2011年10月

■新しい週の始まりに/Monday,31,October,2011

 新しい週の始まりに何の感慨も無い。昼過ぎ少し早めに出張に出かける。都会人を気取るつもりも無いけれど、あまりに鈍臭くて反吐が出そうになる。旧知の方に偶然会って、少し話す。早くに帰宅。

■仕事が終わると/Sunday,30,October,2011

 仕事が終わるともう夜になっている。昨日とは違って日の照らず寒い日だった。それですっかり身体が冷えて発熱した。だが熱い風呂に入ると復調した。野菜の晩ご飯を食べて今週末も終了。

■土日は/Saturday,29,October,2011 

 土日は実家の近くで仕事。終わると母親を温泉に連れて行った。偶然の運ぶ風は心地よい。普段は見られない衛星放送で、宮澤賢治の音楽会という番組を遅くまで見る。出演者は素敵な方々ばかり。

■もう年末だという気持ちが/Friday,28,October,2011

 もう年末だという気持ちが強くなった。あと二か月なんてあっという間。これまでもそうだった。同じようにそうに違いない。しかし、なぜだか僕はこの先あまり長く生きられるような気がしない。

■小難しい話を/Thuesday,27,October,2011

 小難しい話を聞いた。相手のことを考えたらもう少し言い方があるものだと思った。想像力は言い換えると思いやりということになる。思いやりのない国、日本。僕もその住人のひとり。

■連休明けは/Wednesday,26,October,2011

 連休明けはあっという間の午前中。午後には今までやったことのなかったスポーツを初めて体験した。秋空は晴れて寒かった。明るいうちに帰宅するも、夜には何も手につかなかった。

■知らない人から/Tuesday,25,October,2011

 知らない人から電話。拾得物を預かってくれているという。近所まで車を走らせる。親切な人。午前中から部屋の片付け。少し模様替えをしたらすっきりした。暖房器具も出して冬支度も完了。

■休日の朝は/Monday,24,October,2011

 休日の朝は目覚めがよい。何の心配も要らないから。いつもと変わらぬ時間に家を出て、妻の実家に向かう。朝食をご馳走になり、柿の収穫作業を手伝って、野菜を貰って帰途に就く。

■最も疲労度が高まった頃に/Sunday,23,October,2011

 最も疲労度が高まった頃に最も重要な局面を迎える。伝統とはいえ何とも非効率な風習だと思う。季節外れの暑さの中で無事終了し、またノンアルコールビールで酒宴に参加する夜。

■週末というのに/Saturday,22,October,2011

 週末というのに普通勤務だから身体がきつい。早めに帰宅したのでこの町でおそらくいちばんうまい蕎麦屋に行った。その後はガイドブックとネットを代わる代わる見ながら遠い国に思いを馳せた。

 

■一週間の終わりは/Friday,21,October,2011

 一週間の終わりは通常業務をこなすだけで精一杯。それに加えて別の仕事をするのはきつい。要領よくやりたいとは思うが、要領よく出来れば良いのかというとそうではない。

■眠い/Thursday,20,October,2011 

 眠い。窓を開けると今朝も霧が濃い。この中を車で走るのは気分の良いものではない。何とか午前の仕事を終え、午後になると再び睡魔が襲ってくる。欠伸を我慢して涙目になる昼下がり。

■日記が/Wednesday,19,October,2011

 日記が疎かになっている。2週間もためた。数日前のことが思い出せない。だが、きっとたいして代わり映えのしない毎日を繰り返しているに過ぎない。これを積み重ねると空虚な人生が出来上がる。

■朝に/Tuesday,18,October,2011

 朝になかなか起きられない。天気が悪いためか、日曜日の疲れを引きずりながら疲れる週に突入したためか。だいたい5時半頃になってしまう。帰宅は早いが、気がつくと寝る時刻になっている。

■週末の/Monday,17,October,2011

 週末のイヴェントの準備のために、夕方からはひとつの仕事に絞った。必要な物品を買いたかったし、自宅のパソコンでの作業も必要だった。それで早めに帰宅した。今週は長丁場だ。

■一日中/Sunday,16,October,2011

 一日中労働をした。忍耐も、使いどころを誤るとただ疲れるだけである。生産的な方向に使えれば有効ではある。しかし今日は疲れが酷かった。特に午後には、来なければ良かったと思った。

 

■病院に行き/Saturday,15,October,2011

 病院に行き、検査を受けた。経過は良好だった。治療もいつものように行われた。こちらはやるたびに痛みが強くなる。まだ続けた方がよいという。今度は11月の始め頃か。帰宅するともう夕方。

