2019年6  June 2019

6月30日 日曜日

 本当なら早朝から仕事に出かけなければならなかった日曜だったが、荒天を理由にして日程を延期したので、一日自由な時間ができた。金曜の時点で判断していたから、その日はバタバタと動き回ったのだが、今となっては良かったと思う。来週の週間天気を見ると、また日曜が雨になっている。次も雨だとしたらどうしようか。

6月29日 土曜日

 江刺までの道のりは一時間と少しかかる。この春から三度目くらいだったので、道を覚えているかと思ったら、途中でわからなくなって間違えた。昼頃から雨が降り出し、窓の外は寒々としていたが、屋内には湿気があって、少し動くと汗が噴き出すような感じだった。朝の8時から夕方の16時半頃までその中で立ちっぱなしだった。目の前に展開される出来事に不甲斐なさを感じつつ、頭では多くのことを分析的に考えようとするのだが、考えがまとまらなかった。今朝読んだ、「日本人は物事を分析的に考えない」という、以前から様々なところで散々聞かされている内容の記事のことが頭から離れずに、これもいつものことだが、根本には「勉強しない」ことがあるのだろうというところに至る。

 帰り道の産直で野菜などを購入し、18時頃に帰宅。夕飯を一福亭で食べてきて、21時前には就寝した。

6月28日 金曜日

 限られた時間に必要なことを振り分けて、朝8時前から13時まで動いた。廊下を移動する導線までも重複することなく動き回り、最低限のことを進めることができた。そして、昼食をとってすぐに職場を出て、車の中で深い息をついた。午後のこと、明日のこと、日曜日の急な予定変更のこと、いきなり飛び込んできたファイルの再提出のこと、そして、来週の面談の予定変更や、2週間後の出張のことなど、電話にメールに書類作成に印刷。これだけ効率よく片付くと気分がいい。たまにこういう日もある。そして、午後には研修会に参加した。初めの1時間は眠気に襲われたが、後半は具体的な事例が続出して、眠気がどこかに吹き飛んだ。今週も頭にくることばかりだった。だがその怒りも和らいだ。ホーマックで家の雑貨を幾つか買って早めに帰宅した。

6月27日 木曜日

 翌日の出張までの時間を有効に使うための下準備をした。途中18時過ぎから1時間くらい、なぜか五月蝿くなって仕事しにくくなるので、その間は別のところで別の仕事をして難を逃れた。午前中に1時間、小部屋で打ち合わせをした。怒りでまた熱くなりそうだった自分をまた先輩はなだめてくれた。頭にくることと腹がたつことは別物だろうか。きょうも何度となく、怒りが湧いたが、自分のちっぽけな理性と午前中の打ち合わせのおかげで、きょうも爆発を免れた。

6月26日 水曜日

 昨夜一晩では到底終わらなくても、今日の夕方には終わっているだろうと漠然とした見通しをもっていたが、そんなはずはなかった。頭の上を飛び交う雑音を無視し続けながら仕事を進めるが、最終的には21時になる頃までかかった。管理職は出張で不在だったので目の前に咎める人がいないことをいいことに居残った。自分が20年来続けている当たり前のことが、当たり前にできていないこの職業集団を前に、当たり前のことを当たり前にやりましょうと言う機会を得たかと思われたが、それは難しいからと一言諌められた。確かにと思い呑み込んだが、当たり前のことをはばかられる現状とは何なのだ。どうしてやらないのと思う。だから問題が噴出するのだ。

6月25日 火曜日

 先々週辺りから、体調が悪いのもあり、空気の悪いところにいたくないこともありで早々に帰宅していたが、この日はそうも行かずに残業していた。20時近く、何とか今日の分は目処が立ったという辺りで管理職から声がかかった。指導を受けるのも馬鹿らしいと思い、素直にしたがってともに最終退勤した。やろうと思っていたことを終えたから帰る。現状ではそれしかない。なぜなら、設定された退勤時刻自体がどだい無理なのだから。時間で帰っていたら何も終わらない。持ち帰り仕事をしたところで、改善などと言えるわけがない。まずは自分が納得できない。

