2011年5月

■久しぶりにからっと/Tuesday,31,May,2011

 久しぶりにからっと晴れた朝。5月も本日で終わり。日中は、あまりに楽観的でいたためか、見るもの聞くものそれにことの展開、一つ一つがやけに引っかかり、面白くない。心配なことは悩んでも解決しない。解決するためには手立てを組まねばならぬ。その手立てを組んだなら、後には安心が来なければ嘘である。どういうわけかそれでも安心は来ない。要は手立てが手立てになっていないのである。

 面白くない日中が過ぎて、夕方から20時半頃までは外にいた。明日から6月とは思えぬほど寒い風に晒された。しかし、日中とは違って、寒いことのほかは何も障らなかった。誰のどんな言動も、自分の糧としようという意識が強くて、苛立ちも困惑も皆無だった。ただ、すべてが済んでの帰り道で無性に空腹感を感じたので、コンビニで何か買って車内でむしゃむしゃ食べた。

■一週間の始まりは/Monday,30,May,2011

 一週間の始まりはあまり意欲のわかない日だった。台風崩れの低気圧が掠めていったためか、日中の天気は少し荒れ模様となった。しかしそのため全体的に早く退くことのできる日となった。まったく好都合だった。意欲のない自分にはちょうどよく、いい加減で楽な一日だったということである。

 それはあまり良いこととはいえない。もっとこう何かを自分に厳しく課す日々でなくてはならぬ。

■朝早く電話が/Sunday,29,May,2011

 朝早く電話がかかってきて、きょう行くはずだった行事が中止になったことを知る。仕事漬けの1日の予定が、すっかりぽっと何もなくなった。少し拍子抜けする。

 こういう日に限って有効な使い方はできないものである。悪銭身につかずではないけれど、降って湧いた時間はだらだらと過ごしてしまうことになる。朝には3時間くらいテレビを見てから、母親の携帯電話の機種変更に出かけて1時間。その後進路を南に取って雨の中を2時間。帰るとなんだか夕方まで何をしたかわからない時間を過ごした。これでこの週末も終わり。

■朝から雨だった/Saturday,28,May,2011

 朝から雨だった、たしか。今週も通院のため8時頃に家を出た。実家から車で15分のところにある個人病院。検尿や採血や簡単な検査をしてから、入院に関する具体的な説明を聞いた。そして、院内の施設をぐるっと回った。全部で1時間ほどかかった。

 実家では持ってきた仕事を済ませてから、だらだらとテレビを見て過ごした。お宝のテレビの再放送を二つ続けて見てから、教育テレビの放射能の特集を見た。恐ろしい内容に身震いするほどだった。たいへんなことが進行しているにも関わらず、自分はどうしてこうも呑気でいられるのだろう。

 夜もテレビだった。ふしぎ発見はポルトガルの特集。終わってから本が読みたくなった。ベッドで読んでいると眠ってしまった。

■その日暮らしの癖がついてしまって/Friday,27,May,2011

 その日暮らしの癖がついてしまって、何日か経つともう何があったかなんて忘れてしまっている。明日のことすら考えていないから、夜になって慌てたり、次の日の朝まで落ち着かなかったりする。

 この日はたしか帰宅後に外に出たのだった。少し北の町をあれこれ走り回った挙げ句、カフェと名のつく店で肉料理を食べたのだった。それからスーパーに寄って何か買って戻った。とにかくその週はそれで終了したのだった。

■今朝はゴミを捨ててから/Thursday,26,May,2011

 今朝はゴミを捨ててから、同じ時間に家を出ると、人には誰ともすれ違わなかった。この間まで、歩いて通勤をしていた時には、たくさんの人々とすれ違った。ほとんどの人は、毎日知らない人だったけれど、中にはほとんど毎日顔を合わせる人もいた。挨拶を交わすほどのことはなかったにしても、同じ顔に出会うことに悪い気はしなかった。でも、その人たちが今も無事かどうかは知らない。