■この日は/Friday,14,October,2011

 この日はたしか早めに帰宅した。それで中華を食べに行った。炒飯と鶏肉の料理がうまかった。外食は週に一回程度。それ以外は野菜中心の質素なものだ。体調は悪いわけではない。

■朝霧が出ていると/Thursday,13,October,2011

 朝霧が出ていると視界が悪いので車を運転しにくい。街中で生活していた時にはわからなかったが、山沿いは霧の出る日が多くて、憂鬱になる。以前は不要だったフォグランプが今は役に立っている。

■この半年間の/Wednesday,12,October,2011

 この半年間の体重の変動は劇的だ。春先よりもすでに15キロは減少している。そのため今まで着ていた服は軒並み大き過ぎて着られなくなった。ここまで激しく減っているのは少し気味悪い。

■雅楽は/Tuesday,11,October,2011

 雅楽は世界最古の音楽芸術だったのか。有名人については、メディアを通して知った気になっている場合がほとんどだ。多くの人はとてもどこか気取っているようにみえるけれど、実際に近くで目にしたり話を聞いたりすると、印象はすっかり変わってしまう。何事も勝手に決めつけてしまってはいけないのだ。きょうも新しい発見があって、おもしろかった。

■目覚ましはかけぬものの/Monday,10,October,2011

 目覚ましはかけぬもののいつもと変わりなく同じように目覚める。カレーの朝食の後、車で出かける。義理の両親に会い、少しの時間談笑。畑に入って枝豆など収穫をわずかに手伝うと、すぐに茹でてくれてそれをご馳走になった。買い物を済ませてから、とあるラーメン屋に入り、ネギのたっぷり入ったものを食べた。最近、ラーメンに入る細切りのネギが好きになってきた。帰宅してからは、テレビで合唱の番組を見たり、パソコンに向かったりして夜まで過ごした。夕飯は、今日貰ってきた枝豆とイカとポテトチップスを食べて終了。その後はSMAPの特集番組を見た。これで休日は終了。

■二段ベッドの/Sunday,9,October,2011

 二段ベッドの寝心地のことをいう前に、もはや昨夜から熟睡できる状態ではなかった。価値観が広がるといえば聞こえはいいが、これほどまでに常軌を逸した人間たちと向き合うことになろうとは、夢にも思わなかった。仕事はけして好き嫌いでやっているわけではないが、かの立場の人々にこのような嫌悪を感じたのは初めてだ。

 いま、好むと好まざるとに関わらずやるべきことは山ほどあって、それらに優先順位をつけ、できるだけ早く片付けていくかしかない。楽しかろうが、辛かろうがその差にはまったく何の意味もない。ただ何をすべきか。どのように成し遂げるか。

 

■何もそこまで/Saturday,8,October,2011

 何もそこまでしなくともと言われるくらいに濃い内容の仕事ができれば、そこを離れる口実になりそうな気がして。それでも誰も何にも言わないので、世間ではそれくらいすることが当たり前なのだよとでも言われているのかと思えばそうでもなさそうだ。いくら頭脳優秀であっても仲間に恵まれずに空回りすることもあるだろうし、どうしようもなくばかだと言われて育った子どもだって、ばかはばかなりに充実した人生を過ごして、幸せだったと心から思えて死んでいけたらそれだけであとは何も要らないという気持ちになってもおかしくはないだろう。

■20年というのは/Friday,7,October,2011

 20年というのは非常に長い歳月だと思っていたが、最近になってそうでもないという感じになってきた。時間の長さの感覚というのは、自分の生きた時間に反比例して短くなっていくものだ。

 20年前も今とたいして変わりがなかった。もちろん内面的にはまったく雲泥の差であるようには思うけれども、やっていたことは一緒。人ひとりの内面的な成長とか変化とかいうものはとても微妙で、木の幹が太くなっていくような全人格にもたらされる長期的な成長と、枝が折れたり葉が落ちたりというような些細な変化とがある。そして、意外と後者の方に僕らの目は奪われがちだ。同じことを同じようにする日常が何十年と続くうち、人間の幹はちょっとずつ太くなる。太くなった幹はやがて切り倒されて、建材として何かを作る。命が云々、長生き云々言う前に、幹を太くする努力をしよう。

