2011年11月

■普通にしているうちに/Wednesday,30,November,2011

 普通にしているうちに昼になり午後になり夕方が来る。きょうは用務があって、職場を16時過ぎには出た。一カ所目では書類を交換して、二カ所目では物品を借用した。帰宅して、洗濯して、炊事をすると19時。その後もゆったりとした時間を過ごすことができた。日曜に出したメールに返信があった。温かい言葉に涙が出そうになった。あの方々とふたたび会える。ありがたいこと。

 

■さして新しいこともなく/Tuesday,29,November,2011

 さして新しいこともなく、普段通りの日常が経過していくだけ。わずかずつ模索しながら、繋がりを作ろうと努力する日々。虎の威を借る狐ではないけれど、自分自身の価値が揺らいでいるとしたら、こうでもして確固たる価値を植え付けるしかない。実験ばかりの続く日々。数字でみえる成果など成果ではない。ほんとうにつけなければならないのは、すべて目に見えぬ力である。

■月曜日の朝は/Monday,28,November,2011

 月曜日の朝は当たり前に始まった。とにかく霧が濃くて暗い朝。出かけるまでにいつもより少し時間がかかった。日中は隙間の時間を縫って仕事を進め、夜も早く帰宅して家で残りを終わらせた。集中というほど集中力は要らなかった。事前に時間もかからず疲れないような準備をしたのだ。弟達からメールや電話が入った。送った蕎麦が届いたということだった。それぞれに元気そうでよい。

■朝から晩まで/Sunday,27,November,2011

 朝から晩までずっと家の中にいた。夕食を食べてからコンビニに荷物を受け取りに出ただけだった。これまで連絡を取りたいと思っていた三名の方々にメールを出した。書き始めるまでが長くて、出し終えるともう夕方だった。繋がりは自分から絶ってばかり。時間がだいぶ経って、あるいはもう手が届かなくなってから初めて、その価値に気づく。そんなことが多い。

■デパートで/Saturday,26,November,2011

 デパートで用事を済ませた。それから床屋に行った。3月6日以来だった。久しぶりにリラックスできた。店のスタッフはあの時と一緒だったが、担当の人以外はどうも素っ気なかった。半年以上も遠ざかっていたためか、気がつかなかったのか、こちらが気にしただけなのか。夜には戻り、初めて入る中華料理店で夕食を食べた。帰宅後「メリー・ポピンズ」を鑑賞した。

■日中は晴れたが/Friday,25,November,2011

 日中は晴れたが寒かった。働いているうちすぐに暗くなり、17時半頃には仕事場を退いた。洋服屋でスーツのことを相談したり試着したりなどして、新しいものを購入することにした。今まで着ていたのががぼがぼになってきて、だらしなくなってきたのだ。ヤドカリは貝殻を大きなものに変えていくが、僕の場合はだんだん小さな服になっていく。まさにダウンサイジングの時代。

■夕方は/Thursday,24,November,2011

 夕方はあれよあれよという間に誰もいなくなった。いくつか電話が鳴ったが、どれも歓迎したくない内容だった。特に二本ほどまったく要領を得ない人がいて苦慮した。ようやく帰ろうとした時、警備システムの操作を誤り、少々面倒な思いをした。だが、運が悪いと感じたのはその時ばかり。まるで青空に浮かんだ一群れの雲から再び現れた太陽のように、後はすっきりとした気分だけが残った。

 

■朝から文書作りを/Wednesday,23,November,2011

 朝から文書作りをだらだらと進める勤労感謝の日。休みに働くのは不本意だが、職場に行かなくてよいことで良しとする。午後には金融機関を回って、振込やら記帳やらをした。妻が明日まで不在なので、夕食をどこかで食べようと車でうろうろするが、どこにも何も見つからない。結局スーパーのパック寿司を買って家で食べた。店を知らないだけか存在しないのか、おそらく後者。

■ある職場の時は/Tuesday,22,November,2011

 ある職場では毎日緊張状態で、夜も眠らずに翌日の準備をした。延々と駄目を出す上司がいた。その上司が転勤すると別の同僚がその役になった。人間、否定され続けると自分は何をやっても駄目だという気になる。駄目でも自分のままやるしかないと開き直るまでに時間がかかった。感謝する半面、暗く影を落とす事実でもある。今にして思うが、あのようなやり方ではいけなかったのだ。

 

■一週間分くらい/Monday,21,November,2011

 一週間分くらい振り返りながら書く日記は、思い出すのが手間で捗らない。月曜日は大概帰宅が早いので、帰宅してもだらだらと過ごしてしまうことが多い。だがそれも当然で、昨日の日曜も日中まるまる仕事で、帰宅するとぐったりで、おきまりの中華料理店で夕食を食べるとすぐに眠くなって終了だった。もう年度末まで休日出勤はしたくないと強く思ったのであった。

