2011年7月

 

■月曜の/Sunday,31,July,2011

 月曜の零時過ぎに帰宅。だいたい毎年繰り返されているのであろう儀式のようなものを見た。本日の予定はまったくの予定外。しかし、捕らぬ狸の皮算用をしたわけではない。

■朝が/Saturday,30,July,2011

 朝が早いためか、腹の調子が悪かった。けっこうたいへんな一日だった。夕食はこの地方の名物をごちそうになった。

■やませの/Friday,29,July,2011

 やませの影響か、気温が低い。携帯電話を尻のポケットに入れていたのだが、鳴っても気づかずに何度も迷惑をかけた。そのほかさまざまぽかをした。疲労か。

■朝は/Thursday,28,July,2011

 朝は普通に出勤して、昼からは3泊4日の出張。

■きょうも/Wednesday,27,July,2011

 きょうもだいたい月曜日からと同様。

■きのうと/Tuesday,26,July,2011

 きのうとさして変わりない日となる。

■7時に/Monday,25,July,2011

 7時に家を出て、22時頃に家に着く。このパターンが後3日は続く。仕方がない。

■きょうはほとんど/Sunday,24,July,2011

 きょうはほとんど一日仕事だった。少なくとも今週末まではそういうことになる。実はいま8月7日である。この日まで、腰を据えて記録するような余裕はなかった。というわけで、これ以上置くと忘れてしまうのでとりあえず書き出す。ただし、簡易的な記録に留める。

■きょうは通院の日/Saturday,23,July,2011

 きょうは通院の日。朝8時前に家を出て、高速道路で北に向かう。日は照っているものの気温は低く、窓の外の景色を見ながら走ると爽快だ。このまま秋になってくれたらどんなにいいか。

 先生は傷はほとんど塞がったと言った。しかし一般的な経過を辿っているわけではないらしい。むしろ逆の現象が起きており、まだしばらく様子を見ることが必要だということだ。

 実家にも少し寄った。思えば祖母の百か日にも来られなかった。何でもない世間話をして、盆前に来る弟たちのことを打ち合わせしたりした。

■大きな区切りがついて/Friday,22,July,2011

 大きな区切りがついてほっと一息入れるも束の間、きょうも多方面との連絡調整に追われる日となった。よかったのは、珍しく夜に電話が一つも鳴らなかったことだ。明るいうちに、必要なことを済ませることができたということか。あるいは翌日突然どこかで何度もやり取りを強いられるのだろうか。

 ビールこそ飲まないが、落ち着いたこの飲み会の雰囲気は嫌いではない。構成年齢が高いからか皆おとなで、おとなの対応をする。自分などまだまだだと思わせられる。やるべきことも有無をいわさずやらねばならぬのだが、それは当然というものだろう。突き放されているというより、守られているのかも知れぬ。とにかくまあがんばれということである。

 

■いつもこの時期に/Thursday,21,July,2011

 いつもこの時期に切羽詰まった感じで進めていたことが意外とすんなり片付いて、会合の方もどうということなく、ちょっと肩すかしを食らった感じで終了した。何の感慨もなく、次のことに移る。

 こちらは何だかにわかに周囲がざわめき始めて自由がきかなくなってきた。だがこれまで案外と自由に過ごすことができていたのだから恵まれていたともいえる。時間がないところであれもこれもと詰め込んだので、隙を狙われて攻撃される。相手の熱意は理解するが発言の意図が分からないときが多々ある。どういう経緯でこのような人格が形成されてきたのか。とにかく連絡を密に取り合い、できることを粛々と進めるしかない。これまでにないつながりをもったプロジェクトであれば、一夏どっぷり浸かってみるのも悪くはない。得られた精髄は大きなものとなるだろう。

 

■すっかり涼しくなって/Wednesday,20,July,2011

 すっかり涼しくなって、夕方には半袖だと寒いくらいだった。寒いなら着れば済む。暑いのはどうしようもない。台風前の一時のことだろうが、もう秋になっても構わない。

■三連休明けの一日は/Tuesday,19,July,2011

 三連休明けの一日は暑さが少し和らいだ。それでも暑いことには変わりなく、喉も乾いたし、不調を訴える者もいたし、全体的に低調であることは先週と同じだった。

 朝いちばんに、さまざまな書類の提出を求められて、頭が混乱した。用意していたものと、まだ作っていなかったものがあった。午前中の空いた時間に作った。そんなことよりずっと重要な書類の方が後回しになった。三回ほどプリントアウトしてようやく提出した。