 昨今働き方改革と言われるけれども、時間を短縮したからといって改革をしたことにはならない。目的に照らして、自分の仕事がその目的遂行のために少しでも役に立っているという自覚をもてるかどうかが全てではないか。まずは、やることをやる。次にはそれをできるだけ定時に近づけて終える。それで自分が納得して帰宅する。帰宅してまで仕事のことは引きずらない、というのが大切だ。今は土日のうち片方は仕事漬けということが多いのだけれども。

6月24日 月曜日

 出かけてばかりというのも良い時間の使い方とは言えないか。自分は本当に勉強というのが嫌いなのだなと実感する。朝に一時間は勉強をという言葉を聞いたのはもう先月の話だったかもしれないが、それから一か月ほども何もしていない。

6月23日 日曜日

 天気が良くなったので出かけたくなった。県境をまたぐと少し気持ちがスッとする。一関にいる利点は車でちょっと走るとすぐに宮城県に到達することだ。そして、もう少し走ると秋田県や山形県までもすぐである。栗駒山を中心に据えて、様々なコースをたどることができる、ということに気づいたのはつい最近のことだ。

6月22日 土曜日

 一日中雨降り。夕方まで仕事をしたり、遊んだり、部屋の中でだらだらと過ごしていた。夜暗くなってから車で水戸屋食堂に行って夕飯を食べた。まったくそれだけの休日。

6月21日 金曜日

 早朝から少し仕事を進めた。職場に行ってから必要な印刷を半分くらい終わらせた。午後には出張だったが、もう今週は職場に来る必要がないと思ったら気が楽だった。だが、出張先では慣れないことをさせられて激しく恥をかいた。

6月20日 木曜日

 昨日に引き続き調子が悪かった。仕事自体は問題なかったが、もう続ける気も無くなったので定時で帰宅した。薬局に寄って薬などを買い、帰宅後は1時間くらいかけて夕食を作った。仕事の目処だけ立てて就寝した。

6月19日 水曜日

 風邪はまだ本調子ではなく、夕方には耳が塞がったようになって気持ちが悪かった。それで仕事は早々に切り上げて帰宅した。家で仕事をしようと思ったが無理だった。

6月18日 火曜日

 振替休日。深夜からまた喉が痛み出し、うがいをすると痛みは和らいだ。痰が出るし、時々咳も出る。午前中は少しだけ仕事をした。昼には車で出かけた。栗駒山麓は宮城県側でも意外と近い。世界谷地の駐車場に車を停めて、木道をぐるっと回ってきた。ニッコウキスゲとワタスゲの群生を見ることができた。

6月17日 月曜日

 振替休日。喉の痛みに痰が重なり、症状は順調に移行している。風は強いが空は晴れており、湿度がなくて秋のようだった。仕事は山積しているが、何一つ手をつけることなく時間が経った。昼には水沢まで車を走らせて、産直の食堂で昼食をとった。平日は人が少ないのでゆっくりと歩くことができて良い。

 ラプターズが初優勝ということで、トロントは盛り上がっているようだ。市庁舎前の広場での式典の様子をネット上で見ることができた。

6月16日 日曜日

 昨日と同様の日程で1日を過ごした。これまでの成果を発揮することができたので、一つの目標は達成できた。これからあと一か月をどうやって過ごしたら良いか。あまり疲れないようにして支えていけると良い。風邪を引いてしまったようで夜中に喉が痛かった。うがいをしたらだいぶ和らいだが、それでも声が枯れ気味だ。幸い夜にはいつもつきものの宴会がなく、早めに帰宅することができた。一つの解放感。

6月15日 土曜日

 仕事の土日。あいにくの悪天候だが、幸い室内なので影響はない。日程がずれ込むことはないから、月曜火曜には問題なく休むことができる。それが報酬と言っていいかもしれない。遠足や修学旅行で事前の準備が大切だというのと同様に、全ての仕事は事前こそが仕事だ。その連続がまた仕事の本質である。だからやるべきことは全てやる。もちろん物理的な制約があるが、その制約の中で可能なことを広げる工夫もまた必要だ。決して無理をしない。仕事なぞ健康を害してまでやることではないから。

 前の日にはとか直前の一週間でとか、そんな近視眼的な発想はもたず、何ができればとか何さえなければとか、そんな運を天に任せるような気まぐれな思考もしない。謙虚な気持ちを常に持ち続けられると良い。目標到達には困難が伴うのであり、結果がついてくれば素直に感謝せずにはいられない。今日は途中で心拍が激しくなって目の前がくらくらし、これは倒れるかもという一瞬があった。気をつけよう。

