2011年1月

■白玉は人に知らえず知らずともよし知らずとも我し知れらば知らずともよし/Monday,31,January,2011

 早いもので一月も晦である。何も考える暇もなく一気に過ぎた。きょうは夕方になって会議に臨んだが、会議室はいくら暖房を強めても部屋が暖まらなかった。部屋の中がそうだから、ましてや廊下などに出ると外と変わらぬほどの寒さであった。住環境として、あるいはそうでなくても職場の環境としては劣悪な建造物である。これで満足してきたわけではないだろう。しかし、不満に思っても季節が変われば忘れてしまうし、人が変わるから毎年降り出しに戻るようなものだ。ぶつぶつ文句を言いながらも、何も変わらぬまま何十年と経過したのではないだろうか。

 会議が終わり、さあこれから仕事を片付けるぞと精力的に進め、いつもより早く帰れるぞと思ったら誰もいなかった。帰り道、蕎麦屋で熱々の五目あんかけ蕎麦を食べたら温まった。

 この一か月は万葉集とともに過ごした。きょうの歌は旋頭歌。元興寺の僧侶が人に認められぬことを嘆いて詠んだ歌というが、ただの愚痴かと思わせるところもある。自分の価値が誰にも認められないとしたら、それでよしとは到底思えない。かといって世間に普く認めさせたいとも思わないけれど。とにかく、万葉集の時代は遠くなり、アクセスも減った一か月であったことだよ。来月は趣向を変えやうと思ひます。

■ふる雪はあわにな降りそよなばりのゐかひの岡の寒からまくに/Sunday,30,January,2011

 午前0時に目覚ましをかけて寝たが、起きると2時半だった。テレビをつけて1分くらいで試合が終了した。しばらくつけていたが、知らぬ間に別の番組になっていた。それから寝ようと思ったがなかなか寝付けなかった。

 7時前に起き、散歩に出た。今朝もマイナス10度近くまで下がったようだ。さらさらの雪が7、8センチ積もっていた。やわらかな太陽の光が当たって、辺り一面が輝いていた。写真を撮りながら歩いた。ちょっと近所までのつもりが、1時間近くも歩いてしまった。さっきまでの太陽は雲に隠れ、再び雪が降り出した。帰宅して写真を見ようとしたら、1枚もデータが残っていなかった。寒さのせいだろうか。きょう撮ったものから2月の表紙を決めようとしていたのに、残念だ。

 床に積み重なった新聞紙やその他の紙片を一つずつ見ては片付けた。あまり調子もよくないので、ゴロゴロと寝転がっては記事を読んだり、コーヒーを飲んだりした。

 昼にはラジオを聴いたが、あまり頭に入らなかった。寒いものだから、少し風呂に入って温まろうという気になった。湯船に湯を張る前に、まずは洗剤をつけて掃除をした。そして湯を入れ始めたところで電話がなった。いろいろと笑えるというか困った状況について言葉を交わした。そのうちに膀胱が破裂しそうになったが幸い事なきを得た。

 あと二か月で大きな変化が訪れる。それまでの辛抱と思ってやっている。寒さはまだしばらく続くだろう。明日からまた一週間。月曜日は早く帰りたい。行く前から既に帰ることを考えている。

■安積香山影副ふ見ゆる山の井の浅き心を吾は思はなくに/Saturday,29,January,2011

 朝から当然のように出勤し、仕事をした。仕事の途中でその場にあった本を手に取って読んだ。吉本隆明が中学生に語った言葉だった。時間を気にしながらではあったが、短時間で読了できた。立ち位置を再確認するのに役立った。わかりやすかったが、さすがに本質に迫る語りであった。今の中学生がこれをどの程度理解できるのだろう。

 終わるとまた13時を過ぎた。帰ってきて車を駐車場に入れようと思ったら、左隣の赤い車が車止めより1メートル半ほども前に止まっているために、バックで入るのが困難だった。いつもこの人は異常に前に止めるのだが、それに加えて近頃は、除雪された雪が積み上げられて通路の幅が狭くなっているため、いつにもまして止めにくいのだ。隣の人は高齢者だし、別に周囲に迷惑をかけようとしているわけではないだろうけれど、非常に迷惑だ。タイミングよく会った時には挨拶がてら何となく伝えようと思う。

■昨日といひけふとくらしてあすか川流れて速き月日なりけり/Friday,28,January,2011

 いつの間にか一週間が終わった。週末には久しぶりに遠出をしようかとも思っていたが、その可能性もなくなった。きょうになってまた一つの区切りがついた。すべてのデータが出そろい、コンピュータ上で整理できると気分もすっきりした。それからまた一仕事していると、20時を回ってしまった。

 帰宅してから野菜スープを作った。野菜はいくら食べてもいいそうである。コンニャクや心太が良いということなので、それも努めて取ろうと思う。遅い時にはとにかく食べ過ぎないように、最初に低カロリーのもので腹を膨らますというのがよいそうだ。

朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪/Thuersday,27,January,2011

 朝には用事で早めに車を出した。気温は低かったが、素晴らしく晴れてドライブ日和だった。国道を南向きに直進すると、太陽が目の前にあって眩しかった。目的地までは渋滞もなく、予定より30分以上も早く着いたので、車の中で本を読んだ。

