雑記帳 2001年8月

■近況(2001.8.30)
 部活動講習会というのに出ている。明日の午前中までの4日間、朝から晩までバレーボール漬けの日々である。3日目が終わった今は足といわず首といわず身体のあちこちが痛い。夕べは飲み会なんかもあって、講師陣を含めて約20名の参加者もしだいに打ち解けてきた。みんないい人たちだ。明日で終わりかと思うと少々残念な気がする。
 講師の二人は県の中学校と高校の選抜チームの監督で、参加者の中には県大会優勝監督として県下に名をとどろかせている方なんかもいて、その方たちから直々に丁寧に指導してもらえるというのはありがたい。
 ところで、この先生方に会って話をきいて感心したのは、心からクラブを楽しんでいるのだということ。そして、そこで出会った子どもたちとの関係を、自分の財産としていることだった。「人が財産だ」と、先生方は言っていた。「勝つ」ためにやってるのではけしてなく、教育活動の大きな柱として、部活の指導をしているのだった。それは、勝利至上主義とは全く異なる姿勢だった。「勝つためじゃない」とは自明のこととしてよく言われることだけれど、先生方の純粋な気持ちに触れたような感じがして感動した。
 それにくらべて、いかに自分が「勝ち」以外の価値を見ずに過ごしてきたことか。ド素人がなんの指導もできないくせにね。勝てば素晴らしくて負ければ残念、という価値観を超えられないでいる自分というのがいたのだ。これは思いがけない発見だった。満足するかどうかは勝敗とは関係ないところにある価値だ。職員室だって、いい成績だと拍手パチパチでそうでなければシーン、というのはどうもおかしい。校長の言葉だって、勝ったからありがとうではないはずだ。
 素晴らしい先生の素晴らしさの理由は、勝たせるからではない。点数を取らせるからでもない。そんなことは当たり前だと思っていたつもりだったけど、じつはよく考えてなかったと反省した。
 今回の「出会い」で、少しは見方が広がったかなと思う。こういう出会いこそが人生の財産となるのだろう。大事にしたい。
 昼の休憩時間、講習会場のすぐ近くにあるレコード屋をぶらついた。そこで、気になっていた綾戸智絵の「LIFE」というアルバムを買った。この人の声にはパワーがあるな。シンプルだけど強いものを感じた。「夜空ノムコウ」とか「Let It Be」なんかも歌ってるのだが、心にすごく滲みてきたよ。ライナーノートで初めて知ったのだけど、この人は癌を克服した人なんだな。ホームページを探してみてみたら、明るくてなかなか元気な「おばはん」で面白かった。

■夏休み(2001.8.28)
 今月いっぱいというところが多い。テレビをつけてると、夏休みの宿題を片付けるのがたいへんだとか、宿題は嫌いだとか、残りわずかとなった夏休みを惜しむ子どもたちの声が聞こえてくる。岩手は10日くらい夏休みが明けるのが早かったから、夏休み気分はもうすっかり消えた。でも、宿題のノートやワークを見たり、宿題の未提出者を居残りさせたり、休み明けテストの結果をまとめたりと、夏休みの後片付けはかなりやっかいで、まだ続いている。
 いっそのこと、宿題なんて一切なくしたら、と思う時がある。所詮与えられたことをやるだけなんてたいした経験にはならないに決まってる。特に、読書感想文は百害あって一利なしだ。あれのせいでみんな作文嫌いになってしまう。コンクールがあるからしかたなくやってるというのが正直なところだが、ほんとは今すぐにでも全廃したほうがいいと思っている。
 それと、小学校の自由研究はもうやめたら、と思う。なんでもいいから研究しなさいというのは、小学生には酷じゃないかな。やるとしたら夏休み前の課題設定で教師が一人一人にしっかり手を入れてやらなくちゃ。もしテーマ選びも自由ですと言い放されて夏休みを迎えてしまうとしたら、小学生にはできっこないだろうと思う。そこらへんのところがどうもいぶかしく感じられるのだが、ほんとのところはどうなんだろう。

■すいか(2001.8.26)
 田んぼの中の無人販売所で買った。すいかなんて最近はほとんど食べることがなくなった。今年初めてのすいかだった。
 夏の盛りも過ぎ、夕方には涼しい風が吹くこの頃。でも、部屋は夜でも蒸し暑く、夜中にはぐっちょり寝汗をかくほどだ。水分の取りすぎなんだな。

