porque  porque

2015年1月  Januari 2015

Saturday 31 January
 Today was a fine day. I did do my work in the morning. After that, I walked from Amstelveen that I live in to Amsterdam.  I went along Beneluxbaan up to north. That was my first time. Snow remained iced. And it was hard to walk on ice.  That was dangerous. Beneluxbaan has lots of big trees along the road. Around Zuid station has big buildings. And I discovered that there are a lot of shops. I bought a sandwich in Kiosk and ate it on bench in front of buildings. Then I could refresh my mind.

Friday 30 January
  Today was the last school day of January. We had only three classes in the morning. Then students went to home at 12:05 pm by school bus. School staffs had a time for study about  the education of Holland. We went to National Education Exhibition at Utrecht city by our staff's car. We saw lots kind of educational material and books. But regrettably we could not quite speak and read Dutch.  It was happy for me that some people asked me in English and I told to them in English a little.

Thursday 29 January
 The weather was bad. It snowed and rained, and it hailed at night. The road was slippery and walking was hard. I started to go to BLTC at 6:30 pm from my work. I took a break in a Kebab shop to eat supper.Then, I arrived at BLTC earlier than time. But some people were already coming there. We told some thing each other. After the class, our teacher Alan and classmates were talking by Whatsapp. I thought that they are good speaker of English. I want to learn English more.

Wednesday 28 January
 It was the skate-day in my Japanese school. It was the second time this winter. After two subjects, we went to Jaap Eden ice rink from our school by bus. Students and staff have enjoyed ice skating. But I was tired, so I forgot my camera in a seat of our bus that return to school. After the bus had gone, I perceived that. Then I called the company of the bus, and I got back my camera in this afternoon.  

Tuesday 27 January
 There was an English class from 8 pm. It was the third night. During that class, I wrote my telephone number on a white paper. I wondered why it was only telephone number.  I thought it is better to write e-mail address too.  But afterward, I understood that reason. The telephone number is used to send 'whatsapp' to each mobile phone. I downloaded that application on my iphone next morning.

Monday 26 January
 Today, It was a sleepy day for me. Because it was work day, and next day of the new year party. Early in the evening, my colleague and real estate manager and I looked for a home for a new teacher who will come in April. The house we looked at today is very good thing. It has three bed rooms and two toilets and garden, terrace. I think that if I were new comer I want to live in such house.

Sunday 25 January
 We had a new year party of Tohoku-region  today.  I ate Japanese traditional foods like Japanese rice cake and soba too much. And I drank some beer and talked with people who came from Iwate-prefecture that is my home country.  It was rare happy time to meet my countrymen.   

Saturday 24 January
 Snow fell in around my house Amstelveen for the first time this season.   In the morning, the ground was covered with snow.  Children who live near here were playing on the road. They touched snow and made snow balls. The snow almost melted by noon. In afternoon, I went to walk around the city. A cold wind blew, but I could refresh my mind.

Friday 23 January
 It was pretty cold today. I saw the ice on the canal. The temperature would be below zero today all day. But, young children went outside of school building, playing actively. I don't believe that. It was weekend long-expected. I and my wife drank beer at home at night.

Thursday 22 January
 Today I was very busy at work. I had to write lots of documents, and send E-mails. And I told to my colleague about work. Then I couldn't eat supper. I was almost late for English class. After class, I went back to my home, and ate Udon noodle before going to bed.

Wednesday 21 January
 Dutch students came to my Japanese school today. They and our students made cultural exchange.One of them tried to practice Japanese calligraphy. Japanese students taught that Chinese characters have an order to write.  Dutch students were impressed with that.

Tuesday 20 January
 I started a new English lesson at BTLC. I joined to English 4 course. Allan is our teacher. He is from Manchester UK. I heard that his wife is Japanese. The time of lesson is from 8 p,m,to 10p,m,. It is late for me a little. But I want to make an effort to learn English.