 早く帰るつもりだった。しかしそうはいかなかった。今月いっぱいは、そんな感じになりそうだ。

■今年くらい/Monday,18,July,2011

 今年くらい「海の日」の意味に苦しむ年もなかろう。この日が祝日になる前は7月20日は「海の記念日」と呼ばれた。ウィキペディアによると、「海の記念日」は、1876年(明治9年)、明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく灯台巡視の汽船「明治丸」によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことにちなんで制定されたそうだ。よく意味がわからない。それがどうして国民の祝日になってしまうのか。「海の日」になったのは平成7年のことである。

 世の中意味のわからないことはたくさんある。原子力にまつわる旧勢力、未だに利権構造に浴しようという奴らが人の命を食い物にしようとしているというのはほんとうに意味がわからない。戦争で儲けようとしたバカッチョ大統領と似たような人たちが、この世には信じられないほどたくさんいる。

 今日は休みだったが、いつものように早起きした。むろんサッカーを見るためだった。逆転に継ぐ逆転、そしてPK戦での華麗なる勝利。日本のお国はどうなってしまうのだろうと、最近では暗澹たる思いばかり胸に渦巻いていたが、今朝の女子サッカーチームには救われた。茂木健一郎氏が書いていたが、一つの大きなブレークスルーだったのだ。さて今度はこちらがブレークスルーする番だ。

 それにしても暑過ぎである。CBCのサイトによると昨日トロントの最高気温の記録が塗り替えられて35度を越えたという。あちこちに異常な暑さが襲っているようだ。きょうはパチンコ屋の駐車場が満杯だった。冷房の効いた場所で時間つぶしができるならなんていい休日の過ごし方だと初めて思った。

 夕ご飯は近くの店に一人で行って味噌チャーシューメンを食べた。何か月ぶりかでラーメンを口にした。「ラーメン食べたい」は矢野顕子か。豚肉と野菜と塩気のあるスープが熱中症対策にはちょうどよい。そして、帰りはスーパーで涼みながら少しだけ買い物をして帰ってきた。ざっと言葉にするときょう一日はこんな感じである。そして、言葉にならなかったものはすべて、最初から無いに等しい。

 

■きのうとほぼ同じ時間から/Sunday,17,July,2011

 きのうとほぼ同じ時間から始まり、また暑さの中を一日過ごした。周囲の一つ一つの言動の意味が少しはこちらの脳にも理解できるようになってきたが、まだ100分の1にも満たないのかもしれぬ。そして、こちらが発信する言葉の意味の1000分の1もかれらには届いていない。まるで太陽の光にかき消されている星の光というように、光を発してはいるがどうしようもなく弱いのだ。

 もしもそこに自分が不在であればどうであったろうか。展開は変わっていたであろうか。この件に関して、いる意味がいったいどこにあるのだろうか。この問いとは20年来向き合ってきた。そして未だに答えが出ない。目指すところが違えば、動きも違うのが当然である。それについて何も言うことはない。できることをやるだけだ。だが、システムの問題として考えるならばわれわれは一種の犠牲者だ。もしも改善の余地があるのなら、それに向けて動きを作る必要もある。いずれにせよ、今後8月まではもっと暑い中に実を投じていくことになる。そんなこと、自分以外の誰が一体できるというのか。

■4時起床/Saturday,16,July,2011

 4時起床。5時出発。長袖を着て、帽子を目深に被って、燦々と降り注ぐ太陽の下で9時間。風もないので体調を悪くする人が続出した。適切な対処がなされなかった場合、どうなるかわからなかった。自分はその場にいるだけで何の役にも立たなかった。もっとも情けない種類の人間だと羞じた。

