2011年2月

■もう月末/Monday,28,February,2011

 もう月末。きょう辺りがおそらくは大きな山場だろう。その結果できなければできないで結果を受け入れるしかない。皆の協力でここまでやってきた。この勢いのままゴールラインを突破する。

 昨年の今頃とは立場が違う。どちらの気持ちもわかる。双方がどんなことを感じているか、何となくわかる。その対比がおもしろい。伝わるおもしろさ。伝わらない不思議さ。どちらもある。

■どこも少し寂しい感じ/Sunday,27,February,2011

 午前中、大家である叔母が部屋の工事の跡を見に来た。まだ途中だが、この工事とは別に水道管の工事もしなければならないらしい。築30年ほど経ってあちこち不具合が出ているようだ。建築物というのはそんなに早く老朽化してしまうものなのか。

 天気もいいし、気分転換を兼ねて車で出かけた。高速で南に進路を取った。田舎の町をいくつか巡った。平成の大合併によって肥大化した自治体は広過ぎて、郊外に出ると交通手段は車しかない。合併の前後で比べると、合併してから不便になったところのほうが多いのではないだろうか。メリットがあるのは自治体で、住民サービスは合理化され、今まであったものが廃止されてしまう。その最たるものは学校だろう。学校の有無やその規模は地域の元気のバロメータになる。そういう意味では悪くない集落がいくつもあると思った。ただもう夕方だったこともあり、どこも少し寂しい感じがした。 

■氷山の一角/Saturday,26,February,2011

 いつもどおりの朝を過ごしたが、しばらくすると眠気が襲い、三時間も昼寝をしてしまった。夕方からはとある宴があったので、その時間までと思い、持ち帰った仕事をした。やるべきことを済ませて、着替えて、出かけた。終わって戻り、ネットで遊んでいたら夜が更けた。

 アルジャジーラの英語は聞きやすい。しかも、リアルタイムでかなり高画質の放送が見られる。それにしても、アフリカの民主化の勢いは止まらない。それを封じ込めようとする独裁者は、もはや最後の悪あがきにしか見えない。それにしても、国民に武器を配布して徹底抗戦を促すなんて、誰のための国なのか。人民の人民による人民のための政治って当然のことと思っていたけれど、実は難しい。これは日本も然り。日本ではこれだけネットが普及しているのだから、そろそろ大規模デモなど具体的な行動が始まってもよさそうなものである。デモには何度か参加したことがある。政治を変えるためならいつでも参加する用意はあるよ。怒りを抱え込むにも限界があるから。

 ところで、大学入試中に携帯電話から試験問題の答えを尋ねる投稿があったのだそうだ。京都大学の二次試験だって。そういう狡をして大学に入ろうと考える人が、京大の受験生にもいるのか。腹が立つというか、がっかりというか。その程度までしか育てられなかったその人の周囲の教育環境が特別に劣悪だったわけではあるまい。京大の受験生でさえそうなのだから、ましてや他の全国の受験生ならなおさらである。何、同志社でも、立教でもだって。氷山の一角だね。

 だが、まじめに受験した人が聞いたらどう思うだろう。逮捕しろ、死刑にしろと言いたくなるかもしれない。刑事責任が問われるのか知らないけれど、心情としては僕も同じように考えたくなる。一度でもやってしまったらおしまいだよ。入試を何だと思っているのだろう。大学は徹底的に調査し、アドレスから受験者を特定し、実名まで公表してほしい。そして、「厳正な対処」は当然だが、他の大学への出願も一切認めないように連携してほしい。中途半端な対応だと、今後も後を絶たず行われる危険がある。社会がそんなに甘いものではないことを、これからの人々に思い知らせてやりたいものである。

■どうにも腹立たしい/Friday,25,February,2011

 朝四時前から宿題をした。三時間かけて文書を作った。昨日の怒りや苛立ちが、深い眠りによって前向きの言葉達に昇華した。いつもそうだが、読んでくれさえすればすべてわかってくれるという自信をもって出した。しかしその内容は、半年前には既に意図して伝えてきたはずのことばかりだった。

 伝えたはずのことが伝わっていない場合、伝え方が悪かったと反省するのが良い。その考えでやってきているのだが、そうでない場合も多々ある。強硬な攻めが必要になることもあるし、伝わる環境づくりに心を砕かなければならないこともある。いくら内容が上等のものであっても、それを理解できる土壌がなければ、種を植えても腐らせるばかりである。いくらがんばって植えても、全部が枯れてしまうということもある。哲学が根っこであることは言うまでもないが、哲学だけでは実は結ばない。水も肥料も日光も必要だし、寒暖の変化もなくてはならない。植えれば自然に育つような肥沃な土地ではなくなってきた。手入れを怠ってきた所為で、国中の土地が痩せてきた。そんなことを嫌というほど思い知らされる年である。

 それにしても時間が足りない。おそらく日々無駄な事ばかりが多い。時間が有限であることを、自覚できていない人が多いのかもしれぬ。つまり、生きる上での哲学が欠如している。根無し草である。循環の中に自分を置いていないということかもしれぬ。何だこの堂々巡りの文章は。どうにも腹立たしい。

■すべてはこちらのありよう/Thursday,24,February,2011

 前もってある程度わかっていたことではあったが、実際に目の当たりにするとその迫力に圧倒された。皆が本気で取り組むとここまで素晴らしいものができる。間違いなくここ三年間で最も感動的な場面だった。正直なところ、これまでのことを思うと涙が溢れてきてしかたなかった。テーマは感謝だった。貫かれていた。感謝というのは一方通行ではあり得なくて、互いが互いをありがたいと感じ、それを表現し合うことで成立するものだ。お互い様。ギヴアンドテイクという英語はちょっとしっくり来ないけれど、同じようなものか。でもきっと違う。どこを切り取っても日本の文化そのものだと思った。

 与えるものと与えられるものが共存する。互いに高め合い、高まり合う。そしてこれからも高まっていく。美しい現実をみた思いがした。それと同時に、互いの関係は、どちらかがどちらかより先に去り、したがってどちらかがどちらかの後に残される宿命にある。この現実が、目の前にガーンと迫ってきた。かれらはまもなく去り、また新しい人たちがこの場所を埋めることになる。流れていくようでもあるし、局面によって劇的にがらっと変わるようでもある。とにかく社会は人の出入りとともに移り変わりながら続いていく。きょうは涙を流したがこれが最後だ。来月はけして泣かないだろう。

