2011年9月

■父の命日には/Friday,30,September,2011

 父の命日にはどうにかして休みを取りたいと毎年考える。それは口実の一つだが、いい日に亡くなってくれたと言ったら良いのかこの日は年度のちょうど半分の区切りなのである。それがあの人の人生をある意味象徴しているような気がしないでもない。そして、それへの敬意や感謝を自分なりに示したいという意図も実はある。誰も僕がそんなことを考えているとは思わないだろうけれど。そして奇しくもきょうは金曜日で、明日は土曜日だった。休まない手はない。どうしたって、休みたかった。それができる職場というのは感謝すべきだろう。これまでこの日に休みたくても休めない年が何度もあった。

 11時頃に職場を後にして、家に荷物を置いて、高速道路で北に向かう。昼食を食べて、用事をいくつか済ませるともう夕方である。約束のピザ屋でピザを買って、実家に寄って、仏壇を拝んで、墓参をして、母親と少し談笑するともう暗くなってきた。高速道路ではどの車もまるでレーシングカーみたいに飛ばすので、その中に紛れてぶっ飛ばした。父がみていたらはらはらしてしかたなかっただろう。これで今年の9月も終了。

■仕事から何を学べているのか/Thursday,29,September,2011

 仕事から何を学べているのかと考えて少し虚しくなった。未熟者同士ががちゃがちゃやっても所詮進歩がない。それをだいたい3年単位でやっていると、進まないどころかどんどん後退している気がしてきて、最近では充実感ややり甲斐など感じることもない。だいたいどうしてオレがここでこうしていなければいけないんだなんていうやばい考えが浮かんでくると、もういけない。早く寝た方がいいかも。

 朝には明日使う書類を早々に印刷した。その後、一つの詩をみつけて、それにまつわるストーリーを自分なりに頭の中で組み立てて、午後の一番でそれを伝えた。パフォーミングアーツの担い手としての意識は少なからずもっているので、後は当方の演技力の問題が大きいのではあるが。それにしても、これほど毎日をこつこつと歩んでいるのなら、今頃はもう少し遠くにたどり着いていてもおかしくはないのではないか。何十年やっても僕は同じところをぐるぐる回ることしかできないのであろうか。

■学習といえば/Wednesday,28,September,2011

 学習といえばすべてが学習のはずだけれど、その機会を惜しげもなく捨てたりそこから逃げたりしながら歳をとってきている人も少なくない。今日はパス、明日もパスと言っているうちに、一年は過ぎ、十年が過ぎ、今年はパス、来年もパスと言っているうちに、自分の時代が終わってしまう。逃げてばかりの人生が終わり、後には何も残らないのならつまらない。

 きょうのわりと大きなイベントは淡々と終了した。何を得ることができたか、一言では言い表すことができないほどの貴重な体験だったとは思うけれども、3か月前の同様のイベントに比べればたいして心には残らないような気がする。交流しよう、誰もが表現できるようにしようという意図は理解できたけれど、その裏で何よりの当事者である僕だけがその場からすっかり浮いていた。進行上の新しい試みはよいけれど、限られた時間内で行うには検討が不十分だったということだろう。何の申し開きもできず、考えを共有することもできず、ただ俎上の鯉の如く刻まれっぱなしで終わったのであった。いつか主催の側に立つことがあったら、その時には気をつけたい。

■明日には自分にとっての/Tuesday,27,September,2011

 明日には自分にとってのわりと大きなイベントがあって、その準備をうんうん唸りながら進めてきた。担当する1時間の組み立てもそれなりに考えて、きょうはそのシミュレーションを行った。きょうの時間は散々ではあったが、やってみたおかげで明日の手応えを得ることができた。大きなイベントだからといって、それほど緊張する必要もない。心臓が少しとかとかする気もするけれど、大してどうということもない。リラックスしながら、集中すれば、最良のパフォーマンスが得られるものである。

■きょうが締め切りの書類を/Monday,26,September,2011

 きょうが締め切りの書類を送信した。いいのかどうなのか判断はつかなかったが、やるべきことを一つ終えると、また次のことがみえてきた。毎日毎日そうやって道路を走っているみたいに時間が流れていく。ほんとうはもう少し一つところに留まって、そこからじっと移りゆく景色を眺めていたい。まるで疾走することが人生の王道とでも言うように、誰もが先を争って前に進もうとするけれど、その陰で小さなものたちが息の根を止められる。スピードと引き換えに失うもののとてつもない大きさ。大は小を兼ねるというけれど嘘だね。小さい欠片が一つでも足りないと、何も完成しない。急ぐのは、ただ逃げたいだけ。疾走は、失踪に過ぎない。スローでありたい。

