2019年5  May 2019

5月31日 金曜日

 いつもより1時間ほど早く出て職場近くの建物まで行った。健康診断の開始まで30分はあったが、すでに7、8人が外で待っていた。列の後ろに並ぶと清涼な空気を引き裂く声が耳に入った。おかげでいま自分がおかれたたいへんな状況のたいへんである所以を再確認することができた。毎度のことだが、血圧測定は何度も測り直した末にようやく「去年並みになりました」と言われるまでに下がった。採血ではきまって「具合悪くなったことないですか」と聞かれる。今回も「あります」というと、検査員が少し慌てて「去年ですか」と聞くから、「ずっと前のことです」と答えた。問診では医師が聴診器を胸と背中に当てて、「まったく問題ありません」とやけに自信をもって言い、それだけだった。

 年休を取っていたので、職場には行かずに帰宅。組合の定期大会に参加するため、着替えて車で盛岡に向かった。1年ぶりの盛岡では昼食休憩の時に岩手公園周辺を歩いた。元同僚と偶然会ったので、終了後に立ち話をし、その後川徳で少し買い物して実家に向かった。その間に仕事の電話が2件入り対応を迫られた。

5月30日 木曜日

 いろいろと困ったことがあるものだと、各方面からの苦情を聞いて半ば呆れながらも、仕方がないと腰を上げた。悩みは悩みとして持ちかけるのが最良と考え、自分なりには伝達の仕方を工夫したつもりだ。相手の理解を得ることと、相手の行動を変えることは別物だが、少なくとも相手の思考を開くことなしに行動を変えることには意味がない。そして、即効的に行動の変化を求めることよりも大切なのは、思考を広げ深めることのほうだ。様々な立場の人たちがいるから、それぞれに折り合いをつけなければならない。ただ、自分の考えの「正しさ」ばかり主張する人などもいて、いろいろと困ったことがあるものだと、いつもそこに戻ってきてしまうのは情けない。

5月29日 水曜日

 胃がん検診のために早朝に家を出た。バリウムを飲んで、台に乗せられて、回転させられた。途中で目が回り、少々気分が悪くなった。その後は下剤を飲んでバリウムの排出を促すわけだが、一日中腹具合が悪くて嫌だった。午後からは出張だったので、心配だったが、無事済んだのでよかった。本来ならば健診のための休みが保障されるべきなのだろう。健康診断の後に通常の業務を行わなければならないこのスタイルはどうなのだろうと疑問に思うが、文句を言っても始まらない。

5月28日 火曜日

 防ぎようのない事件が起こる。どの立場の人も真摯に自分の仕事を続けてきた。何事も起きないであろうことを、当然のように信じきっていた人々を、それが自分だったらと想像すれば、油断していたというにはあまりにも気の毒だ。それなら、何事かが起きるであろうと信じるとすれば、それが自分の身に降りかかったとしても平気でいられるだろうか。覚悟を決めることと、それが回避できることとは違う。いつどのような形でかはわからないけれど、避けることができないことなのだ。

5月27日 月曜日

 季節外れの暑さが続いた。これだけの異常事態だというのに我々には為す術がない。8月だと思えばないことではないので、納得しながら慎ましく生活することはできる。しかし、具体的な改善策を講じるとか、民衆が徒党と組んで訴えるとか、目に見える動きを取ることができない。茹で蛙。亡びの序章を目の当たりに、せめて自分らしい死に方を考えたい。

5月26日 日曜日

 真夏のような日になった。実家からの出発だったので、幾分余裕を持って出ることができた。仕事は13時には終わった。毎週のように似たような仕事がある。その際に浮かんだことを幾つか伝えようとするが、満足に伝わっている実感が持てることはまずない。聞く耳を持たないのか、自分の説得力がないのか。どうしても自分の力のなさに原因を求めてしまうのだが、果たしてそれだけだろうか。

 途中の産直で野菜を買い、ゆっくりと運転して帰宅した。その後、風呂に入り、洗濯をし、涼しい格好でパソコンに向かった。ようやく5月の日記が終わりに近づいてきた。これから明日の準備をして、今日は早めに寝よう。

