2011年4月

■とにかく/Saturday,30,April,2011

 とにかくよくわからない世界に足を突っ込んでしまったから、その世界をまずは知らなければ話にならない。というわけで、昨日に引き続き一日の予定を消化した。これまで同じような環境に囲まれていた時期が長かったから、ある一定の問題についてはかなり考えさせられてきた。そして自分の立ち位置を拓いてもきたのである。だからなのかどうか、今のところは苦痛はないし、むしろ今までのことを考えると非常に楽でさえある。

■この三連休は/Friday,29,April,2011

 この三連休は仕事に捧げた。朝はほぼ通常通りに出て、一日中外に出ていた。天気はよかったが風が強く、厚着をしてきてよかった。空いている時間に電話をした。我慢という感じもしなかったが、それがこれからの嵐の前の静けさなのか、それとも嵐の後だからこれで済んでいるのか、よくわからない。

■一昨日に/Thursday,28,April,2011

 一昨日に明らかになった件についてはほぼ収束した。あと一軒電話連絡すれば終了である。それは明日の空いた時間にやろう。4月ももう終わりである。ちょっと疲れた感じがする。

■マグライトという/Wednesday,27,April,2011

 マグライトという懐中電灯が停電の時に切れてそのままになっていた。インターネットで調べたら、本体の内部に替えの電球が入っていることがわかり、分解してみたらほんとうにあった。それで付け替えたらちゃんと点灯したので安心した。実に合理的な精神が製品に反映されているものだと感心した。 

■電話がかかってきて/Tuesday,26,April,2011

 電話がかかってきて、それにかかりっきりになった。一つの問題について複数で当たるのが常識だったが、ここではそうでもないようで、方針をはっきりとさせたら後は担当者の責任で最後まで処理するという方法らしい。実にビジネスライクというか、あっさりしているというか。それほどの負担感もないけれど、組織としてはどうなのかという気もする。読んでいる人にとってはわけのわからない話だろう。あくまでも備忘のためということで記入しておく。

■ようやく/Monday,25,April,2011

 ようやくインターネットの環境が整った。きょうは早めに帰宅できたので、電話を設置したり、パソコンを設定したりした。約一か月離れていたために、気軽に調べる習慣は消えてしまった。ネットさえあればという場面が幾度もあったが、それも通り越したら感覚を忘れてしまったようだ。これからはまた以前と同様にネットを扱えるようになるだろうか。

■休みの日には/Sunday,24,April,2011

 休みの日にはどこかへ出かけるのが常習となっていたから、何もしないで部屋で黙っている時間というのはまだ慣れていない。こういう時間で何かを読んだり書いたりすればいいのである。それから、翌週の準備などに充てればよいのである。

 それにしても、道の渋滞や商店の少なさなどをみると、休日にここの人たちはどこに遊びに行くのだろうと思う。パチンコ屋が近所に多いが、なるほど暇にまかせてパチンコなどに行く人も多いのだろうか。そんなのもどうかと思うけれどもな。

■朝から雨/Saturday,23,April,2011 

 朝から雨。午後になって風も強まり、荒れ模様の一日となった。この土日に何をしたか、あまり記憶がない。たしか午前中には床屋に行った。昼には、街中の蕎麦屋でうまい天婦羅蕎麦を食べた。午後には町の書店や産直に買い物に行った。そんなところだったか。とにかく一日中眠い感じだった。

 のだめの映画というのが二週に渡って放送されていて、それがなかなかおもしろかった。話題になっていることは知っていたが、それ以上のことは知らなかった。誰が出ているか、どんな話か、まったく知らなかったのだが。

■さまざまなとことで/Friday,22,April,2011

 さまざまなところで聞くのはやはり震災の話である。メディアに接すれば否応なく目や耳に飛び込んでくるわけで、一種のPTSDのような症状になっていると言えるかもしれない。あの日以来黒い雲が心に立ちこめていて、その雲の厚さは1年や2年ではけして晴れそうもない。おそらくいま生きている人にとっては一生つきまとうものであろう。避けているわけではないし、善人ぶるようなつもりもない。ただ、どのように考えれば良いのか、自分自身正直な話未だによくわからない。

■この時期には/Thursday,21,April,2011

 この時期にはだいたい毎年のように地域を知る活動をするものである。今年の場合は転勤したので見る物すべてが新しい。新しいが、どこか前にも見たような既視感がどこに行ってもつきまとう。15年以上前に赴任した土地と似たようなところがある。風景だけでなく、人間についても、学ぶべきところが大きいのではないかと期待している。

■地域を知ることが/Wednesday,20,April,2011

 地域を知ることが第一歩である。しかし、その一歩を踏み出すのに半月以上もかかってしまった。きょうから数日かけて、この地域をぐるっと一周することになるのだが、それだけではもちろん不十分である。できれば道路地図をまんべんなく塗りつぶしながら、何年になるかわからないけれど誰よりもよく走り回ったと言えるようになりたい。

