2019年4  April 2019

4月30日 火曜日

 部屋の模様替えをした。机の向きをすっかり変えて、間取りを広く取るようにした。キーボードも近くに置いて、思い立った時にすぐに取りかかれるようにした。掃除もして、不要な物をいくつか処分したり、実家に持ち帰ったりできるようにした。作ってからもう二十七、八年にもなる曲たちを配信して、海外の人にも聞いてもらえるようにした。一回ストリーミングで再生されるたびに、九十銭くらい入る。これでは収益などとはまったく呼べないけれども、自分のやりたいことをこういう形で実現できるというのは面白いことだ。

4月29日 月曜日

 休日の日の労働を昼過ぎまで進めた。昨日の振り返りの活動だった。天気もよく、なんとなく活気があり、それぞれにそれなりに努力の姿が伺えた。今年度になって指導者の方々が来てくださっているので、自分の役割はずいぶん軽減された。自分を取り巻く「働き方改革」というのはかなり進んでいて、今月になってから肩が軽くなったような感じで日々を過ごすことができているのはありがたい。夕方からは一関でも評判の高いと言われる店に二人で出かけて食事をした。本当は明日だったらいい区切りだったのだが、明日は定休日ということだった。

4月28日 日曜日

 5時半過ぎに家を出た。この日は一日中仕事が入っていたが、朝から頭が痛かった。昨日あれこれ短い時間でこなさなければならなかった疲れが出たのだろうか。この日の頭痛はかなり強かった。終了してみれば不本意な結果にしかならず、自分たちの姿に向き合い、メタ認知できればよいだろう。

 

4月27日 土曜日

 幾つかの会合が重なっており、それに向けた準備はままならなかったものの、なんとか予定のことを終わらせることができた。夜は夜で新年度の歓迎会が入っており、昨年度からの名残でこちらが全面的に準備に当たることになったが、過ぎてしまえばもうどうということはなかった。もちろんアルコール抜きで周辺の方々と楽しく談笑することができたが、帰宅は21時半頃だった。

4月26日 金曜日

 この二日間が終わると十連休だというので、とりあえずきりよくいこう、楽しく終わらせようという気持ちが先行した。実際にあまり重苦しくはならずに、一つ一つ程よく軽い取り組みになったのは、あまり焦ることなくできたからだろう。

4月25日 木曜日

 土曜が勤務となるのでその振替の休みだった。しなければならない仕事は短時間で終わらせて、平日にしかできないことなどを幾つか済ませた。やるべきことを午前中に片付けて、昼は気になっていたじゃじゃ麺屋で食べた。県南では唯一の店だそうだ。盛岡でもそれほどじゃじゃ麺を食べていたわけではないので、味の違いはよくわからなかった。店頭にある大画面のテレビで、ワイドショーを見た。外交官が駐車違反の反則金を踏み倒す例が絶えないという内容だった。その話題になのか、テレビそのものになのか、興味深かった。帰ると眠気が襲ってきた。うつらうつらしながら夜を迎えた。

4月24日 水曜日

 脳科学の知見はもはやスマートフォンやインターネットの弊害に関してかなり詳細な事実がつきとめられている。ここまでのことがわかっていながら小さな子供達に与えるとしたらその親は鬼畜である。ただ、その情報に触れずにいるために行動できないのだとしたら不幸以外の何物でもない。知らないということは罪。

4月23日 火曜日

 きょうも全体的にはゆとりのある一日となった。職場に嫌な電話がかかってきた。相手の素性もわからぬくせに、根掘り葉掘り聞いてくる。しかも部署と何ら関わりのないセールスではないか。電話越しにやんわりと拒否と憤怒の情をぶつけて切った。もう断固として誰かの金儲けの餌食にはならない。

4月22日 月曜日 

 この日から三日間は特別な日程となり、通常業務も半分となる。その分普段できない瑣末な部分を進めた。朝一番に臨時の集会があり、話をしなければならなかった。窓の外の満開の桜を見て、比喩の理解は難しいだろうというのを断った上で、一個の人間をひとひらの花に例えた。日々の関わりは煩雑で、逐一指導の視点が必要なのだが、担当が不在の場合とか全体で集まる機会とかにはすっかり自分の論法でいく。いつでもあわよくばすべてを乗っ取るつもりでいる。家の品物で買わなければならない物が幾つかあったので、きょうはほぼ定時で退勤した。残業をする必要のない時には即帰るのがいい。