 帰宅すると普段とほとんど変わらなかった。こんな夜に早く眠りに就く以外に何ができるというのか。

■日中は少し雨が/Friday,15,July,2011

 日中は少し雨が落ちたものの気温を下げるまでには至らず、逆に湿度を上げてしまった。結局この一週間は暑さの中で過ごした。今までなら梅雨がまだ明けていない時期で、大雨の続く頃だったのだが。

 夕方になってまた少し雨が降って、ようやく涼しくなった。きょうは若干ん早く終わるかと思ったが、気がつくと昨日までと変わらなかった。基礎的な体力というものは備わっているが、人によってはもう既に暑さで参ってしまっている人もいる。暑さは寒さと比べて軽視されがちだったと思うが、これからはそうもいかない。殊に子どもたちの夏休みを減らそうなどということはもってのほかである。

■毎日暑いので/Thursday,14,July,2011

 毎日暑いので、体力的にも精神的にも追い詰められた状態になっている人は多いと思われる。特に昨日や今日は酷かった。三階の部屋は高温多湿で風もない。9時頃の気温はすでに30度を越えていた。団扇ならぬ下敷きで扇ぎたくなる気持ちもよくわかる。時と場所を考えて扇ぐには何の問題も要らぬ。熱中症にかかってしまうよりはずっといい。

 それにしても、もともと四季の変化の豊かな土地だからなのか、かつて日本では暑さついてはずいぶん情緒的な反応が多かった。ニュースではきまって子どもらがアイスを食べたり水浴びしたりしている映像が出ていたものだ。いまもそうなのかどうか、テレビを見ていないからわからない。だけどもしもそうなら呑気過ぎもいいところだろう。

 「高温注意情報」が出されることになったというのだから、状況は違ってきている。しかし、その情報が出されたときに事業所は、学校はどう対処すれば良いのか、なんだかよくわからない。対策もわからないのに気をつけましょうといわれても、どうしたらよいかわからない人も多いのではないか。

 カナダでは暑くなりそうな日にヒートアラートとかエクストリームヒートアラートとかが出ていたことを思い出す。発令中の事業所や学校での対応が細かく決められており、屋外の運動などがかなりの強制力をもって制限されていたと記憶している。

 それに比べると、暑いからといってどうしたらよいのか、水分塩分を取って熱中症対策をという呼びかけは当然だけど、あくまでも個々の判断に委ねられている部分が大きい。国による管理など不要で自分で判断すればいいという理屈もわかる。しかし、体育祭で中学生が救急搬送されるとか、乳児が車内でぐったりとか、全国各地で相次いであるところをみると、そういう国民の判断能力は落ちていそうである。やれ根性、やれがんばれという風土では、暑さを我慢してグランド5周とか言っている先生も学校にはまだまだいそうである。

 というわけで、そういう警報が出る時には学校は下校とか、運動の大会も中止とか、夏休みは3か月にするとか、そこまで徹底した対策を施すことが必要ではないかと思うのである。

■夕方から夜にかけて/Wednesday,13,July,2011

 夕方から夜にかけて外に立っていると涼風が心地よい。好むと好まざるとに関わらず、自分の前に現れる様々な「困難」の場から逃げずに向き合うのは、難しいことだがとても大切だ。その場にいることの意味は、その場にいなければ見いだすことはできない。どうしてここに自分がいるのか。どうしてここに勤めているのか。どうしてここにこうして住んでいるのか。

 それ自体について「いい」とか「いや」とかを問うても意味がない。自分と自分の所属する集団にとって、それがどういう意味をもつのかを考えなければならない。考えない者に、その意味はわからない。わからない者は、何をやってもうまくいくわけがない。

 いつも助けてもらっていますが、内田樹氏の「妥協と共生」という文章を読んでなるほどやっぱりそうではないかと溜飲が下がった感じ。そこから転じて、と言いますか、昨夜僕がかれらに話した、自らの限界を超えるということとも繋がったわけである。まずもう少しやってみるかという気になった。

 ケネディ大統領の就任演説の有名な行だが、確かによい言葉と思う。実に汎用性が高い。「わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか。わが同胞の世界の市民よ、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、われわれと共に人類の自由のために何ができるかを問おうではないか。」