 ここまでの変化をもたらした思想と技術と連携を非常に羨ましく思った。なぜこれまでできなかったものが、ここでできたのか。そこにどのようにか、自分が絡むことが果たしてできていただろうか。誇らしい気持ちを覚える。しかし、自分は何もしてこなかったではないか。

 見えない壁の向こう側は何もわからない。言葉を交わせど、気持ちは通じない。だが、見えない壁があると思うのは、自分自身の心の中に壁があるということではないのか。気持ちは通じないというのは、自分自身が本当の言葉を発していないということではないのか。

 昨年のことをいくつか話されて、悔しい気持ちが湧いた。窓ガラスに大きな石でもぶつけて壊したくなるような衝動に駆られた。自分の軌範には去年のことがある。今年に合わせて大幅に変えているけれど、基本的にはそれに倣ってやってきたことばかりである。昨年問題なく通り過ぎたことに、今年はいちいち引っかかる。思うようには回らない。言われてもうまくさせられない。できるように伝えられない。必然を感じ取らせることができない。それでもどかしい思いが膨らんでくる。

 単に否定されたという思いではない。何をしてきたのだろうか。何が足りなかったのだろうか。間違いを犯していたのだろうか。間違っているのだろうか。今との違いは何だろうか。けして対象の質の問題でないことは確かだ。すべてはこちらのありように関わる問題。

 大きな酒宴があった。何を話したのか覚えていない。ちゃぶ台をひっくり返したくなった。その後抜け出して、従弟と叔母と少しだけ飲んだ。くだを巻いて、そのうち目が開かなくなって、わけがわからなくなって帰宅した。

■自分の頭で考えて/Wednesday,23,February,2011

 何事もやらされているという意識では面白みを感じることなどできない。自分の頭で考えて、動いて、形にする。それがなければ何をしても駄目である。そして、それを伝えるのは難しいことである。

 本分に関してつまらないというのは、本分そのものがつまらないというよりも、本分を全うするための十分な準備ができない現状がつまらないのである。その時間は楽しくて、背中には羽が生え、部屋中を飛び回りながら遊んでいるような気分がある。まるで花から花へ飛び移る蝶や蜂にでもなったような気分。自分を解放する時間というのはある。この日記も、書いている時には蝶や蜂の生態と限りなく近い自分がいるような気がする。貪るように言葉を追いかける恍惚がある。

 しかしときどき現実が襲ってくる。気がつくと背中には羽など生えてはおらず、足取り重く行ったり来たりしなくてはならない。息つく暇なく動かなければならないことも多い。余裕が無さ過ぎで、これでは誤りも起きるよと思う。そういいながら、重大なことは今のところ起きてはいないから、このままあとひと月と願っている。

 きょうは3週間ぶりくらいに車で出勤した。外に書類を届けに行く必要があったからだ。日中に一カ所。そこにはぴりぴりと張りつめた空気があった。少しの時間話を聞き、さまざまな情報を受け止めた。こちらはこちらで必死になって、道を定めようと尽力している。あちらはあちらで本気になって、見極めようと模索している。そして、帰りには郵便局に寄って大量の書類を発送した。量のわりには時間があまりかからなかったのでほっとした。

■根本を直すためには/Tuesday,22,February,2011

 早朝に起きて仕事の仕上げをしてから出勤した。週明けの一日は様々なことが交錯して慌ただしかった。自分の仕事の関心の重点が別のところに移っているのを感じる。立ち位置がこれまでとは違うところにある。だから、自分の一日の大半を占める本分のところが非常につまらなく感じる。と同時に、それ以外の部分もたいして面白くは感じない。話を聞いていない人が多い。確認が確認になっていないのは、どういうわけだろう。伝えるこちら側の伝え方の問題もあるだろうが、それだけではない。根本を直すためにはどうすればいいのだろう。

 まるで発電所から電気が運ばれるうちにその多くが失われてしまうのと同じように、あまりに効率の悪いシステムに陥ってしまっているような気がしてならない。自家発電装置を整備すれば、大掛かりな送電線なんて不要になって、ムダな電力もずっと減らせる。一人一人が、受け身でなく、何かに縛られるでなく、発電しながら動くというのが理想的ではないかと思う。

■晴れて気持ちのよい朝/Monday,21,February,2011

 晴れて気持ちのよい朝。いつもと同じくらいの時間に出て少し歩いてきた。昨日の片付けの続きで、書類を選別した。ゴミになるものがずいぶん多くなっていた。洗面所の工事が入るというので待っていると、9時過ぎにやってきた。先週一度自分が不在の時に管理人に頼んで入ってもらい、配水管の工事をしてもらった。その時には、配水管が部屋の壁の中にあるために、壁が大きく切り取られ、白いクロスの壁紙も剥がされた。これはまた後で直してくれるらしい。水回りで気づいた点は予め伝えておいたのだが、その時に様子をみて、今回直しに来てくれたようだ。

 トイレの水の流れる音が気になっていたが、中のゴムを取り替えてもらったら音がしなくなった。浴槽から排水したときに水浸しになる現象もなくなった。また近いうちに配水管の仕上げに来るそうだ。ずっと気になっていたところを一気に直してもらった。いとも簡単に直してしまうのだ。さすがプロ。

 こちらは片付け作業を昼過ぎまで行った。だが、引っ越しができるまでにはもう少しかかりそうだ。引っ越すかどうかわからないけれど。新聞販売店に電話をして、3月から新聞を止めてもらうように頼んだ。3月は読む時間がないだろうというのも一つの理由だが、読むに値しないという判断が最大の理由だ。最近の報道姿勢をみていて、この社は一度潰れたほうがいいとすら思うようになったのだ。少なくとも3月は、必要な時にはコンビニで買うことにする。4月以降はまた考える。

 金融機関をいくつか回って用を足した。途中で以前世話になった知人と会った。少し嬉しい近況とその方の今後のことを聞いた。ぜひ応援したいと思った。誰しもが、自分の進路についてはいつでも考えている途中なのだと思った。

 その後、電気屋に寄って、スマートフォンのことをあれこれと聞いた。導入した場合、今の携帯電話と比較するとずいぶんお金がかかるようになる。よって現時点ではまだ必要ない、という結論に至る。

 