 橋を渡ってから、昨日来た道を反対に遡ってみた。昨夜通った空間に車を止めて写真を撮った。まだ写真は見ていないけれど、仮にうまく撮れていたらの話だけど、来月の表紙はもうこれしかないと決めた。基本的に主食はお米だから、そのお米のなる畑を美しく感じる。美しく感じる、この心がある。心があることの喜び。田んぼに今年も水が入り、稲が植えられ、日の光と清浄な空気と雨を浴びて伸びる。当たり前の話。当たり前であることのしあわせ。

 当たり前の話が、もう当たり前でなくなった今、しあわせはもうかつてのようには存在しない。かつて当たり前だった景色を目の当たりにして、おそるおそる深呼吸してみる。放射能が混じっているのか、わかり得ないけれど。これまでと同じように息を吸ってみる。それしか呼吸をする方法を知らないから。何をどのように防護するかなんて知らないから。

 新しい朝が始まった。始まったと同時に、終わりに向かい始めた。だけど、昨日と同じように終わるのならば、それで何も言うことはない。

■だいたい同じ時間に/Wednesday,25,May,2011

 だいたい同じ時間に家を出ると、だいたい同じ時間に、だいたい同じ場所で、同じ車とすれ違ったりする。山道。最初から最後まで山道なので、人はあまり通らない。通ると言えば、集団登校の小学生たちばかりで、跳ねたらどうしようと思うと目が覚める。だから、山道ばかりの運転に慣れるというのもどうもなあと思う。

 もう二十年近く前の話だけれど、こんなふうに遠くの家から通っていた人が事故を起こして、身体中包帯ぐるぐる巻きになって、それでも自損事故でとりあえずは命に別状なくて、それでも何週間か休んだりして、たいへんだったことがあった。たぶん居眠りしたんだろうと、周囲の人たちは囁いていた。

 山道だった、そこも。僕は毎日だいたい別のルートを通るので、緊張感たっぷりで眠くはならない。今夜も初めての山道を通った。そしたら、川と山との間に、きれいな田んぼの広がる空間を見つけた。

 

■身体の調子の良い悪いによって/Tuesday,24,May,2011

 身体の調子の良い悪いによって、これほどまでに気持ちが変わるというのはおかしい。ひと月先のスケジュールまで、調子が良いからと請け負って、後悔するなどということは日常茶飯事である。何事も調子の悪い時や調子の悪い人に合わせて行うのがよいのかもしれない。

 そうこうしているうちに火曜日も終わった。このままこの一週間も過ぎていくだろう。何ら変わらない。僕らはもうすでに遠くに来てしまっているのだけれども、それすら気づかないほどに何も変わっていない。商魂逞しい輩がまた新たな商売を始めた。食い物にされる者達は、食い物にされっぱなしだ。

■自然な流れで/Monday,23,May,2011

 自然な流れで新しい週の仕事に出かけた。慣れてきたというよりも、それはいつものこと。何も変わっていないことの異常さを感じつつも、一日は何も変わらない。まるで、最も重要なことに誰もがわざと触れないでいるかのように、以前と何ら変わっていない。恐ろしいと思う気持ちさえ、萎え気味。

■あまり天気のよくない日曜日/Sunday,22,May,2011

 あまり天気のよくない日曜日。気温もあまり上がらず、過ごしやすい日だった。午前中はテレビを見たり、葉書を作ったりした。昼過ぎには近所をぐるりと歩いて、葉書を投函して、洋菓子屋でケーキを買って帰った。近所とはいえ初めて目にするものばかり。田んぼにはタニシがたくさんいた。20分ばかりで帰宅して、それからは本を読んだり、居眠りをしたり、仕事をしたりした。

■病院では内視鏡を使って/Saturday,21,May,2011

 病院では内視鏡を使って検査をした。事前の準備を周到に行っていたためか、検査自体には痛みはなく、時間も予想よりかからなかった。しかし、先週処方された薬は今回は出されず、とにかく手術までは痛くても我慢するようにと言われた。来週もまた病院に行くことになった。

