雑記帳 2001年9月

■(2001.9.27)
 授業研が終わった。とりあえず一段落。今回はいろいろとタイミングがよかったので、学級にとってはとてもありがたかった。構成的グループエンカウンターというのをやっている。何より生徒がおもしろがって取り組むところを見てるとこっちも楽しくなる。もちろんおもしろいだけじゃだめで、個人的なケアも大切なんだけどね。本気で学ぶ価値はありそうな気がする。

■睡眠学習だ(2001.9.25)
 帰ってきたらすぐ眠くなった。きのう作った指導案は赤ペンで真っ赤になった。やっぱり一気に作っただけあって不備がたくさんあった。まだまだ未熟じゃ。で、直そうと思ったが眠いので明日の朝起きてやろう。……。

■戦争に走ってはいけない(2001.9.24)
 3連休の最終日は午前中部活。午後には明日締め切りの指導案(支援案か)を一気に作った。終わったら4時。その気になればできるのだ。
 雑誌を読んだりしてたら暗くなった。いやいや気持ちでなくて、空がということ。ずいぶん日が短くなった。これからはどんどん夜が長くなるばかりだ。また冬が来るのだ。そう思ったらラーメンが食いたくなった。で、ちょっくら出かけて、帰ってきた。
 にわか勉強ではあるけれど、調べてたらいろいろなことがわかってきた。この間見つけたサイトをのぞいてみたら、また別の文章がリンクされていた。「暗黒の火曜日:イスラマバードから」は今まで読んだ事件関連の論説の中で一番分かりやすく感じた。
 メディアを通してしか見えないのだけれど、刻々と見える色合いが変化しているのに気づく。平和を願う人々はたくさんいる。とても素敵なことじゃないか。反戦・平和は地球市民にとっては当たり前の話。願う人々がともに手を取り歩いていけば、きっと平和は訪れる。人類の叡智をもっと信じてみたくなった。
 とはいうものの、国の指導者のほうがその足かせになっているような気がして、とてももどかしい。もちろん事件の犯人は厳しく処罰されなければならない。だが、「報復だ、戦争だ」などと唯一の超大国の主が口にしてはいけないと僕は思う。何がテロを生み出したのか、その根本を見つめるべきだ。最も富める国アメリカ、そしてその同盟国の日本が取らなければならない道は、戦争ではないはずだ。テロの基盤は、経済的な不均衡、貧困や差別である。地道に、その基盤を崩す努力をするべきである。あくまでも戦わずに、富みを世界に再分配していくことを目指すべきではないのかと思うのだ。
 百万人を目指して署名活動が行われています。(sitesakamotoから)

■秋分の日(2001.9.23)
 朝から夜までずっと快晴。朝に朝飯を買いに出て、夕方には夕飯を買いに出た。たったそれだけ。もったいない秋分の日。しなければならない仕事を片付けるつもりだったのだが、ほとんど手付かずのままだらだら過ごした。
 生まれた日の月齢を調べたら、6.3だった。かなり中途半端。やっぱりなという感じだった。

■寒気団(2001.9.21)
 けさ職員室から教室へ向かう時、急に温泉に行きたい気分になった。たった一晩でずいぶん秋が深まった。あすの盛岡の最低気温は6℃。北海道では雪が降るらしい。

■夜に(2001.9.20)
 弁当をレンジで温めてさあ食おうと思った時に電話のベルが鳴った。マンションの販売業者からの勧誘だった。先方の長い話が終わった頃には弁当はすっかり冷めていた。僕は「定住」するつもりはない。
 こんなことがあってもほんとに行く気かと、所属長が訊いてきた。オレだったら絶対やだと言っていた。あんたが行くわけじゃないんだからよ。こんなことで志を曲げるような僕じゃないよ。
 「高貴な鷲」「無限の正義」…。アメリカの軍事作戦の名前は非常に胡散臭い。自分達が犯す過ちを誤魔化そうとしているかのようだ。
 今朝の新聞によると、米国最大のラジオネット「クリア・チャンネル・ラジオ」は、事件後、約150曲の放送自粛曲のリストを作った。その中にはなぜかIMAGINEも入っているという。通勤途中、僕はIMAGINEを繰り返し聴いた。しばらくはかけまくってやろうと思うよ。というわけで再掲。
   IMAGINE    (John Lennon)
   Imagine there's no heaven(想像してごらん 天国なんてないんだと…)
   It's easy if you try(その気になれば簡単なことさ)
   No hell below us(僕らの足下に地獄はなく)
   Above us only sky(頭上にはただ空があるだけ)
   Imagine all the people(想像してごらん すべての人々が)
   Living for today...(今日のために生きていると…)

