雑記帳 2001年4月

■自転車に乗って
 できるだけ遠くへ行ってみよう。ライトも付けたし、グリップも柔らかいやつに取り替えたし、いざ発進!とこぎ出してすぐペダルが取れた。しっかり付け直し近くの生協まで買い物に。気分は全然違ったね。やっぱり時代を先取りだね。明日はもしかして筋肉痛?明日も晴れて暖かくなりそう。明日は学校に自転車で行こう。家庭訪問に自転車で行こう。PTAの飲み会も自転車だ。来週には県境を越えて秋田に行ってみるか。いずれは日本海を越え、朝鮮半島を通って中国にも行こう。ベトナムからラオス経由でカンボジア、タイに入ってからはマレー半島を南下して、シンガポールからフェリーに乗って、インドネシアを横断、東ティモールまで行こう。

 僕の自転車の名前は歴代「ジャムンチョ・スペシャル」ということになっている。名付け親は高校時代の同級生のM。昔あったアイスで、中にジャムが入った「ジャムンチョ」というのが名前の由来らしいが、なぜそれなのかはよくわからない。ちなみに、彼の自転車の名前は「ナッチョコ・スペシャル」だった。懐かしい友達。今となっては消息不明。元気ですか。僕は相変わらずです。(01.4.30)
■交通事故にあった
 クルマとクルマが衝突。幸いどちらにも怪我はなく、示談ということになった。だが、オレのクルマの左目は割れ、バンパーが少しつぶれた。国道を直進していたら、相手のクルマがパチンコ屋から飛び出してきてオレの車線をふさいだのだ。急ブレーキをかけたが、間に合わなかった。100%相手の過失である。相手の青年は平謝りだった。もし後続のクルマがいたら、もっと事故が大きくなっていただろう。だがこれも幸い、オレの後ろには一台もクルマはいなかった。生まれて初めての事故体験。まいった。怪我もなく済んだのは運がよかった。ということにしておこう。今朝、クルマを修理に出した。マニュアルの代車を使って、昼から練習試合に行った。坂道発進ができなくて、途中エンストを起こした。よりによってゴールデンウイークの初日のこと。これで5日と6日の2連休には愛車に乗れないことになった。しかたないか。
 どうぞこれを読んだ人はお気をつけ下さい。それでは。(01.4.29 )
■ボクシングをやることになった
 という夢を見た。きのうの明け方のことだった。なんで?現実場慣れ現実離れの夢は現実から離れたい気持ちの現れか。現実を離れて夢を見る。はあ、だから夢は夢なのか。ドリームもやっぱりドリームだ。水原勇気、ドリームボール。あらためて納得。4時半に目覚めてテレビをつけたら、サッカーの試合が始まるところだ。スペイン戦、せっかくだから見てみるか。
 きのうの家庭訪問では田園地帯の細く曲がりくねった道を行ったり来たり。チューリップ、水仙、桜草、山側ではまだ桜も咲いていて、岩手山もきれいで、いい午後だった。快い疲れ。だが昨夜はバッティングセンターには行けず。組合の支会の定期総会だったのだ。少し早く行って弁当食べてたらいきなり議長やってくれってさ。なんでオレなの?タダの弁当の代償は意外と高かった。快い疲れが嫌悪感に変わる。こんなことなら来るんじゃなかったよ!例によって開始は15分以上遅れるし、オレみたいに時間を守った人間がバカを見る構造になってる。ほんと人を莫迦にしやがって。けして必要とされてるわけじゃない。ただ頼み安かっただけだ。はたから見ればまたあいつ出てきたよ好きだね〜なんて思われているかもね。心外だ。
 川口はナイスセーブだね。こんなにシュート打たせちゃだめだよ。前半30分まだ0−0。でもこれじゃ時間の問題だ…。
 必要としていたものが必要でなくなるというのは喜ばしいこと。自分が必要としていた人が必要でなくなるのは、幸せなこと。必要とされることはありがたいこと?必要だと感じる人がいるのは素敵なこと?どうなんだろう。
 前半終了。あ〜あ、眠くなってきた。もう一眠りしよ。(01.4.26)
■ささやかな楽しみ