■昨日までの疲れが/Thursday,6,October,2011

 昨日までの疲れが出たのか、気力が湧かないまま週の後半に入る。なぜ気力が湧かないか。ジョブズの訃報に接した影響は大きい。あまりに早すぎる天才の死に言葉もない。物心ついた頃からMacintoshに憧れていた。何をする目的も浮かばぬうちにいずれは手にしたいという願望だけはもっていた。そしてそれが実現し、時代は大きく変化した。Windowsがいくら普及しても、Macintoshへの思いが消えることはなかった。どんな夢でもこれでなければ実現できない。現に今までの夢が叶う陰にはいつでもこいつがあった。これからも、これといっしょになら実現できそうだ。

  

■山に出かけて/Wednesday,5,October,2011

 山をひとりで歩き、途中で栗の実などを拾った。目の前の花畑を目指して歩き出したが、いざたどり着こうとすると30分は優にかかった。何キロ歩いたかわからない。ハーブのお茶をごちそうになった。何種類もの珍しい動物たちと出会った。鶏舎に入るとくしゃみが止まらなくなった。自然の中で生きる人間は自然を利用しているようにみえるが、その実自然が人間を利用しているのだ。淘汰されるのは人間たちだろう。自然の大きさに抱かれて生きていることを思い出させてくれた一日。しかし、戻ると熱が出てしまい、早くに帰宅した。夕暮れ後に降雨。夜は早めに眠ったら、翌日には復調した。

■普段はあまり/Tuesday,4,October,2011

 普段は入ることのない場所に入った。僕にとっても貴重な学習の機会となった。経済という大きな歯車が回っており、僕らはその歯車に活動を支配されている。あまり関心を抱くこともなかったけれど、無関係なのではなくて単に知らないだけなのだ。井の中の蛙大海を知らず。井の中に生きるのはいいが、大海を知らぬことは問題だ。内向きの若者が増えているという。内向きになること自体はいいが、外に出てからにしろと言いたい。

■週明けの朝の/Monday,3,October,2011

 週明けの朝の国道は静かで、少しだけ車も少ないような気がした。少ないのは車だけではなくて、人の往来もそうだった。十月の朝は冷えて、もう防寒着さえ普通に要るくらいになった。ほんの半月前には暑さにもがいていたというのに。こうしてみると衣替えというのも一理あるのかなという気がするが、基本的にはおかしな仕組みだと思うことには今でも変わりない。

 例えば一瞬の交感は一日を豊かな気分でいさせてくれる。十代には感じることのなかった情緒というものを、今では手に取るようにわかるような気がする。四十代になってみれば、欲を捨てることも大切だ。何年か前にテレビでアメリカの古いドラマを見て涙を流したことがある。老いについて考えさせられる番組だった。登場した初老の男は我を通すことをしなかった。それが当時の僕にはばかにみえたものだった。あのような振る舞いは、おそらく今の四十代五十代の男にはできないだろう。

 歳を取って失うものと得るものの量を測ることなどできようか。何にせよ、新たなものを得るためには古い何かを失うことが必要なのだ。歳を取ることは身体としての代謝。いつもと同じく息をし、ものを喰い、歩くことが、それを支える。歳を取ることは良いこと。それを謙虚に祝う気持ちをもちたい。

■天気はよかったが/Sunday,2,October,2011

 天気はよかったが空気は冷たく、昼になっても気温は上がらなかった。太陽が当たると温かく感じたが、日が陰ると途端に寒くなった。日中は7時間近く外にいて、黙って突っ立っていた。大げさかなというくらいの厚着でちょうどよかった。

 僕らは毎日いろいろな活動をする。たとえばご飯を作ったり、本を読んだり、テレビを見たり、掃除をしたりといった家庭生活から、職場で身体を動かして具体的に身体を動かすこと、パソコンに向かって沈思黙考することまで、あらゆる活動を司るのが脳みそなのだ。とすれば、一個人の脳みその出来不出来が、その人の全活動の質を決めるのである。当たり前の話だけれど、それが当事者にしてみれば意識できない。意識するのもまた脳みそだから。自分のことを真っ当にやるのが世の中で一番難しい。

■十月に/Saturday,1,October,2011

 十月に入った。東の窓からは青空がみえたが、西の窓からみえるのは雲ばかりだった。午前中は仕事を進めた。4時間も集中したからか、目が回るような感じがした。何をするということもなく時間が過ぎて、布団を敷いて2時間ばかし昼寝をした。だいたいそんな一日だった。

 今月用の写真を撮りに出かけようかと思っていたが、できなかった。とりあえず載せた仮の写真はもう6、7年も前のものだ。靄のかかった早朝の公園では、子どもたちがラグビーに興じており、叫び声が心地よくこだましていた。