜で、また別の会議で少し離れた会場へと向かわなければならなかった。会議が終わり、自宅までの道は、いつもより短くなったと思っていたら、意外と時間がかかった。

■毎朝通勤路の/Tuesday,30,August,2011

 毎朝通勤路の交差点に立っている制服姿の交通指導員の小父さんがいる。しかし、その交差点は小さく、車の出入りがまず無い。山道だから歩行者もおらず、特段交通指導を必要とする箇所とは全くもって思えないところに、彼はぽつんと立っているのである。はっきり申し上げて、意味がない。だが、そう第三者が判断するのは早計というものであろう。きっと彼なりの、そしてその地域なりの事情があるのであろう。もしかしたら、彼の子どもがその場所で事故に遭ったのだろうか。それで、今後そういうことがないようにと、そこで危険な車に目を光らせているのかもしれない。あるいは彼はその集落の何とか会長で、実は無事故記録の更新を続けるために立っているのだろうか。

 どうでもいいといえばどうでもいい。だが、毎日見かける人だけに、気にならないではいられない。そんなふうに、毎朝ただ黙って立っている小父さんがいるのである。

■夕方の出張では/Monday,29,August,2011

 夕方からの出張では長く時間がかかった。早いだろうという期待のもとに、朝からわりと元気よく過ごせた月曜日ではあったが、会議の場に来て少し頭を抱えたい気分になった。それでも帰宅途中には野菜などを買って、家ではひとり料理に勤しんだ。先のみえない仕事よりは、その都度出来上がって味もすぐに確かめることができる家事の方がよほど楽しい。だから万人ができるのだし、しなければ生きてはいけない。それに引き換え自分の選んだ仕事の特殊さよ。文句を言われようものなら、それじゃ自分がやってみろと言いたくなるくらいのもので、傍からみているのとはわけが違うことくらい、15年も前に観念しているわけで。

■比較的余裕のある/Sunday,28,August,2011

 比較的余裕のある朝、静かに観念して家を出る。昨日よりは雲が多くて、外にいるにはやや楽だった。日中の記憶はあまりない。ただ午前中に懐かしい二人の人と再会した時は、少し気持ちが高ぶった。交わした言葉は二言三言なのに、しばらくはその会話を心の中で反芻していた。その後はとにかく17時過ぎまで外にいた。帰宅すると夕飯の支度をして、夜はだらだらと過ごすだけだった。

■休みを取って/Saturday,27,August,2011

 休みを取って通院。良く晴れたので田んぼがどこも輝いていた。病院のある町は以前の職場があった町。そこで高速を降りて、しばらく走ったところで写真を撮った。手術後は痛みは引くばかりだったが、きょうは久しぶりに目の覚めるような激しい痛みがあった。これからはしばらくこのような施術が必要なのだという。昼は実家で2時間くらいだらだら過ごした。高速道路は花火大会の影響で混んでいるというので途中まで国道を来て、それから高速で帰宅した。夕方まで1時間ほど昼寝。夜には近くにあるレストランに初めて入る。魚介類のムニエルがうまかった。

■魔法が効くのは/Friday,26,August,2011

 魔法が効くのは一日のみで、翌日には何事もなかったように朝が来る。ただしきょうは金曜日で、明日も休むつもりなので、元気は夜まで持続した。そして21時頃まで仕事をするのであった。それで一週間が終了。

■朝から/Thursday,25,August,2011

 朝から蒸し暑い日。弁舌滑らかなままに午後に突入す。それは夕方からのアイディアを思いついたから。1時間が2時間に、2時間が4時間になる魔法のようなやり方を、行使するのはそれほど難しいことではない。一つだけ懸案は未だ届かない通知のことで、昨夜問い合わせたものの返答なく。部屋で涼むところに電話が鳴って、こちらは返答が聞けるものと思っているといきなり「何だ」という。的を射ない文章からも性格の悪さは想像に難くない。身近な人々の情熱には学ぶことも多いが、トップのこういう態度には辟易する。しかし不愉快な思いも音楽をかけると雲散霧消。それよりもこの湿気が夜にも残っているのが不快極まりない。もはや深い秋が待ち遠しい。

■北米大陸で/Wednesday,24,August,2011

 北米大陸でわりと大きな地震があったという。向こうは大騒ぎだったようだ。ニュース映像を見てみたら、血相を変えて外に逃げ出す人々が出てきて不謹慎ながら可笑しかった。慣れていないというのはこういうことなのだ。翻ってこちらではあれ以来毎日頻繁に訪れる地震に、慣れるを通り越してうんざりするばかりである。そしてそれはただのうんざりではなく、未知の恐怖を伴ううんざりである。未踏の時代にさしかかっている。筒井康隆氏は英知を結集させたとして数百年もつまいと書いていた。残念ながらそのようにしか考えることができない現状を前に、英知をそっくりくり抜かれたような我々が口をぽかんと開けて空を眺めている。