■思い返せば/Tuesday,19,April,2011 

 思い返せば長い4月である。この一週間は、午後に特別な日程が組んであったために、意外と楽な感じがする一週間だった。季節も良くなってきたから、外に出るのも楽しいし、ましてや新しい土地を散策できるとあっては、いいことずくめである。と、非常に前向きな気分でできていることには、感謝しなければならないだろう。

■朝には再び/Monday,18,April,2011

 朝には再び荷物の片付けをするために盛岡へ。14時過ぎまで片付けで手一杯だったので、昼食すら食べることができなかった。引っ越しを侮っていたという声を何度か聞いたが、その通りだと自分も思った。銀行に寄って、新しい口座を開設した。書類を書いている時に、中学時代の呼び名で呼ばれ驚いた。顔を上げると中学の仲間が居た。名刺を貰った。見ると銀行の要職だった。小父さんになっていたがすぐにわかった。懐かしかった。

 盛岡にもたまに行くと気分転換ができるとは思う。だけど、これから先それほど頻繁にも行けないだろう。特に行く必然性もない。拠点という意識がそもそもないので、将来はどこでどのように落ち着けばいいのか、わからない。この4月でますますわからなくなった。とはいえすぐに解決できる問題ではないから、頭の片隅において考え続けよう。

■この連休を/Sunday,17,April,2011

 この連休を利用して、片付けや諸手続きなどを行うことにした。午前中はのんびりと過ごしたことは覚えているが、何をしたのかは記憶にない。午後から高速道路で盛岡に向かう。街に遊びに来ていた母と合流し、部屋の物を少しだけ車に積んで、実家に向かった。いつもの温泉に連れて行き、これもいつもの焼肉屋で冷麺などを食べて帰った。

■土曜日ながら/Saturday,16,April,2011

 土曜日ながら、きょうは通常通りの仕事であった。朝の時間の使い方がわりとうまくいったので、今週は様々な準備が朝のうちにできる日が多かった。長い一週間とはいえ、終わってしまえばあっという間である。さすがに疲れもたまる頃で、夜になると何がどうなっているのかわからないということもしばしばである。

■職場と住居との/Friday,15,April,2011

 職場と住居との往復で一日が終わり、一週間が終わってしまう。それにネットで情報を得るということができないので、隔絶されてしまっているような気になる。ラジオは聞いているし、新聞も一通りは目を通すのだが、ネット環境がないことで社会との繋がりが感じられなくなっている。

 それは、これまでとは違う場所にいることも大きな理由かもしれない。だいたい、この町がどこなのか自分の中に地図ができていない。職場とか、住居とか、実家とか、関わりを持っている土地を挙げると6つか7つになる。いま自分がそれらの土地のどこにいるのか、わからなくなるときがある。

■その次の/Thursday,14,April,2011

 その次の変化といえば、家事についてだろう。共同生活となったので、毎食の炊事を気にする必要が出てきた。一人でならば何をどう食べたって問題なかったのだが、何を食べるかというのがこれほどの大問題になるのかと驚いている。それから洗濯に関しても毎日はできないのでしばらくは気持ちが悪かった。これも慣れてくれば当たり前になるのだろう。

■いちばん/Wednesday,13,April,2011

 いちばん変化したことは何かと言えば、通勤距離が遠くなったこと。片道40分もかかる通勤は勤め始めてから最長だ。これまでは最大でも15分もあれば職場に着いた。あ、書いているうちに気づいたが、あの国での三年間を除いての話である。

■記録がないと/Tuesday,12,April,2011

 記録がないと、事実までないことになってしまう、というのはありがちなことだけれど、今月についていえば、生活は変化したが違和感はそれほど感じていないというのが、本震に近い感情だとは言えると思う。新しい職場も、新しい生活環境も、予想していたよりも居心地がよい。よくないこともあまり多くなく、嫌な気分を背負って出かけたり、帰ってきたりということもない。これについては、感謝すべきだろう。

■白状するけれど/Monday,11,April,2011

 白状するけれど、4月は日記をほとんど書いていなかったので、このページにある文章の3分の1は黄金週間の終盤に思い出しながら書いている。1か月も書かないでいると忘れるし、特に平日など、ほかの何を見ても大して思い出すことができない。転勤があって、一人暮らしに別れを告げ、共同生活が始まって、違和感や新鮮な感動を日々感じていてもおかしくない状況ではある。それにも関わらず、記録を残さないでいると、記憶まで摩滅してしまうのか。それともそれほど感じないのか。

■朝から/Sunday,10,April,2011

 朝から気持ちよい晴れ。近所を車で走って回った。少し走ると田舎の風景が広がっている。一週間程度では何もわからない。だが、わかってきたのは、田舎だということだ。風景や生活環境が田舎であることは好ましい。その中で洗練された生き方をしている人を僕は好ましく感じる。そういう人にたくさん出会えたら楽しいだろう。

■早朝から/Saturday,9,April,2011

 早朝から部屋の片づけ。車に物を積み込むために、何度もエレベータや階段を往復した。午前のうちに一度実家まで運び、また戻った。昼はコンビニの弁当で済ませた。午後には運送会社が来て、冷蔵庫などを運んで行った。実家に少し寄ってから、アパートに戻った。