 きのうは代休で、午前中は部屋でごろごろしていた。どこかへ行こうかと思って早起きしたのに、結局眠くて二度寝してしまった。疲れがたまっていたのだろうか。夕方から動き出して、久しぶりにバッティングセンターなんぞに出かけた。空振りは意外と少なかったものの、ゴロばかりでいい当たりはほとんどなかった。ボールを踏んづけてごろんと転んでしまったよ。情けなかったな。でもこのバッティングセンターはクセになるのだ。きょうも仕事帰りにやってきた。快速球のところに入ったら、球の速さに全然ついていけなかった。笑った。明日から家庭訪問。これなかなか楽しい。生徒と向き合うよりよっぽど気が楽だ。相手は大人だしね。なんかヘン?少しこの夏の旅の構想を練った。インドに行ってみようかと思う。タージマハルを見てみたい。おまけにネパールにも足を伸ばしてみようか。ラオスのせんも消えたわけではないけど。かなり前向き。かなり本気。途中で沈没したり、行方不明になったりということもありかな。あるいは永平寺での修行。修行だったら職専免(業界用語)きくかな。または、岩手山への清掃登山。とにかく夏の間毎日登っては降りる。野口健もびっくり(しないか…)。入山禁止はほんとうに解除されるのか?いきなりとんでシアトルに行くのもいい。どういうわけか住むことになったなんていったらすごい。週末にマリナーズの試合を見に行くなんてね。
 「聞茶」っていうお茶を飲んだ。初めはうまいと思っていたけど、香料が入っているとわかると気持ち悪くて飲めなくなった。ちなみにあの「生茶」にも「熟茶」にも香料が入っています。これって終わってると思いません?(01.4.24)
■ぼくはかぜぎみ
 きのう一日中強風が吹いたせいで、桜はもうかなり花びらを散らしてしまった。あ〜あ。おとといあたりからのどが痛くて、声もがらがらで、おまけに少し熱もあるようで、風邪気味だ。教科書を読む声もどこか他人の声みたいで違和感。鼻にうまく空気が抜けないので気持ちが悪い。新学期は今のところ無遅刻無欠席。君たちすごいよ。僕のほうが先にダウンするかもしれないね。僕はずっと風邪を引きたがっていたのかもなという気もする。みんなにうつさないように気をつけよう。あすは参観日。恐ろしく長い一週間。子どもたち、今週末は家族でどこかに行くこともできない。
 月曜日。代休の家にぽつんと一人。つまらない平日休みに心の闇の扉が開 く。日々が慌ただしく過ぎるようになると、誰が休もうが、怪我しよう が、喧嘩しようが、荒れようが、それが見えなくなってくる。心の叫びが聞こえなくなる。そうなると坂を転げ落ちるように、あるいは何かが途切れるように、すべてがおかしくなってくる。そのような時の気分というか、気温というか、気流というか…それを感じるアンテナが、弱くなってしまう。何度も過ぎてきた。まるで抜け殻だけが動いているような中身のない生活。
 4月は長い。あと一週間。ゴールデンウイークが、ほんとに黄金だったらどんなにかいいだろう。でも現実には夢がない。夢がないから現実なのか。とにかく、ほんとのお休みがない生活。盛岡の学校でないのがせめてもの救いかな。ゴールデンウイークに盛岡の子どもたちは市民体に出場する。僕はそれがどうしても嫌だった。なぜ休みがつぶされるのかまったく意味がわからなかった。それを説明してくれる先生は一人もいなかった。家族も、そういうもんだと思っていたのだろう。社会に飼いならされた善良な市民=愚民。僕には全然、納得できなかった。それは今でもおんなじだ。
 自分がどんな子どもだったのか、ってことは大問題だ。小さなころから明らかに僕は少数派だったみたいだ。
 子どものためといいながら自分を殺す。子どものため=自分のためだとしたら、自分なんていないほうがいい。実は子どもを殺すことで、自分を生かしているのではないか。よくもまあ、みなさんは生きていられますね。と、病んだようなところをお見せする。けど何も期待はしていない。言葉にしてるだけ。整理してるだけ。