■割と穏やかな気持ちで/Tuesday,23,August,2011

 割と穏やかな気持ちで夜気に触れていると、今までとは別の感覚がかなりの現実感を伴って空から降りてくるような感じがする。人ひとりにできることは限られる。その限られたことを限られた時間にやっている間に、限界は超えられるのかもしれぬ。勝ち負けにこだわる世界には住みたくもないし、自分をそれほど追い詰めるような生き方ももう望まない。人間の成長というのは、植物のように芽が出て膨らんでという穏やかな変化には表れないものである。もっとアグレッシブで劇的なものではないか。一晩で一億倍の質量になったり、百万年の時空を飛び越えたりする。それこそが成長である。いやむしろそうでなければ成長とは呼べない。

 いつか夢の中で一気に大気圏に飛び出たり、海を渡って夜の町を散歩したりできた時期がたしかにあった。それがいつだったのかは忘れたけれど、あの痛快な心持ちときたら、現実の僕が十代だった頃でさえ覚えることのできなかった感覚だった。今ではもうあのようなことはない、残念だけど。

■通勤時はラジオを/Monday,22,August,2011

 通勤時はラジオを聴くのが楽しみの一つなのだけれど、電波が弱くて十分に聞き取ることが難しい区間があって困る。比較的大きな幹線国道ではあるのだが、それにしてはあまりに未整備という感が否めない。県境なので隣県の電波が入るところもあるが、どちらの局も雑音混じりですっきりしない。携帯電話の電波塔はずいぶんたくさん建っていて、電話を使う分には便利なのだろう。しかし、それよりもまずラジオを満足に聞けるように整備してもらえないだろうか。4月に来た新参者はもう怒りが収まらないくらいなのだが、元からここに住む方々は何とも思っていないのだろうか。これが当たり前という感覚か、それとも諦めてしまっているのか。あるいは、ラジオを聞かない人がそんなに多いのか。

■休日の朝に/Sunday,21,August,2011

 休日の朝に恩師からメッセージが届く。検索で探し当ててくださるとは感激である。何歳になっても瑞々しい感性を保つことは素晴らしい。感性を若く保つことと老いることは矛盾しない。老いながらも若くあり続けることは可能である。さらに「何か始めませんか」という誘いが泣かせるではないか。私はいつでも始めたいと思っております。自分にとって新しいこと、すなわち人類にとって最初のことを。時間のある時、ゆっくり自分に向き合える時に、先生に向かって手紙を書こう。

 さて、午後には少し北上してやや大きな町で買い物をしてきた。たいしたものを買ったわけではないが、いつもと違う道で2時間くらい車を走らせただけでも気分は変わるものだ。ただし、帰宅後は眠気に襲われ日曜の夜は早めに就寝した。

■4時半に/Saturday,20,August,2011

 4時半に起床。5時50分に家を出てから18時半に帰宅するまでほとんど立ちっぱなしだった。きのうに引き続き涼しくて、昼頃までは長袖でもちょうどよいくらいだった。以前の職場で一緒だった人と久しぶりに会った。短い時間ではあったが、事情を理解してくれている人だったので心置きなく話すことができた。一緒に働いているときにも感じたが、非常に寛容な方である。何を言っても許してくれるような安心感がある。このような人に出会うことは、残念ながらあまり多くはないのである。

 彼とは昼過ぎに別れ、その後も僕は同じ場所に留まった。時間の流れというのは不思議なもので、意味がないと思っていると意味がないし、意味深いと思うと意味深いものになる。つまり意味ある時間にできるかどうかは、常に自分自身にかかっているのである。それは一時間でも一日でもそうだし、ひとりの人生とか命とかのレベルでも同じ。せっかく時間を過ごすのなら、意味のある時間を過ごしたい。そう思ったらそのような時間にすればよいだけの話だ。誰にもその邪魔をすることはできない。

 

■きょうからまた/Friday,19,August,2011

 きょうからまた普段の活動に戻る。7時に家を出てからとにかく流れに乗って夕方まで暮らす。必要なものは何か。しいて言えば向上心と想像力の二つか。何を感じどう動くか。それこそが人生というものである。どう動くか。殊にどういう言葉を使うのかということに日々はかかっている。

