2019年1月  January 2019

1月31日 木曜日

 1月も終わり。今年度の反省の会議も行われている。このごろにわかに振り返りが大切だと言われることが多くなってきた。この平成30年間を振り返ってみると、後戻りのできない状況になったことがわかる。だが、日々を少しずつ振り返れば、少しずつ反省して、改善することができるのかもしれない。個人レベルでも、社会レベルでも。そうは思うのだが、振り返りの機会としてこの日記を綴ってきた自分としては、この試みがどうだったのか、詳しい検証が必要かもしれない。

1月30日 水曜日

 わずか10分の読書で心が澄んだような気持ちになるというのもどうかと思う。だが、それだけの時間も確保できない生活に、ふと疑問を感じる瞬間を得たのは貴重だった。働き方改革というけれども、これまで多くのことを放置してきたことの積み重ねが多忙化を招いてきたとも言える。今叫ばれているのは、そのツケが回ってきたということだ。体力のある者、機転のきく者だけが生き延びることができ、不器用な者は排除されていくのがこちらの仕組みである。

1月29日 火曜日

 インフルエンザの流行で、様々なことが予定通りにいかなくなった。だがこれも毎年のことなので、予想通りの展開ではある。それに伴って、関係諸機関にも協力を求める必要があったのだが、その協力が容易に得られないことで感情が揺さぶられた。思え7、8年前にも同じようなことがあって、同じように感情が揺さぶられたのであったが、それ以来状況は何も変わっていない。

1月28日 月曜日

 新しい週が始まった。連休だったので余計気が重く感じた。連休中に少しでも仕事を進めておけば、余裕をもって迎えることができたかもしれないが。こういう一週間の繰り返しで何十年やってきたということは、なんの進歩も成長もないということか。

1月27日 日曜日

 冷え込んで快晴になった朝、二人で近所を散歩した。川沿いの道を歩いていると、キツネが河川敷の藪のあたりに見え隠れしていた。青空を見上げると、山の方から渡り鳥がいくつもの隊列をなして北へ向かって鳴きながら飛んでいくのが見えた。50分ほど歩いて戻ると爽やかな気分になった。だが、その後はたいして何もせずに昼になった。平泉まで蕎麦を食べに行った。 

1月26日 土曜日

 仕事場に行く予定が消えて、休みが一日増えた。こういう日に家で仕事を進めておけば後で楽だと思い、あれこれ職場から持ち込んだが、結局何一つしなかった。何もしない休みというのも必要だし、本来はこうあるのが望ましい姿だと自分に言い聞かせながら、開き直る。昼食は北の町まで車を走らせ、ラーメンを食べた。阿蘭陀から戻って初めて食べたのがここのラーメンだった。食べたのがもう15時を回る頃だったので、夕食は適当にして早く寝た。

1月25日 金曜日

 自分にとって当たり前のことが他人にとっては当たり前ではないということは意外と多い。きょうもいつものように静かなぶつかり合いというのがあちこちで起き、その度に感情が揺れ動かされた。こうも多様な価値観の渦の中にいると、自分の信じていることがらの小ささ、頼りなさに否応無しに気づかされる。どうしようもないほどに弱く、あてにならない自分。いわば広大な宇宙の中のひとつの点にもならないほどの自分という存在。そうはいっても、その小ささ弱さに頼ってようやく生きているのが自分だともいえる。様々な声が耳に届く。相容れない価値どうしを結びつける道を見出すのは一筋縄ではいかない。ゆっくりどっしりとした力で進み、誰もが納得できる場所にたどり着かなければならない。見せかけの強さをもつものは弱く、弱いものは力を合わせ知恵を絞って強くなる。存在を支えるのは、弱いからこその強さなのか。