 その後はホームセンターに行って、実家の庭で使うコンクリートのブロック等を買ってきた。それから国道をひたすら南下。途中でラーメン屋に寄って昼食。胃腸にほとんど何にも入っていない状態で、久しぶりにラーメンを食べた。夕方に帰宅してから洗濯。夜には蕎麦屋で夕食。

■昨夜は電話やファックスの/Friday,20,May,2011

 昨夜は電話やファックスのやり取りのために、帰りの時間が予想よりずっと遅くなった。きょうは通院のことがあるため一日休みを取ることにしていた。そのため、必要な連絡は昨日中に行いたかった。先週と同じ中華料理屋に行って夕食をとった。おいしかったし、量も十分で満足できた。しかし、食事を終えて携帯電話を見ると、着信やメールが入っていた。帰宅してから連絡を取った。その後は、久しぶりにテレビを見た。江戸時代の髪結いの話がとても面白かった。

 今朝はいつもよりも遅く起床した。午前中は痛みと格闘していた。ソファでしばらく横になっていた時には楽だったのだが、一度立った瞬間に痛みが走り、しばらくは身悶えするほどだった。微熱もありそうなので仕事等は手に着かない。そう言いながら、いまパソコンに向かって日記を書いている。

 気温は高い。今朝よりも雲が出てきて、空は白く霞んでいる。湿度も高くなってきたようだ。洗濯物を取り込んだら、少し外の空気を吸いに出よう。スーパーマーケットに行ってツナ缶を買ってこよう。そしてから病院の方に出かけよう。ということで、本日の日記は昼前に終了。

  

■日によって/Thursday,19,May,2011

 日によって軽重が異なるのが不思議だが、常に疼痛がある。きょうはどちらかというと軽かったが、このところは体力や思考力、集中力が全体的に低下してきているような気がする。これが酷くなったときに車を運転していると、歩道に乗り上げたりするのだろうなと思う。集団登校の子どもたちの側を通る時には、跳ね飛ばす場面を想像してぞっとする。

 痛みの中で、わけのわからないことを考えている。たとえば痛みと忙しさを比べてみる。生きていれば常に何らかの痛みを抱えている。同様に、働いていればいつも忙しさからは逃げることができない。他人の痛みのわかる人間になれという。自分も他人も同じ人なのだからと。痛みの重い時があるお蔭で、軽い時には解放感を感じることができる。もしも常に痛みがなければ、痛みのないことの有り難さをいつになってもわかることなく生きなければならない。それは生きているといえないかもしれない。

 忙しさの程度の大小は少なからずあるが、たいていの場合、仕事をしていることそのものを「忙しい」という言葉で置き換えているのではないだろうか。忙しいと感じるのは主観的なことだから、誰も客観的に忙しさを測定できるものではない。定職があり、一日のある程度まとまった時間仕事をしている場合には、「忙しい」と表現する。そういうものではないか。僕は就職してからこのかた、ずっと忙しい。痛みの中で生きるのと同様、忙しさの中に身を置くことは、人として有り難いことなのだろう。

■4時半起床/Wednesday,18,May,2011

 4時半起床。胃検診があるため6時過ぎに家を出る。早いので道が空いている。途中のコンビニで朝食を買う。体調が思わしくなく、車に乗っているのも辛い。集中力が低下している。会場では順番を待つ間に本を読もうと思ったが、眠気と痛みで進まない。終了して、車内で朝食を取り、出勤するといつもの時刻だった。

 18時過ぎ、早々に職場を後にする。朝に飲んだバリウムのせいか、腹が重い感じがする。抗生物質は効いているのかもしれないが、効いていないのかもしれない。それほどに疼痛は続く。こうなると手術までが待ち遠しい。

 帰りは途中から通ったことのない農道に入った。このところ一部知らない道を通って帰る日が続いている。山の中を実にさまざまな道が縦横無遇に張り巡らされていることがわかる。なかなか面白い。

■昨日病院で/Tuesday,17,May,2011

 昨日病院で抗生物質を処方してもらったから、当然その効き目を当て込んでいた。医者には症状は治まるけれど治ったわけではないと注意を受けていたものの、その症状が一向に緩和されないことの落胆は意外と強かった。これまでで最も痛みの強い一日を過ごした。