■眠くて眠くて(2001.8.23)
 更新さぼってた。新学期が始まって、とたんにばたばたと忙しくなって…。まあ毎年のことなんだけれど。そしてこの時期は、鬱的傾向が強まってしまうのだ。しかも、まだまだ蒸し暑くて不快だし。と、なんか文句ばかり出てしまったりして。
 悩みの原因は、「他人と違うことが許されない」という強迫観念だ。息苦しくなるんだ。
 なんでもありが許されていない。だから、なんでもありの世の中になっちゃうんだ。
 いいこともあれば悪いこともある、か。言い古された言葉で自分を合理化するのはやめよう。もっとなんでもありでいければいい。まあるくばっかりじゃいられないさ。三角もあり、四角もあるのだ。僕は僕の形でいく。と胸を張っていたいものだ。
 何も悪いことはないさ。僕は僕のままで行く。君は君のままで行け。

■旅から(2001.8.20)
 帰って来たのは17日の朝。その後もいろいろとあって、更新できずにいました。
 今回も僕はかけがえのない体験をすることができたと思っています。
 ゆっくり、時間をかけてまとめるつもりです。
 でも、明日から新学期です。仕事モードに一晩で切り替えです。

■立秋(2001.8.7)
 もう秋かい。きょうの最高気温は20度。涼しすぎるぞ。祭りも終わり、どことなく寂しい風が吹いているこの町であることだよ。
 原爆そして敗戦と戦争絡みの記念日が多い8月。ニュースでは靖国問題や「つくる会」の教科書問題などで大騒ぎだ。56年経ったとはいえ、未だに戦争の精算はできていない。
 明日から僕はまた旅に出るのである。皆様ごきげんよう。
    ちょっとイマジンの歌詞が気になった。旅の門出にここに記しておこう。
  
   IMAGINE    (John Lennon)
   Imagine there's no heaven(想像してごらん 天国なんてないんだと…)
   It's easy if you try(その気になれば簡単なことさ)
   No hell below us(僕らの足下に地獄はなく)
   Above us only sky(頭上にはただ空があるだけ)
   Imagine all the people(想像してごらん すべての人々が)
   Living for today...(今日のために生きていると…)

   Imagine there's no countries(想像してごらん 国境なんてないんだと…)
   It isn't hard to do(そんなに難しいことじゃない)
   Nothing to kill or die for(殺したり死んだりする理由もなく)
   And no religion too(宗教さえもない)
   Imagine all the people(想像してごらん すべての人々が)
   Living life in peace...(平和な暮らしを送っていると…)

   Imagine no possessions(想像してごらん 所有するものなんか何もないと…)
   I wonder if you can(果たしてきみにできるかな)
   No need for greed or hunger(欲張りや飢えの必要もなく)
   A brotherhood of man(人はみな兄弟なのさ)
   Imagine all the people(想像してごらん すべての人々が)
   Sharing all the world...(世界を分かち合っていると…)

   You may say I'm a dreamer(僕を空想家だと思うかも知れない)
   But I'm not the only one(だけど 僕ひとりじゃないはずさ)
   I hope someday you'll join us (いつの日か きみも僕らに加われば)
   And the world will be as one(この世界はひとつに結ばれるんだ)