 職場に戻ってからも夜まではあっという間だった。この時期最もいいのは、最も優先順位の高い仕事が主となるため、普段煩わしいと感じる仕事が半ば免除となることである。いくら時間を取られても、苦役はむしろ減っているのだから気持ちは楽である。多くの人にとってこの時期は、実を言えばそれほど負担が大きいわけではない。昨年などは毎日新聞に目を通して気に入った語句を抜き出すほど余裕があったのだ。今年そうできないのは残念だ。

 夜には面談があって、かなり長い時間に渡って話し合いをしたのだが、負担感はほとんどない。端から見るほどのことはないと思えるようになったのは、最近のことだが。知らぬ間に皆帰っていた。外は雪で真白になっており、車に10センチほども積もっていた。それを払い、郵便局経由で帰宅した。

■百日しも行かぬ松浦路今日行きて明日は来まむを何か障れる/Wednesday,26,January,2011

 朝は車で出た。それは郵便局に行く用事があったからだ。朝から時間をうまく使って、必要な書類を整える。10分とか5分とかの隙間時間を埋めていくように、着々と仕事が進む。このような状況に快感を覚える。午後には2時間ほど抜けて、ある会議場に出かける。近年義務づけられるようになった、保健に関わる個人的な相談に赴いたのである。そこでさまざまな指導を受けたのであるが、昨年もたしか同様のことを指導されたのだった。直感的に考えても、国策とはいえそれほどの成果は期待できないと感じる。だが、個人的には今まで以上の努力をしようとは思う。

 郵便局には早めに行けた。それから帰宅し、21時近くになってから従弟と飲んだ。寒かったので、韓国料理店でチゲやトッポギを食べたら辛くて温まった。冷麺にしろナムルやキムチにしろ、韓国の食べ物は旨いと思う。とりわけ好きなのは韓国海苔だが、それに比べると日本の味付け海苔というのはいったい何なのだろうか。

■天離る鄙に五年住まいつつ都のてぶり忘らえにけり/Tuesday,25,January,2011

 明後日の準備として、朝からいくつか簡単な会合をもった。予想ほど面倒なことにはならず、どれも簡単に済ませることができた。なぜか最近上司たちの自分に対する物腰が目に見えて柔らかくなったような気がする。先日の総括の用紙に、いささか過激な書きぶりで訴えたからだろうか。自分のように鈍い人間ですら精神的に追い込まれてしまい、そのはけ口が異常な食欲に向かったりするのである。だから、もっと敏感な人々にとっては苦痛を通り越してやはり精神疾患や内臓疾患を引き起こしてもおかしくないくらいの現状があるのではないだろうか。

 スーパーでない人間に、「スーパーになれ」と言う論調が、僕の周囲には多いように思う。たしかにスーパーだったらどんなにいいだろう。自分自身スーパーを目指したい気持ちはないわけではなく、自分が変わる必要性を常々感じてはいる。その気持ちを向上心というのかもしれない。

 だけど、人によっては精一杯頑張って頑張り過ぎてぼろぼろという人もいそうだし、ぼろぼろになって閉じこもってしまっている人も現実にいる。自らが向上心をもつのと、他から要求されるのとは別である。そもそも誰もがスーパーである必要なんてなくて、誰もが素のままの自分で生きられることが、何より望ましいことではないか。それは、向上心がないとか、思考が止まっているとか、努力が不足しているとかというのとは違うと思う。せっかく生きているのであれば、自分の楽しみを追求しながら世間の役にも立つという歩幅で進んでみるのはどうだろう。たぶんそれならけっこう楽に生きられる。

 

■たのしみは百日ひねれど成らぬ歌のふとおもしろく出できぬるとき/Monday,24,January,2011

 昨日は一日気疲れもあって、週が明けても眠気を引きずった。長い長い一日が終わった。日記も滞りがちになっている。最も大きな原因は、万葉集の歌を選ぶのに手間取っていることである。書く内容と関連付けたいのだが、思うようにぴたりくる歌を探すのは難しい。おそらくこれは自分の乏しい読解力のためだろう。勉強不足を補う必要を感じている。更新もしていないのでアクセスも少ない。歌をテーマにしても、歌の語で検索をかける人などいないだろう。

 だが、これはなかなか楽しい試みである。こうやって古い歌と向き合うアイディアは新発見だった。和歌には今の流行歌にも通じる普遍性がある。そこに詠み込まれる心も、時代を超えた人間の性を映し出しているのである。面白い。

 何事もそうだが、ただ人の作品を鑑賞するだけでなく、自分で作ってみるという作業をすれば、作り手の立場で捉えることができて、また鑑賞が深まるのだろう。

■荒波に寄り来る玉を枕に置き我れここにありと誰れか告げなむ/Sunday,23,January,2011

 朝は冷えたようである。あっという間に時間になって、車で出かけた。着くまでは何をどう話したらよいものか、という不安がずっとつきまとっていた。だが、皆の顔を見ると、意外に表情が穏やかで、子どもたちももはや良き紳士達であり、僕ごときが何も心配することなどないように思われた。