■思えば昨日は/Sunday,20,November,2011

 思えば昨日は祖母の誕生日だった。生きていれば満百歳になるはずだった。震災の揺れで調子を崩し、十日後に亡くなった。振り返ると不思議なもので、地震が起きたのはたまたま介護施設から帰宅している時で、地震のために施設に戻れなくなって、ベッドで母の介護を受けているさなかでの死だった。最後まで歌いながらの人生。神に守られていた一生ではなかったかと思う。

■スチームロコモーティヴの/Saturday,19,November,2011

 スチームロコモーティヴの良いところはあの汽笛。がんばろう号が走るというので自転車で見に行く。鉄橋のたもと、周囲には100人強の人だかりが寒空の下で汽車を待つ。汽笛が空に響き、灰色の煙が近づく。三つくらいの時に山田線の蒸気機関車を踏切から見ていた記憶がある。それ以来かどうか少なくともあれだけ煙をわんわんと吐いて動く黒いものを見たのは久しぶりだ。

■一番の新幹線で/Friday,18,November,2011 

 一番の新幹線で戻る。きょうはどこも今冬一番の冷え込み。雲はなく、車窓の景色は一面霜で白かった。駅に停めた車のフロントガラスは凍り付いていた。アパートに戻り、15分ほど滞在して出勤。眠気はなかったが気力はわかず、日が射すと季節外れの暑さを感じて怠かった。日が暮れると再び寒くなった。外で少しの時間走ると温まった。身体の軽さを実感する。暗いところだと尚更だ。

■従弟と叔母と/Thursday,17,November,2011

 従弟と叔母と三人で久しぶりに飲むことになった。17時過ぎに出て車を飛ばし、18時過ぎには新幹線に乗った。本屋で注文していた本を受け取った。20時頃から3時間半くらいの時間、飲んだり食ったり話したりした。夏に会ったときから3か月。だれも何も変わりないのだけれど、時間はあっという間に過ぎていくのだと感じた。この感じであと1か月はすぐ。1年もすぐ。一生もすぐ。

■寒さとともに/Wednesday,16,November,2011 

 寒さとともに、朝起きるのが遅くなってきた。これではいけないと思いつつも、だらだらと過ごしてしまう。しかも昼過ぎにはどうしようもないほどの眠気が襲ってくる。緊張感の薄れたこの状態は何なのか。そのまま21時まで残業。もし都市近郊に住んでいて、通勤に2時間も3時間もかかってなおかつ残業が今と変わらないくらいあったらと思うとぞっとする。世間の人々はすごい。 

■先月の話/Tuesday,15,November,2011

 先月の話、大画面で地球の歴史の番組を見た。そのせいかどうか、時々変なことを考えるようになった。宇宙船地球号というけれど、隕石が一つ衝突しただけで地表はめくれ上がり焼け尽くされてしまう。無常が人の常なら地球号も滅びてなんぼ。滅びるからこそ価値があるとしたら、滅びない前提で進むプロジェクトがいかに気味の悪いものか。自然に抗うなら抗え。しかし他を巻き込むな。

■元気であることは/Monday,14,November,2011

 元気であることはもはや誰からも求められていない。四十路は四十路らしく何事にも惑うことなく黙って働けということか。確かに惑うだけの懸案なんて何一つなく、眼前にはただ詰まらぬ仕事の山が積み上げられているだけである。黙々とこれらをこなしているうちに、天命がみえてくるのだろうか。ばからしい。もうここはいい。むくむくと沸き上がる闘志。だけど学びとは似ても似つかず。 

■部屋で/Sunday,13,November,2011

 部屋でゆっくり過ごす。スーパーマーケットの店の前で振る舞っていたあんこ餅を貰って来て、家でラーメンと一緒に食べた。午後には暗くなって雨が降り出した。連絡を取りたい人たちに何も取っていない。ただ休むだけの休みの日。必要に迫られての休日なら後悔も不要。もしも仕事が入っていたら休むことすらままならないわけで、これはこれで重要な一日、無為だけど。

 

■ほぼ一か月ぶりの/Saturday,12,November,2011

 ほぼ一か月ぶりの通院の日。看護師さんから、手術からほぼ五か月が経過していることを知らされて時の早さに驚く。経過は良好。年内にあと一度は来なければならない。待合室のテレビでは地元局の番組。商売と食い気だけで哲学の微塵も感じられない構成。何も考えなければだらだらと時間を潰せる。しかしいつまでもそうは気づかぬまま歳を取るとしたら恐ろしい。大人のいない国日本。

 

■少し早めに/Friday,11,November,2011

 少し早めに失礼をして、食材を買ってきて、夕食の支度をするともう21時に近くなっている。好き嫌いではなく、たしかに時間の制約というリスクを取って働くビジネスマン。最近階段を駆け上る速度は上がり、心臓への負担も軽くなったような気がする。夜にグランドを駆ける時にもどれだけ高速で走っているかと思うほどに身体が軽く感じられる。この十五年何だったのかというくらい。