1月24日

 この日も早めに出た。ようやく木曜日という感覚だった。日中は通常業務をこなした。幾つか工夫したことはあったが、工夫することは日常なのでさしたる記憶には残らなかった。惰性で仕事をするというのはこのことか。夜には少し時間をとって、関係各位とコミュニケーションをとらなければならなかった。転勤を伴う職種であり、派遣されていた3年間を含めるとそろそろいつ辞令が出てもおかしくない年数になった。残るにせよ、動くにせよ、自分の意識としては変わらない。大したことはできないから思った以上の成果も期待できないし、だいいち誰も求めない。ただ夜とか土日とかの自分の時間が当たり前のように削られることがもう苦痛以外の何物でもなくなってしまっている。このことは完全なる失敗であった。歳とともに後悔の念が膨れ上がり、それはどうすることもできない。本当に馬鹿だと思う。

1月23日 水曜日

 気温が低かったが風がなかったので動きやすかった。朝の美しさは昨日と同様だった。さらに早く出たので日の出前に川崎まで着いた。道の駅で少し休憩しても十分間に合う時間だった。この日は朝だけの出張で、職場とはやや離れた場所に行かなければならなかった。集合時刻の30分前に車から出て、人員が揃うまで直立して待つ。幸い何も問題が起こることもなく、役割を終えてほっとする。あとは何をしたか覚えていない。夕方にはそれぞれから電話がかかってきた。利き耳の左が聞こえが悪いことと、電話機が聞き取りづらいのとが重なって、おまけに相手もはっきりしゃべらなかったりするので、相手の声が聞こえなくて困った。

1月22日 火曜日

 雪が降ったので通勤路を変えた。こういう日は、坂道を登れなくなる大型車とか、のろのろ運転の軽自動車とかのために、思うように走れなくなる。幅が狭くても、起伏の少ない平坦な道を通ったほうが安全だ。案の定今朝は渋滞で遅刻した人が多く出た。気温は低いが、雪が木々に降り積もっている光景は美しい。冬場しか通ることのない北上川沿いの道は、深山幽谷の雰囲気があって、本当は写真でも撮りたいところだがそうもいかない。時間がないというだけでなくそもそも車を停める場所がない。それはどこであってもそうだが、美しいと感じるのは実は移動しているからなのか。動きを止めたとたんに、相手の息遣いも聞こえなくなる。こちらのリズムと相手のリズムが同期している間にだけ起こるハレーションとでもいった現象なのかもしれない。

1月21日 月曜日

 また一週間が始まった。吐き気を催すほどの毎日だ。それも笑顔で乗り切れば、充実したとごまかすことができるだろうか。そんなことは嘘である。全ての真実は、この痛みの伴う感情によって意識させられるのであり、血を流すことによって初めて記憶に刻みこまれ、思考する準備が調うのである。何事もうまくいくことはありえないし、無数の失敗にも誰も気づかない。もっと苦しまないことには明日は来ないし、古い自分を殺し続けなければ新しい自分とは死んでも出会えない。

1月20日 日曜日

 大寒だという。それにしては今年の冬は雪も少ないし、気温もそれほど低いわけではない。いいことかはわからないが、過ごしやすいことはありがたい。それでも一年でもっとも寒い時期だから、車の窓ガラスも凍りついて、朝の出勤はそれを溶かしたり削ったりしてからということになる。屋根付きの駐車場であれば何も心配は要らないが、今はそれに10分くらい時間がかかることもある。

1月19日 土曜日

 朝のうちはゆっくりと過ごし、10時半頃から出かけた。仕事が終わったのが16時過ぎだった。久しぶりに身体を大いに動かした。今度の出張先の場所を確かめるため、遠回りして帰った。田んぼの中の農道は何度通ってもわかりにくい。直線でないのは面白いが、まだ慣れていない。汗をかいたのが冷えたためか車の中で少し寒気がしてきたが、帰宅してすぐにシャワーを浴びたらよくなった。夜にはYouTubeで2018年のヒット曲を幾つか聞いた。初めて聞くものもあったが、皆どこかで聞いたことのあるような曲だった。良い悪いではなく、子供達に受けるような曲作り、売れるような曲作りばかりしている人も少なからずいて、何も知らない子供達がまんまと騙される構図が繰り返されている。と、そんな感じを受けた。