■先週の疲れを引きずって/Sunday,20,February,2011

 いつもと同じ日曜のように見えて先週の疲れを引きずっていた。無理をするとその反動がくる。何だかボーッとする。仕事を持ち帰ってきたがたいして進めることができなかった。部屋の片付けを始めたら、一日では終わらなかった。コンピュータ等の電線をすべて取り外し、隅々まで埃を拭き取った。テーブルの配置を変えて、気分を変えた。ラジオでは岡本太郎の特集を放送していた。今年は岡本太郎生誕百年の記念すべき年なのだそうだ。岡本太郎は大好きな芸術家で、以前太陽の塔を見に大阪に行ったこともあった。川崎の記念館も、青山のアトリエも、面白い。マスコミに登場すると、笑い者扱いを受けるのがよくわからない。テレビに出るとそれだけで本質が覆い隠されてしまう。などということを思った。

 叔母と母親の誘いがあって、寿司屋で食事をした。ビールは一杯しか飲まずに、寿司を食べた。仕事にまつわる話をしたりした。叔母に4月から学校に通いたいのでどこか調べてくれと言われた。帰ってから地元の大学の聴講生の情報をメールで送った。

■雨水のきょうは/Saturday,19,February,2011

 雨水のきょうは通常どおりの業務日。朝は若干早めに家を出た。辺りはどこもかしこも土曜の朝、すべてが休日の空気だった。昨日は雨が降ったが、昨夜のうちに道路が凍り、滑りやすくなっていた。月曜からの疲れを引きずったまま最後の力を振り絞る。多くの人と顔を合わせ、おまけに思いがけず怒鳴ってしまうことまであってどっと疲れた。多少の無理が利くのが人間とはいえ、疲れの溜った土曜の業務なんて、もともと不自然で強引な手段のような気がする。例えば欧米ではこんなことは絶対にあり得ない。夕方には眠くて生欠伸が百回出た。

 この一週間もさまざまあった。昨夜帰宅後しばらく帰国前後の日記を読んだら、その頃の気持ちが蘇ってきた。その後に一気に書きなぐったのがきのうの日記だった。だが、あまりに感情的で過激な書きぶりだったので、きょうは日中もそれを後悔する気持ちが続いていた。自分のような見方もできるが、違う側面もある。事実ではなく思い込みもたぶんある。昨日と状況の変化もある。生身の人間がやることだし、誰もがお互いに成長の途中。関わり合いながら共に伸びていく存在。だから書き方には気をつけたい。反省して少し削った。それでもまだ酷いかな。

 夜にはうどんを茹でて食べた。熱い釜揚げうどんにキムチ。ソウルの食堂で似たようなものを食べたことを思い出した。あの時は鍋一杯のうどんが食べても食べても減らなかったっけ。

 電話が鳴って、久しぶりの情報交換を行った。長い時間受話器を持っていると、指が痛くなるのだった。それでもこの希有な存在には感謝の念を禁じ得ない。御蔭様。面白い話をいくつも聞いた。愚痴をずいぶん言ってしまった。疲れたといって横になっていると話す声も乱れてくる。そして、背筋を伸ばして健康椅子に腰かけていると乱れがなくなる。電話の向こうにも伝わってしまうのだ。

■がっかりというより、がっくり/Friday,18,February,2011

 きょうはがっかりすることばかりだった。がっかりというより、がっくり。この一年で最悪。打ち合わせの話と噛み合わず、朝から慌てた。必要なものの場所がわからず、すべてやり直す羽目になった。

 あまりに粗末な書類に仰天した。初めて見たのは一昨日だったが、きょう改めてそのいい加減さに驚かされた。とらえ方によっては大きな好機だった。発想さえ健全であれば作るのはわけなかった。でもそうはならなかった。つまり、心の問題。邪な気持ちでいると、こんなものが出来上がってしまう。

 その他にもいろいろ。一々がっくり来ていても仕方ないが、あまりに情けなくて悲しくなる。学ばぬ者は人の前に立つべきではない。何よりそれに向き合う者達が可哀想。耕されていない。昨日のことなど氷山の一角。担当の不在時に発覚したり、重要な局面で露呈したりする。がっくり。

 さらに、一昨日済んだはずの話が突如顔を出した。とりあえず電話で状況を探る。次第に浮かび上がってきたのはこちらのまずさだった。電話の話から、担当者自身が段取りをよく理解していなかったし、そのため説明責任も十分果たしていなかったということがわかった。

 このような事態を避けるために手だてを講じてきたはずが、虚しい気持ちになった。綻びは常に我々サイドにある。やることをやらないで溝を深めてしまうのはいつも我々のほうなのだ。がっくり。

 振り返るとすべて自分に責任があるともいえる。しかし、それぞれがやるべきことをきちんと果たしていれば回避できることばかりである。ぶつけようのない怒りと悔しさを抑えながら、上司にあらましを報告した。「ご苦労さん」の一言に涙が出そうになった。

 寒風に吹かれ家路につく。背筋を伸ばして空を見上げると、まんまるの青い月が浮かんでいた。

■最もがっかりしたこと/Thursday,17,February,2011

 きょう最もがっかりしたこと。使いたい用紙が一枚もなくなっていたこと。最後の一枚だと気づいたら、気づいた人が増す刷りしておくとかプリントアウトを頼むとかするのが常識と思っていたが、そうではなかったのか。例えば、印刷用のインクや紙なども、残りが少なくなってきたら事務に補充を頼むとか、それをやらなければ次の人が困る、この後の仕事が回らなくなると思えば、厭わずやるべきこと、ではないのか。何よりもこういうことが一つでもあるとほんとうにがっかりきて、腹が立って、何もやりたくなくなる。どの職種でも同じことだろう。それができていない職場なんて、何も大きな仕事ができるわけがない。こんなことを声を大にして「こうしましょう」と言わなければならないなんて。

 きょうは突発的でかなり大きな事柄が発生して、その処理に大わらわだった。だがそんなことはすべて想定内で、そのために働いているのだから、それによって忙しくなろうと煩わされようと何の不満も失望もない。

 それよりも、きょうの紙のことのように小さなこと、日常的に一人一人が行う当然のことが粗末になってしまっていることのほうが悲しい。仕事の前提を我々働き手自ら破壊するなんて、あってはならない行為だと思う。

■楽しみながらこなせたら/Wednesday,16,February,2011

 月曜気分で水曜を過ごした。いい感じ。土曜まであっという間に過ぎ去りそうだ。思ったような混乱はなく、意外とすんなりとことが運んだ。今年度に入っていつも見えてくるのは、あり得ないような大失態のイメージ。特に年度の後半はそんなものだっけ、休まる暇がないよと言われた。何も目新しいことはない。誰もが考えてきたことを、自分もなぞっているだけなのだ。