 夜には夜の勤めというものもあって、時間で言えば平日は3時間から4時間のところだけれども、それに対する意識のもち方がここまで変わるのには年月がかかった。1日に与えられている時間は自分の場合24時間ではない。例えば、20時間だとすると、ほかの人たちが24時間でするべきところを20時間でしなければならない。それだけ大事に時間を使わなければいけないということだ。24時間でやるべきところを20時間で済ませられたら、残りの4時間は丸儲けというわけだ。「時間の無駄」という言葉がよく口を突いて出る人の中には、時間を大切にしていない人が多いような気がする。

■区切りの日/Thursday,18,August,2011

 区切りの日。一々些末なことで突っかかって来る人がいたので不愉快だった。それで、はいはいすみませんといって書類を言われた通りに直したりしたのだが、立場が変わるとみえ方が変わるもので、僕もそういう些末なことでやきもきしていた時期がある。必要なことには違いないから、言う通りにしてそれなりに反省もした。人よりも時間が拘束されているというような不満をくすぶらせていたために、やらねばならないことにさえいい加減な気持ちで向き合ってしまったのかもしれない。だいたい、不満はしばらくは解消されることはない。もしされるとすれば、こちらの心のもちようが変わるときだけである。あんな時代もあったねという歌詞のように素直に受け入れることは困難だが、覚悟や諦念というにもまだ生易し過ぎる。過去に何度も通ってきた道のりであって、どうしてまたもやという気持ちが大きいかもしれぬ。ほんとうなら今までとは少し違う経験を積みたい。しかし、それがどういう経験なのか具体的に描いているわけでもない。もしかするとそれは夢幻であって、実は自分の希望する道など最後まで歩むことなどないのかもしれぬ。どんな現実に向き合ったとしても、それを受け止めて自分の意味のある時間にするか、否定して逃げて不平不満だらけの時間にするか、二つに一つしかないのではないか。意外と穏やかにそんなことを考えてみる。 

■昨日までの/Wednesday,17,August,2011

 昨日までの盆休みの名残で、職場にはあまり人がいなかった。きょうまで休みを取る人が多いからたいして仕事も進まない。というより進める必要もない。僕はずっと外にいて、かなり気楽に時間を使っていた。お盆に本を読む時間がなかったわけではないが、目が疲れたり眠くなったりで正直あまり読むことができなかった。なんだかこれからもこういうことが増えてきそうだ。蔵書を生きているうちにすべて読むことはおそらく不可能であろう。読めないほどのものを所有してしまったことは愚かである。同様に、限りある時間以上のものを消費しようというのであればそれも愚の骨頂としかいいようがない。何事も身の丈ほどに留めておかねばそれこそ無駄というものである。

■一日まるまる/Tuesday,16,August,2011

 一日まるまる休みだったにも関わらず、三日経つと何をしたか忘れてしまった。暑かったこと、天気が悪かったこと、それから、午後から少し車を走らせたこと、それくらいしか思い出さない。

■終戦の日/Monday,15,August,2011

 終戦の日。4時半には起床。きょうは旅に出る日である。旅といっても、いま居を構えている町まで帰るだけであるが、どれだけ遠回りして帰れるかという、物好きな奴の暇つぶしである。

 5時22分発の普通列車に乗り、本を読んだりうとうとしたりを繰り返しながら日本海側へ。酒田で自転車を借りた。炎天下のサイクリングはきついながらも楽しかった。土門拳を見て、アルバで昼食。それ以外は行かない。どういうわけかたまに行きたくなる町。

 帰宅してからかんぽの宿に出かけ風呂に入る。涼しい格好で酒屋をのぞいて買い物。テレビで渡辺謙のアメリカ取材の番組を視聴。強制収容所はカナダでのことは聞いていたが、アメリカでも同様のことがあったのを初めて知った。放送の最後でノーマン・ミネタ氏が述べた言葉は詩になっていた。

■日中は/Sunday,14,August,2011

 日中は暑い部屋の中にいた。夕方家を出て、新幹線で盛岡へ。従弟や叔母達と飲む。4月に転勤してからは初めてだが、会えば久しぶりという感じも瞬時に消える。借りたままにしている部屋に数カ月ぶりに寝る。空調も何もないから暑くて汗をかいた。

■反対側の車線は/Saturday,13,August,2011

 反対側の車線はものすごい渋滞。隣県の街で買い物等。スープカレーというのを初めて食べた。その後妻の方の墓参へ。夕方しばし談笑。枝豆とか西瓜とか紫蘇のジュースとか、美味しいものをご馳走になる。 