■7月も二週目になると/Tuesday,12,July,2011

 7月も二週目になると時間に追われて焦りを感じるのが常であるが、今年はあまり感じない。どこだってこの時期に時間がないのは変わりないし、いつものように今度の連休も見込めないから、夜だって遅くなったとしてもおかしくはない。だが、多くの人の退勤時間は異常なまでに早く、誰も焦りなど噫にも出さない。むしろゆるゆるした感じ。

 見方によっては、みな余裕をもち、素晴らしい働き手たちである。しかし、この感覚はどこからくるのか。どうも昨日から考えていることと繋がっているように思う。それはそれでいいのかもしれない。だけど、もし家に仕事を持ち帰ることが日常と化してしまったら、どこで安らげばいいというのだろう。いや、そもそもかれらは持ち帰らず、時間内に終えて、帰宅しているのだろうか。だとしたらすごい。自分も少なくとも職場ではもう少しけじめをつけて取り組みたい。

■予定が急に変わるのは/Monday,11,July,2011

 予定が急に変わるのは日常茶飯事である。きょうも朝になって変更がわかり、それに伴っていくつかの修正を余儀なくされた。各自がそれぞれ少しの工夫をすれば問題にならない程度のものではある。それについて不満を漏らす人もいないしその必要もない。だが、先の見通しをもう少しもっていれば予定そのものが違っていただろうにと思う。フレキシブルというのか優柔不断というのか、とにかくちょっと首を傾げたくなる場面があった。

 何をしたいのか、何をさせたいのかが伝わってこない、という声を聞いた。自分に対してというのではなく、それは組織全体に対しての素直な感想だった。内情を割り引いて考えても、たしかにその通り疑問に思えることがある。その原因が何なのかはっきりとはわからないが、きょうのような姿勢が深く影響しているのではないかという気がする。

 

■昨日と同じくらいの/Sunday,10,July,2011

 昨日と同じくらいの時間に出て、昨日と同じくらいの時間、昨日と同じようなことをした。相変わらず暑くて、灼熱という言葉がぴったりだった。ごくたまに雲が太陽を遮る瞬間だけ涼風が抜けた。

 8月のある日、上司に連れられてある高原の山小屋に行ったことがある。誰かを訪ねたはずだが誰だったのかは覚えていない。その道すがら、上司は電柱のてっぺんに止まった一羽の黒いカラスをイヌワシだと思い込んで、二人で近づいていくとそのうちカラスがこちらをばかにしたように鳴きながら飛んでいって、上司は悔しそうに何度も「騙された」と言っていた。その時の山小屋にはだるま型の薪ストーブがあって、もう真夏の時分なのに寒いから、煙突から煙がもくもくと上がっていたのを記憶している。かつて高原ではだいたいそうだった。

 あの時の上司には何一つ叶わなかった。それは今でも変わらないけれど、唯一無二の存在ではないことには後になって気がついた。要は、僕自身が出会った人間の数の少なさからくる単純な誤解だった。

 人から学べることは多い。人の数ほど論理があって、流儀があって、正解がある。僕の中ではついこの間まで、すべての問いの答えは一つだった。どんなことにもいちばん理にかなったやり方というのがあったし、頭のいい人の理屈が世界の最も正しい方向性を示すものであった。そう信じて生きてきた。

 寒さの夏は今では灼熱と化し、イヌワシの姿など未だに見たことはなく、話すことが一々ごもっともだった上司は年老いてどこにいるかもわからぬ。理解は、すべて誤解から成り立っている。

 夜に家人の眠っている時、「トニー滝谷」の映画を観た。前に見た時はいつだったか。それに比べると非常に重い感情が残った。都会の映像がやけに白っぽくて、登場する人々は静謐の中のセレブリティたちだった。そこには短いようで長い物語があった。戦争が深く影を落としているのが初めてみえた。小説をまじめに読んでみようかという気になった。目に見えるものだけをみていたのでは人間の所業など解けない。聞こえない声をきこうとしない限り、人間なんてわかるわけがなかろう。

■久しぶりのフィールドに/Saturday,9,July,2011

 久しぶりのフィールドに立った。いくつかの言葉を交わすのみで、あとはただその場にいることに徹した。真夏の暑さの中で8時間突っ立っていた。疑問が絶えず渦を巻くが、答えは見つからない。

