雑記帳 2001年3月

■眠い
 先日は突然ふってわいた配置換えの話に戸惑い、一時は絶望のどん底だったのだが見事回復した。とんでもねえとは思ったが、それも一つの見方であり、今回は自分や組織を客観的に捉えることを勉強した。「あなた人がよすぎるから」って言われたけど、この言葉ほど僕を貶める言葉はない。人がよくて何が悪い。まじめで何が悪い。でもさ、このせいでうまくいかないってことが多すぎるのだ。どういうことよ。この一年も厳しい一年になるとは思うが、観念して働こう。「幸せ」になるというのは、たいへんだ。どんどん遠ざかっているような気がしてならない。まるでデフレスパイラル。何をしたって充実感がないんだなこれが。結局意味ないじゃんてなもんでね。この閉塞感。どうしてくれる。非人間的な日常を打破するには人間的な非日常が必要なのか。メールマガジンでの日記配信を検討中。不特定じゃない多数に読んでもらえるように、 より濃厚なものをつくりたいと思っている。(01.3.24) 
■春分の日
 きょうは暖かくなりそうだ。
 これからだんだんと日が長くなっていくのだ。
 世の中にはいろいろなものの見方がある。
 僕の考え方もその中のひとつ。
 そして、あなたの考え方もひとつ。
 だれかの考え方もまたひとつだ。
 見たまま、感じたままを大切にしながらも、
 感情に流されずに、判断できればと思う。
 すべてを受けいれるのはむずかしい。
 けど、個人が受けいれる受けいれないに関わらず、
 世の中のほうは流れていく。
 いま、善悪を決めつけてしまうのは危険だ。
 僕のほうも、生きていく。
 さまざまなこと、心の中に整理するために、
 きょう一日を費やそう。
 できればこれから季節どおりに、
 春から夏へ、夏から秋へ、
 そうして秋から冬へと過ごしていけたらいい。
 太陽と地球、僕の生まれたところに
 感謝の気持ちをもって。(01.3.20)
■週末ノート  
 ペットショップを覗いてみた。かわいい子犬たちがいた。10万円とか値札がついていたのは納得できなかった。これって人身売買じゃない?てなことを考えた。温泉に行ってきた。15分くらい湯舟に浸かって1年間の疲れをとった。そのために片道2時間をかけた。来ていたのはおじいさんばっかり。聞えてくる方言も心地よかった。卒業式が終わっても緊張感が抜けない。風邪も引かないや。これはいいことだろう。夜には久しぶりに映画館で映画を見た。なんとなく一つ区切りがついた。悪くない誕生日だっ た。日曜にはお彼岸で墓参りしてきた。今年はまだ雪が多い。ほんとの春は遠い。いとこの子どもと会った。いとこが小さかったときとすっかりおんなじ顔だった。寝違えて入院した祖母を見舞った。昼に入ったのは千円で食べ放題の店だった。たいして入らなかった。帰ってきてから睡魔が襲ってきた。(01.3.19)
■犬を思う
 猫が好きだったけれど、最近犬もいいかなと。トイレにいるときも車の中でもふとしたときに犬のことを考える。密かに犬の絵の入ったネクタイまで買ってしまった。家につくのが猫で人につくのが犬だという。30年続 いた好みが変わりかけているというのはどういう心境の変化だろう。今の僕のイメージじゃ、猫の顔はいつもむすっとしていて、犬はいつも笑っている。ペットを飼ったことは全くないけど、犬が欲しいという気持ちはわかるような気がしてきた。(01.3.16)
■禁酒宣言?  
 酒を飲みたいと思わない。喉が乾いた時もビールを飲もうという気がおこらない。以前から、酒には強いけれど特に好きというわけではなかったのだが、それにさらに輪をかけて酒を飲みたくないという気持ちが強くなってきた。去年カンボジアで蚊に刺されてから、どうも肝臓に変化が起きているようだ。病院で検査した時には、ある菌が入っているということだった。これをすっかり治療しないと将来肝機能障害を起こす可能性があると診断されたのだ。幸い傷は治ったが、もしかすると体内にはその菌がまだ潜伏しているのかも。
 ビールを飲んでも全然うまいと感じない。ワインや日本酒を飲むと甘みや旨味には反応するが、酔うという現象にはとても嫌悪感を覚える。ある親戚が言っていた。うちの家系に酒飲みはいないそうだ。僕もその血を受け継いでいるのかもしれない。あの、頭がぼけた感覚にはもう堪えられな い。  これから送別会シーズン。飲んで翌日起きるのがつらいという日々を思 うと、あまり飲まないようにしたいものである。体ももう若くないから、 できれば飲み会でも全然飲まずに過ごしたい。別れの大事な席であれば酒を飲むことも大事だとは思うので、一滴も飲まないというわけにはいかな いだろうが。この間わかったが、ウーロン茶でも僕はけっこう楽しくやれるようである。(01.3.11)