4月21日 日曜日

 穏やかな休日、午前中は家の中にいた。日記を書こうと思いながら、全く筆が進まなかった。午後から近くのスーパーまで出かけ、昼に食べるものとカレーの材料を買ってきた。夕方からカレーを作り、食べてから仕事をしようと思ったが捗らなかった。

4月20日 土曜日

 晴天が広がっていた。桜前線が付近まで北上し、仕事先までは窓外の花々を眺めながらの移動となった。到着してから終了するまでは窓もカーテンも締め切りだったので、春らしい雰囲気は全く感じられなかったが、帰り道は少し遠回りをして、朝とは別の道を通った。明るいうちに帰ることができたが、何をする気もわかずに夜になった。夕飯は近くの食堂で食べた。

4月19日 金曜日

 年度が始まって約2週間だが、この間になかなか煩雑な問題が噴出して、その対応に追われることが多かった。今週は毎日のように相談や打ち合わせが入ったり、臨時の集会を開いたりして、迅速な対応が迫られた。だが、対応が迅速だったために、問題は心配するほど複雑化しないうちに収拾できている。帰りは遅かったが、精神的には予想外に負担感の少ない滑り出しである。

4月18日 木曜日

 今年度の担当ははっきりとした名称がない。というよりも、名称は決まっているが公の文書には載らないといった方が良い。前任の上司の置き土産だと言って喜んでくださる人もいて、そのために少し図に乗っていたところもあるのだが、今週に入ってから毎日のように詳細な打ち合わせが行われるたびに、これは大変な仕事だぞと今更ながら警戒心が起こってきた。どっぷり浸かるわけにはいかないが、自分が手を汚さないと全体の目的を達成させることはできない。ノウハウだけ教わって、あとは自分でやってみなということなのだから、心細い気持ちが常につきまとう。他人の心を扱う者は、自分の心の拠り所を強く持っていないと相手の弱さが乗り移ってしまう。メタ認知能力を最大限に発揮して、他人の弱い心根をブロックしなければならない。

4月17日 水曜日

 朝から3時間連続で休憩なしの後に会議が行われた。資料の準備も綱渡りだ。おびただしい資料の山に埋もれて、ソファのある部屋で委員の方々は淡々と議題を次から次へと滑らせた。いつからか余裕のない状態が常態化して、月一回のこの会議も、一時間の枠に押し込められた。こうして、本質的な議論は遠のけられ、現実的にどう片付けていくかという視点でしか、物事を扱えなくなってきた。夕方からはまた全員での会議が行われ、夜にはほぼ強制的に外部を交えての会議が行われた。

 変革というのは能動的なものなはずだが、この現場における変革は常に後追いであり、声の大きい近隣のクレームに翻弄され、関係諸機関の通達によって、否応なく押し流されていくことばかり。進んで変わるのでなく形がねじ曲げられるのである。

4月16日 火曜日

 同じことがテーマであっても、人によってそれに対するスタンスが異なるから、うっかりものを言うことができない。180度価値観が異なっていたりすると、人物に対する感じ方も180度違う。あくまでフラットに、善悪の判断など交えずに、事実に基づいてのコミュニケーションを心がけたい。その上ででないと、踏み込んだことを何も話し合うことができない。

4月15日 月曜日

 井上ひさしのことなどを随想的に話し、「握手」という作品を範読した。東京の地名等が書かれているから、それで興味を持たせるのも一つの方法だと思った。昨年も同じことをしたはずだが、昨年とは仕方が違う。相手との関係性が全く異なるし、レディネスも違うし、その時間空間にいることに対する安心感が違う。

 物事の滑り出しのこの時期に、何も気を張って目を吊り上げて怒る必要はない。最初が肝心とおっしゃるのだろうが、それはこちらも同じことで、やっぱり最初が肝心なのである。だから、怖い顔をしては絶対にいけないのである。

 夕方には会議があった。主任が不在だったので進行役になった。細かなことには目くじらを立てないし、いつでもお互い様という意識がある。今日休んだ人には後でその分を取り返していただきたいし、今日休まなかった人には後でその分をしっかり休んでいただきたい。いつでもそうである。