■進めなければならない仕事が/Sunday,25,September,2011

 進めなければならない仕事があったにも関わらず、午後までだらだらと過ごした。という文を書き換えると、午後まで自由に過ごし、それから仕事を進めた。ということになる。結局したことは一緒であり、自分の時間を好きなように使ったことには変わりない。違っているのは、一日を終えたときの満足感や充実感であり、実はそれこそが大事なことである。昨日の今日では朝から働こうという意欲はわかなかった。疲れが出たためか3時間も昼寝した。意識さえ高ければ、とか、本気で取り組めば、とか。意識が高くて本気でも、疲れていては何もできない。こちとら生き物ですから。

■安達太良山の麓にある/Saturday,24,September,2011

 安達太良山の麓にある智恵子の生家には寄ることができなかった。18時前の西の空に雲はなく、山の形がきれいに切り取られた影絵になっていた。それを目で追いながら高速道路に上る。日中は暑かったものの、日が陰ると途端に冷えてきた。サービスエリアで熱いラーメンを食べ、さらに2時間車を飛ばす。帰宅したのは21時前。今朝も4時には起きたのでいい加減眠かった。味噌汁だけいただいて、入浴と洗濯をして、いろいろと喋っている途中で就寝。

■3時過ぎには/Friday,23,September,2011

 3時過ぎには起きて、まだ真っ暗な国道を走る。午前中こそ天気がよかったが、午後からは時折雨混じりで寒くなった。長袖は着ていたがさらに羽織るものを持っていかなかったことを悔やんだ。夜には久しぶりにアルコールを飲む機会があって、うつらうつらしながら仕事仲間たちの話を聞いたりした。黙っていることが多いと何も考えていないかのようにみえるのかもしれない。確かにそういう時も多いのだけれど、水を向けられればそれなりに話す言葉はある。就寝したのは1時過ぎだった。

■この日一日だけ/Thursday,22,September,2011

 この日一日だけ通常勤務となった。きょうこそは早く帰宅しようと思い、朝から準備を整えていたのだが、周りはそれを遥かに上回る速度で退勤していくので焦った。それくらいやることが多いというのが事実である。それと同時に、それくらいやることが少ない人が少なくないというのもまた事実である。くじ運の悪さを嘆くより、新たな出会いに感謝して、自分のできる精一杯のことをする。どこに行ってもそれしかないのだし、それすらしようとしないのであれば、どこにいたって意味はないのだし。

■台風のために/Wednesday,21,September,2011

 台風のために昼くらいから少しずつ風雨が強まってきた。夕方から出勤の変則的な予定だったが、予定は中止となり、ほとんど自宅で過ごす一日となった。せっかくの平日の連休だったが、仕事がそれなりに入っていたし、天気がよくなかったのでどこかにでかけるでもなく、言ってみれば休息するにはもってこいの日々であった。

 

■たしか一日/Tuesday,20,September,2011

 たしか一日雨模様だった。何をしていたのか、夕方から出勤だったのでそれまでは家で気侭に過ごした。何をしていたのか正直記憶に残っていない。何だかそういう日が増えた。

 年末には旅に出ることにした。3年住んでいたあの街にも訪れるつもりだ。何をするわけでもないのに、そのことを考えると時間はあっという間に流れる。最後とは思わない。これから先何度も繰り返して行ったり来たりするのが僕の夢の一つではある。

■敬老の日があちこち飛ぶようになって/Monday,19,September,2011

 敬老の日があちこち飛ぶようになって何年経ったのか。子どもたちのさまざまな行事がこの連休に当てられて、以前にも増して老人との接点をもちにくくなった。老人は幸福か。子どもは幸福か。ハッピーマンデー法ができてからというもの、日本人はハッピーから遠ざかってしまった。だれにとってのハッピーなのか。誰かにとってのハッピーのために、ハッピーはどこか遠くに行ってしまった。祝日だけの話に留まらない。僕にはフクシマが福島だったというアイロニーが哀しすぎてしかたないのだ。

 iTunesのレンタルを初めて使って「目撃者」という映画を観た。以前何処かで観た覚えがあるが、ビデオを借りた記憶はないから、テレビで観たのではないかと思う。人間の変わらない生活がそこにはあった。緑の風景が懐かしかった。生きる根っこの部分は変わらない。それに対して、滅ぶまで絶えず変わり続けるのが文明というものである。人間が本質的に好戦的だとしたら、本当に戦わねばならない相手は誰なのかを間違わないことである。