1月18日 金曜日

 職場の飲み会というのも、仕事の一環といえばそうだ。とはいえ、予定は様々だから参加できない人がいてもやむをえないし、すべての人の都合がいい日取りなど無理というものだ。今回はその渦中に放り込まれてしまったようで、身の置き所を失った気分だ。この一週間というもの、どうも調子に乗れずに低空飛行で飛んできてようやく胴体着陸して終了という感じ。

1月17日 木曜日

 年度末を振り返る会議が行われた。様々な視点から意見が出されたので、自分の部署の分は自分が後でそれらをまとめることになる。それとは別に、来週には出したい印刷物を一つ作成した。今日の会議で出た意見もさりげなく反映させているので、できるならば目を通してもらいたい。

1月16日 水曜日

 家人が感染症にかかった手前、マスクをしないと何か言われそうな気がしてマスクを付けている。これも文化なので、それがいいことか悪いことかには関わらず、あるところとないところがある。オランダでは皆無だったし、カナダでは自分の知るところではノースヨークセンターの地下鉄駅の売店の店員のお兄さんがいつもマスクをしているのを見かけただけだった。時はまさにSARSが流行していた中心、トロントでのことである。こんなところで我が国の同調圧力を感じさせられている。

1月15日 火曜日

 自由に使える時間が多かったはずなのに、終わってみれば書類の下書きの点検に終始する一日だった。点検をするのは良いが、そのあとの清書をするときに、点検箇所を確認しないでまた同じ誤りを繰り返している例を度々目にするのは残念である。おそらくこれでは点検の意味がない。こちらの仕事にかける労力も無駄である。ということを、少しでも感じているのだろうか。

1月14日 月曜日

 休日であったが何をしたかは覚えていない。思い出した。朝から天気が良かったので、洗濯をして、部屋をかなり綺麗に掃除したのだった。押入れにあった古着も幾つか処分して、幾分すっきりとなった。古いタブレットやパソコンもこの際リサイクルに出そうと思い、手続きを取った。断捨離についての記事が新聞に載っていたのに刺激を受けてのことだった。多くの物に囲まれた生活をしているが、それらを少しずつ減らして、身軽にしていこう。

1月13日 日曜日

 この日、成人式があるというので、それに合わせて5年前の中学3年生が同窓会を開くのだという。自分も招待を受けていたので、先日までは参加するつもりでいた。しかし、そういう単純な問題でないということが少しずつわかってきて、その会には参加しないことにした。かつての同僚と打ち合わせて、始まる前に顔を出し、幹事にお祝いを渡そうということになった。それで18時過ぎに会場を訪れると、先日から何度かメールや電話で打ち合わせていた幹事の若者が一人で待機していた。会のチラシやアトラクションで使う道具類がテーブルに並んでいた。忙しいのに、せっせと会を盛り上げようと準備していたことがわかり、頼もしく感じた。その後、元同僚と少し話をした。新しい職場や近々の話題が中心となったが、互いに少なからぬ違和感を抱えながら労働しているのがわかった。この時期は「成人の日に」という、谷川俊太郎の詩を思い出す。多くの若者に伝えたい言葉だ。

1月12日 土曜日

 朝6時に家を出て、戻ってきたのが夜の6時頃。一日中寒い中で仕事をしてきた。幾つかの矛盾する現状を目の当たりにした。それ自体は日常茶飯なのだが、また始まったというのが年初めの活動を終えた感想である。この30年間で良くなったことは何だろう。そして、悪くなったこととは。人間は絶えず変化しているから、何かを定点で観測することは不可能だ。例えば、視野が広がり続けていれば自然と目に入ることが増え、無意識に目を背けることも増える。他者の言論やメディアと自分との距離を測りながら逐一判断しなければならない。若い時から何となく、世の中は少しずつ良くなっていくもの、人間は進歩するものという思い込みがあった。だが、労働者の一人として働き社会を見つめながら、その思い込みは間違っていたとしか思えなくなった。