5月25日 土曜日

 朝から暑くなった。日中は仕事を進めようとしたがほとんど進まぬうちに、だらだらと過ごした。近くの小学校の運動会が行われており、子供達がアナウンスする競技の実況が絶え間なく聞こえてきた。13時前には聞こえなくなったから、運動会も終わったのだろう。昼飯を食べに外に出たら、保護者が駐車場に向かってぞろぞろと歩いているのに遭遇した。一緒に弁当を食べたりはしないのだろうか。夕方には車の点検のために北上まで行き、店内で新聞などを読んで過ごした。夜には翌日の仕事に備えて実家に泊まった。

5月24日 金曜日

 なぜ自分が様々な人間の間に入って調整役を努めなければならないのか。以前からそういう役回りは確かに多いのだが、自分である必要はない。これはひとつところに長くいることの功罪と言っていい。職業の本質からずれたところで魂をすり減らすようなことはしないとすでに先月決めた。できることをできる人ができる範囲で行う。どんな時でもチームでできることはそれだけだ。出張が多かったため、職場の部屋ががらんとしていた。職員の数が足りない状況で何をどこまで引き上げろというのか。やり場のない怒りばかりの日々。

5月23日 木曜日

 急な依頼があって少し慌てたが、昼が過ぎて取り消しになった。午前中いっぱいそのことで気持ちがそわそわして、何をどうしたものやら思いを巡らしていたのだが、キャンセルとなった途端に胸をなでおろし、また近々に同じことが訪れるとわかっていながらも、顔の筋肉が自然に緩む。一件の事案に対してでもそれくらい気をつかう。木乃伊取りが木乃伊になる気分がわかる気がする。夕方には会議。効率だけで行こうとすればどんどん端折れることはある。しかし、効率ではどうしても片付けることができない部分もある。一律に時短の概念を持ち出すのはどうか。

5月22日 水曜日

 1時間の会議では何も話し合うことはできない。何も話し合わなくて良いから時間がかからない方法で終わらせてしまいたいという意図が透けて見える。それだったらそもそも行う必要がないのだが、そういう判断は誰もしないのである。わけのわからないことが多いので、上にしっかりと話を通し、逐一確認せざるをえない。本当はそれくらい自分の一存で決めたいが、どうしてもわからない。何が一体正しいのか、もっとも良い方法は何なのか。価値観の多様化といえば聞こえはいいが、単に勝手にやりたいだけ、自分の手を患わせたくないだけだろ、と思われる事案が毎日。

5月21日 火曜日

 休み明けは強い雨。朝から夕方まで久しく遠ざかっていた業務。こちらは何の気負いもなく抵抗もなく淡々とこなすのみだったが、細かいところまでの打ち合わせは疲れるので誰もが望まないところなのだろうが、仕方ない。担当が出張だったためこちらで進行したが、それも人によっては不満の種であるのだろう。

5月20日 月曜日

 風が強くて雲も多くなった。日本海側は晴れそうだという予報を確かめて、朝一番に金融機関で必要な手続きを済ませてから西に進路をとった。この夏用の蕎麦を調達する名目で山形に出かけた。そしてついでに肉そばを食べて来ようと思った。河北町にある製麺所の蕎麦がうまくて、行った時に何度か買って帰るようになった。庄内の魅力もさることながら、この近辺の農業文化も面白いと思うようになった。車で2、3時間のところだが、まるで欧州の隣国にでも行くような気分で出かけるのである。案の定向こう側の天気は終始晴れで、風は強かったものの良い気分転換になった。

 高い山懐に囲まれながらも広くなだらかに台地は続き、蕎麦にしろサクランボにしろ米にしろ作付けの規模が大きい。そして、いたるところに小さな祠や社があることから人々の神仏を大切にする心が垣間見え、文化の奥深さを感じるのである。今回はとんぼ返りで16時過ぎには家に戻った。日帰りでもいいが、本当は一泊できると嬉しい。岩手県南に住む地の利を生かし、あとどのくらい通えるだろうか。今度は庄内か置賜かと、また次の山形行きを画策している。