■祖母の初盆ということで/Friday,12,August,2011

 祖母の初盆ということで実家へ。叔父叔母達と共に菩提寺へ。墓参して町内の店で食事。叔父叔母はやがて帰り、野球を見ながらうとうと。夕方妻を駅まで迎えに行き、産直経由で墓参。家で少し談笑。

■午前中は/Thursday,11,August,2011

 午前中はパソコンに向かっていた。ウイルス対策ソフトの期限がもうすぐなのに気づいて、更新にてこずった。昼には冷やし中華を食べた。もっとも暑い時間には扇風機をかけながらソファで昼寝。それから仕事場へ。22時前に帰宅。

■きのうまでの気侭とは/Wednesday,10,August,2011

 きのうまでの気侭とは打って変わり、早朝から仕事場にカンヅメの一日。午前中は熱中症気味になりながら外で過ごし、午後には眠気の中でデスクワークを進め、夜にはとある会合に出席し、帰宅は22時を過ぎてしまった。楽しみだけでも生きていけない。しかし、けして苦しみばかりでもない。苦しみの中に楽しみがあり、楽しみを続けるにはまた苦を伴う。何事も気のもちようだ。きょうは、猛暑ということもあり辛い一日だったが、気持ちは前向きで、嫌なことに対するマイナスの感情がなかったのはよかった。

■二日目も猛暑は/Tuesday,9,August,2011

 二日目も猛暑は変わらず。多少誘われるも協議に出る気になれず。朝食後、国立博物館へ。話題の空海展を観る。空海よりも人の波に圧倒される。テレビ番組の影響か。自分も含め、まんまと利益誘導に乗っけられて誰かに金を貢ぐ。だいたい京都から国宝級の仏像を何体も運んできたというのに、手を合わせる人などまずいない。そのくせ何だかありがたがって満足して帰っていく。学びという名のビジネスで人々を動かしている人たちがいるのだ。などということを考えながら午前中を過ごす。

 ぶらぶらしながら今度は台場にある日本科学未来館をゆっくり見学する。玄関までは仕事で何度か来たことがあるが、中を見たのは初めてだった。超伝導の実演や、パラジウム触媒についての講義を興味深く聴く。探査船ちきゅうの展示の前では、ボランティアの方から詳しく説明していただく。30分くらい話を聞いて、ゼロだった知識が急にふくらんだ。科学っておもしろい、と素直な感想をもった。もしも30年前に見ていたら、きっと別の進路を取っただろう。

 電車の時刻までの時間でビールととんかつの夕飯。それぞれに新鮮だった研修日。

■二日間休みを取って/Monday,8,August,2011

 二日間休みを取って東京へ。いわゆる身銭を切って中央の風を僅かばかり感じてくる。昨年気づかされたことを再確認する。終了後、銀座で時計を買う。原宿でイッセー尾形の一人芝居を観て笑う。プロの魂を見せつけられる。とともに、何かヒントを得たような気もする。いいものを観た。宿のそばで日本風に美しくなったベトナム料理を食す。

■6時半に家を出て/Sunday,7,August,2011

 6時半に家を出て13時までは外。その後弔事があり、帰宅すると15時。テレビで野球観戦。

■鴬宿を/Saturday,6,August,2011

 鴬宿を8時に立ち、高速で帰宅。それからスーパーで昼食を買うも、長蛇の列。仕事に出かけ、夜中の10時まで外。顔が熱かったり、冷たかったりした。

■朝に/Friday,5,August,2011

 朝に高速を北上して実家へ。弟の家族に再会。それから北へ。蕎麦屋で昼食。アイスクリーム屋でおやつ。そして鴬宿へ。ソファで1時間ほどうとうと。その後部屋でうとうと。夕食は思った以上に良かった。20時には就寝。

■午前中だけ/Thursday,4,August,2011

 午前中だけの仕事。昼からは少し観光地巡り。転勤してきてからじっくりと町を回ることもなく8月になった。隣県を回って帰宅。

■午前中の/Wednesday,3,August,2011

 午前中の出張には徒歩で出かけた。20年前の同僚と偶然再会。隣の席であれこれ話す。徒歩で帰宅。途中生協や本屋に寄り道。

■休日/Tuesday,2,August,2011

 休日。午前中はパソコンに向かい、コンビニに走ってはファクスを送り、電話やメールをし、というわけで休んだ気にならなかった。

■昨夜は/Monday,1,August,2011

 昨夜は帰宅が零時を回っていた。疲れを引きずりながら少し遅めの出勤。会計関係で少し頭が混乱する。翌日には完全に解決できたのでよかった。