zaterdag 31
 昨日の朝には雪が積もった。昼には少し解けたのだけれど、また夜から降り始めた。夜には近くの広場に面した店で食事をした。外食の機会はそれほどあるわけではないが、子どものいる家庭と比べると多い方かもしれない。以前の赴任の時を思い出せば、レストランというところに入ったことは無かった。その代わり、フードコートの安い物ばかり食べていた。昨日車の中でその時のことを聞かれて、そういう時はいつでもそうだが、あまりうまく説明することができなかった。今とは比べようがない。楽なこと、苦しいこと、内容が全く異なり、総体としてどちらが楽とか苦しいとか、一概には言えない。ただ、今は今がいちばん苦しいし、その時はその時で苦しみの渦中にいたのだ。そのさなかで、ささやかな楽しみというものが確かにあったし、今でも楽しいことはある。ただすべては自分の問題であり、他人がとやかく言いようのないことだということは言える。

vrijdag 30
 あっという間に月末。本日研修のため通常業務は午前で終了。ユトレヒトまで車を乗り合わせて、NOT(National Education Exhibition) というイベントを見に行った。広大な展示場の中に、教材や教育機器、その他教育関係の企業や団体のブースが並んでおり、そこで品物を見て触れて、説明を聞いたり、品物を買ったりすることができた。ところどころに試供品やさまざまなプレゼントがもらえるブースもあった。2年に1度行われるというこの展示会はたしかに興味深かったが、すべてオランダ語であるという点で、我々の世界とは遠くかけ離れているように見えた。しかし、気軽に声をかけてくる人たちもいて英語で会話をすると少しはおもしろくコミュニケーションが取れたので、自分としては良い機会だった。いろいろな物をもらってきたが、それを目当てに行く程度ではあまりにもったいない。せっかく子どもの幸福度世界一と言われる国に来ているのだから、そこから何を学んで帰るかが、問われているのではないか。

donderdag 29
 雷が鳴ったり霰が降ったりと不安定な天気だった。午前はめいっぱい時間が詰まっていたので、息つく暇も無かった。昨日の会議の後に何人かだけ別室に呼ばれて、次の年のことの提案を受けた。年度替わりの時期は煩雑だ。何年経っても、どんなところに置かれても、果たして自分にできるのかと不安は拭えない。だが、何とかして必死にやってみると、満足とはいかないながらもある程度の手応えが感じられたりする。これまでの経験で学んだのは、労苦を恐れることはないということだ。むしろ面倒なことから逃げる態度のままでは何も越えられない。しかし、何のための労苦かを俯瞰できなければ意味が無い。今年も矛盾を抱えたまま春を迎える。場所が変わっても、何ら変わらない。

woensdag 28
 一時間も空きがないのはなかなか厳しい。その合間に2時間、スケート場に出かける時間が設定されていた。今日は3回あるうちの2回目だった。スケート場とをバスで往復した。片道15分の道のりで、帰りに少しうとうとした。降りてから、カメラを車内に置き忘れているのに気がついた。すぐに連絡を取ってもらい、夕方程なくしてカメラは手元に戻ったが、これは集中を欠いている証拠だ。昨夜は20時から22時まで英語の3回目があった。教室はたいへん良い。だが、その前後の時間の使い方がまだ定まっていない。しかも、帰宅するともう23時だから、就寝時刻も遅い。選択は悪くないと思っているけれど、体力的に正直きつい。

dinsdag 27
 昨日の夕方には少し早く退けて、家探しに行った。次に来る人の世話をするのは二年目を迎える人間の大きな仕事になっている。不動産屋の立ち会いのもと、まだ人が住んでいる物件を見せてもらった。家主がスペインに行くというので空くことになった部屋には吹き抜けがあり、オランダでは珍しくエアコンが備え付けてあった。それとは別に床暖房が完備され、中2階から吹き抜けに臨むところの柵はただの柵ではなく、オイルの通う暖房器具だった。ベランダも庭も広くきれいに整えられており、こういうところに住んでみたいと思わせる物件だった。

maandag 26
 もの凄い勢いで時間が流れている。しかし、それが充実感と結びついているのかはわからない。月曜日の朝はほかの曜日より少しハードルが高い。わけなく越えるのは自分の日常だが、人によってはたまに越えられない時がある。身近な家族なりがもし越えなくてもいいよというメッセージを発すれば、誰も越えようとしないだろう。ここのコミュニティは驚くほど狭小なので、専ら家庭の価値観如何で、作られるその人の宇宙が変わる。その恐ろしさにあまりに鈍感な人々の多さに、唖然とすることがある。

zondag 25 
 昼から東北の人たちの集まりがあるというので出かけた。自分のことは後回しにしてくるくる働く人たちがいるおかげで、その会は成り立っているように思えた。東北以外の出身の方で、何らかの縁をもって参加している人も何人かいた。持ち寄りやら、そこで拵えたものやら、たくさんの食べ物が並んだ。酒も少しは飲んだが、食べ物だけで十分だった。何人か同郷の方とも知り合って、ここはオランダにしてオランダにあらずという、不思議な感じがした。会場となった幼稚園のホールは終始笑顔が溢れていた。