 長男は僕より十ほど下だが、むしろ僕よりもずっと落ち着いてしっかりしていた。三十まで元気でいてくれたから十分だ、という言葉が力強かった。葬儀の途中、弔辞など聞いていると、故人の人となりや思い出が蘇ってきて涙が堪えきれなくなった。

 一連の儀式に参加しながら、人が亡くなった悲しみを感じつつも、故人の家族の固い結びつきに羨みすら覚えた。生死に関わりなく、人と人とは繋がり合うことができるという事実に驚いた。

■我が里に大雪降れり大里の古りにし里に降らまくは後/Saturday,22,January,2011

 午前中は仕事だった。と、取り立てて書くほど珍しいことではない。いつもと同じような予定をこなした。ただ、いつもと違っていたのは、冷たい風に吹かれての作業が一時間半も続いたことだった。作業の内容には不満はないし、できるだけのことをやるというある意味ヴォランティア精神に貫かれたものであったから、終わった時には達成感もあった。しかし、帰ると少し熱っぽくなり、しばらくはボーッとしていた。電話が鳴ったのもその頃で、対応もちょっとぞんざいだったかもしれぬ。

 夕方日が暮れてから、翌日の葬儀に備え実家に行く。とはいえ、特にすることがあるわけではなく、母と故人や親類たちの近況についてあれこれと話した。温泉に行って温まると、熱もどこかに吹き飛んでしまったようだ。飯を食べて帰り、しばらくテレビを見ていた。大画面テレビを見るのは滅多にないので、サッカーなどものすごい迫力を感じた。だが、何を見ても、ここは日本なのかという不思議な感覚があった。

■久かたの天道は遠し黙々に家に帰りて業を為まさに/Friday,21,January,2011

 自分のことは後回しというのは正確な表現ではない。ワークもライフも自分のことだとしたら、やっぱりワークにばかり偏り過ぎだということだ。ワークのことに気を取られて、昨日一つすっぽかしたことがあった。それで関係機関に電話をし、改めて来週に予約を入れた。ワークとライフに分けるのも簡便な方法だという気もするが、とにかくライフに割く時間や集中力があまりに削がれてしまっていることへの問題意識が膨れている。

 珍しくデパートの上の蕎麦屋に入った。21時までの営業とはいえ、わざわざ階上の店に来る人もないとみえて、どの飲食店もがらがらだった。蕎麦は旨かった。食べてからもしばらく椅子にもたれて、今年度の総括の資料に目を通した。多くの人が同じようなことを考えている。方向性はそれほど変わらない。だが、その方向に動かそうという時に、さまざまなことが邪魔をしてまっすぐ進めないことが多いのである。劇的に変わることを求めがちだが、それは難しいと感じる。

 せめて家に帰ってからのことをしっかりできるようになりたい。ワークはワークでやるべきことをやり、ライフについても手を抜かない。20年来抜け落ちてきたことをこれからはちゃんとやっていく。

 

■世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば/Thursday,20,January,2011

 大寒を迎える。暦どおりの寒さ。しかしこれから春に向かって動き出す。表情は心なしか固くなっている。昨日のこともあり、また、今日新しく知らされたこともあり。手放しで喜べることなど何一つない。高く俯瞰してみれば、楽しく笑えることなど小さなこと。まるで打ち上げ花火みたいなものだ。真下から見れば、大音響とともに夜空を一面に覆い尽くす花火も、高度千メートルから見ればぽっと一瞬灯る炎に過ぎない。一々心を奪われるほどの場所にはもう居ないのである。

■埴安の池の堤の隠り沼のゆくへを知らに舎人は惑ふ/Wednesday,19,January,2011 

 早朝の電話で、未明に従弟が亡くなったことを知る。数年前から治療中だったとはいえ、容態が変わったのは急だったらしい。最期まで意識はしっかりしており、救急車の中でも家族にいろいろ話しかけていたという。伯母が亡くなってからわずか5年だった。何とも呆気ない。父親が亡くなった歳よりも3つ若かった。見た目が若い青年のような方だったから、早過ぎると感じてしまう。

 人の死にふれるのは辛い。自分をつくってくれた人が次々とこの世を去っていく。いくら泣いても涙が涸れることはない。誰もが等しく迎えることなのに、悲しく感じるのはなぜだろう。去っていった人たちと同様に、いずれ自分も去るのだ。覚悟があろうとなかろうと、道半ばであろうと夢の途中であろうと、限りない未来は突如停止する。

 いつも思うほど大げさなことではないのだろうか。そして、それほど冷たく厳しいものなのだろうか。僕らに熱い血が通っているうちは、互いの心が通い合っているうちは、その冷たさを感じないだけなのだろうか。

■橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木/Tuesday,18,January,2011

 できるだけ効率よく、シンプルに進めたいと常々考えてはいるが、現実は難しい。中でもうまくいかないのは自分の頭の中の処理で、筋道が立たないうちに伝えようとしてしどろもどろになったりすることは日常茶飯である。

 夕方、多方面から一度に情報が入り込んできたため、頭がコンフリクトを起こし、言葉がおかしくなった。急にたくさんの、しかもまったく関連のない事柄が入力されて、どれをどう処理したらよいのかわからなくなった。いま言っても仕方ないが、今年度の分掌の偏りはとんでもなかった。多くの仕事がここに集中してしまった。それらを捌いて他人に振り分けるのが自分の仕事とはいえ、他人に頼めることと頼めないことがある。