 痛むほどに生きている実感が湧くというのは、おそらく事実だろう。辛い時にこそ生きている手応えがある。幸せで夢見心地の時には、却って命があるのにないような不安を覚えるものである。神は僕にもっと生きろと叫んでいるのだろう。それならばまず、生きなければならない。

 昼休みには保険のセールスがやってきて、これまで何回となく聞いた台詞を吐いていった。これから先何年生きようと、保険に依って何の安心が得られるというのだろうか。津波ですべて流された被保険者のうち、何人が一体保険の恩恵を受けたのか。原発事故の放射能に因って死ぬ人々のうち、何人が果たして安心を得られるというのだろうか。

 もう買わない。むしろそれを解除する方向にしかもはや世界は動かない。

■早朝少し片付けをして/Monday,16,May,2011

 早朝少し片付けをして、朝食の後に家を出た。4年くらい前に何度か通った病院に行き、診察を受けた。前回は痛かった記憶はなかったが、今回はやや痛かった。症状も病名も異なっていた。できるだけ早急に手術をする必要があると言われた。今週末には事前の検査を受けることになった。ベッドの空いている日を教えてもらったので、明日にはさっそく相談して予約の電話を入れなければならない。

 久しぶりに本屋を物色してから、以前住んでいた部屋のテーブルのネジを外して車に積み込んだ。その他の書類もとりあえず積み込み、昼過ぎにそこを後にした。来る前に本屋にも立ち寄ったから、特に街に出る気にもならず、そのまま国道を南下した。実家に寄ってはまた総菜を貰い、明るいうちに帰宅した。

 

■いつもと同じ時間に/Sunday,15,May,2011

 いつもと同じ時間に家を出る。慌ただしく出たのでいくつか忘れ物をした。忘れたからといってどうということもないものばかりだったが、なければ多少不便を強いられるものだった。まず、途中のコンビニでボールペンを購入した。きょうの目的地は平野のど真ん中にあって、朝から夕方まで晴天に恵まれ、新緑が眩しかった。何をしたわけではないが、太陽の下に一日中いたので顔が日に焼けた。終わるとそのまま北上して実家に戻った。

■昨夕にはほんとうに/Saturday,14,May,2011

 昨夕にはほんとうにへんに明暗のくっきりした山陰を見ながら帰ったのだった。そして初めて使ったコーヒー屋のドライブスルーで、思いがけずうまいコーヒーに出会った。今後もたまに買ってみよう。

 土曜日の出勤はいつもよりもだいぶ早かった。やることは決まっていた。それほどの不安はなかった。大船に乗った気になっていたと言っても良い。ときどき風が強く吹いたが、大事には至るものではなく、太陽が照りつける時間もあったにせよ、僕自身は日陰にいて、それほど日焼け等を気にする必要もなかった。

 夕方にはさすがに疲れて、ほっとした時に手を鉄のパイプの折りたたみ部分に挟めて左手の親指を負傷した。幸い出血もさしたることはなく、少し寝台で休むとずきんずきんする痛みも引いた。とある反省会場のある町で、薬局に立ち寄り、消毒薬やら包帯やらを購入した。ただ、情けない思いと、これから数日の日常生活の少々の不便さに対する煩わしい気持ちが残った。

■雨の予報だったが/Friday,13,May,2011

 雨の予報だったが、朝にはすでに雨が上がっていた。外で作業をするには疲れていたから、ちょうどよい休息の時間となった。午後には少しだけ外に出て、黄砂によるものなのか、空がへんに霞む中で雑多な仕事をした。この営みがどのような効果を生み出し、どのような合理的理由で続けられているのか、僕はまだよくわからない。しかし、それを楽しみに待っている人がたくさんいたり、常識としてその存在が捉えられていたりするのであれば、自分が納得するかに関わりなく、取り組んでみる価値があるはずだ。すべてを二つに分類するとして、納得できないことのほうが多い。誰だってこの中途半端な状況を最後まで抱えながら生きる。