1月11日 金曜日

 本格的に仕事が始まった。とはいえ明日からまた三連休なので、それほど仕事場の中に緊張が感じられない。日中に設定された時間に打ち合わせと書類のチェック作業を進めた。また、初日につきものの試験と採点を早々に終わらせ、入力や集計まで片付ける、どうという反省も感慨もなく。翌日は一日別の仕事で職場にいなければならないので風邪など引いているわけにはいかない。

1月10日 木曜日

 家人が熱があり動けないというので、病院に連れて行くことになった。11時で退勤して、昼のうちに病院を探して電話をして受付を済ませて、午後の始まりの14時に合わせて乗せて行った。1時間と少し、廊下に座って本を読みながら待った。インフルエンザのA型に罹患しているという診断だった。薬局で薬を買って帰った。 

1月 9日 水曜日

 朝から夕方まで机に向かって仕事をした。本格的な始動はまだだが、今日は当番であり、朝夕の見回りなどをする役目に当たっていた。普段は立ち仕事の方が多いので、一日中座っていると腰が痛くなったり、首のあたりがイライラしたりしてきた。だが、様々な準備を進めることはできた。今日良かったのは、定時で仕事を終えたことだ。施錠をした時にはまだ外が明るかった。車で走っている間に夜になった。スーパーに寄ってあれこれ買い込んで帰ったら、家人が熱を出して寝込んでいた。野菜をたくさん入れて作った焼きそばを食べると、話をすることもなく早めに就寝した。

1月 8日 火曜日

 午前中は細かな作業もあったが、午後の予定がなくなったのでしめしめと休みを取った。12時20分には職場を出た。清庵で天ざるを食べてから、灯油を買ったり、電気屋に寄ったりしながら帰宅した。眠くなったので1時間くらい昼寝した。あれこれしたいことはあったのだが、どれもしないうちに夜になった。まるで悪銭身につかずのことわざの時間版のような形になった。

1月 7日 月曜日

 朝には提出すべき書類の点検を行った。明らかな間違いはすぐに指摘できるのだが、一概に間違いとは言えない微妙な例については結果的に見落としていたものが幾つかあった。以前どうだったかは思い出せない。いずれにせよかなり細かいところまで指摘されるのには少し驚いた。阿蘭陀ではどうだったかを思い出せば、もっと緩やかだったのではないか。しかしそれは、いい加減だったのだと言えるのかもしれない。個人的にはこれがもっと先鋭的な方向に向かっていくことは望まないけれど、そうなっていくとすればもう自分の居場所も無いなと思ってしまう。夜には戻ってきた家人の土産話をたくさん聞いた。様々なことが頭に浮かんで大いに刺激を受けたようで結構なことだ。それらを書き留めておくと良いのにといつも思う。

1月 6日 日曜日 きょうの音

 午前中は、パソコンでゲームをしたり、新聞を読んだりする。日曜の朝という感じがしなかった。昼には少し外に出る。農協の大きな店舗ができていたのを初めて知った。昨年の11月には開業していたというから、2か月も気がつかなかったことになる。確かに普段通る道ではないし、テレビの宣伝を見ることもないので無理もない。しかし、嗅覚が衰えているというか、関心が薄れているというか、自分の側の変化を感じた。新しいお店などの情報はどうでもよくなってきたということなのか。昼には町の中心部にあるラーメン屋に入った。駐車場にはなぜか宮城ナンバーの車ばかりが停まっていた。券売機には様々なこってり系のラーメンが並んでいたが、迷った挙句基本の中華そばにした。ずいぶん待ったが、出汁の香りが高くてうまいラーメンだった。午後から音楽作りに取りかかった。実に15年ぶりに、短いながらも一つと数えられるものができた。