6月14日 金曜日

 11年前のこの日に、この地域は岩手・宮城内陸地震に見舞われたのであった。それで、今朝は地震の発生時刻に合わせて全市を挙げて避難訓練を行った。少し前からシェイクアウトという言葉がにわかに聞かれるようになり、何日か前に、見るからに翻訳調の説明文書が配布になった。当時は盛岡にいて、移動途中の車の中だったために地震に気づかなかったのだが、目的地に到着すると人々が口々に大きな揺れだったことを話していたのを思い出す。

 12日はブロック塀が倒れて多くの死傷者を出した宮城県沖地震があった日だ。あれから41年が経った。この地震に関しては話しても誰もピンとこない。同僚の多くはまだ生まれてさえいなかったのだ。災害の記憶はどうしても風化する。考えてみればあれすらも東日本大震災に続く一連の大きな流れの中にあったのだ。

 世代は変わるので記憶が風化するのは避けられないが、訓練を日常化したり、新しい習慣を作ったりすることは可能なはずだ。むしろ、新たな災害に面した時の考え方や動き方を、教育の力によって身につけさせることが必要なのだろう。

6月13日 木曜日

 朝からドタバタと動き回って、わけがわからないままに夕方になり、そこからまた少し体を動かして働いて、就寝中に足が攣って、それがまた夜中に三度もだったりすると、疲れというよりは嫌気がさして、ようやく眠りについたと思えば、外はすでに薄明るくなっている。痛みは我慢をするとじき収まる。しかし、我慢すれどもなかなかおさまらないこともある。

6月12日 水曜日

 休憩時間などなく朝から晩まで働き詰めで、しかも緊急の用件が昼にも夕方にも入ってきて、まともな神経ではやっていられないくらいになっても、それがこの職業だからということで、ということで、30年続けてきた。この30年というのは、なかなかインパクトがあるなと自分では感じているけれど、他人にとってはどうでもいい時間なのだろう。人一人の一生の価値は、どんな仕事をしてきたかとは全く関連がない。

6月11日 火曜日

 相談して解決するような悩み事なんて、悩み事とは言わない。捨てることなしに溜め込もうとするから、許容量を超えてしまうのだ。相手が荷物を肩代わりしてくれることはない。抱えきれないくらいに荷物が増えたら、全部手放すのがいいよ。

6月10日 月曜日

 これまで費やしてきた時間を無駄だったとは思いたくないが、これからも同様に費やしていくとすればそれは無駄なことかもしれない。楽しかったと思うとすれば、それは現実を見ずにいたからで、知るべきことを知ればもうまともではいられない。こんな国にはもう安心して暮らせない。憂国の徒は国を愛するからこそ憂うのだろうけれど、今のこの国は愛そうにも愛せない。

6月 9日 日曜日

 晴れたので無性にどこかに出かけたくなった。それで一人車を走らせた。山の駐車場には車がたくさん停まっており、登山客や温泉の客がそれほど訪れていることを示していた。硫黄の匂いも漂って、活発な火山活動が続いていることを感じさせられた。今この瞬間に大地震が起きて車が土砂に押し流されてもおかしくないだろう。先日は危ないので行かないと言っていた道なのに、今日はある種の賭けのつもりで臨んだ。

6月 8日 土曜日

 早朝出勤して1時間ほどパソコン内や机上の整理をしてから、通常の仕事に入った。12時には終わったので、すぐさま退勤して、道すがら清庵で蕎麦を食べて帰った。テレビでは「なんでも鑑定団」が放送されていた。番組としてはよくできていると感心するけれど、コマーシャルを見るとその下劣さに驚く。日本ってこんな国だったろうかと本気で思う。帰ってから2時間ほど昼寝して、散歩に出かけた。

6月 7日 金曜日

 面白くもない一週間があとちょっとで終わる。打ち合わせで確認した時間に確認した場所で待機していたが、見事にというか、案の定裏切られた。それは約束を破るということ。相手との信頼を自らぶち壊したということ。信頼を築けない人間が何を偉そうなことを言っても意味がない。しかもそれに対して謝るでもなく流そうとするその態度が本質を晒している、と思った。そんな泡のような怒りのつぶつぶが浮かんでは消えしながら毎日が過ぎていく。右を向いても左を向いても、そのような人間が多くてやりきれない。今年度もようやく二カ月が経過したところ。まだ十か月ある。自分はそんな世代のお守りじゃない。新しい未来そのものをつくり出す仕事に専念したいのだ。