■朝には天気が/Thursday,12,May,2011

 朝には天気がよかった。車窓の景色はまさに桃源郷であり、このような美しい土地に暮らしていることを感謝しないわけにはいかないと思った。車で走り抜ける鄙の大地はなかなかに素敵である。

 昼を過ぎてから風が変わって、雲が多くなってきた。気温も下がって季節がひと月戻ったような寒さになった。昨日と同じく午後から冷えた。そして夕方からは雨が降り出した。この雨は明日の昼まで続くらしい。

 木曜日も終わった。金曜、土曜、そして日曜と仕事は続くけれど、どうということはない。なぜなら仕事だから。仕事という言葉上は、調えるべき物事はそれほど多くない。アイテムを増やしたところで何も変わらない。むしろ、自分の心性を根底から変えることができるかが問われる。昨日の自分とまったく違う自分になろうとする心をもてるかである。

■この2か月という時間が/Wednesday,11,May,2011

 この2か月という時間が長いか短いかわからない。例えば最初の一週間と直近の一週間とでは、密度がまったく違う。2か月というまとまりがあるのではなく、一瞬一瞬の積み重ねが、時の流れをつくる。流れの中で人が死に、人が生まれ、その繰り返しの内に時代が遷移していく。

 新聞を読んでも、ラジオを聴いても、あの日以来関連の言論に触れない日はない。それなりに自分も考えていることがある。しかし、考えるほどに、何も考えていないことが浮き彫りになる。

 災害と一口に言ってしまえるほどの出来事ではなかった。全世界の方向性をも左右する人類の歴史の転換点といっても過言ではないだろう。そう言っているのを、ラジオで聞いた。

 夜には近所の中華料理店で食事をした。五目焼きそばと春巻き。味がよかったのでまた食べに来たい。帰宅後はゆっくりとCBCのラジオに耳を傾けた。言葉の輪郭をはっきりと聞くことができた。だが、単語力が足りないので意味がわからない部分が多かった。

■午前中は/Tuesday,10,May,2011

 午前中は思考力が鈍っている。回復してくる頃には体力が落ちている。無理が祟ると至る所に痛みが出る。人間も自然の一部。自然の流れに従って暮らすことは難しい。それにしても、それを難しいと感じることすら難しくなっている社会。何とかならないものか。

 午後から風が変わって寒くなってきた。冬と同じ服装に着替える。暑くなっては脱ぎ、寒くなっては着る。その繰り返し。何も慣れることなどできずに一か月。素敵なのは、車窓の景色。若芽が蕗いてきて美しい季節。

■黄金週間も終わり/Monday,9,May,2011 

 黄金週間も終わり、仕事に戻った日。全国の多くの人々が同じような憂鬱に苛まれていただろう。仕事にまつわるストレスというか精神的負担というのはあって当たり前なのであって、それを受け止めてクリアすることで人間的成長が得られるものだろう。それを自然に感じられるようになったのは最近のことだ。自分の上にばかり雨が降るような気分などには、もうなることはないだろう。

 きょうも面倒くさいことばかりあったが、見方を変えれば極々普通の一日だった。思うようにならないことばかり。しかしそれはいつものことであり、まだ思うようには生きられない未熟な等身大の自分を反映しているに過ぎない。何も違和感も不満もないが、もう少しゆっくり思索する時間を取る工夫が必要だと感じている。

■ちょうど祖母の/Sunday,8,May,2011

 ちょうど祖母の四十九日だった。昨夜から実家に泊まる。実家の部屋に積み上がっていた夥しい本や書類を整理すると、かなりすっきりした。仕事のファイル等をそのままにしていたが、すべてゴミだった。押し入れの中には十年以上前にしまってそのままの書類がある。いずれ近いうちに片付けたい。

 親戚たちがやってきて、皆で墓参に行く。その後は家で持ち寄りの昼食。山菜料理が多く、会話も山菜関係のことが多くなる。いつもの如く料理をタッパに詰めたものを貰って帰った。