   Imagine there's no countries(想像してごらん 国境なんてないんだと…)
   It isn't hard to do(そんなに難しいことじゃない)
   Nothing to kill or die for(殺したり死んだりする理由もなく)
   And no religion too(宗教さえもない)
   Imagine all the people(想像してごらん すべての人々が)
   Living life in peace...(平和な暮らしを送っていると…)

   Imagine no possessions(想像してごらん 所有するものなんか何もないと…)
   I wonder if you can(果たしてきみにできるかな)
   No need for greed or hunger(欲張りや飢えの必要もなく)
   A brotherhood of man(人はみな兄弟なのさ)
   Imagine all the people(想像してごらん すべての人々が)
   Sharing all the world...(世界を分かち合っていると…)

   You may say I'm a dreamer(僕を空想家だと思うかも知れない)
   But I'm not the only one(だけど 僕ひとりじゃないはずさ)
   I hope someday you'll join us (いつの日か きみも僕らに加われば)
   And the world will be as one(この世界はひとつに結ばれるんだ)

■戦争に走ってはいけない(2001.9.19)
 隣の学校で1時間、ベトナムやカンボジアの話をしてきた。3年生の十数名は真剣に聞いてくれた。思えば自分の学校の生徒以外に授業するのは初めてだった。いい体験だった。
地雷をこのペースで除去すると、全部なくなるまでに一千百年かかるという。そんなにかけていられないよ。でやっぱり最後にはあの事件のことになった。暴力でなんとかしようというのは、どう考えても間違っているのだ。報復攻撃はまた新たな憎しみを生むだけだ。
 もし戦争になったら、この後千年以上尾を引いてしまうかもしれない。そんなことを許すわけにはいかない。このまま罪のない人が巻き込まれていくのを、黙って見ているしかないのか。すべてが拗けた感じだ。
 佐野元春の「売り物用ではない歌」を聴いた。朝日美穂のページからリンクされてた、あるアフガニスタン−アメリカンの手紙を読んだ。そんな風に平和のことばを辿ろうとするのだけれど…。
 見えてくるのはこういうことだ。戦争したいのはいつも指導者のほうで、戦争で傷つくのはいつも名もない民のほう…。

■子どもの頃のこと(2001.9.18)
 小学校4年生の秋、同じ班の男女が6人くらいいっしょに図書館で勉強会をしたことがあった。近くには高松の池という大きな池があって、回りは桜の木が植えられた公園になっている。秋には紅葉がきれいだ。勉強が終わってから僕らは池の見えるところに出て、おしゃべりしていた。すると、隣の小学校の5年生の男子たちが数名僕らのところにやってきた。僕はやつらの前で、きっと挑発的な態度をとったのだろう。やつらの一人が僕の前に歩んできたかと思うと、いきなりばしんと平手で僕の頬を引っ叩いた。
 顔半分の感覚がなくなって、しばらくは耳の奥にポーと低い音が鳴っていた。不思議なことに僕は、その後何の反撃もせず、泣くこともせず、ただ黙って立っていた。突然の出来事にびっくりしていたというのがほんとのところだろう。気になるあの子には嫌われたかなと思った。みんなとわかれた帰り道、僕は一人自転車で坂道を下りながら、彼女の姿を探していた。
 次の日の朝その子は前日の事件のことを、他の班の子たちにおもしろおかしく語って聞かせた。僕を叩いたやつのかわりに彼女が僕の頬を叩くマネをした。情けなかった。どうして僕は、一発叩きかえすことさえもできなかったのだろうと思った。そんなやつなんかかっこよくぶっとばしてしまえばよかったのだ。