 夜にはひとつ面談があった。効率を優先すれば必ずしも自分が受け持つ必要はないのかもしれない。しかし、効率よりも大切にしなければならないことがあるのではないかと、このケースについてはときどき考える。自分にしかできない等と考えるのは傲慢だが、事の成り行き上窓口は自分だったし、継続することで出来上がっていく何ものかを、醸成する必要があるのではないかと思っている。それが可能なのは、体制から考えて自分だけだろう。

 不思議なことに、向き合うたびに似ているところを発見する。自分の分身ではないかとすら思えてしまう。心の根っこの部分をえぐるような対話がそうさせているのだろうか。苦しむことではない。苦しむことから解き放つことである。相手がもがくくらいに、自分ももがかなければならない。そしてもがいた分楽にならなくてはならない。単純なことではないし、効率的になせることではない。それだけ心に入り込む作業が、このケースについては必要なのだ。

■志賀の海女は藻刈り塩焼き暇なみ櫛笥の小櫛取りも見なくに/Monday,17,January,2011

 徒歩で出かける。雪があって歩きにくい。まるで火山灰を踏んで登山しているときのように、一歩進むと半歩下がるような感覚がある。道幅は相変わらず狭いままで、車が通り過ぎるのを待たなければ通れない場所もある。気持ちに余裕がないのか、車優先と考えているのか、歩行者はことごとく無視され、横断歩道で停止する車はほとんどない。横断歩道で歩行者が渡ろうとしている時、車が停止しなければならないというのは、道路交通法で定められていることである。多くの運転者はそんなことおかまいなしで走っている。歩行者優先とは言ってみても、歩いてみるといかに弱者が蔑ろにされているか、実感させられる。いちいち腹を立てても仕方ないのだけれど、自分が運転する時には気をつけようと思うのである。

 夕方になって、外に出る用事ができた。一旦家まで戻り、車に乗って出かける必要があった。昼間に少し解けたのか、路面が凍って滑りやすくなっていた。歩行者はゆっくり進んでいた。その横を車で進むのは怖い。もしも滑って転んだらと思うと、とてもではないが速度を出そうという気にはならない。歩行者と運転者、誰もがお互いの立場を理解していれば、通行の仕方だって変わるだろうにと思った。

 また帰宅が遅い日々が始まった。夜には電話で長話をした。ワーク・ライフ・バランスというのは、仕事と生活の調和という意味らしい。仕事に偏った生活を20年以上もしている。生活が疎かになっているということだ。もしも均衡を取ろうとしたら、いつ辞めてもいいくらいかもしれない。

 

み雪降る冬は今日のみ鴬の鳴かむ春へは明日にしあるらし/Sunday,16,January,2011

 ひとつの区切りではあるけれど、きょうまでと明日からでは何の変化もない。節目としては何の面白みもない年になった。冬が終わるかというとそんなこともなく、相変わらず雪は多いし、気温は低いし、厳しい冬である。冬来たりなば春遠からじと心に思い浮かべて日曜日の今日も仕事をした。

 14時頃には終わり、帰り道にどこか飯を食べて帰ろうと車を走らせる。車を降りてとある店の入り口を覗くと混んでいた。諦めて帰ろうとすると、店の主人がわざわざ出てきて席ありますという。そこまで言うならと中に入ると、確かに席が空いていたのでそこに座った。しかし、カウンターの両隣に人がいるのはどうも息が詰まるような気がする。しかも、奥には家族連れがいて子供が声を上げて泣いたり暴れたりしている。さらに、隣の男女はきょろきょろ店のテレビに目をやりながら飯を食っている。こういう落ち着きのないところで休日の昼食を取るのは本意ではなかった。

 帰宅してから、映画でも見に行くかという気も少し起きたが、あまりに寒いので布団に包まっていると、知らぬ間に眠ってしまった。

■み吉野の山の嵐の寒けくにはたや今夜もわが独り寝む/Saturaday,15,January,2011

 早朝から事務所に詰めていた。新聞も持ち込んで、お茶を飲みながらゆっくり過ごすつもりでいたが、意外と忙しく応対しなければならなかった。考えられないようなトラブルがいくつかあり、すべて事なきを得たものの、考えられなかったのはこちらの想像力の欠如に依るのだと反省した。悲しい知らせが入り、混沌とした時代が進んでいることを思わせられた。明日は我が身、明日にも同様のことがここで起こるかもしれぬ。その覚悟だけはしておかなくてはならぬ。

 午後1時まで仕事をして、その後は車を流しラジオを聴きながらいくつか買い物をした。部屋に戻って暖房をつけるもなかなか暖まらない。寒さの中でまたうとうとする。何もする気が起きぬ。

 一年間の反省をまとめる時期となり、紙面に向かってあれこれと書き連ねた。書いていくうちに怒りや哀しみがわいてきて感情が高ぶった。感情的になると、筋が通らなくなる。それを気にせず書くと、読む人にとっては読みづらい文章になる。まるでこのページのように、ゴミみたいな言葉の屑。果たしてこんなものが何かを変える力となるのか。