4月14日 日曜日

 朝にはこの一か月の家計をまとめた。昼からは何をしたかあまり覚えていない。仕事が軌道に乗り始めるまでのこの一か月は、とにかく長く感じられる。頭の中が仕事のことでいっぱいになっているから気分転換が必要だ。仕事のこととはいえ、まとまったことを考えているわけでなく、ごちゃごちゃと箱に無造作に詰め込まれているような感覚。だから、まずは一つ一つ取り出して、丁寧に整理していかなければならないのだが、そこまで行くのに手間隙がかかる。結局夜までまとまったことは何一つできず。かくしてまた新しい一週間が始まる。

4月13日 土曜日

 午前中は体を動かす仕事。12時半頃まで職場にいて、それからは春景色の中、帰り道はゆっくりと車を走らせた。川崎の蕎麦屋いよりで昼食。店員さんから「いつかネックウォーマー忘れませんでした?」と訊かれた。店の奥から出してきたものに見覚えはなかった。持ち主らしき人と車の色が似ていたので声をかけたのだそうだ。失くした記憶が無かったから、自分のだったとしたら恐ろしい。自分の記憶でさえあまり信用できない。

 店の裏手にある公園に植えられていた紅白の梅が青空に映えてきれいだった。どこにでもある農村の風景ではあるが、農村の風景自体、こんな風に眺めることなどあったろうか。床屋に寄ると待ち時間はほとんどなく済んだ。帰るなり風呂に入って、洗濯して、だらだらしているうちに夜になった。

 その後、冷麺を食べようということで、二人でヤマトに行った。恒例の冷麺まつりということだったが、20時を過ぎていたのでほとんど待つことなく座れた。

4月12日 金曜日

 朝1時間の打ち合わせには様々な話が出てきた。共感できる話が多いが、勉強しなければついていけない内容がいくつもあってこちらの頭が追いつかない。勉強にはなるが、それよりもまず自分が勉強してから臨まなければならない。

 昼を過ぎてからは机上整理などをして茶を濁す。その間にも、いくつかの案件が浮上して、次週にはまた言いたくないことを言わなければならないことになった。もう何もしたくなかった。先週土曜日の出張の分の休みを取り、14時半には退勤した。産直やスーパーで買い物をして、カレーを作った。いい気分転換になった。食べる前に風呂に入り、洗濯をした。せっかく早めに帰宅したのだが、あっという間に夜になった。

4月11日 木曜日

 朝には来客があり、1時間半ほど話を聞いた。正確には、話を聞いている場所に居させてもらい、様子を見させてもらったと行った方がいい。自分は何もわからぬ素人で、今年度はこれに関する担当ということになり、これまでとは異なる一日の使い方を強いられている。その後は例によって打ち合わせがあった。価値観としてはこれまでの自分の感覚とさして変わらないので、違和感はない。しかし、基本的な知識や技量が欠けているので実践というところには程遠い。本当は一から学ばなければならないのだろうが、学んでからでは遅い。やりながら、現場で身につけていかなければならないことばかりだ。これこそがOJT、我々に欠けているところだ。

4月10日 水曜日

 朝には打ち合わせがあった。話はすべて具体的だ。すべては目的や意図を明確にして実行される。むしろ目的や意図が明確でないことはやってはならない。当たり前といえば当たり前なのだが、風土によってその当たり前が当たり前ではなくなっている場合もある。責任を追及するとどこぞのトップが悪いというように、問題が実情とかけ離れたところに行ってしまうが、突き詰めるとそういうことになる。

4月 9日 火曜日

 まだ火曜日かと思うほど、時間の進むのがゆっくりに感じられる。いつも4月は長く感じるが、今年もそれは変わりない。今年の場合は、年度始まりが月曜だったのが疲れる一因だろう。そして、元号が変わることによる社会的な空気感がそれを左右しているということもあるのかもしれない。