■台風が近づいているというのは/Sunday,18,September,2011

 台風が近づいているというのは2週間前と同じ状況だった。雨で予定が狂うかと思われたが、その心配はなかった。むしろ天気がよくなり過ぎて、日が照るし暑くなるしで疲労度も増した。

 しかし、高ぶる気持ちに反して結果は実に冷酷で、気の毒になるくらいのものであった。そして、それについての責任の一旦は自分にもあるのだという思いは、自分だけでなくその場にいた者たちすべてに共有されたものだったかもしれない。それらの意識を明日に向けるには時間がかかるだろう。

 長い長い一日があっという間に過ぎて、夜にはまた別の機会があった。それにしても人の話を聞くというのはなんと能動的な行為であろう。きく力の劣った者はもはや成長が止まったのと同然である。

 考えてみると「みる」も「きく」も、感覚器官として目を使うか耳を使うかの違いだけであり、本質的にはなんの違いもない。目と耳を別だと思っている時点でまだまだ人間理解が足りないということか。それは身体と精神の結びつきを自覚していないのと似ている。

■朝のラジオのリスナーからの投書で/Saturday,17,September,2011

 朝のラジオのリスナーからの投書で、「これから登校時の子どもたちの『見守り活動』にでかけます。」というのがあった。見るというのも立派な活動のひとつなのだと思ったら愉快な気持ちになった。見守ることの中には声をかけるとか、話を聞くとか、注意するとか、いろいろな要素が含まれているだろう。それらの総称が「みる」ということなのだ。そしてそのみる対象からはすべてがみられているということにもなる。さらに、みられているということは、伝えているということでもある。

 みるにもさまざまなレベルがあって、上辺だけみている人もいれば、心に深く刻み込むやり方でみている人もいる。それぞれの段階のそれぞれに合うように誰ひとり残さず伝え切ることは難しい。難しいけれど、みるからには、やりとげなければならない。みるという活動は奥が深い。

■放射能のことを考えると/Friday,16,September,2011

 放射能のことを考えると憂鬱な気分になる。放射能に汚染されると生きていけないというのは、生物の抗うことができぬ性質である。それと共存しようなどという狂った論理がしぶとく生きていることに反吐が出る思いがする。

 自分を含めた身近な人々の多くがおそらくはこの先発病するだろう。悲観論者ではない。だけど、残念ながらそうなるだろう。と仮定してみる。

 もし自分が絶望的な病にかかったことを知ったら、残りの生を何も知らないで生きるよりも有意義にできるのではないか。と仮定してみる。

 長いだけが理想の人生ではないな。

 僕は自分ががんですと言われた時にどういうふうになるのかわからない。平常心を保っていられないかもしれない。だけど、その時からの振る舞いは生き物としての勝負ではないかという気がする。

 それは逆の場合にも言える。僕は自分が何の病気でもない今という時、この今の振る舞いがやっぱり生き物としての勝負ではないかと思う。逃げてないか、諦めてないか、既に死んでないかと自問する。まだまだ生き物として未熟なのである。

■歌を歌えば/Thursday,15,September,2011

 歌を歌えば気持ちが晴れる。歌を歌えば気分が良くなる。そんなことを歌いながら掃除をする。大きな声で歌うと自然に曲が湧いてくるものである。毎日この時間には歌が浮かんでくる。まるでミュージカルを演じているようなものである。もっと良い詩がぱっぱと浮かべばなお楽しい。

 そんな自分をみている人たちにしてみれば、ばかにみえるのかもしれない。僕は素の自分でいるときには落ち込んで死にたくなるが、人前で何かを演じているときには楽しく感じる。それは真の姿なのかわからないけれど、偽の姿でもないようだ。 実際一日の大半は、演技の中にある。