■頭を冷やす日頭にくる日(2001.9.17)
 冷蔵庫に隠れていたソルダムを見つけた。少しは熟れてるかと期待したけど、かじったらまだかたくて酸っぱかった。その冷たさだけが、喉元を通り過ぎていった。
 敬老の日の土曜ときのうの日曜は新人戦だった。土曜日は、いつもの会場が敬老会と重なっていたために使えず、うちの学校の体育館が使われた。「敬老の日」なんて中学生には関係ないのか。前日の授業で僕は、太平洋戦争開戦を知らせる新聞を使った。あとはお年寄りに聞きなさいちょうどあしたは敬老の日だし。文章の読解よりも大事なことがあると思った。
 体育館のコートとコートの境を分けるネットは夏休み前から壊れたまま。一度役場で調査に来たが、それっきりで修理は全く進んでいない。隣の小学校では何年も前から同じような状態だという。そんなことでいいのかT村。隣のボールが転がってきて、ときどき試合が中断した。会場校だというだけで、なんか疲れた。試合は健闘したが、県体出場はならず。密かに思い描いていたシナリオは実現できなかった。気付けばいつも3位どまり、これって監督の責任か。でも、子どもたちはもちろん、自分も含めてよくやってると思うよ。
 そして、きょうはいい天気になった。部屋を片付けて、洗濯をして、布団を干した。ベランダから見えるゴミ捨て場。通り過ぎる車の窓が開き、そこからゴミ袋が無造作に投げ捨てられてがらがら音がした。空き缶だった。明日は燃えるゴミの日なのに。
 日が沈んでからスーパーに買い物に行った。裏通りを車で進んでいると、前から小学生の乗った自転車が10台くらい道路いっぱい広がって向かってきた。しかもすべて無灯火だ。はねられても知らないぞ。でもはねたら、こっちの責任か。子どもだけでなく、自転車の無灯火は多すぎる。ざっと見て自転車のだいたい7割は無灯火だね。
 やろうと思っていたことの半分をやった。あとは明日以降に回すことにする。でもはじめから、そういう計画だったのだ。てか。

■戦争に走ってはいけない(2001.9.16)
 世界を戦争へ駆り立てているのは誰だろう。煽ってるのは何なんだろう。アメリカは当然のごとくに報復攻撃の準備を開始して、日本を含めた諸国がその動きに協力しようとしている。でも、その先にあるものは新たな恨みや悲しみだけだ。冷静になって考えてみれば子どもにだってわかること。これ以上犠牲者を増やしてはいけない。日本の役割は、いや、各国の役割は、もっと平和的な解決方法を模索することにあると思う。テロリストのわなにはまって、アメリカの指導者は熱く戦いを語り出した。民衆も戦いを声高に叫んでいる。それはもちろん家族や友人を殺したものを許せない気持ちは、人間として当然だ。しかし、そんな今だからこそ、戦争を食い止めることを考えなければならない。人間が好戦的な動物なのだとしてもだ。過去の戦いの犠牲になった人々の魂にかけて、生きている人間がなんとかしなければ。
 戦争が解決する手段ではけしてないことを、指導者たちは認識し、回避する方法を話し合うべきだと思う。そして、僕達名もなき民衆にも、できることはないだろうか。無益な戦いの連鎖を断ち切る手立てを考えたい。

■その翌日(2001.9.12)
 子どもたちの前でしゃべりながら、僕は泣きそうになった。
 平和な世界にしようという、
 僕らの願いとは正反対のことが、こんなひどい形で行われたのが悔しい。
 テレビのニュースでは同じ映像が繰り返される。
 そのたびそこに込められた悪意が大きく見えてきた。
 こんなこと、断固として許すことはできない。
 でも中東には、これを諸手をあげて喜んでいる民がいる…。 
 このままだとアメリカは報復するだろう。
 この事件自体が報復なのか。だとしたら…。
 希望はどこにあるのか。
 指導者たちよ!
 人がこれ以上血を流さずにすむのなら、なんだって従うよ。

■火曜日(2001.9.11)
 台風が近づいている。雨風が強くなってきた。最も接近するのが午前3時頃だという。
 ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだ。テレビで見てたら、さらに2機目が突っ込んで燃えた。とんでもない衝撃的な映像だ。極めて不可解。テロじゃないかこ
れ。テレビを見てる場合じゃないのだが、画面に釘付けだ…。

■日曜日(2001.9.9)
 6時半には学校に来て、11時前まで部活。終わってからまっすぐとある温泉へ。その後田んぼの中の道や山道を車で。真夏のような暑さの中を、飯も食わずにドライブした。が青くて気持ちがよかった。道路沿いに大きなを見つけた。何も考えない。ただ走るだけ。