 うとうとしかけた頃に、明日の仕事がらみの電話が一本。そして、某団体からの電話が一本。期待をするなというから期待はしない。しかし、事実を示して理解を求めることはした。これまでそうだったように、思いどおりには事は運ばないだろう、残念だけど。

■夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり/Friday,14,January,2011

 今朝は今冬の最低気温を更新した。ここ数日真冬日から脱していない。先日買った外套が非常に威力を発揮している。もし買っていなかったらと考えると、ちょっと恐ろしい気がする。

 朝から会議が長びいて、予定を大幅に超過した。部署によっては、昼食もとらずに14時くらいまで話し合っていた。考えられない状況がまた表れた。なぜ休憩を取ろうという発想に至らないのか不思議だ。

 帰りにひとつまた嫌な情報を聞かされた。いくつか電話をして、対処することにした。今の風潮なのか、それともここの特徴なのか。上司は部下に命令するのをできるだけ避けようとする。それが曖昧な言い回しとなり、言われたほうが適切に考えて判断しなければならないような状況を生む。そこに余計なストレスが発生したり、しなくてもよい確認を何度も迫られたりして、二度手間三度手間を取らされることになる。言い回しが婉曲的になるのは個人のパーソナリティに起因することかもしれないが、指示する立場としてはそれでは困る。何をすればいいのかを明確に伝えればよいのである。それがどうもよくわからないから、部下は仮に一生懸命でもいつもどこかに釈然としない気持ちを引きずってしまうのである。

 そういう上と下との狭間にある自分の立場を思うと、自分の動きようによってどうにかできることもあるのかもしれない。自分がさまざまな人たちを苦しめているのかもしれないと考えることもある。しかし、できることとできないことがある。もしも同じ立場なら発狂しているだろうと言った人がいた。それもよくわかる。でも自分の場合、発狂はしないのである。発狂はしないけれど、嫌になることはよくある。適材適所なのかは知らぬが、この冬の一連の仕事をみていて、考えさせられることは多い。

あな醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む/Thursday,13,January,2011

 夕方から面会があり、終わると18時近くになった。この日は朝から何人もの人たちと話をして疲れた。部署で新年会があったのだが、結局それには一時間遅れた。アルコールは飲まないつもりだったが、ほんの少しだけ飲んだ。思えば今年初めてアルコールを飲んだ日であった。終わると20時。歩いて帰ると寒さで酔いも冷める程だった。しかし翌日のことを考えればやめておけばよかった。

 

■我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後/Wednesday,12,January,2011

 大雪と寒さのために通勤が困難である。車の雪を払うのも大変だが、歩いて行くのも大変だ。夏は暑かったし、冬も寒い。この傾向はこれからも顕著になっていくのだろうか。季節感の豊かな国だというが、住環境はあまりに貧弱だ。職場の環境はひじょうに寒く、廊下に出ると外と同じくらい冷えている。カナダの冬はここよりもっと厳しいが、それでも廊下が寒いなどということはなかった。

 きょうも定時での退勤だった。デパートがまだやっていたので、地下で食材をさまざま買った。すぐに眠くなり、知らない間に横になっていた。

■沫雪のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも/Tuesday,11,January,2011

 定時に来て定時に帰るのはこの時期しかない。あわよくば早めに帰ろうなどと考えていたがそうもいかず、結局は最後まで残らざるを得ない状況になった。何をしたのかと問われると、それほどのことはしていない。しかし、気持ちは落ち着かず、安らかになる時間はもてない。

 車を置いて買い物に出た。すると、近くのアパートの駐車場から道に出ようとして雪にはまり動けなくなっている車があった。そこで、他の通行人たちといっしょに車を押した。人の多さのおかげで、無事に車は雪からの脱出を果たした。ナンバーを見ると、南から来た人たちらしい。大雪に面食らっていることだろう。

高円野辺の容花面影に見えつつ妹は忘れかねつも/Monday,10,January,2011

 7時過ぎに宿を出て、食事のできる店を探すも見つからなかった。休日の朝の開店は概ね遅いのだった。区画をぐるっと散歩した後、コーヒー店でサンドイッチなどを食べながらゆっくりと話をした。

 部屋に戻って新聞を読み、デパートの開店に合わせて宿を出た。ドアの内側では人々が開店を今や遅しと待ち構えていた。そして10時になると、アナウンスと共に仰々しいファンファーレが鳴り響き、夢の国の扉が開かれるのだった。すべての従業員が丁寧に頭を下げて挨拶をしてくれる。エスカレータを昇るときも、降りるときも。まるで航空機のキャビンアテンダントのようだった。久しく立ち会うことのなかった開店のセレモニーに、古きよき時代の、夢を売るデパートの幻影をみた。だが、幻影ではなく、現実のひとつとして、ちゃんと存在しているのであった。消費者の志向の問題。ほんとうに佳い物を求めるのか、それともただ安ければよいのか。大切に長く使うのか、それとも飽きたら捨てるのか。そういうこちらの生き方が問われている、と考えてみてはどうか。

 デパートでは鞄ではなく、ベルトやネクタイを購入した。鞄はまた今度考えることにしよう。地下で「いも殿下」というお菓子を買った。帰りのサービスエリアでは、これとか大判焼きとかを食べた。