■同じ作曲家の音楽は/Wednesday,14,September,2011

 同じ作曲家の音楽は、どの曲を聴いてもその人らしい感じがする。静かな曲でも激しい曲でも、その人らしいなあと感じることがある。しかし、そう感じることができるのはどうしてだろうと不思議に思う。絵画だって彫刻だってそうである。言葉にならないその人独特の感性が、さまざまな形となって花開く。花の形がどうであれ、私達はそこから作り手の個性を見いだし、そこに共通点を見いだす。

 文学であればその人らしさは測ることができる。それは語彙だったりレトリックだったり展開だったりする。測り方を曲がりなりにも学んできたということか。もしかしたら音楽だって絵画だってその人らしさは測れるのかもしれない。ただ私にはその方法がわからないだけなのだ。学びさえすればもっとそれぞれの作品に滲み出る制作者の個性を味わうことができるのではないだろうか。

■数日間姿が見えなかった交通指導員は/Tuesday,13,September,2011

 数日間姿が見えなかった交通指導員はまた何事も無かったかのように現れ、誰も通らぬ交差点にきょうも立っていた。どのような仕事も端から見ただけではよくわからない。重要な任務を背負っているかもしれないし、ただの遊びなのかもしれない。ボランティア活動なのかもしれないし、個人的な道楽なのかもしれない。とにかく、彼が何かの目的をもって立っていることにはちがいない。その真の目的がこちらには伝わってこないということである。

■かつて住んでいた街なのに/Monday,12,September,2011

 かつて住んでいた街なのに、記憶を引き出そうとしてもなかなか出てこない。ニュースなどの情報からも遠ざかっていたから、知識自体が更新されずに凍り付いてしまっている。現在どうなっているのかわからないし、こことの繋がりだって無い。暮れに訪れるつもりでいくつかの手続きを行った。少し勉強が、いや少しと言わず勉強が必要だ。

 しかし、きょうは眠かった。夕方には夢をみた。外に出ていた時には、突然の大雨。そして、不思議なくらいぴたりと止む雨。こういうのは、亜熱帯の降り方なのだろうか。帰りにみた中秋の名月は赤くて、やや気味悪かった。満月をみたときに覚える怖い感じを、珍しいといわれたことがあるが、そうでもないのではないかと最近では考えるようになった。

■一日仕事の日曜日/Sunday,11,September,2011

 一日仕事の日曜日。7時に家を出て、18時に帰宅。その間の約9時間を立ったまま過ごす。この生活もだいぶ経った。慣れているとはいわないが、今まではあまり身近でなかった一流ということにやや惹かれる。分野こそ違えど、かれらのやっていることは文句なく一流であろう。物事の本質を追究すると、きっと分野などどうでもよくなるのだろう。その道のプロというのはその道しかわからない人ではなく、どの道も自分の通りたいように通れるようになった人をさすのだろう。

■通院の日/Saturday,10,September,2011

 通院の日。高速道路を走っているときはふわふわした感じがあって、運転している時間はさほど長くも感じなかった。病院では2週間前に引き続いて、ある施術が行われたが、痛みを伴いしかもそれを5分間も持続させねばならなかったので苦しかった。それを終えて、久々に盛岡へ。故あって今だ借りっ放しの3月まで住んでいた住居を片付けて荷物を車に積むと12時だった。実家に寄ってだらだらしていると15時。それから帰宅してしばらくのんびりしていた。夜にはたぶんこの町でいちばんおいしい蕎麦屋で夕食を食べた。もちろんこの町の蕎麦屋に全部入ったわけではないからほんとうかどうかはわからないけれど、それでもおそらくそう似違いない。それほどの拘りをもった店のご主人なのである。

■昨日の仕事は/Friday,9,September,2011

 昨日の仕事は一段落。夕方になると眠くてしかたなかった。欠伸が出て、涙が出て、目を閉じるとすぐに夢を見るほどだった。そして夜には22時過ぎまでとある酒宴。キリンフリーを飲み過ぎた。帰宅すると23時だった。疲れ切って終わる一週間。風呂に入って寝るだけだった。

■午後には自分の自由になる時間が/Thursday,8,September,2011

 午後には自分の自由になる時間が長くて、溜め込んでいた仕事を一気に片付けるつもりだった。書類という書類に目を通そうとするけれど、その字の汚さや薄さ、その内容の稀薄さ軽薄さに暗い気持ちになる。時間が必要なのはいうまでもないが、もう既に二度と遡ることのできないところまできていることを痛感させられる。鉄は熱いうちに打てというが、我々は日々冷えきった純度の低い粗悪な鉄に向かって力なく槌を振るうことしかできぬのか。