 もしそうなったらどうしようと思うと、1分くらいは全身が凍り付く。でも、これまでの段取りを振り返ってみれば、大丈夫それはあり得ないことなのである。要はその都度誤摩化さない、嘘を吐かないというのを続けるかどうか。もし誤摩化したり嘘を吐いたりする生活ならもっと疲れるだろう。

 生活すべてが休まらないとしたらたいへんなことだ。さいわいそんなことはない。とらえ方の問題だが、まずは自分の生活をできるだけ小分けにしてみる。遊びの箱、学びの箱、旅のできる箱なんかを用意する。部屋いっぱいにいろんな箱が転がっているイメージ。箱から箱へ飛び移りながら日々を暮している。楽しめる箱の中では思いきり楽しむ。多くの箱が楽しければ、仕事がいくら忙しくても、仕事の箱に他の箱の楽しみを反映させることもできる。生きるために仕事は不可欠だとしても、仕事のために生きているわけでなし。不可欠なことであれば、楽しみながらこなせたらそれにこしたことはなし。

 

■なかなか難しいけれど/Tuesday,15,February,2011

 月曜のような気分だった。今週は長い。先週は祝日があって短かった。今週長い分、来週はまた短い。いいときもあればそうでないときもある。取り立てて書くまでもない。水曜あたりまで月曜の気分が続けば、長い一週間も短めに感じられる。一つの防衛機制。今週はいろいろ重なって忙しくなりそうだけど、負担感はない。ゴールラインが見えてきて、ラストスパートに入ったということか。

 風が強くて寒い日だった。気温の予報は高かったが、体感はまったく違っていた。特に、仕事場の建物は風通しが良いので、どこからか風が吹き込んできて寒い。廊下を暖めるという建築的な発想がないために、毎年皆が苦労して文句を言う。だけど、春になれば忘れてしまう。その繰り返しなのだろう。

 建物はすぐに立て替えるわけにもいかない。でも、変えようと思えば変えられるところは他にいくらでもありそうだ。何をどうしたらいいのか、望む形がはっきりしないことも多いし、それぞれの思惑もあるだろう。それらを浮かび上がらせ、摺り合わせながら、一つに形作っていくことが必要なのだ。

 なかなか難しいけれど、変化の手応えを実感できてくれば、仕事を面白いと感じることができるかもしれない。それはそれとして、いまできることに力を注いでとりあえずこの年度を終えたい。

 

■憂鬱な気分を断ち切って/Monday,14,February,2011

 憂鬱な気分を断ち切って仕事に向かう。仕事の間は、余計なことを考える必要がなくて、ある意味楽に過ごすことができた。あっという間に夜になって、帰ると少しは落ち着いて過ごせた。

 何かを紛らすことに仕事を利用した。仕事を逃げ場にしたということか。仕事って何なのか。逃げ出したくなることもよくあるし、一つ終わればまた一つ新しいことに向かわなければならないので、心が休まる暇がない。とはいえ仕事でもたらされる成長は人間にとって大きな意味がある。仕事によって育てられる面が少なからずある。

 相反する思い。辛いことがあれば嬉しいこともある。しかし、日常の中では面白くないことがほとんどだ。例えば、100の苦しみがあると1くらい、喜びを得られる。いや、そこまでではない、一万の苦悩があれば十の幸福感がある。その程度のもの。千日あったら一日は良い日。たしかに、掛け値なしにそうだ。

 だけどそんな現実も捉えようによっては1を10000に変えることもできる。人間には、未来を担保にして喜びを味わうこともまた可能なわけだ。夢を見る力、幻想に生きる力とでも呼ぼうか。いやそれはもう少し具体的で、ちゃんとリアルな手応えのあるものだ。

 帰りに通りかかった公園では、終わったはずの雪明かりがすべて灯っており、雪がしんしんと降り続けていた。明かりの蝋燭はぼーっと灯り、仄かな熱すら感じられる。ところがこれを写真に撮ろうとすると、露出が少ないからいい写真にはなかなかできない。高機能のカメラならうまく写せるのだろうけれど、コンパクトカメラや、ましてやケータイなんかではだめだろう。

 祭は終わったのにどうして、と思って近づいてみると、「これから本番いきまーす、お静かにお願いしまーす」という声が上から聞こえてきた。石垣の上ではドラマの撮影が行われているらしかった。そのセットだったのか。ここらでは非常に珍しい光景だったから、少し立ち止まって撮影の様子を見ていた。寒さの中、雪降る中で、東京から来た俳優や撮影スタッフにとっては楽ではなかったはずだ。でもドラマの映像がどんなふうに仕上がるのか、ちょっと見てみたい気持ちになった。

■求めているのは/Sunday,13,February,2011

 土地だけでなく、その名を書いているものは一つもない。みてほしいと望みながら、みつけられることを拒んでいる。矛盾の中に生きているのが人間、その人間性が表れるのが文章。書いているときの気持ちは夢心地。現実から外れた軌道を、夢を見ながら走っているようなもの。

 ツイッターに書き込む人の中には、それに比してブログやホームページへの書き込みが減っている人も少なくないという。僕の場合は、ツイッターに書き込む回数はもともと多くないけれど、最近はそれに輪をかけて見ることも書くこともなくなった。140字という字数を自ら課すのも負担だが、それだけでは物足りないというのか、飽きてきたというのか。せっかく書いたものがすぐに見られなくなることが面白くない。自分の言葉を川に垂れ流すのはもったいないというのか。求めているのは、瀬を流れる言葉ではなく淵に留まる言葉だということか。

 旅のわくわくした気持ちに比べると、暗く沈んで、見たいものも聞きたいものもなく、何をしたのかわからぬまま夜まで部屋で過ごした。身体を休ませたといえば聞こえはいいが、こういう休みはつまらない。この部屋はただの塒、仮の宿り。何処かに行きたいという気持ちばかり。

 身体と心のほうは、一つところに留まることを拒み、絶えず流れることを望んでいるようだ。

■小さな旅の終わり/Saturday,12,February,2011

 起きると外はまだ暗かった。部屋の明かりに照らされて、雪がちらついているのがわかった。きょうの予定を決め、身支度をして宿を出たのは6時半だった。駅前の建物の地下には広い市場があった。どの店でもきょうの準備が始まっていた。どうして市場が地下に追いやられてしまったのか。その経緯を僕は全く知らないが、何だかとても不自然な印象を受けた。一角にある食堂で焼き魚定食を注文した。お勧めを聞いたら銀だらというのでそれにした。刺身とかウニとかイクラとかにせず、焼き魚にしたのはよい選択だった。焼き魚はたまに食べるとほんとうに旨いと感じる。