 車で少し用を足してから、昼には高速道路の入り口近くにある旧家の建物の中でご飯を食べた。正月限定の名物の御膳があるというので、それをいただいた。素晴らしく充実した食事内容であった。記念に写真をいくつか撮った。その後、建物の内部をぐるっと見学して、帰路に着いた。

 北に向かうにつれて、空は暗くなり、景色は寒々とし、雪も舞いはじめた。陰惨な空の下で気持ちも沈んでしまう。そして、夢のような三連休は終了してしまった。明るいうちに着いたが、その分就寝も早かった。また翌日から仕事である。

わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも/Sunday,9,January,2011

 朝には雪が降り積もっていた。車で出る時には雪を払う必要があった。それでも県境を越えると地面は解けており、走るのが楽だった。午前中三軒の親戚を回る。すべて初めて会う人ばかり。それほど緊張するでもなく、かといって思うようにゆっくりできるわけでもなく。こうやって繋がりが増えていくのは素敵なこと。たっぷりのお茶と、いろいろと旨い物をご馳走になった。途中で何度か大きな商店の洗面所に立ち寄った。午後には実家に行き、久しぶりに義母と話をした。変わらず、元気そうだった。短い時間だったが、強い光を浴びた気がした。

 それから街までは国道を通った。窓の外はまるで春のような日差しだった。人が集まる街には、それなりに理由がある。気候もその大きな理由の一つなのだ。宿に車を置いて、商店街を歩く。鞄屋を物色したり、アップルストアで話を聞いたり、図書館で雑誌を見たりした。一つの店で暖かそうな外套を見つけ、試着等してみるうちに欲しくなり購入した。このような買い方を世間では衝動買いというらしい。しかし、今回買った物の中でいちばんの収穫だったのではないか。

 その後はあちこち迷って結局牡蠣を食べさせる店で夕飯を食べた。昨夜のようにへんな邪魔も入らず、その選択は間違っていなかったと言えるくらい、充実感のある食事であった。

■あかねさす昼は田賜びてぬばたまの夜のいとまに摘める芹これ/Saturday,8,January,2011 

 七草粥など食べた記憶はない。今年の正月には餅すら食べなかった。行事食を意識して食べることがもともと少なかった。最近はそれにますます食べる機会が減ってきた。食の大切さは理解しているつもりだが、だからといってたくさん食べればよいというものではない。むしろ、食に関して思慮が足りないのかも知れぬ。

 早朝には、眠気の中、外に出て車の回りの雪かきをした。雪が凍り付いて、滑って転びそうな状態だった。部屋でうとうとしながら、何かを読んだりしていた。

 10月以来の再会を果たし、夕方から南の町に車を飛ばして、駅近くの宿に入った。これから夕飯という時にタイミング最悪の緊急電話。一度では済まず、何度もやりとりを迫られ、せっかくの温かい食事は冷え、白飯も喉に通らないくらいおもしろくない思いをした。何か月ぶりかもわからないくらいに久しぶりの食卓にも関わらず、邪魔が入った。必然性があったわけでなく、誰が考えてもわけのわからない電話。それに翻弄されている自分。そして仲間達。嫌がらせではないかとさえ思ってしまうほどだった。よくこんなことがある。誰かの悪意すら感じてしまう。だが、何のために。

 雪の中を歩いて、日本ならぬ世界に名だたるジャズ喫茶に初めて足を踏み入れる。落ち着いた照明。壁一面に並べられた古いレコード。大きなスピーカーからの大音響。しばらくその音の中に身を投げ入れてみる。初老の男性が目を閉じ、気持ちよさそうに音楽に合わせてトランペットを吹く真似をしている。曲が終わると拍手する人がいる。ライブのレコードで、観客の声や雑音まで明瞭に響いている。あと一曲あと一曲と思っているうちに時間が過ぎていき、一時間くらい椅子にもたれて聴いていた。不思議と、さっきまでの不快な気分は消滅してしまった。音楽は心を解放する。音楽さえあれば、心は平和を取り戻せるのだった。

■葦辺行く鴨の羽交いに霜降りて寒き夕は大和し思ほゆ/Friday,7,January,2011

 きょうは祖父の日。昭和63年のきょうの朝方、祖父が亡くなったのだった。だからかなのかそれとも寒かったからなのか、朝方悲しい夢で目覚めた。今年は実家に戻っていないから、近いうちに挨拶に行きたい。

 年が明けて三日間は大きな山だった。その山を越えてホッとした。しかしまったく気は抜けない。それでも三連休前で一段落つけることができてよかった。いろいろなことが勉強になった。よかったのは、何人もが自分と同じようなことを学び、共有できただろうということだ。成果が出るかどうかはこれからの話となる。

 きょうは16時に退勤して、ようやく修理の終わった鞄を取りに行けた。その帰り道にメールで、携帯電話の修理完了の連絡が入った。携帯電話を引き取った帰りに床屋に寄った。前回来たのがいつだったのか思い出せない。暮れだったかもしれないし、11月だったかもしれない。とにかくリラックスしたかった。横になっていると限りなく睡眠に近い状態になった。産直で米と林檎を買った。帰宅してからも何本か電話のやり取りがあったが、すべて解決して区切りがついた。