■そんなに多忙感があるわけでは/Wednesday,7,September,2011

 そんなに多忙感があるわけではない。しかし、時間の有無にかかわらず、やらねばならぬことは夥しい。限られた時間と体力と頭脳の中で、他の人々と競争していかなければならない。どこまで本物になりきることができるのか。それともばかはばかのままなのか。

■ちょっとどんよりの空気が/Tuesday,6,September,2011

 ちょっとどんよりの空気がたれ込めている。朝から爽やかさを感じない。9月になったのにやたらと蒸し暑い。それは去年と同じだが、何となく中途半端で面白くない印象。

 朝に立っている交通指導員の小父さんの姿をここ数日見ない。どうでもいいといえばどうでもいい。もしかすると解雇されたのかもしれぬし、自分自身で幕を引いたのかもしれない。やっても意味がないのなら、やめるのに何の力も要らぬ。ただ己れの信頼を試すのみである。

■週末が近づくに連れて/Monday,5,September,2011

 週末が近づくに連れて起床時刻が遅くなる。けっこう眠い。朝にできることもさしてなく、7時の時報が鳴る頃には家を出なくてはならない。きょうは夜には何もなかったので、とにかく早く帰ろうと思い、17時には職場を後にした。産直で野菜を買って、また新しい野菜料理を作って食べた。

 年末の予定について少し協議し、思い切り良く予約する。おそらく行けないということはない。あと4か月近く、これを楽しみにつないでいけるかもしれない。

■昨日よりも30分早く/Sunday,4,September,2011

 昨日よりも30分早く動き出した。雨は上がり、来るはずだった台風は知らぬ間にどこかに抜けてしまった。ここまできたら、予定通りの方が混乱がなくてよい。イベント自体は13時頃には終了したが、何時もの如くその後が長い。昼食を食べ終えたのが14時くらいで、それから職場経由で家に戻ると15時半頃となった。その後はなんだかよくわからない。

■6時に家を出た時には/Saturday,3,September,2011

 6時に家を出た時には小雨が降っていた。やや人目につきやすい格好のまま、途中のコンビニでお茶を買う。昨夜のうちに済ませておけばと少し悔やむ。

 周期的に雨が降ったり止んだりを繰り返しながら夕方を迎える。予定はすべて予定通りに消化し、明日の日程もはっきりした。結局のところ、休日らしい休日は今週も来ない。

 今夜は中華料理屋で五目焼きそばと八宝菜と春巻きを食す。この数十分が僕らの週末のすべてだった。

■水曜日の朝までは/Friday,2,September,2011

 水曜日の朝まではこの週は長いと感じるが、水曜日の夜にはもう、この週は短いと感じるように変わっている。登山も水泳も旅も、同じようなものか。金曜の夜ともなるともう休日の楽しみで頭の中がいっぱいになるというものだが、あまりそのような土日は過ごすことがない。

 口には出さぬものの、台風の影響でこの週末のイベントはおそらく中止だろうと見込んでいた。蒸し暑い空気はきっとじきに雨を運んでくるに違いない。もしそうなったら、どうなるのだろう。この頃にはそんな躍るような気持ちがあった。

■台風の影響で/Thursday,1,September,2011

 台風の影響で朝から断続的に雨が降っていた。もうずいぶん接近しているのかと思って情報をみたら、まだ太平洋上だった。これからますます酷くなるのか。今週末の予定はどうなるのか。それは誰もが気になることで、誰にいわれずとも確認したいことである。それで、参加するイベントの事務局に電話をしたら、予定通りに行うという。事前に中止を決めてそれを連絡してくれるようにすればいいのにと、周囲の人々は不満を言った。確かにその通りだけど、残念ながら主催者はそこまでは考えていないようだった。また明日電話をしてみよう。もしかしたら事態が変わっているかもしれない。

 ところで、一生懸命やるというのは、時間をかけることでも、内容を増やすことでもない。誠実でひたむきな態度で向き合うかどうかということ、それだけである。だから、変わるのに時間はかからない。変わらないのは、本人が変わろうとしないからだ。