5月19日 日曜日

 休日。相変わらずの好天。風が少し強かった。洗濯と掃除。日記を思い出し思い出し書き込む。大したことは残っていない。大したことをしていなかったためだ。午後から水沢に出かけた。蕎麦屋で昼食を取り、斎藤實記念館を見学し、産直で野菜などを買って帰った。夕方疲れが出て、二時間ばかり昼寝した。

5月18日 土曜日

 一日中外で過ごす。好天だったためか、全体的に穏やかな気持ちで日程を消化することができた。次に生かせることは様々あるだろうが、とりあえず今は考えない。夜には宴があり、生ビールを美味しく飲むことができた。なんだか面白い話で笑ったが、それらは大概がくだらない話で、自分の思うような本当の飲み会というものはもう存在しないということを感じた。

5月17日 金曜日

 段取り良く準備が進んだ。こちらができるところは惜しまず済ませておき、そのあとで任せるところはすっかり任せるようにした。不要の諍いは避けるようにした。つまらないことで神経をすり減らしたくなかった。今年度に入ってからは、自分の心の持ちようを考えて、あまり悩まないことを最優先して働いている。悩むことは確かにかつての美徳だが、美徳と言ってその悩みの中に没頭していては済まされない。それほど複雑な関係どうしを取りもち、かつ、とり回さなければならないためだ。

5月16日 木曜日

 7時過ぎに職場に出るとまだ誰も来ていなかった。自分ではこの日がもっとも大切な局面と考えていたので、朝から緊張感をもっていた。誰も来ないうちに必要な準備を調え、準備万端で1日を迎えることができた。この心の動きはこれまでの経験で身につけてきたことなのだが、今の職場なのか今の時代なのか、他の人にとってみればもう古いこと、に映るのかもしれない。

5月15日 水曜日

 五月病というほど病んでいるつもりはないけれど、他人と比較された場合に、見方によっては心配されることがあるだろうか。何も心配していないのだけれど、周囲と隔てられた壁の高さには目がくらむようだ。この三日間はできるだけ早く帰り、したいことをしようと思うのだが、あっという間に眠さに耐えられなくなって困る。

5月14日 火曜日

 何も考えずに言われたままの仕事をこなす人間だったら、一兵卒としては優秀ということになるのだろう。お国のために喜んで死んでいったと称えられるのかもしれない。どの人も幹部になるというわけではないけれども、自分の頭で考える人間を目指さなければ意味がない。

5月13日 月曜日

 今週末のイベントの準備が今週の主な仕事となった。あまり乗り気でないので、自分の分担のところだけは迷惑をかけないように進めながら、周囲があれこれ動き回っているのを観察している。時間の少なさからなのか、これまでやっていた細かなところをいくつも端折っているようにみえる。それでも特に問題にならないが、実は問題にならないこと自体が問題だと思う。

5月12日 日曜日

 8時頃に出発して石巻市雄勝町へ向かった。北上川沿いの道を車でゆっくりと進むと、新緑と藤の花とツツジが目に鮮やかだった。今が一番いい季節かもしれない、そして、北上川沿いの風景は美しいと思いながら運転した。

 雄勝町は津波のためにほとんどの建物が流されてしまったのだという。プレハブで築かれた商店街で、雄勝町名産の硯の展示を見て、観光のための施設を見て、さらに道を進むと人だかりがあった。葉山神社のお祭りで、12年ぶりに御神体が開帳されているとのことだった。神社の境内には多くの屋台が軒を連ねており、神楽が奉納されていた。舞台の横の本殿は津波の後に再建されたということで、白木がまだ新しかった。神楽を二つほど見てから、本殿に入って御神体である像を拝見した。

 その後半島の道を進むと、モリウミアスという施設があった。たまたま通りかかったアメリカ人の女性に幾つか話を聞いた。かつての小学校の廃校跡を改造した建物で、海外からやってきたボランティアの方々が滞在しており、芸術などの創作の拠点となっている。また、合宿所のような使われ方もしていて、団体等での利用も行われているそうだ。片言ながら久しぶりに英語で会話できたことが嬉しかった。

 大川小学校跡地に立ち寄った。この事件に関してこれまで抱いていた印象が、着いた時、車から降りた時、看板や説明を読んだ時、管理をしている方の姿を見た時と、何度も塗り替えられた。この職における責任ということを考えさせられ、気持ちが重くなった。