 モバイルSuicaとEdyが使えなくなった。Suicaのほうは復旧可能だがEdyはできないらしい。幸いそれほど入れていたわけではない。いわゆるおサイフケータイは便利だが、サポート体制は未整備だと知った。さまざまなことがリセットされた日。

 

初春の初子の今日の玉箒手に取るからに揺らく玉の緒/Thursday,6,January,2011

 朝から先手を打ってシンプルな方法を取れるように画策した。万事うまくいきそうだったが、思わぬところで足を取られて打ち合わせが長引いた。思いつきで案もなしにいろいろなことを出されても長くなるばかりなのだが、それを受け入れるスタッフの度量の深さよ。いかに自分が短気な人間であることか。根本的に自分のリーダーシップの無さが招いていることかもしれない。

 きょうこそは早く帰ろうと目論んでいたが、そうはいかなかった。チームで取り組んでいれば、それぞれがミスをする可能性があるわけで、思わぬところで問題が発生することがある。これは仕方ないことだが、発生しても大きな失敗の前に危機が回避できればよい。ヒューマンエラーは想定内。そもそもが危機を回避するためのシステムだから、結果的に問題がなければそれでよい。これからも可能性がある。心してかかりたい。それにつけても、自分のことが何一つできない週日の状況をどうにかしたい。

 

■世間を何に譬えむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし/Wednesday,5,January,2011

 昼には少し時間を取って、ひとりで飯を食べに出た。息が詰まる感じ。喜怒哀楽のどれでもない感情。しかしストレスというものとも違う。お互いの立場はよく理解できている。一度は僕もそちらの立場に立って考えていた時期がある。だから、その孤独も焦りも不満もある程度だけどわかる。責任範囲の狭い者はお気楽で、文句は言うものの、足下で当然やるべきことを疎かにしていたりする。それに、上の立場の方々だって自己の課題と向き合っている。初めて入った店では焼き魚の定食を食べた。普通の家庭のご飯という感じ。魚は鰰でプツプツしたハラコの食感が気持ちよかった。

 何事も一筋縄ではいかないのだなあと、自分を取り巻く状況を、もうひとりの自分が背後から見て笑っている。それぞれの理屈はそれなりに正しいし、個々の背景あっての言葉であるし、一生懸命に誠実に仕事を成そうとしているからこその助言であり指導なのだし。だから、いちいち腹を立てたり、食い下がったりしても仕方ない。中には意味の分からぬ者もいるだろうが、かれらに教示したり説得したりすることまでは、自分の仕事の範疇ではない。まずは清濁併せ呑み、できることは即改善。人生に活かすのはこれから。

 スタンダードは何か。昨年までの同僚がよく言っていたことだ。何がいちばん良いことなのか。そもそも進めるべきことは非常に単純なことなのに、なぜに人によって年によって場所によってこれほどまでにやり方が変わってしまうのか。スタンダードというものがない。これは不幸なことだ。実態に応じてなどというのは方便で、実は現場任せ。お人好しの業界人達は、それでよしとして何十年も従うだけだった。スタンダードを求めることもせず、もっとうまくやろうという創意も工夫もなかった。恥ずかしいことだと思う。

 結局きょうも遅くなった。一日中雪が降っていたようだ。その割には車にはそれほど積もってはいなかった。鞄の修理が終わったというので、取りに行くつもりがそれもできなかった。雪明かりの中で思った。このように暮していても死んでしまえば終わり。残るのは言葉だけ。だとしたら日々の言葉をやっぱり綴っていこう。

 

■ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く/Tuesday,4,January,2011

 朝には少しゆっくり出た。車ではなく徒歩で出かけた。道の両脇に積まれた雪のために道路が狭くなり、歩きにくかった。地方の議員が辻に立ってマイクを持って演説していたのを見た。一カ所目の人は声が小さくて何を言っているのかわからなかった。二カ所目の人は、行政の除雪サービスの悪さを指摘していた。なるほど歩くのに苦心している人々にとっては共感を得る内容だと思った。

 仕事には気力充実で臨んだ。誰もが自分の立場で一生懸命仕事をしようとしていた。それにしても、計画どおりに物事が進まないことが多いのが残念だ。計画が甘かったと反省すればいい、という単純なものでもなさそうだ。二度手間を避けるべくやってきたにも関わらず手間をかけさせてしまうのは心苦しい。原因はどこにあるのか。一部手直しというだけでは解決できない大きな問題があるような気がする。とはいえそれに手を付ける前に、いま目の前にあることに心を砕かなくてはならない。

 終わるとすでに夜更けだった。静かな夜。仕事始めの日から残業してしまった。帰ってから車を出した。灯油を買わなければいけなかったし、食料も必要だった。雪のために通行車線が半分ほどの狭さになっていて、車にしても通りにくかった。雪の降らない地域はどれほど楽だろう。除雪の費用がかからないとしたら、何億円もの予算を他のことに使えるではないか。