 ただ一つ。生きているうちに、子どもの頃の自分を救済したいと思う。
(01.4.21 )
■ほめてほしいなけなしてほしいな
 授業参観の日曜日は、空も、雲も、山も、木も、全部日曜日だった。光の具合がどうしても、日曜日にしか感じられなかった。そういう気持ちでものを見ていたのだということに驚いた。そしてそれは、夜まで消えることはなかった。いいことなのか悪いことなのか。とにかくきょうは授業日ではあったけれども、まぎれもなく日曜日だった。きょうの授業についていえば、それほどうまくいったとは思えないが、最大限の努力で自分ができるところまでやった。計画を練り、修正し、生徒の実態に合わせた支援案を作成し、練習もし…。子どもたちはがんばった。保護者の皆さんにも安心していただいた。ぜひ僕の学級の35人の子どもたちの姿を、校長先生に見てほしかったなあ。いつくるかいつくるかと思って待っていたけど、残念ながら一度も姿を見せなかったなあ。あなたのお言葉をお聞きしたかった。ご指導をいただきたかった。校長先生、今度はどうかこの未熟な私に、ご指導をよろしくお願いいたします。(01.4.22 )
■お花見シーズン到来! ポワワワーン(@_@)?
 ここ数日の陽気で桜が一気に開花した。夕方、盛岡の名所石割桜の前を車で通り過ぎた。花はもうすっかり見ごろだった。観光客だか仕事帰りのサラリーマンだかやたらたくさん人がいてみんな桜の木を見上げていたよ。なんかぼーっとした感じ。いいねえ。春だねえ。車で慌ただしく通り過ぎる自分がまるで部外者であるように、そこからずっと遠いところにいると感じたよ。僕の魂が住んでいるところは、温帯じゃなくて、極地なのかもしれない。
 不平不満ばかり言ってもしょうがないんだけど、楽しいことってすべて一瞬じゃん。そんときだけ。これ我慢できないね。あのさ。本当に楽しいことってなんでしょう。本当に幸せなことって、なんでしょう?
 お花見は好きだけど、桜にとって一番いい時を愛でつつも、いずれまた日常へ帰っていくしかないというのはさびしい。1年365日。満開の見ごろは3、4日なものだろう。花見とは、なんてはかなく切ない夢みたいなものだろうと思う。ずっと咲き続ける花ってないのか。永遠って、ないのか?
 帰り道の頭の中にあったクエスチョンマーク。ま、たいしたことじゃないんですが…。(01.4.18)
■宗教について考える!の巻
 土曜日の午後部屋でうとうとしてたら呼び鈴がなった。○○○の証人のおじさんが「ものみの塔」と「目ざめよ!」を届けにきたのだ。毎週のように来てはあの冊子を置いていく。それだけならよかったのだが、だんだんに態度が変わってきた。オレに本格的に誘いの手を伸ばしてきたようだ。きょうは冊子の一節を御丁寧に朗読していったよ。正直言ってうざかった。でも笑顔ではんはんと聞いていたよ。どうもオレはそういう方々からはいいカモに見えるらしいんだな。で、「生きることの目的ってなんだと思いますか」なんて訊ねてきたから、オレは「人それぞれでしょ」と答えた。今のオレにそんなことを聞いたってなんだかわかんねえよ。「『お金がいくらあったって空しさは消えない』とカーター元大統領も言っています。大統領が言うくらいだからほんとですね」何を言ってるんだこのおっさんは?!そういうレベルじゃねえんだっつうの!この間オレは仏教徒だって説明したのに、「私もかつては仏教を信仰してました」だってさ。そうですかといらだったそぶりも見せずに笑顔を繕っていると、彼は来週また来ますと言って帰っていった。勘弁してよ。
 キリスト教も仏教もイスラム教もどうでもいい。バーミヤンの仏像破壊なんかを見てると、そういう宗教間の争いなんて何の意味があるんだろうと考えてしまう。宗教なんてどれもいっしょじゃないのなんて思う。結局のところ自分の「死生観」をどうつくっていくかということに尽きるだろう。それが宗教の本質だ。輸血を拒んで助かる人間を見殺しにするなんてオレは許せない。そんな宗教は死んでも信仰するもんか。(01.4.14)