6月 6日 木曜日

 遊びこそ勉強ということをどこかに置き忘れたまま小学校時代を過ごした子供達が、すごろくトーキングで異常に盛り上がる。こういうさもないことにさえ、かける時間がなかったのかと悲しくなる。あるいは、そういう認識が一人の指導者にも備わっていなかったという不幸か。だとすればかれらと自分との出会いにはその不幸を少しでも和らげる意味があっただろうか。

6月 5日 水曜日

 様々な人がいることが面白いのだが、目的を一つにしているはずの集団の中にあって、こうも価値観がばらばらだと、もう面白いなどとは言っていられない。高校時代にいつもトイレの前で見張りをしていて、イヌと呼ばれてた人がいたな。自分もどこか彼と似たところがあるだろうか。とにかく誰かと誰かの間に取り入って衝撃を和らげる。昔のコントで肉襦袢というのがあったが、毎日それを着ては体当たりをしているような毎日だ。

6月 4日 火曜日

 「む」と「し」はわかるが「ば」はどこから来るのという冗談に誰も笑う者はなかった。最近は聞かないと思っていた「虫歯予防デー」という日があったのは戦前のことだったようだ。以前はメディアでも取り上げられていたように思うのだが、それは当時すでに相当古い情報だったのだ。「きょうは虫歯予防デーですね」などという最初の言葉から、聞いている人たちにはわけがわからなかっただろう。今は「歯と口の健康週間」というのがあって、きょうはその初日になっているらしい。

 午前中はあれやこれやと要求を突きつけられるように、追い立てられながら次から次へと問題を片付けた。なるほどやりにくさは強烈だが、こういう時にこそ自分が試されると思うとあまり疲れないし、挑戦的な気分になる。そして、普段はぼやけた言葉が輪郭のはっきりしたものに変わるのだ。

6月 3日 月曜日

 あいみょんの歌を聞いて不意に涙が流れそうになった。この人の歌は心を打つ。驚きだ。歌詞がすごい。シムなしのiPhoneにこの人の歌だけ詰め込んで先日なんかは移動中ずっと聞いていた。そしていまでも頭の中で歌が鳴っている。こんなことを書くといい年をして、ということになるのだろうか。いまの若い人たちがこのような力のある人たちと歩いていけることは素晴らしい。

6月 2日 日曜日

 爽やかな日が多いのは温暖化のせいか。湿度がなくて、洗濯物も良く乾く。まるで欧州の夏のような気候だ。でも、少し前ならこの時期では考えられないほどの高温なのだから、気持ちが悪い。

 仕事を後回しにしながら午前中を過ごす。昼には平泉まで出かけて蕎麦を食べ、スポーツ用品店に寄って帰ってきた。15時頃から2時間ほど昼寝をし、目覚めてから翌日の会議の資料作りを進めた。終わると20時を過ぎていた。

6月 1日 土曜日

 実家から7時半に出て仕事先まで向かった。朝は晴れ。昼には雨が降ったが、終わった16時頃には快晴になっていた。日中は室内にいたので天気のことは問題ではなかった。昨日今日と何百キロ走ったろうか。ドライブには絶好の日和だった。

 失敗やミスを生かすとはよく言うけれど、生かすことのイメージが沸かない人も多いだろう。失敗の原因は人間の根幹に関わるものなので、すっかり生まれ変わることでしか止めることはできない。根っこが残っているうちは何度も繰り返してしまうのだ。だから、失敗の場面だけ切り取って付け替えると言う意識ではなく、自分の生活全体、いわば生き方全体を無から創り出すつもりで見直さなければならない。

 まるで石を一から積み上げていくようなものだ。失敗の数だけ人は生まれ変わり、新しい自分として生きることができるはずなのだ。しかし、誤魔化してばかりいるとせっかくの機会を逃してしまって、また同じ失敗を繰り返してしまう。生かせる人にとっては失敗は未来を開く鍵とでも呼べるものになるが、そうでない人にとっては、それが自分の身体に染み付いた悪業となり、苦しみの種となってしまうのだ。