■白神山地(2001.8.5)
 いつか行こうと思っていたのだが、きょうそれを果たした。午前中に着けばいいかなという気持ちで、ゆっくり家を出た。高速で弘前まで、そこから県道で西目屋村まで。ビジターセンターというところは博物館のようなりっぱな施設だった。ブナについて映像や音声で分かりやすく説明されていた。子どもたち真剣に勉強していた。映画が上映されていたが、時間が合わず見ることはできなかった。食堂で遅い朝食をとり、そこからさらに西へ。長く狭く曲がりくねった坂道の果てに着いた駐車場。そこは「暗門の滝」というところに行く遊歩道の入り口だった。天気もよく、それほど蒸し暑くもない。川沿いの道をゆっくり歩いた。ところどころ狭くて、上りと下りの人がすれ違うのが困難なところもあったが、譲り合ったり、こんにちはと挨拶を交わしたりするのが爽やかでよかった。そこで偶然にもクラブのある生徒の一家とすれ違った。キャンプで来ているのだという。だから明日の部活は休みますと言われた。どうぞどうぞ部活なんかより家族でこういうところにキャンプに来るほうがどれほど素晴らしいことか。いいなあ。アウトドア家族には憧れる。森の中は甘くいい匂いがする。昔北上山地の山あいで暮らしていた時かいだのと同じ匂いだったので、懐かしくなった。当時は森林愛護少年団の担当で、毎週のように山に入っては木の名前を覚えたものだ。昔とった杵柄で、きょうも生えていた樹木の名前がかなり思い出せたのでうれしかった。暗門の滝も見事で、ごうという音とともに水しぶきが涼を運んできた。まだ上流へ道が続いていたが、引き返すことにした。
 北上山地に櫃取湿原というところがある。そこで見たブナは大きかった。大人3人が手を繋いでも回りきれないほどの太い幹をもつブナがいくつも立っていた。それに比べるときょう見たブナは若くて細いものばかりだった。白神山地といっても人の入れるのはほんの手前だけで、奥の原生林に踏み込むことは制限されているらしい。櫃取の管理をしている西間さんに言わせれば、「そんたな遠ぐさ行かなくても、こごさ来ればいいべさ」ということになるだろう。西間さんといっしょに山を歩いたことを思い出した。
 ブナという字は木へんに無と書くことからもわかるように、ブナは何の役にも立たない木だとされていた。あまり上等な家具には使われず、一昔前までは、山村でこれを薪としたり、せいぜいリンゴ箱などに使われた程度だったという。ブナは乾燥する時に材がねじれるため、家具には向かなかったのだそうだ。ところが、ブナ林が森に水をたくわえるダムの役割をしたり、貴重な動植物の住むところであったりということで、最近になって重要性が叫ばれるようになってきた。酸性雨の酸度を和らげる働きもあるようだ。昔は日本各地に普通に生えていた木だったのだが、気付いた時には手付かずで残っているところなんてほとんどなくなっていた。これだけの規模で残っているこの白神山地が、世界遺産に選ばれたということだろう。なんでもないごく普通の木だったのが、今ではとっても特別な木になってしまったのは残念だが、たくさんの人が訪れ関心を持つようになるのはいいことだと思う。
 1時間半くらいかけてゆっくりと散策して戻ってきたよ。ブナ林を流れてきた清水が冷たくてすごくうまかった。ボトルに詰めて持ってくればよかったな。その後は弘前まで戻って、最勝院の五重塔を初めて見た。最初はねぷた祭りを見ようとか、岩木山に登ろうとか、黒石の温泉に入ろうとか考えてたのだが、疲れたのでまた今度だ。

■夏らしい一日(2001.8.4)
 雲間からのぞく青空、そして太陽!窓を全開にして風を入れる。洗濯物が気持ちよく乾く。ふとんも干す。押し入れを整理したので、今まで部屋に散らかっていた様々な箱や書類や道具類もきれいに収まった。部屋が広く感じる。すっかり雑巾がけをして、トイレもすみずみまで磨いた。もう読まない本やもう聴かないCDをBOOKOFFに持っていったら6500円で売れた。そのお金でリュックを買った。書を捨てよ町に出ようならぬ、書を捨てよ旅に出ようだ。だが、書籍類には捨てたくても捨てられないものが多い。当たり前だが、仕事関係の物が多くなっているのに気付かされる。以前初任の時の校長が、本や書類を退職するまで全部取っておいたが退職と同時にすっかり処分したと話していたのを思い出した。よくも30何年分も取っておけたものだ。大事だと思って取っておこうとしても切りがない。今の学校の書類は転勤する時すべて処分しよう。自分の血や肉になっていなかったとしたら嘘っぱちだもの。雑誌類もいずれ近いうちに片付ける。持ってるだけで満足するのは終わりだ。実にすがすがしい気分だったから、調子に乗ってビールなんか飲んでしまった。そしたら酔いで目が回るような感覚。テレビをつけたらゴン中山がシュートしたところだった。すごいぞ。愉快だ。きっと明朝は二日酔いで起きられないだろう。