 駅前からバスに1時間半揺られて西の町に着いた。車窓はとにかく雪で真っ白だった。40分ほどの待ち時間、駅前をぶらぶらすると洒落た喫茶店があったのでそこでコーヒーを飲んだ。以前車で来た時に気になった店だった。吹き抜けのある空間が開放的で、居心地が良かった。

 乗り込んだ車両にはストーブが置かれてあった。もっと鄙びた情緒のあるものかと思っていたら、席は満員で、大きなカメラや三脚を持った旅行客が多かった。ヘッドセットマイクをつけた肌の色つやの良い婦人が軽妙な語り口でガイドをしていた。その声がスピーカーから流れ、法被を来た職員たちが土産物のワゴンを押しながら前に行ったり後ろに行ったりと忙しそうにしている。ストーブにするめを乗せて焼くのでその香ばしいにおいが漂ってきた。

 この小説家の生家を見に行ったのは三度目くらいだと思う。過去二度は車だった。帰りの列車までの1時間ほどは、ぐるっと見て回るのに十分な時間だった。小説家の幼少期の境遇も興味深かったが、村一番の富豪だった家の建築にも目を見張るものがあった。以前も同じものを見ているはずだが、これまでとは見え方が違っていた。時代状況や家庭環境を考えると、我が郷土の作家と共通する部分も意外と多いような気がした。建物を背景にして一枚だけ、観光客の方に写真を撮ってもらった。

 帰りの列車の車両はストーブではなくて、合格列車というものだった。車内には桜の枝があしらわれ、壁には合格の絵馬や達磨が貼ってあった。地元の子どもたちが利用するのだろう。その子どもたちを思う気持ちが表れており、地元の人々もこの鉄道をこよなく愛しているのだということがうかがえた。

 JRと私鉄を乗り換えて、雁木のある町に行く。雪の季節は初めてか。雰囲気の良いところはわずかな区間なのだが、どこか惹かれるところがある。今回は雪で作られた飾りがあちこちに置かれてあり、その愛嬌のある顔が微笑ましかった。昼飯にはここでしか味わえない麺料理を食べた。雪道を歩いていると滑って転んでしまった。左の膝から下を強く打ってしまい痛かった。

 移動中には本を読んだ。今回は文庫本ではなく単行本を二冊リュックに詰めてきた。内容も然ることながら、活字が大きいから読みやすいということもあったのだろう。時々は車窓を見ながらも、かなり読み進めることができた。かさばることを厭わずに本を持ってくるのもいいと思った。

 この地方随一の街に降り、駅前から伸びる大きな遊歩道を散歩する。20分も行くと、鄙びた雰囲気の駅がある。そこから再び電車に揺られ、今度は湯の町に降りる。次の列車までは1時間近くある。この時間を利用して、駅前にあった大きな浴場でひと風呂浴びて爽快な気分になった。さっき転んで打ったところにも効くだろうか。

 特急で30分足らず、隣県の町に着く。すでに辺りは暗くなっていた。高速バスまでの時間、例によって駅前をぶらぶらと散策した。日中には祭があったらしいが、それらしい雰囲気はあまり感じられなかった。鶏飯弁当の直売所があったので夕飯にと購入した。バスにはほとんど客が乗っていなかった。暖房も効くし、回りを気にする必要もなく快適だった。食事をし、読書をし、うとうとして2時間20分。20時過ぎに駅に到着した。きょうはまだ土曜日。休みはまだ一日ある。

 今回の旅の目的をしいて言えば二つ。一つは昨日の版画家。もう一つはきょうの小説家。これら二人の芸術家から縄文の魂を感じ取ることであった。それ以外にも祭に触れたり、珍しい列車に乗ったり、温泉に入ったり、偶然出会ったさまざまな事柄に心が弾んだ。一日半の小さな旅ではあったが、予想以上に充実した旅になった。思えらくは次には一人ではなく出かけたいものだ。

 土地の名をすべて伏せて書いてみた。わかる人にはわかるだろうが、わからない人にはわからないだろう。不用意に検索にかからないようにする自己防衛手段。それだけでなく、現実から少し距離をおいた表現にしてみたかった。自分の住んでいる県を除けば最も好きで興味深いのが、今回旅した県である。縄文人の魂がまだ息づいている土地。実に面白く、どこよりも多彩な観光資源に恵まれた土地である。だからこそ、経済優先の論理や東京一極集中に抗って、守っていかなければならないのである。そのためには、現実の描写とは異なる方法で語りたい、そんな気持ちだった。この土地に関しては日記とは別に書いてみたい、いつになるかわからないけれど。

■記念日と小さな旅の初日/Friday,11,February,2011

 11年前のこの日、自分のページを作った。それ以来この日は、紀元節や国民の祝日と関係なく僕自身の記念日となった。新しく自分の窓を開いた日。この日を境にどこからか絶えず風が吹き込むようになり、こちらからも何かを外に発信できるようになった。それまでと比べて生活の質がすっかり変わった。その後のさまざまな展開は、この窓がなければあり得なかっただろう。以前は夢の形も朧で何をどうしたいかすらみえなかったのが、夢の形を浮かべ、道筋を少しは描けるようになった。ということで、この日は第二の誕生日と呼べるだろう。しかし、いくつかの夢は実現したが、まだ描けていないものもたくさんある。これからも第三、第四の誕生日を、自ら拵えていかなくてはならない。

 朝から昼過ぎまでは仕事をした。帰宅して、食事してから旅に出た。3時過ぎには最果ての駅に降り立った。駅の近くに宿を取り、版画家の記念館までタクシーで移動した。運転手によると、ここ数日は晴れて暖かくなり、雪解けがずいぶん進んだそうだ。記念館は中心街から少し離れたところにあった。展示室には馴染みの絵がいくつも並んでいた。そこはかとない解放感に浸りながら見ていると、自分の名前を呼ぶ声にどきり。元同僚だった。同僚20人の団体で来ているということで、一瞬血の気が引く思いがした。しかしさいわい、その場に彼以外知った顔はなかった。まったくどこに誰がいるかわからないものだ。その後は誰に会うこともなく、縄文の血を感じさせる作品と映像を閉館近くまでゆっくりと堪能した。