 除雪対策としてもっと活用したらいいと思うのは子どもたちの力だ。中学生ボランティアを地域が本気であてにしたら、かれらは大きな力を発揮してくれるだろう。どう組織するか、どんな仕組みを作るか、大局的な見地から考えればできることだ。だが、それを考えるのは行政であり、政治の役割であって、間違っても自分の仕事ではない。

■我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ/Monday,3,January,2011

 年末年始の休みもきょう限り。正月気分など特に今年は味わうことなどなかったので、明日からの仕事にもすんなりと戻れそうな気がする。休み最終日というと以前は嫌な気持ちになったものだが、いまやそれは過去のことで、きょうは心を落ち着かせて過ごすことができた。

 読むか、食べるか、寝るかの一日。ラジオも音楽も聴かずに、外に出ることもなしに過ごした。気がかりなのは、車に積もったままの雪と、残り少なくなった灯油。明日には灯油缶を積んで車で出かけよう。

 老後というと早い気もするが、別の人に言わせるともうそんなことはないだろう。もはやこれからのことを行動に移していく時期である。何か新しいことをしたいかというと、これといってしたいこともない。したいことは、すべてこれまでわずかでも齧ってきたことばかりだ。学生時代に手がけた江戸期の小説について、もう二十年以上も放置しているけれど、これほどまでに思いが強く残るとは驚きだ。先生は、必ず本にしなさいと仰ったが、その意味もこれだけ大きいとは思わなかった。それから、旅は今後もテーマの中心となるだろう。旅について何か形にして、それを売って喰っていくことを考える。能力も努力も途上だが、どうにかして生業としていかないとならない。

 儲けることは考えないとしても、収入を得ることは考えないわけにはいかない。まだまだ心許ないが、舟を漕ぎ出す時期がいよいよ来たか。人生の後半開始。新しい海への船出である。

■この世にし楽しくあらば来む生には虫に鳥にもわれはわりなむ/Sunday,2,January,2011

 3日くらい前から携帯電話の画面が出ない時があって、寒さのせいかと思っていたがそんなことはなく、近くの店に持って行ったら修理に出すことになった。直るまで代わりの電話機を持つことになったが、大きいし扱いにくい。いっそのことこれを機に解約しようかと思ったがそうもいくまい。だいたいこういう節目の時に、何かが壊れたり寿命が来たりするものである。データ移し替えの待ち時間を使って、隣の本屋を少し物色した。元日のテーマが万葉集だったので、一月間それを続けてみることにする。そのための簡単な参考書を求めた。定型詩はあまり好きではなかったが、職業柄いつまでもそんなことを言っていられない。

 ところで、今年だから特にということはないが、これまでやってきた(やらないできた)ことをもう少し意識して継続してみようかと思う。人にとってはどうでもいいことだが、自分が心がけてきたことの中で思い当たるところを三つ書いておく。一つ目は、ショッピングモールに行かないということ。二つ目は、テレビを見ないということ。そして、三つ目は晩酌をしないということ。買い物は町の商店街か市場を使う。地物を優先して、安くても遠くのものは極力買わない。したがってコンビニもできるだけ使わない。テレビは最低限のニュースを得るのみで、それ以外はオンデマンドを視聴する。たいていはラジオで間に合うし、インターネットで海外のメディアに触れるほうが日本のマスコミよりも広い視野で情報が摂取できる。新聞は昨年一年間で信用度が半分以下になったが、とりあえずあと三ヶ月は続けることにしてみる。そのあとは知らない。酒は以前からほとんど飲まないが、師走に調子を崩してから特に、飲酒した翌日の体調が酷くなることを体感した。ビールをぐっと飲みたいときもたまにはあるが、それは何かの宴の時だけにして家では一切の酒類を絶つ。昨年までと何ら変わらぬ。

■新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事/Saturday,1,January,2011

 故郷の町に戻ると道路が雪で覆われていた。それが凍って堅くなり、通り過ぎる車の底にぶつかって音がしていた。雪が降らない地方でも寒風に皆首を窄めて歩く様を見てきた。雪の多さや気温の低さは寒さを示す度合いにはならない。南の人も北の人も寒い時には寒い。

 カナダの人々の多くは圧倒的に冬の季節が好きなのだという。寒さの中に美しさや楽しみを見いだすのが素敵なところ。北日本に住む我々もかれらに通じる感性をもっているのではないかと思うことがある。寒いときでしか見られない景色があるのを知っているし、それを見つけるのは寒さの中での散歩の途中。今朝引いた御神籤のように、問われるのはこちらの受け止め方のほう。

 いくつもの町を歩いてきた。どこの人々も寒い寒いと口を揃えて言っていた。それだけの寒波が日本列島に襲ってきた年末年始。寒さの中でしかみえないものがある。それがいったい何なのか探ろう。つらく寂しくみえることの中に、豊かで素晴らしい実りの種があるのかもしれない。

 今年がどんな年になるのかわからない。いつものことだが、道程を山より海に喩えたくなる。新しき船出のイメージが浮かんでくる。内湾から外海へ。南の温かな水から北の冷たい水へ。穏やかな凪から波の荒れ狂う時化へ。何処に放り込まれても最後まで泳ぎ切る泳力。これでもかという状況を明るく撥ね除け、しぶとく生き残る力。そしてそれを吉と受け入れる度量が欲しい。