■継続は力なり
 さ、毎日更新!と思って硯ならぬコンピュータに向かってはみたが、リズムを取り戻すには時間が要るようだ。あれこれ書きたいことはたくさんあるのだが、それをまとめて書くというのは難しいことなのだ。「継続は力なり」ってその通りだな。いったい僕が続けてることはなんだろう。日記をつけ始めたのは1997年から。5年間連用のものを買ったのだが、それから3年以上ほぼ毎日書いた。途中からホームページでの公開を思いついて、あのような形となった。日記帳の最後の年は今年だ。この5年の間に、5年前には思いもしないくらさまざまなことがあった。99%イヤなことばかりだった。その中に1%だけ素敵な、美しい、すばらしい出来事があった。きらきらひかるダイヤモンドのような日がね。でも、そんなきれいな日のためにだけ人生があるというわけでもないんだな、ということがわかってきた。ダイヤしか価値がないわけではないということ。悲しいこと。つらいこと。苦しいことこそが、人生を、たぶん豊かな方向へ導いてくれているのだということ。
 吉野家で牛丼を食おうとしたらすごい混みようで、並んで待つのもばからしいからやめた。250円の牛丼にここまで人々は敏感に反応するのだな。結局その日は弁当を買って帰った。気づいたら冷蔵庫の中は空っぽになっていた。スーパーでトマトを買った。丸ごとかぶりついたらうまかった。リコピンパワーがついた感じ。食事ほど、継続は力なりというのがよくあらわれることはないよな。(01.4.12)
■黄金の月  スガシカオ
 僕の情熱はいまや
 流したはずの涙より
 冷たくなってしまった
 どんな人よりもうまく
 自分のことを偽れる力をもってしまった
 大事な言葉を何度も言おうとして
 吸い込む息は胸の途中でつかえた
 どんな言葉で君に伝えればいい
 吐き出す声がいつも途中で途切れた
 知らない間に僕らは
 真夏の午後を通り過ぎ
 闇を背負ってしまった
 その薄明かりの中で
 手探りだけでなにもかも
 うまくやろうとしてきた
 君の願いと僕の嘘を合わせて
 六月の夜
 永遠を誓うキスをしよう
 そして夜空に黄金の月を描こう
 僕にできるだけの光を集めて
 僕の未来に光などなくても
 誰かが僕のことをどこかで笑っていても
 君の明日が醜く歪んでも
 僕らが二度と純粋を
 手に入れられなくても
 夜空に光る黄金の月などなくても
  
 DVD「1095」をヘッドホンで聴いてる。一曲目のアコースティックバージョン、曲も歌もいいんだけど、それ以上に詩がすごいと思った。「夜空ノムコウ」の詩もぐっとくるのだが、これにもきてしまったよ。
 久しぶりの更新。(実は先日少し書き足したんだけどすぐ消した。悪酔いした晩のこと。)1年前と比べると自分の気持ちはずいぶん変わった。このうつろいゆくHPはその反映だ。日記のかわりに学級通信とか、さまざまなプリントとか、心を込めて書いてはみるけど、やっぱり全然おもしろくない。教育テレビの「ETV2001」では学校の特集だ。「教師・なぜ疲れているのか」見たらこっちもどっと疲れたよ。「やりがいを感じられない。45歳、中学校教師」だってさ…。僕の情熱もいますっかり干上がってしまってる。実はこの間、ある大先輩と飲む機会があって、お互いにいろいろな話をすることができた。少しは自信を取り戻せたし、僕は間違ってはいないのかなという感じもした。僕は虐められていると言う側の気持ちが少しわかったよ。それが事実かどうかは別にして。自分の積極的な生
き方として、この場所にももうこだわらないことにした。
 ほぼひと月ぶりに親から電話があった。最近のことを話した。あんたの人生なんだからと言われた。家のしがらみなんて考えなくていいんだと感じた。祖先たちを侮辱する気もないし、世間に押し流される気もない。やりたいようにやっていいんだよな。やりたいようにやるさ。あしからず。
(01.4.10)