 歩いて中心街へ戻った。日が暮れるとさすがに寒かった。歩行者天国となった目抜き通りで、三連休を当て込んでのイベントが行われていた。いくつもの屋台が並び、列ができていた。ホタテ汁を食べたら温まった。今夜は夏祭りの山車が出るのだとタクシーの運転手が言っていた。冬にやるのは初めてだそうだ。それを聞いた時には、何もそこまで首都圏の人たちに諂うこともなかろうと冷ややかに思っていたのだが、ここに来てせっかくだから見たいという気になった。

 湾岸にあるいくつかの施設を見て回った。雪明かりというのか夢明かりというのか、昨夜僕の町で見たのと似たようなものがここにもあり、橋や建物の照明と相俟ってきれいに灯っていた。そのうちに時間が近づいてきた。会場となる通りに行ってみると、多くの人が集まっていた。首都圏の観光客も多かったろうが、国訛りを聞けば地元の人たちのほうが多いと思われた。それほどに地元の人の血が騒ぐ祭なのだろう。山車は大きいのが一台。その後ろに大太鼓、お囃子、そして小さいのが最後に一台。夏の祭とは比べものにならないくらい小さな規模だったが、山車のダイナミックさと心臓に響く太鼓のリズムには心が躍った。隣で見ていた人が突然こちらを向いて「あれは去年の祭で一等賞をもらった山車なんだよ」と教えてくれた。辻ではぐるぐると何度か回転して見せていた。物足りなさは否めないが、また夏に見に来いということなのだろう。

 夕飯には宿の真ん前の店でラーメンを食べた。中学生達が4人で食べていたが、一人は店の主人と懇意らしく、ずいぶん調子のいいことばかり言っているので、聞いていて可笑しかった。

 テレビで「沈まぬ太陽」を見た。フィクションとはいえ、話は事実そのもののようであった。悪人がたくさん出ていたが、人間とはあのようにどこまでも汚くなれるものなのか。いやあれ以上に汚い人間が、現実にはごまんといるのではという気もした。物語の終わりの主人公のように、美しいアフリカの姿を見ながら達観できるとしたら幸運だ。しかし汚くない人の多くは、最後まで汚いものばかり見せつけられて、失意のうちに仕事から離れる。それが現実なのではないかと思った。

■いろいろな人に支えられた一週間/Thursday,10,February,2011

 朝から何度も文書の書き直しをした。これまであまり書いたことがない種類の文書だった。間違いと言えば間違いない。しかし、そこかしこに誤解を生む表現もあって、それに翻弄されたのも事実である。結果的にいえば確認が不十分だったということで、これも一つの学習と考えたほうがよいだろう。後始末に追われた午前中ではあったが、気持ちの上では月曜日には片がついていたことだったので、発送まで済ませてすっきりした。午後には午後でいくつかの文書を作り、印刷した。

 それから七人との面接があった。ほとんどが当然の如く筋として不自然な話をする。そこで、質問を加えながらそれらを修正していく。これまで何をしていたのかと思うくらいなのだが仕方ない。これも反省事項の一つだろう。それでも一度直せば後は難なく話せるようになる。到達するかしないかの問題。もしも直すべき者達に認識がないとしたら、それは大いに問題だ。たぶん杞憂だけど。

 夜の街では冬の祭が行われていた。雪や氷の彫刻が蝋燭の仄かな明かりに照らされていた。写真を撮っている人もたくさんいたが、撮影は難しそうだと思った。時間はもう過ぎていた。蝋燭の炎を一つずつ消して回っている人がいた。火事の心配はないとしても、消さないわけにはいかない。その人の役回りが、なんだか童話の主人公のように感じられた。帰るともう眠くてだめだった。いろいろな人に支えられた一週間だった。

■つまりは学べということ/Wednesday,9,February,2011

 長い週もあれば短い週もある。あと一日で週末が来るから、気持ちは軽かった。夜にはうっすらと雪がかかるくらいになっていた。ちょうどよくバスが来たのでひょいと乗り、産直の入っている建物の近くまで行った。味噌と豆腐と少しの野菜を買った。本屋で取り置きの品を受け取った。買ってばかりで読むのが追っつかない。それでも経済学的には消費と呼べるのだろうか。確かに金の流通には貢献しているかもしれないが、せっかくの知的財産を摂取することがなければ話にならない。自分も誰かに与える立場となれば、与えられるものがもう底をついているのではないかと不安にもなる。つまりは学べということ。 

■たまに早い日があると/Tuesday,8,February,2011

 調子はそれほど悪くなかったが、終わりの二時間休みを取って通院した。症状が長引いているので、憂鬱な気分を断ち切りたかった。午後には会議があったが、資料だけ置いて頼んできた。家に一番近いところに初めて入った。問診後に触診があったが、痛くて飛び上がりそうになった。ずいぶん前に別の病院で診てもらった時には、痛みなどなかったから驚いた。モニターを見せられて説明を受けたが、何がどうなっているのかわからなかった。結局のところ、あまり良くはなっていないとのことだった。二週間分の薬を処方された。

 帰ってもまだ午後四時だった。まさか職場に戻るわけもなく、家でゆっくりと過ごした。二時間休みを取ったということは、いつもより四時間くらいは早く帰れるということだ。積み上がっていた本をパラパラとめくったり、物の整理の仕方を考えたりした。夜になってからは少し買い物に出たりした。いつもは閉まっていて到底入ることのできないようなところをいくつか渡り歩いた。帰宅すると、普段と変わらぬ時刻だったが、それからも読書するほどの元気はあって、寝る時間まで読み進めることができた。

 たまに早い日があると、いつもどれだけ疲れる日常を過ごしているかということがわかる。通院とかいうことでなくて、何もない日に時間休を取れるようにしたいものだ。

 

■心の通わぬ虚しい声が/Monday,7,February,2011

 週末は気温が高くなり、雪もだいぶ解けた。駐車場の隅に積み上がっていた雪も、土曜日に誰かがきれいに片付けてくれた。しかし、今朝はまた冷えて、道路の表面の水分が凍り、滑りやすい状態になっていた。人も車もつるつると滑っていた。

 月曜日の午前中はひと息つく暇もなく突っ走るので、午後になると気が抜ける。休み明けということもあり、眠気も襲ってくる。書類作りを進めながらも、生あくびが絶えなかった。

 いろいろな後始末を迫られる。これまでの経験や知識では対処できないことも当然あるから、頭で想像したり、過去の記録を見たり、人に聞いたりしながら、どうするのが一番いいのかと考えを巡らす。たいていの場合、それは始めから決まっているわけではなく、その時々の状況を鑑みながら判断するしかない。判断しては行動するという流れが絶え間なく続く。ちょっとため息を洩らしたくなる。