 夜には久しぶりに残って別の仕事に従事した。20時まで様子を見ながら立っていた。これが始まるとだんだん体力的にきつくなってくる。

4月 8日 月曜日

 言葉遣いが丁寧な人には人々が耳を傾ける。今日は全体を前にして極力丁寧にと思ってマイクを持った。午後には、ファシリテータになった。2年前のことが自分の中では成功体験として位置付けられていて、あの通りにやればうまくいくと信じているのだが、それはどうかはわからない。もちろん人が違えば対し方が変わって当然だし、どう動くかを研究しなければ何事でもうまくいくものもいかなくなる。

4月 7日 日曜日

 まだ何も始まっていないが、ずいぶん消耗したような気分になっている。朝には一ノ関駅から蒸気機関車が出るというので散歩がてら線路のところまで歩いた。多くの人がやってきて、めいめいカメラを構えたり、話をしたりしていた。久しぶりに見るSLは機関車も客車も美しく飾られており、古いものという感じがしなかった。

 帰りに床屋に寄ろうかと思ったがやめた。戻ってから明日提示するつもりの文書を作成しているうちに午後になった。また平泉の皀莢庵でおろしそばを食べてきた。夕方にはクリーニング屋と本屋に行った。

4月 6日 土曜日

 のどかな土曜の朝には頼まれた仕事が入った。仕事とはいえかなり気楽な感じで請け負ったのであった。その仕事を請けなければまた別の仕事が待っており、それは体力的にも精神的にも困難だったからだ。軌道に乗ってくれば、覚悟もできて、それなりにしっかり取り組める。しかし、もうちょっとと言ってぐずぐずしていたかったのだ。帰りには産直の店によって野菜を買い、少し横道に逸れて、春の風景を写真に収めたりした。一旦帰ってからスーツをまとめてクリーニングに出してきた。

4月 5日 金曜日

 午前中は約一か月ぶりに壇に立った。声帯が弱っていて、少し大きな声を出したら咳き込んで困った。50分という時間が長く感じられた。リズムというのがいかに重要か。自分のリズムを早くつくりだして、乗っていけるようにしたい。

 職場の隣席の方と別室で打ち合わせを行った。話はあちこちに飛びながらではあったが、話から学ぶところが多かった。昨年度に引き続きの関係ではあるが、これは自分の学びにとって大きなことだと感じている。できる限りの力が出せるようにしたい。

 今日は午後にもっとも重要な儀式があった。気温が上昇したためか、途中で倒れる人も続出し、2年前の悪夢が再び現れたかと思った。式自体は無事終了し、その後の幾つかのことも滞りなく済ませることができた。長い一週間を終えて、ようやく週末だ。

4月 4日 木曜日

 出会いの場面は重要だ。その意識で一言一言を吟味した。出番は少なかったけれども、立ち上がりとしては上々だったのではないかと、自分で勝手に思っている。印象は率直に受け止めよう。悪くも良くもない。ただありのまま目に映ることから出発しよう。こちらがまっすぐな目で見ることが、何よりも先に来るべきことだ。それを受けて、こちらが綺麗な鏡となって、最良の光を反射させる。単に真っ平らな鏡面であれば良いという意味ではない。相手によってもっとも美しく受け止められるような形に、鏡の方が姿を変えることが必要だ。

4月 3日 水曜日

 きょうも午前中は会議だった。その後はこれといってまとまったことは不要だったが、多方面に気を使いながら文書作りなどの仕事をした。定時で帰るつもりができなかった。スーパーで焼きそばを買って、適当な野菜などと炒めて作った。

4月 2日 火曜日

 午前中は会議で、確か午後までに三つ様々な会議が入っていた。新しく来た人も多いので、その人たちが全部わかるように話そうと思ったから、以前からいる人の中には、なんてまどろっこしい話だと感じた人もいたかもしれない。そんなことはどうでもいいことだが。夜には職場の歓迎会があった。まだ何が何だかわからないうちに酒を飲んで盛り上がる。本当は一日の夜がいいと思っていたのだが、新しい人たちへの配慮ということでこの日になった。行き帰り歩いたので足が少し疲れた。

4月 1日 月曜日

 新しい年度が始まった。特段新鮮さがあるわけではない。またこれまでと同様のことを繰り返すのである。長い4月が始まり、連休があり、5月、6月が終わると7月が来る。8月があって、9月が過ぎると10月だ。そうするともう年末で、正月休みが開けるともう1月、2月、そして3月の年度末になる。ほらもう1年が終わってしまった。せめて健康で過ごそう。