■ゴミ減らし(2001.8.3)
 久しぶりに部屋を片付けたら知らないうちにゴミを溜め込んでいたことに気付いた。僕はゴミとともに暮らしていたのだった。昨日居間から取りかかり始めた大掃除は、きょう寝室から押し入れへと進んだ。押し入れには古くなった衣料品が数えきれないほど詰まっていた。どう考えてももう二度と着ることはないであろうTシャツやポロシャツ、下着類、小さくなってしまったワイシャツ、トレーナー…。よくもこんなに買ったものだ。買い物がストレス解消法だった時代もあったのだ。今考えると馬鹿だが、その時は気付かなかったのだ。
 それと意外に多かったゴミがビニール袋や紙袋など。全部まとめたらゴミ袋2つ分になったよ。なんだかな。包装材もばかにできない。ゴミ問題は環境にも悪いが自分個人の生活にとっても損な話だ。もうこれ以上ゴミを出さない生活を誓う僕であった。
 話変わって、携帯電話の料金って変だ。通話料が1.5倍になるってのはどういうわけ?無料通話分なんてつけなくていいからその分安くできないの?なんでドニーチョってなくなったの?迷惑メールを受信する側がどうして料金を払わなきゃならんの?CMもそらぞらしいな。何が「ドコモとしても心苦しい限りです」だ。迷惑メールつまり出会い系サイトへの勧誘メールのおかげでNTTドコモには1日に5000万円の利益があがっているんだそうだ。単純計算して年間180億だよ、莫迦にしやがって。とんでもねえ極悪企業じゃねえか。田中康夫のところにも1日平均 8.7通の迷惑メールがきているらしい。怒るのも当然だ。オレだって怒っちゃうよ。ファイトだ田中康夫!応援してるぜ。と「きょうの出来事」を見て思ったぞ。

■戦場にかける橋(2001.8.2)
を見た。感動した。戦争なんて狂気の沙汰だと思った。あとに言葉にならないむずむずが残った。言葉にならなければならないでそれでもいいこともあるだろう。かといって言葉にする努力を捨てたら人間らしくないか。でも、今は言葉にならないな。あの橋のあった場所へぜひ行ってみたいと思った。
 涼しい夜。もう秋のようだ。このまま夏は終わり、秋になってしまうのではないだろうか。と思わせておいて、新学期が始まるととたんに残暑が厳しくなったりするのだろう。たいていのことは思うとおりにはならない。そして、望むことと望まないことでは望まないことのほうがだんぜん多い。
 おまけに、ほんとに欲しいものを手に入れる前に変なものをつかんでしまうということも多い。類似品を目の前にした時の我慢が、大事だったりするのだけれど。料簡が狭いんだね。

■夜のバイパスで(2001.8.1)
 雨の中、「日本一周」と書いたのぼりをつけた自転車を一人で押すおじさんを見た。どこからスタートしてどう回ろうとしているのかはわからないが、ぜひ元気に日本一周してほしい。
 8月である。このところ雨が降り続いている。きょうは最高気温も20度そこそこで肌寒かった。岩手山に登ろうと思っていたのだが、こう雨続きじゃ登れない。僕は本格派クライマーではないので、晴れて暖かくなければ登りたいとは思わない。何年も前最高の天気の日に登った時があって、その時に見たお花畠の美しさが忘れられない。あの美しさは登った人にしかわからないのかもしれないけれど、いつかそれを写真に撮ってみんなに見せてあげたい。8月も後半になると山には秋の気配が感じられるようになる。登れるのはいつのことだろう。
 盛岡さんさ踊りも雨の中のスタートとなった。さんさ踊りも久しく行ってないけれど、あの太鼓の響きは心地いいし、輪踊りで汗を流すのも楽しい。見物客が踊りに気軽に参加できる点は、青森のねぶたや秋田の竿灯にもひけをとらないと思う。夏の東北に来るとしたら、盛岡を素通りする手はない。とはいえ地元民の僕はあえて見に行こうとは思わなかったりするのである。さんさ踊りは3日まで。
 このホームページもできてから1年半たった。さっき8000番を自分で踏んでしまったところだ。皆さん来てくれてどうもありがとうございます。今さら気付くのは遅いんだけれど、このホームページはずいぶん不親切だと思う。もう少し、コンテンツの説明とか丁寧にやってもよさそうだ。少しずつ改善していきたいと思います。
 きょうの昼に、福留功男の出ているテレビを見た。ある家の主人がインテリアのアドバイザーの手を借りて家をリフォームするというものだったが、これを見ていて感動した。雑然として、狭苦しかった部屋が、ちょっとした工夫で素敵な部屋に様変わりするのである。いいものを作るということは、いいものを選びとるということかと、センスについて改めて考えさせられた。本当はあんまり「センス」については考えたくなかったんだよな。でも、ホームページ(ウェブサイト)も自分の部屋みたいなもんで、持ったからにはその人のセンスが発揮されるわけだ。この人だからこのサイト、っていうものができればそれにこしたことはない。