 ただ、ひとつ思い当たったことがある。僕が今まで諦念と思っていたことは、もしかしたら気骨や気概という言葉に繋がるものなのではないか。繋がるというより、気骨や気概に繋げていくことなしには、次のステージに進むことができないのではないか。そしてそれがやがてはその人の矜持に変わるのではないか。積極的にやろうとは思わないけれど、どうせやるなら無駄な時間にはしない。これも自分の貴重な時間だ、しかも休日の。

 だからといって世の中の何が変わるでもないけれど、自分の中での意味とか価値が変わるのは確かだ。これまで下らないと思っていたことに意味を見いだすことができれば、それに越したことはない。

 思えばそうやって自分の生きる意味を広げてきたのが誰かの人生ではなかったか。あるいはそうやらないで自分の生きる意味を狭めてきたのが誰かの人生だったのか。ベクトルが違うとはいえ、同じようなものなのかもしれぬ。

■日中それほど暑いとは/Friday,8,July,2011

 日中それほど暑いとは思わなかったが、ほかの人々の反応を見ているとそうでもなかったらしい。とにかく昼食前も後も眠くてしかたなかった。きょうの午後にはさいわい事務に集中できる時間が設定されており、ネプカケしながらでもおかげで仕事に区切りをつけることができた。眠気も峠を越えて乗ってきた頃に周囲を見渡すと、スタッフのざっと6割くらいが既に姿を消していた。

 少なめに見積もっても一日の走行距離は70キロを越える。少し遠回りや寄り道をすると100キロ位にはすぐなる。それに加えて毎週のように遠出をするから、一週間にざっと1000キロは走っている。そういえば地震の後のガソリン不足の頃、暖房もつけずに厚着をして走っていた時に50000キロを越えたのだった。それから4か月でもう68000キロを越えた。確かに計算は合っている。

■法令を遵守せよと/Thursday,7,July,2011

 法令を遵守せよということで研修が行われた。どうもこの研修は各所に義務づけられており、詳細の報告も求められているらしい。長時間ではないし内容もくだけたもので、負担というほどの負担を微塵も感じさせないものだったのは企画者の度量といってもよいだろう。

 法を守ることを求められるのは民として当然だ。しかしそれでは、この国は法を何と心得ているのか。民は民で法を遵守する。同様に国は国で法を遵守するものではないのか。憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」 国民の権利は踏みにじられたまま、国は民の生活の保障を留保したままである。それでも怒らない我々は、忍耐強いのか、それとも愚かなだけなのか。国は法を遵守せよ。民の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障せよ。

■夜に電話が/Wednesday,6,July,2011

 夜に電話が鳴った。それを取って話を聞いた瞬間、目の前に30年前にみたような光景が広がった。その人は言ったという。どうして自分ばかりこんな目に遭わなければいけないのかと。振り返ってみれば僕は学生時代にそんなふうにして休んでしまうことはなかった。だからその人の苦悩を理解することはできない。痛い思いはそれなりにあったけれど、大変な人に比べればたいしたことはなかった。

 「自分ばかり」という言葉に激しく引っかかった。心の中で君ばかりではないよと言った。そういうことはある。きょうはたまたま君にその災厄が訪れただけであって、君が何か悪いことをしでかしてその罰が当たったとか、前から運命づけられていたとか、決してそんな理由があるわけではない。ただ、当人は気持ちの余裕を失っているために、自分だけという狭い考えに囚われているのだ。

 余裕のない人に何を言ってもわからないかもしれないけれど、みかたを変えるとこれを機に君は大きく飛躍できる。その苦悩の先に、他人の痛みがわかり他人を気遣う心が生まれる。前向きとかプラス思考とかよく言われるようになった昨今でも、不平や愚痴は相変わらず飛び交っている。負の気持ちをたっぷりと抱えたまま過ごす度量は、むしろ減っているといっていい。あまりに慌ただしい日々のためにせっかくの体験を消化できずに過ごしている人が多いのだろうか。

 でも君は変われると信じる。それは君が未来に生きる人だからだ。全幅の信頼を僕は君に寄せることができる。古い人々が世を去った時に生きているのは君たちだから。 どんなことでも成長の機会と受け止める態度こそが、成長の大前提だ。君たちにはその機会が今後無数に訪れる。なんて楽しみなんだ。