5月11日 土曜日

 朝から晩まで仕事に命を捧げる土曜日。日中は気仙沼まで移動して1日。職場に戻ってからほどなくして夜の宴。

5月10日 金曜日

 来週かと思っていたことが突如目の前に迫る。それほど気に病むことなく終える。

5月 9日 木曜日

 何をするわけでもなく1日が過ぎていった。何も思い出せない。

5月 8日 水曜日

 胃壁が荒れているような感覚。神経を磨り減らさないように気をつけよう。

5月 7日 火曜日

 前日の憂いもどうということはなかった。今日は通常業務はなく、午前中3時間の行事を見守り、そのあとは場所を変えての研修だった。会場は自宅から至近であり、内容もほとんど空疎なもので、そのため気楽に休み明けの1日を過ごすことができた。

5月 6日 月曜日

 またとない10連休のうち4日間は仕事だった。これは休めた方だろう。天気が良かった上に、あちこちを訪問することができた。4月に始まった年度の業務が、この連休を含めた幾つもの要因で非効率なものになっていることには改めて気づかされているが。これは今に始まったことではなく、自分の見え方が異なってきたということか。

 この日はゆっくりと農道を南下して、午前のうちに一関に戻った。

5月 5日 日曜日

 盛岡での仕事のために実家から出た。気持ちの良い晴天。色とりどりの花々。ところどころ田んぼには水が入れられて、鏡のように周りの山々を映し出している。美しい季節。夕方にはまた実家に戻り、三日連続で花巻の温泉に母を連れて行った。明日の仕事の予定が消えたので、ようやく気持ちが解放された気がした。

5月 4日 土曜日

 あまりにきれいな晴れの日なので、家の中にはいたくなかった。部屋の片付けを少ししてから、早池峰山に向かった。神楽の伝承館を見学し、大迫の町を散歩した。山頂の展望台から町を見下ろした。

 それから進路を西に取り、今度は花巻農業高校の敷地内にある、羅須地人協会に入った。建物がここにあるのは知っていたが、中に入るのは初めてだった。ついこの間まで、高校の見学許可が必要だということを聞き、入るのをためらっていたのだ。

5月 3日 金曜日

 修理に頼んでいた鞄をコンビニまで取りに行った。不要なものを束ねたり袋に入れたりして片付けた。昼にはパンを食べ、少し落ち着いたところで家を出た。実家に3日くらい滞在し、その間に古い書物を片付けるつもりだった。北上川沿いの東側の道。川を遡るようにして花巻まで向かった。久しぶりの道を2時間半くらいかけた。その間、命のことなどを考えていた。

5月 2日 木曜日

 酒田のいつもの朝食場所は、いつもとは違って長い行列ができていた。二階の店まで階段下から列が続いていた。昨夜に続いて海鮮の定食を食べた後、徒歩で、山居倉庫。さらにそこから土門拳まで。距離は長かったが、これ以上ない晴れの天気のおかげでどこまでも歩けそうに思った。昭和の子供達や人々の特集。田沼武能の作品と一緒の展示は、これまでで一番見応えがあった。新庄、山形、仙台と経由して一ノ関に戻った。母との電話で父方の叔母が亡くなったことを知った。

5月 1日 水曜日

 5月になった。メディアの騒ぎ方を除けば、世の中は昨日までとなんら変わりない。6時台の列車で一人旅に出る。JRは嫌いだから最低限にして、路線バスを程よく使っての一泊二日。横手から秋田を回って、夕刻には本荘に着いた。そこでこの日初めてのコーヒーを飲もうと、駅前の喫茶店に入った。その店の入り口やメニューには次のような言葉が掲げられていた。

 「カメラ等撮影機、パソコン、携帯電話そしてスマホ、タブレットは、起こさないで、鞄や、ポケットの中で眠らせたままにしてください。」

 透明感のあるコーヒーを美味しく飲むことができた。最後の一滴まで五臓六腑に染み渡るような感覚だった。このような店との出会いが実にありがたかった。喫茶店とはこのようなものであってほしい。