 母親の話によると、四十九日を前にして祖母は早々に部屋から居なくなったそうである。それは4月23日のことだったそうだ。それまで部屋にあった「気配」が、この日を境にすっかり感じられなくなった。百年も生きれば、この世への執着も残るまいと笑ったが、そのように感じる感覚があるということに感心した。僕はといえば、いつも周りをあの世に行った多くの人々に囲まれて生きているような感じがしていたが、ほんとうにいるような感覚などというものではないのであって、それは単なる思い込みなのかもしれないと思った。

■3月まで/Saturday,7,May,2011

 3月まで住んでいた街に行き、3月まで住んでいた部屋に入る。近くのデパートで用事を済ませて部屋に戻ると眠くなった。ベッドに横になるとそのまま3時間眠った。積んでいた文庫本等をバッグに詰める。今となっては借りている理由は見つからない。テーブルとベッドと洗濯機が残っている。エアコンもそのままになっている。これらをどうにかして、夏までには撤退する方向で考えたい。

■天気が悪かったためか/Friday,6,May,2011

 天気が悪かったためか、朝の目覚めがよくなかった。とはいえ、仕事の日はいつもこのような感じである。出かける前から帰ることを考える日が増えた。きょうもそうだった。できれば休みを取って早く帰りたいとさえ思っていた。しかし、いざ出勤すると、夢は打ち砕かれる。打ち砕かれても絶望するようなものではなく、流れてしまえば何の不満もなく夕方まできてしまうものである。

 きょうは朝から嬉しいことがあり、途中で帰るなどということはできなくなった。嬉しいことなので、すべてのことが吹き飛ぶくらいに嬉しかった。だが、来週どうなるかはまったくわからない。

■こどもの日/Thursday,5,May,2011

 こどもの日とはいえ、こどもと無縁に過ごす。平和な一日。朝には自転車で出かけたが、きょうも団子屋は休みだった。近くの産直でそれほどでもなさそうな団子を昼食に買って、すぐに帰宅。車にも乗らず、ほとんど出かけずに、三連休の最終日を暮らした。

 パソコンに向かって日記を書き続けた。4月は一か月たいしたことを書かなかった。ネット環境がなかったのも大きな原因だが、それよりも新しい生活に適応することが優先されたことが大きい。時間だけでなく、じっくりと自己に向き合う余裕もなかったのである。それでは自分自身何のまとめもできずにおもしろくないことがわかったので、これからまたちゃんと日記を綴りたい。

■挨拶状の/Wednesday,4,May,2011

 挨拶状の原稿を作った。印刷屋に頼むつもりでいたが、そうするまでもないという気持ちになった。午後には近郊の産直に出かけて野菜等を買って来た。空は晴れていた。桜はもう終わりだった。ゆっくり愛でることなどなかった。

 その後、少し自転車に乗った。この町に来て初めての自転車だった。おいしいと評判の団子屋に行ってみたけれど閉まっていた。川原には、菜の花がたくさん咲いていた。いちばんきれいな季節だ。

■昨夜しばらくは/Tuesday,3,May,2011

 昨夜しばらくはいつ携帯電話が鳴るかと戦々恐々としていた、恐れることは何もないのに。朝の気分にはゆとりがあった。何一つ心配することはなかった。ここから比較的簡単に出かけられる都会へと車で向かった。自然食の店で昼食を食べ、デパートなどを渡り歩いてはいくつか買い物をした。今住む町の地図がまだできていない。そしてこの町から方々への距離感もまだわからない。

■働けば/Monday,2,May,2011

 働けば休みという気楽な一日。しかし、こういう一日であれば休日にするほうが効率的ではないかと思う。10連休くらいにして家族でゆっくり過ごせる期間にするのがいい。カナダだったらそれが当然だが、日本なのでそういうことはなかなか実現できない。文化の違いといえばそれまでだが、どちらが好みかと問われればもちろん前者と答えよう。

 

■この三連休は/Sunday,1,May,2011

 この三連休はまるまる仕事だった。きょうの夜にはそのまとめとして、遅くまでの酒宴に参加した。酒宴とはいえ当然素面で、帰宅したのは22時を過ぎていた。仕事と学びの差がわからないような、言ってみれば貴重な三日間を過ごした。