■停電ではあったが/Friday,8,April,2011 

 停電ではあったが、普通どおりに出勤した。弁当を用意しなかったので、途中のコンビニに寄った。だが、停電だったから暗かった。中には行列ができていたが、パンやおにぎりなどの食料はすでに売り切れ。やむなく固形の補助食品をいくつか買った。職場では建物の点検などをした。一日いっぱいの予定が短縮となり、午前中で仕事が終わった。13時には帰宅の許可が出たので、すぐに職場を出た。
 家に戻ったが電気はまだついていなかった。先週まで住んでいた住居にはまだ物がたくさんあった。それを片づけるために、車で北へ向かった。高速道路は途中まで通行止めで、国道を30分以上北上してからようやく上がった。サービスエリアでガソリンスタンドの列に並んだが、一向に列が進まず、気がつくと1時間が過ぎていた。部屋に戻ると片づけをして汗をかいた。夕食は蕎麦を茹でて食べた。

■夜に大きな/Thursday,7,April,2011 

 夜に大きな地震があって飛び起きた。今まで経験した中でいちばん強い揺れだった。このまま家が崩れて下敷きになって死ぬかも知れないと思った。冗談じゃないと思った。
 気がつくと電気が消えていた。水道は出たけれど、懐中電灯が見つからず、しばらく探した。この夜はなかなか眠れぬままに朝を迎えた。

■儀式を控えて/Wednesday,6,April,2011

 儀式を控えてポカッと空いたような日。することがないわけではないが、それほど完璧に準備をするというわけでもなく。大切なのは顔を見てそれに合わせた言葉を発するということである。というわけで、準備のうち念入りに行いたいは、口や目の回りの筋肉のマッサージである。

■新しい出会いの/Tuesday,5,April,2011

 新しい出会いの日となった。職場にも住まいにも慣れていないので、どうも自分の動きがぎこちない。それでも何とかなるという思いは強い。だいたい仕事なのだから、何ともできないわけがない。大上段に構えるわけでもなく、遠慮ばかりするわけでもなく、できることをできる範囲で誠意をもって行う。それだけでよいのではないかと思う。

■実質新しい職場での/Monday,4,April,2011

 実質新しい職場での一週目。それほど気負わずにできることのみをする。所変わればすべてが変わるのは当然なので、何を見ても新鮮だが驚きは少ない。これまでの経験と比較しての、似ている似ていないというのが、専らの判断基準となっている。震災後を考えねばならないが、自分達の生活を軌道に乗せることがまずは最優先である。 

■朝から/Sunday,3,April,2011

 朝から引っ越しの手伝い。アパートを空にして、床を隅から隅まで拭き掃除した。このアパートにも僕には僕なりの思い出がある。できればずっと忘れずにいたいものである。
 11時過ぎには北の町を後にして、南に向かう。途中の狭いサービスエリアで熱い蕎麦を食べた。高速道路を下りてから、不動産屋までの道で渋滞に巻き込まれた。ガソリンスタンドへの列もあったがそれだけではなかった。鍵をもらってアパートにたどりついたのが15時前。まだトラックは着いていなかった。トラックが着くと荷物が次々と運び込まれた。どこに何を置けば良いのかわからなかったので、余計に乱雑になった。

■寝ている間にも/Saturday,2,April,2011

 寝ている間にもかなり強い地震がある。ほとんど毎日のように余震が続く。これが余震ならよいけれども、新たな大地震の引き金になるのではないかと思うと恐ろしい。
 朝の温泉はゆっくりできて悪くなかった。昨夜は風呂場が混んでいて、まるで芋を洗うような状態だったから。ただ、食事は昨夜も今朝もあまりよいとはいえなかった。
 早めに宿を出て高速に乗り、北上する。一気に県南の内陸部から県北の沿岸部まで飛ばす。これだけの距離の異動はあまりないだろう。そして、これだけ慌ただしい年度末年度始はもうないだろう。この慌ただしさを、他の人々はどのようにみているだろうか。

 この日は昼にうどんを食べ、夜にはいつも通っていた寿司屋で食べた。部屋の中は混乱しているので、僕だけ宿を取った。
 津波の爪痕をみておかなければいけないと思い、沿岸の国道を走っていった。すると、ほんとうに見るも無残な姿があった。浜の町が、延々と続くがれきの山になっていた。言葉にならなかった。

■ホテルからの/Friday,1,April,2011

 ホテルからの出勤。ちょうど40分。霧がかかっていたのでフォグランプを点けた。峠道の上の方では霧が晴れ、青空がのぞいた。峠を下りるとまた霧に包まれた。
 会議やデスクワークをした。その合間に外にあいさつ回りに出たりした。長い長い一日。何が大変だったかというと、長距離の車通勤のためか、深いソファに腰掛けたためか、腰が痛くなったこと。そして、昨日までの疲れか朝が早かったためか、会議中眠かったことである。

   
       かん