 19時半を過ぎたあたりで、にわかに皆もう帰ろうということになる。ノー残業と言うには遅過ぎるが、それでも悪いことではない。平和的な雰囲気に包まれながら職場を後にする。

 デパートの窓の隙間から、さまざまな雛飾りがライトに照らされているのが見える。桃色を基調とした春の暖かな色彩がなんとも愛しく感じられた。立体駐車場からは車が出ようとしていた。静まり返った夜の裏通りに、無人料金所のスピーカーからの「ありがとうございました」という声が鳴り響いていた。その先にある自動販売機でも、飲み物を買うと「ありがとうございました」とか声が出る。誰が誰に対してありがたく思うのか。その声を聞いて誰が喜ぶのか。このようなシステムを本気で必要と考え、作り上げ、普及させてきた根本とは、いったい何なのか。心の通わぬ虚しい声が、街に氾濫していると思った。

■シゴトのシの字もない休日/Sunday,6,February,2011

 一週間前散歩途中に撮影したつもりの画像が一枚も保存されていなかった。それで、きょうもほぼ同じ時間に起き、同じ時間に家を出て、同じコースを辿り、同じ風景を撮影した。一週間前よりも天気が良く、空が青くて、太陽も顔を出していた。ただ、神社では先週まであった色とりどりの飾りが取り払われて、単調な色合いに変わっていた。それに、一月と二月の光具合はたしかに違う。バスセンターのクリーム色の壁にやわらかな光が当たっていた。この建物の洒落たローマ字のロゴが好きだ。

 先週は素通りしたパン屋で朝食用にパンを買った。しかし、店員の娘の突慳貪な応対には興醒めだった。店に入っても挨拶もないし、パンばさみは放り投げるし、言葉はぞんざいで、これはないなと思った。客としての振る舞いに何か問題があったろうかと、思わず我が身を省みたほどだった。ま、どうでもいいことですぐ忘れたのだけど、書いているうちに思い出したので書いておく。

 帰宅して、撮影した写真を取り込もうとしたら、後半の何枚かが撮影されていなかった。このカメラは氷点下に晒していると機能しなくなるのか。ま、そんなことカメラに限らないか。

 昼には母が訪ねてきたので、車で外に出た。昼食を食べながら実家や親戚の近況を聞いた。帰るとなんだか眠くなってしまった。今週も書類の片付けと読書のための時間はどこかに行ってしまった。休日にと思うのがいけない。平日に少しずつ進めるのがいいのかもしれない。とにかくシゴトのシの字もない休日だった。

 

■一滴の血も流さずに/Saturday,5,February,2011

 昨日まで若者だった者が何を偉そうに書いているのかと、もうひとりの自分が見て思う。立場が変わるとものの見方が変わる。そして、これまでの見方を忘れてしまう。しかし、過去やこれからがどうであれ、今の自分が何をどうみてどう考えるかが大事だ。それが自分にとっての日記の意味だし、誰かが読む意味もそこに生ずる。けしてすべての人がすべて共感するでなし。怒りにせよ喜びにせよ、他人が読んで気持ちが引っかかるほどの内容であれば存在価値があるというものだ。

 ところで、僕はエジプト人のフィフィという人がどんな人か知らないけれど、今エジプトで起きていることについて書かれたブログを読んで、わからなかったことがかなりわかった。熱のない客観的な説明というのではなく、本当は何に対して怒っているか、エジプト人の熱い思いが伝わってきた。世界を視野に入れながら、日本人に向けたメッセージとなっているところがよいと思った。民主化というのが、他国の支配を脱して自国のための自国作りへ自国民が決意し団結することだというのなら、日本は未だ民主化の緒に就いたともいえぬ段階ではないのか。問題は何一つ解決されず、先延ばしになっているだけである。大国の犬みたいな政治屋ばかりが国を牛耳るような状況から抜け出したい。そのためにはまず大きな面をしたメディアの化けの皮を剥ぎ取りたい。ほんとうのことを知り、ほんとうに僕らのためになる方向を、僕ら自身で決めたい。そのために民衆の力を結集しよう。

 ムバラクは3〜5兆円ある資産を整理するための時間稼ぎをしているという。あくまでも既得権益を死守する姿勢。これはどこかの国の大企業とか官僚組織とかマスコミとかに共通するように思えてならない。この期に及んでなぜに生き恥を晒す方向にしか進めないのか。すべて手放し、貧しい人々に分け与え、民衆の解放のために名誉の退陣をする、としたほうが、名を汚さずに済むし、自身だって安泰に余生を送ることができるだろうに。

 民のことをみない為政者など要らぬ。かれらを引きずり下ろし、国をどうにかしなければならぬ。そのために個人の心を育てよう。言葉の力をつけよう。そして思想を表明しよう。同じ思想を持つ者どうし繋がろう。エジプトにしろどの国にしろ、一滴の血も流さずに革命できたならいい。ネットがそのための道具となり得るかどうか。わたしたち一人一人が日々ネットをどう使うかにかかっている。

 

■若者が怒るか知らないけれど/Friday,4,February,2011

 手や身体を動かす労働が少なくなってきた分、目や頭を使うことが増えてきた。例えば、手書きだった書類のほとんどが今ではパソコンで作成するのが普通になっている。以前は年末年始といえばろくに休まずの書類作りが宿題となっていたものだが、今では年末にサクサクと仕上げてしまって正月もゆっくりできるようになった。この変化の中を生きてきた者にとっては、ある意味では非常に楽になったという実感がある。その恩恵に僕も与り、有り難いと思っている。しかし、就職した当時からパソコン仕事が当たり前の世代にとってはそれが最初から当たり前であって、今よりキツかった時代など想像できないだろう。かれらには有り難いなどという気持ちは起こらないかもしれない。

 書類そのものは確かに楽に作れるようになった。だが、そこに書く内容を十分吟味するところまで疎かにしてしまってはいけない。書類作りが楽になった分、それを点検する仕事が増えた。人間の仕事であるからどうしても誤りをゼロにはできない。機械により自動化される部分が多くなればなるほど、人の目で確かめる重要性も増してくる。現に、手書きではあり得ない間違いというのが、けっこう頻繁に現れるのである。変換ミスのみならず、リストの数字がずれて打ち出されたり、男が女になっていたりというものまである。当然、ひとりの目で見るだけでは足りず、複数の目を通す必要が出てくる。それを行う体制としては、今のままでは人員が足りないと感じることが多い。何のための自動化かと思うけれど、全体的にみれば、仕事量が減ったのではなく、仕事の重心のバランスが変化しただけというのが自分の実感である。つまり、若者がする仕事が減り、年配の者がする仕事が増え、体制がそれに追っ付かなくなっている。こんなことを書いたら、若者が怒るか知らないけれど。