1月 5日 土曜日

 土日を自由に使えますということになっても月曜日からの仕事を考えると特別なことは考えられない。午前中は新聞などに目を通したりしているうちに過ぎる。その後は天気もいいので車でひょいと出かける。先日は雪のことが心配で断念していたことをひょいと実行。西の方は雪が多いのだが道路は念入りに除雪されていて、幹線ならば何の心配もない。ただ、速度を出し過ぎた時の制御が難しくなるだけだ。それも出し過ぎなければいいだけの話。のんびりと走る。昼を食べて、本屋に寄ってあれこれ眺めて、結局雑誌を一つ購入。何の苦労もしないで、なりたい姿に変われるなどと思うのは幻想だ。勉強すべき時に勉強しないで過ごしてしまったら、一生勉強することはないかもしれない。汗水垂らして歯を食いしばるような努力などしたくないけれど、生きていることを学びと捉えて好奇心を持ち続けるとしたら、その人生は勉強ひとすじの生涯と言えるのかもしれない。

1月 4日 金曜日

 正月も四日となった。休みは少なくとも二週間必要だというのをどこかで聞いたことがある。休みの最初は心身ともに休んで頭の中を空っぽにする。そうして初めて、新たなことをインプットしたり、何かを創造したりということが可能な状態になる。頭の中を空っぽにするまでに一週間はかかるというから、一週間程度の休みでは休んだことにならない。そう考えると先月二十八日から数えて昨日でちょうど一週間である。なんとなくまとまった時間を読書にあてたり、何か作ってみようかという気になったり、気分に変化が生じているような気もする。土日には出かけたい気持ちもあるが、部屋に閉じ籠って創作してみたいという気持ちもある。今回はどちらに転んでも構わない。けれど、最近では「終活」ということが頭をもたげており、無形のものをこの世に残したいというような欲求もむくむく膨らんできているのを感じる。

1月 3日 木曜日

 年始の挨拶に古川まで。車で一時間もしない距離だがなかなか足を運ぶことができない。その割にいつものように滞在時間は短い。義母とお茶を飲みながら少し話をして、帰りにはお餅と餡子と粗塩をいただいた。行く時は高速道路を使ったが、帰りは国道を北上する。築館のパン屋でパンを買って、コンビニでコーヒーを買って、車の中で昼食。あとは何をするということもなくゆっくりと過ごす。こんな風に時間にゆとりがある日が何日か続くと、いつも何かに追い立てられるような感覚で過ごしていることがわかる。ほんとうは毎日追い立てられるように過ごす必要など無いのに。明日は休みを取ったので今年の仕事は七日から。それまでは仕事のことは考えない。自分が生きているうちにやりたいことは少ない。貴重な時間を仕事にかまけていてはいけない。あれこれと考えて、それを明確に自覚するようになったら落ち着いた。

1月 2日 水曜日

 穏やかな正月だ。国道を東に走らせて気仙沼に向かった。寿司を食べたかったが、お目当ての寿司屋は開いていなかった。牡蠣を食べようかと唐桑半島に進路を取ったが、そこも休みだった。それで市内のラーメン屋に入った。秋刀魚のつみれの入ったラーメンがあっさりしてうまかった。結果的に来て良かったということになった。帰路には寄り道して室根山へと進路を取った。登るにつれて気温が下がり、頂上付近では氷点下三度になっていた。展望台の上から見下ろすと気仙沼の海も見えた。室根神社をぐるっと回って見学した。昨年の秋には千三百年の大祭が行われた由緒ある神社。何もなければ大祭に行きたいところだったが、生憎その日は仕事だった。荘厳な雰囲気を持つ山だった。地元にもまだまだ知られざる場所があると思った。 

1月 1日 火曜日

 新しい年にそれほどの感慨もなく。朝から昼までラジオを聞いて過ごした。時代の変わり目というけれど、それはもうずいぶん前から言われてきたことであり、世の中の変化が大きいからこそ自分が周りをよく見てよく聞いてよく考えて行動することが大切なのだということを改めて考えさせられた。

 神社にお参りに行った。日陰には雪が残っていて滑るところもあったが、日の光は一月とは思えないほど暖かく感じた。風のほとんどない晴天で、ゆっくり歩くと気分がよかった。帰りには駅の蕎麦屋でカレーそばを食べた。帰宅すると郵便が届いていた。年賀状を書かなくなって久しいが、届いたものには返信しようとは思う。それで葉書を書いて投函してきた。