2015年5月 May 2015


Sunday 31 May

 五月もきょうで終わり。新しい年度が始まってから、ネットに一度も文章を上げていなかった。文章を書いてはいたが、すべて仕事のものだった。教科の専門のことと、学部のことと、隔週で書くものがある。特に教科に関しては、完全に大人向けの文書だから、何の制限も無く書いている。大人に向けてとはいえ、対象の理解の度合いを考えて内容に制限をかけざるを得ないこともあるのだが、ここではその必要は無い。だから、かなり踏み込んで書いている。こちらもいい加減な気持ちでは書けないし、これまでの蓄積で書けるような中途半端なものではだめなので、絶えず実践し続ける必要がある。自分で決めて始めてしまったことだから続けるのだけれど、なかなかに難しい。

 昨日はこの時期恒例の行事があって、一日中外で過ごした。皆もてる力を出し切ったと思うし、総合的な評価も悪くなかったし、自分が関わった部分だけでなく全体として良い行事になったといえる。しかし、どうも面白くない気分がずっと後を引いていて、賑やかに楽しんでいる人々の中にあって、ぽつんと一人場違いな空気を醸し出していたかもしれない。

 まだよく分析できていないが、それはおそらく複合的な理由によるものだ。幾種類もの不満を抱えていて、多くは他者への不満なのだが、それらが膨らむにつれてそれをどうすることもできない自己への不満も増大してしまう。自分を棚に上げて考えるしか無いのだが、その棚を支える部分が少し弱くなっている。補強をするほどの時間も体力も無いまま、また次の問題が迫ってくる。働いていればいつでもそうだ。だが、殊阿蘭陀に来てからは、一人に委ねられる仕事量が大きいのだろう、全体を回すために部分を誤摩化している感じが否めない。まさに自転車操業的な日々を送っているということか。

 阿蘭陀に住んではいるけれど、自分は日本社会の一員だ。そして、目の前の欧州の社会と日本社会を比較すると、絶望的な気持ちになる。国民を蔑ろにした議員たちが、人を人とも思わぬ政策を強行に推し進める。いまこちらから日本列島を眺めると、周辺の諸国と似たり寄ったりの印象しかもてない。東アジアの国々の在り方は近い。近いところどうしでがちゃがちゃとやり合っているというふうにみえる。