 若手は自分の仕事をちゃんとこなしたという思いで書類を出してくる。それを上役が二重三重に点検する。間違いが発見され、差し戻される。また点検に回る。間違いが修正されているのが確認され、晴れて発送となる。という流れになるはずだが、現実には、直せと言ったところが直っていないということも多々ある。そうすると、上役としては下への縛りをキツくせざるを得ない。職場が窮屈になって、愚痴の一つもこぼしたくなる、という悪循環に陥る。場所によっては離職に繋がることもあるだろう。

 そもそものところで、やれと言われたことをしっかりやっていればいいのだが、それができない。書類を作ったら一度は目を通してから出すのが常識と思っていたが、それすらしない者もいる。それに、打ち合わせで話されていることを聞かずに、そのときになって聞いてくる。期限を守ろうという気持ちが薄い。などなど、いろいろなことが目につくようになってきたのは歳のせいなのか。

■赤塚不二夫の鬼の面など/Thursday,3,February,2011

 春節と節分が重なることは偶然か。暦の上では冬も終わりだが、まだまだ寒いし、雪が多い。屋根にはがっちりと凍り付いた雪がまだ乗っかっている。しかも極太のつららまでぶら下がっている。あれが落ちて人に当たったらひとたまりもない。

 とはいえ光の春という言葉どおり、二月になると日差しが明るくやわらかくなる。子供の頃からこの月にはクリーム色というイメージがつきまとっている。もうすぐ春が来る。そう思うだけで、生きている価値がある。

 季節の変わり目には邪気が籠る。それを追い払うために豆をまくのだそうだ。邪気はさまざまな形で人に禍をもたらす。その具現化したものが鬼なのだろう。僕の心にも身体にも鬼が入り込んでいて、きょうもチクチクと内側から突っつかれて痛かった。節分で連想するのは「赤塚不二夫の鬼の面」なのだが、昔スーパーではでん六豆でなくて落花生を買っても貰えたように思うが記憶違いだろうか。あの鬼の面を使って家族で豆まきをした思い出はあるが、でん六豆を食べた覚えはない。

 昼の弁当には炒り豆が入っていた。歳の数よりずっと多い大豆は、固くて噛むのに力が要った。同じ弁当を食べていた人たちは何にも言わなかった。固いと感じたのは僕だけか。噛む力が弱くなったということか。そんなことからも、穏やかだけれど老いの影が忍び寄っていることを感じる。老いを鬼とみるかどうか。禍福は糾える縄のごとし。とすれば、天才バカボンの赤塚不二夫よろしく、これからも鬼と仲良く付き合っていくしかあるまい。

 

■これぞニッポンの伝統/Wednesday,2,February,2011

 大相撲の八百長が取りざたされている。メールのやり取りで足がついたようだが、打ち合わせもやりやすい時代になったということか。何の根拠もないけれど、このような不正は何十年も何百年も前から続いてきたことではないかと疑ってしまう。実はこれぞニッポンの伝統ではないのか。本気の勝負よりも楽に金が入るならば、八百長に流れるのが自然というものだ。以前何かで読んだが、「自然」の反対は「勉強」だという。よくないと思えば勉強して本物を目指す流れを作ろうとするのだろうが、一部の若手には教育が行き渡っていなかったのかもしれない。人気の有無やスポンサーの思惑などに関わらず、真剣勝負でない相撲が一番でも発覚したところで、大相撲存続の価値はない。自然の流れとして大相撲が廃止となってもやむを得ないだろう。

 ニッポンの伝統というと、素晴らしく美しい事柄だけを思い浮かべるが、裏に回ってみればずるく汚い事柄もある。それは、想像や推量という水準をはるかに越えて、我々が日常的に見聞きするものの中に蔓延する。外国の情報だと新鮮で、冷静に受け止められるのだが、日本のこととなると色眼鏡を外してみることが難しい。もっといいことを見ようという主張はわかるが、良くないことから目を背けてまで、この国に阿るのも何だかなと思う。愛は盲目というけれど、それほどの愛国心など持ち合わせていないので。

 ところで、井上ひさしの「握手」という小説に、戦争中強制労働させられていた修道士が日曜に休ませてほしいと監督官に願い出る場面がある。それを聞いた監督官は「大日本帝国の七曜表は月月火水木金金。この国には土曜も日曜もありゃせんのだ」と叱りつける。現代のニッポンも、太平洋戦争中と何ら変わらない。休日の不法就労を文化などという美辞麗句で誤摩化している現状がある。これも伝統でなくして何だろう。

 大相撲に限らず、不祥事が見つかった場合の対処としては、トカゲの尻尾切りというのが通例である。それも我が国の伝統なのかもしれぬが、尻尾だけでなくトカゲそのものをどうにかしないとダメなんじゃね。

 

■責任の重さ/Tuesday,1,February,2011

 2月に入り、にわかに年度末の様相を呈してきた。平日を数えるともはやたいした日数ではない。これからが気の抜けないところではあるが、見方によってはすでに終わっているとも言える。仕上げの時期であり、これからの準備の時期でもあり、いずれにせようまく過ごせたかどうかは後になってみなければ判断のしようがない。

 帰りがけにあれこれ話していて、自分は昨年までの立場と今の立場との違いを、比較的すんなりと受け止めているのだとわかった。苦痛がなくなったわけでも、増えたわけでもない。ただ、立場は完全に変わり、それに伴って責任の度合いも変わった。昨年までの立場に未練を抱いている人もいるようにみえるが、自分の場合はそういうことはまったくない。どちらが楽とは言えない。ただ責任は重い。だが、狭い場所より広い場所のほうが、当然びのびできるわけである。わざわざ再び狭いところに自ら立ち入ろうと言う気は起こらない。

 朝から帰ることばかり考えているのは昨日といっしょだった。昨日よりは少し早かったが、郵便局に寄って帰らねばならなかった。その後少し足を伸ばして、仕事帰りには初めて立ち寄った店でサバの焼いたのを食べた。いい夕ご飯だった。

 本屋で立ち読みをして、少し厚いものを2冊購入した。スーパーマーケットでいくつか買い物をして帰ると21時を過ぎていた。それからニュースを見て、日記を書くと今頃の時間となる。買った本を読むのは明日以降ということになる。明朝は早起きして少しでも読み進めよう。