■梅雨寒などといって/Tuesday,5,July,2011

 梅雨寒などといってストーブを焚くような時代もかつてはあった。季節の移り変わりはもっとやわらかいものであり、暑さと寒さとの中間、寒さと暑さとの中間こそが、一年の大半を占めていた。しかし今は、暑いか寒いかしかない。春や秋が心地よかった頃が懐かしい。

 もう少し落ち着いて物事に取り組みたいのだけれど、その時間がなかなかとれない。時間の長さということもあるがその質について、かつてとは違ってしまった感がある。そしてそれは不可逆的な変化であって、以前の僕はそのことをそれほど深刻な変化だとは思っていなかったフシがある。止めどなく沸き上がる情念のために、ものが真っ直ぐ見えなくなることがある。こんなふうに魂が落ち着きを失うなんて。それが治まるどころかむしろ甚だしくなるなんて。袋小路に追い詰められた老人の気持ちになると、どうにも哀しい。

 

■何かもうすっかり/Monday,4,July,2011

 何かもうすっかりこれまでのことは途切れてしまったように感じる。未だに体育館に暮らさざるを得ない人々が大勢いるというのに、誰もそのことを考えていない。最も考えなければならない種類の人々でさえこうなのだから、何を信じたらよいものか。失望は留まらない。最低というのは更新されるものなのだ。危機感も大きくなると麻痺が進むのか。こういう国に住まざるを得ないことの、みえない嘆き。劣化というのか崩壊というのか。どんどん深いところまで沈んでいき、浮かぶことはない。

 

■午前中早くに/Sunday,3,July,2011

 午前中早くに行動するつもりだったが、故あって出遅れた。時間の使い方もそうだが、空間や所有しているモノとの付き合い方というのも、4月からだいぶ変化があった。それで、3か月が過ぎたいまでもまだそれに慣れていない。毎日同じ時間に同じことをするとか、同じところに同じモノを置くとか、いつもと同じ状況を作り出していつもと同じ作業を進めるとか、スタンダードというものが定まっているといい。それは個人的にはもちろんのことだが、組織的にもそうなっていると有り難い。

 高速道路を使った。昼前には目的を果たし、中心街などを少し歩いて、車で移動した住宅街のレストランで昼食にした。料理は高くはなかったが、かけた時間が2時間くらいと、非常に贅沢な時間を過ごした。帰宅は16時となったが、何も邪魔の入らない休日は悪くなかった。

■今朝も短時間だが/Saturday,2,July,2011

 今朝も短時間だが仕事の動きがあって、昨日と同じ時刻に起床した。4時半過ぎには家を出て、7時過ぎまで外で過ごして、それから北へと進路を取った。400番台の国道をそろそろと、万緑の中を走る。ところどころ町があるが、ほとんどは山である。仕事も済んだし、土曜の朝のドライブは気分がよかった。

 2週間ぶりの通院で、手術後の経過の良好なことを認められる。まだ処置が不要というわけではないが、出血も痛みもほぼなくなってきて、生活上の不便さはかなり低下してきた。実に有り難いことである。あとは3週間後に来れば良い。保険金取得のための書類を忘れたが、次回に書いてもらおう。

 実家では少し昼寝をした。すっかり真夏の暑さだった。冷やし中華を食べてゆっくりしてから4号線を南下して家に戻った。

■昨夜も暑くて/Friday,1,July,2011 

 昨夜も暑くてやる気がしなかったので、今朝は3時過ぎに起きてから仕事をした。そうまでしなくてもいいくらいのことではあるけれど、こちらはこちらで早くに済ませようとするものだから、そうすると少し無理を押してやっつけることになる。つまり、自分の首を絞めているのである。ネクタイくらいなら許せるが、それ以上だと苦しい。

 朝が早かったことを理由にして、夕方は明るいうちに帰途に就く。ちょうど橋の向こうに日が沈むところを撮影。視界の開けたこの一角は、どこから何を眺めても眺めがいい。この橋は増水したときの川幅を考えてのことだろう、大きく重厚な建造物である。そして渡る時にはラジオも聞こえなくなる。