■連絡を取りたい人が/Thursday,10,November,2011

 連絡を取りたい人が何人かいるのだが、何もしないうちに11月も半ばを迎えてしまった。もう年末、もう新年になる。時間は早い。死ぬのも早い。だが、DNAに拘らずとも心を開いて暮らせば生は無意味ではない。そう考えたら少し楽になった気がする。歳を取ったか。毎日同じようにみえて毎日違う暮らしをする。と同時に毎日が違っているようにみえて同じことを繰り返す。そんな日々。

■目覚めると/Wednesday,9,November,2011

 目覚めると金曜日のような気がした。窓の外が白くなってきた。雪も霜もないけれど、乾いた空気が道や壁の色を薄くさせるのだろうか。日中については特筆すべき事柄はなくて、日記ではすぐ夕方が訪れる。特売日のスーパーには客が多くて、少し前まで人の多いところに住んでいたのを思い出した。昔見た東京の夕焼けには、夕焼けそのものの記憶はなく、見ていた人々の様子だけが心に残っている。

■立冬の今日は/Tuesday,8,November,2011

 立冬の今日は旧暦の十月十三日。夜空にはほぼ満月に近い月が浮かんでいた。空気が入れ替わったように訪れた寒さ。初めて入る店でネギと野菜のたっぷり入った熱いラーメンを食べた。新し物好きはすんなりと新暦を取り込み、機械文明の仲間入りをした。それから百五十年足らず。農業すら手放そうというところまできた。だけどほんとうのところ、月に基づいたカレンダーで暮らす方が楽しい。

■朝のうちは/Monday,7,November,2011

 朝のうちは雨。特にどうということもない月曜日。そそくさと職場を出て、産直で白菜等を買って帰宅する。しばらくはiTunesで音楽を聴いたりする。所詮人間は自分の周りのごく限られたところにしか興味が無い。わずかでも行動範囲から外れると、自分のこととは切り離される。命の重みを考えると同時に、命の軽さをも考えさせられてしまう。成長できていない。あまりに了見が狭すぎる。

■三時間ほどの/Sunday,6,November,2011

 三時間ほどの睡眠しかとれず。雨の予報も昼までは当たらず。昼を過ぎると降り出して、全身ずぶ濡れとなる。14時頃にはその場を後にし、復路三時間雨中真っ暗な中運転する。入浴して、洗濯して、一段落してから外に食べに出る。帰宅したのは19時頃。覚醒していたのは束の間。ほとんど何もせずに朝まで就寝。こうして我が土日は終了。これで何か自分の成長はあるのか。

■9月に訪れた場所まで/Saturday,5,November,2011

 9月に訪れた場所まで同じような日程で二日間。空が明けるのは遅くなり、暮れるのは早くなった。それで、できること自体の総量は減った。外で冬に出来ることは少ないということがわかった。宿泊を伴う仕事は夜が煩わしい。酒が入るならなおさら。風呂に入ることもなく畳の部屋で酒盛りとなる。アルコールの力は何もなく、翌日の疲れを増大させるばかりである。

■昨日の日記には/Friday,4,November,2011

 昨日の日記には何を学んだという具体的なことが書かれていない。それだけ整理されていなかったのか、よく聴いていなかったのか。今日になって、オリーブの木の話が蘇ってきた。肥料をやる木は根が育たないのですぐ死ぬ。逆に肥料をやらなければ、必死で根を伸ばすので結果枯れずに生き延びる。それを人間に当てはめても言えるのだろう。だが、何が肥料なのかと考えると難しい。

■午前中は/Thursday,3,November,2011

 午前中は電話が一件。その後はだらだらと過ごす。昼食後、出かけるべく久しぶりに自転車の手入れをする。そうして颯爽と養老孟司氏の講演を聴きに出発。10分足らずで目的地に到着。自転車置き場の近くで、養老先生が建物から出て日向ぼっこされているところに遭遇し思わず会釈をする。笑いに包まれながらの多岐に渡るお話に充実感を得て帰宅。知的刺激を大いに受けて文化の日らしい半日。

■霧が/Wednesday,2,November,2011

 霧が出たり晴れたりするので、国道ではフォグランプを点けたり消したりする。あまりに頻繁だから幻想的などとおもしろがってもいられない。だいいち人や車が見えにくくて危ない。動物が車に跳ねられて死んでいるのをよく見る。きょうは大きなシカが倒れていた。真っ赤な目が僕を睨むようだった。きょうも獣の地で人が悪さをする。カモシカではなくシカに見えた。ここらにも生息しているのか。

 

■セントローレンス川を挟んで/Tuesday,1,November,2011

 セントローレンス川を挟んで向こう岸はアメリカ。たしかブロックビルという町の近く。7、8年前に撮影したものか。今度こそはと思ったが、何も撮らぬうちに月が変わった。近頃はカメラを持ち歩いているけれど、シャッターチャンスを逃してばかりの毎日。車での移動が増えたからだけではない。立ち止まってひとつを見つめる気持ちが足りないのだろう。移ろいゆく視線、流されてゆく暮らし。