zaterdag 24
 窓を開けると雪景色だった。今冬初めてのことだ。気温が上がり、午前中にはほとんど消え、残っているのは日陰ばかりになった。朝のうちはまとまりもなく過ごした。英語と日本語の日記をまとめて書いたり、いくつか言葉を調べたりした。その合間にラジオを聞いたり、テレビを観たりした。
 14時過ぎから散歩に出かけた。zuidまでバスに乗り、そこから歩いた。初めて通る道を選んで歩く。今まで知らなかった側面がまた自分の地図に加わった。文房具屋で、カードケースを買った。夕暮れの時刻が日に日に遅くなっている。17時半に帰った時もまだ外は明るかった。 

vrijdag 23
 今週の山は昨日越したので、きょうは一日なだらかな斜面をゆっくりくだるような感じで過ぎただが相変わらずいくつものメールを送らなければならず、いくつもの文書を作らなければならなかった。一週間が終わったということで油断したのか、送信してから後悔したものが一通あった。5分ほど自己嫌悪に苛まれ、あとは忘れた。
 言葉を吟味することは大切だ。だが、吟味すればするほど伝えたいことの意味はたったひとつに集約され、さまざまに受け取ることができる曖昧なところが取り除かれてしまう。言葉は意味が重要という側面もあるが、言葉が存在することそのものが言葉の意味だという気もする。

donderdag 22
 新しい鞄で2度目の出勤だった。前回より少し早めに家を出たらバスとメトロの接続が良くて、ずいぶん早い時間に職場に着きそうになった。それで、一駅手前で降りてゆっくり歩いた。まだ日の出までは1時間ある。外は真っ暗である。トルコ人街はパン屋の灯りだけが輝いている。店の中では祈りの姿の男たち数人がパンをかじっているのが見えた。
 仕事は夜まで息つく暇もなく続いた。しかも腹の立つことばかりで、ひとたび持ち上がった問題に収拾を付けるのが困難だった。それで職場を出るのが遅れ、トラムに乗るのが19時30分を回る頃になった。そのため夕飯を食べることもできなかった。それでも仕事以外のことに意識が移ると、気が良くなって問題のことはすっかり頭から離れた。初回よりも人が増えて、夜の教室には活気が増した。

wonendag 21
 オランダの子どもたちと少し会話する時間があった。硯と半紙を前にして、日本の文字について説明したり、名前について質問したりした。主導する仕事ではなく観察者として参加できたので、楽しく関わることができた。かれらも英語を学ぶ身であり、あまりに速い言葉にはついていけない様子だった。オランダ人はたいてい英語が何の問題もなく話せるが、それは幼い頃から自然に身に付いているわけではなく、教育によって徐々に習得されるのだと感じた。オランダ語と英語の差異は、日本語と英語の10分の1ほどもないだろう。それを考えに入れても、日本の英語教育の環境は残念なほど整っていない。

dinsdag 20
 元日に買った鞄を初めて使った。公共交通機関だと、いつもより20分早く家を出なければならない。この日はバスとメトロの接続が悪く、駅で10分以上待つことになった。風が冷たかったが、寒いとはいえ雪はないし氷点下にもなっていないので、どうということはない。できるならこのまま春になってほしい。
 この日から英語の日記を付けることが義務づけられた。同じ日記だからといって、日本語でも英語でも内容が同じになるとは思えない。おそらく英語だと単純な組み立てにしかならないし、語彙も僅かなので無味乾燥なものにしかならないだろう。しかし、これが力を付けるには良い方法だというアラン先生の言葉には疑いの余地は無い。
 
zontag 18
 気がつくと1月も半分が過ぎ、クリスマス休暇の余韻などもうどこかに飛んで無くなってしまった。年度の終わりが見え、ここに来てからの日々がもう少しで一周するところまで来た。仕事は仕事として容赦なく肩にどかっとのしかかる。自由とは好きなことを好き勝手にやることではない。自由には責任が伴い、他の尊厳を侵すことは許されない。何度も聞いてきたことだが、体現するのは難しい。我々の社会が市民社会の域になどまったく達していないことをことあるたびに感じる。リバティとフリーダムの違いさえ実のところ理解できてはいないのだ。