■結婚のはなし(2001.9.8)
 今朝は寒くて目が覚めた。たったあれだけの酎ハイで頭が痛かった。「<実用>作文・挨拶全書」という本があったなと思い広げてみる。新郎の恩師の祝辞…。うへ、堅苦しくってしかたない。こんな風にはとてもじゃないが話したくない。もっと簡潔に、もっと短くしゃべろうと思い、一応の原稿を書いた。
 午後から披露宴に出席。新郎である教え子の友人ということで中学校時代の同級生が10人近く列席していた。よく考えれば当然の話だが、あまりに揃った顔ぶれに、少し驚いた。今でも中学時代の仲間の付き合いは多いのだという。新郎をはじめ、皆なかなかの好青年に成長していたのでうれしかった。皆が余興で踊り、歌った時にはDA PUMPの人たちに見えた。それくらいの好青年たちだったのだ。結局スピーチは、用意した原稿などとは関係なく、ややしどろもどろではあったがなんとかかんとか短く終えることができた。若くしての結婚、いろんな例を見ているだけに、「末永く」と心から思う。11月には別の教え子が式を挙げるそうだ。来て下さいときょう声をかけられた。皆そういう年頃に差しかかっているのだ。
 華やかな結婚披露宴をいくつも見てきた。いつかは自分もと思う気持ちもないではないが、自分はこういう道とは違う道を歩いているのではないかといつからか感じるようになった。もう戻ることはできない。シアワセってなに?「オシアワセニ」ってどういうこと?よくわからないんだな、これが。結婚産業の宣伝文句で「35を過ぎると結婚できない」というのを見た。だとすると僕はもうじき結婚できない男になってしまう。アウト!というわけだ。しかし僕は少なくともあと3年は結婚しないと、この間覚悟した。それがシアワセへの近道だと、自分でよく考えて決めたのだ。自分で決めた道こそが、なんといっても正しいのだ。

■晴天から(2001.9.7)
 一転きょうは朝から曇天。夜には雨が降り出した。変わりやすいのは秋空と…。男だろうが女だろうが、人の心はうつろいやすく、それほどアテにできるものではない。かけがえのない一週間が過ぎて、さまざまなことを学んだつもりでも、週が明ければまたもとに戻っている。上昇気流に乗り続けることは難しい。上がったり下がったり、その螺旋はどっちに向かってる?本質に向き合おうとする時言葉は人の内側を駆け巡る。けして饒舌は正論ではない。僕はといえば、もう少し表現力があったなら、と思う。圧倒的に訓練が足りないのだ。缶酎ハイ飲んだら目が回った。きょうはここらでさようなら。

■秋桜(2001.9.7)
 秋空にコスモスが映える。風も爽やかで心地いい。日中外に出て散歩したら、9月はこんないい季節だったんだということに気づくよ。
 夜になると、眠くてだめだ。知らない間に寝てしまっている。それで、決まって変な夢で目を覚ます。きょうは二足歩行の馬と話をした夢を見た。
 明日教え子の披露宴によばれている。初めてのこと。忘れるはずもない生徒だったけれど、何を言おうか考えつかぬままだ。せめて精一杯祝福してこようと思う。 

■悪夢(2001.9.3)
 嫌な夢を見て夜中に何度も目を覚ました。きっと何かが変わる予兆だ。
 一つ、いいことを思いついた。引っ越しをするのだ。住むところを変える。来年はどこにどうなってしまうか全くわからん。そうなる前に、この部屋とおさらばしてしまうってのはどうだろう。いいことはけっこうあった。不満なんてこれっぽっちもないけれど、よく考えるとここに来てから状況はある意味悪くなった。風水で観てもたぶんよくない部屋だ。第一、旅人が5年も同じ部屋に住んでちゃダメなのだ。待つより先に自分で動く。あと半年ってのはちょうどいい。

■9月(2001.9.2)
 ことさら書くほどのこともないような気がして、なかなか筆が進まなかった。めがねを作ったが、どうも慣れないのでかけたくない。一番嫌なのは、視界に大きな枠が見えることだ。まあ、あくまでもコンタクトがない時の非常用のつもり。それにしてもこのめがね、レンズがまぶたにくっつくんだけど、いいのかな。
 カトマンドゥで知り合ったインド人の青年からさっきメールが届いた。彼は、インドに来る時には連絡してくれと言った。父と母が案内してくれると言っていた。彼はカーストの一番上の階級に属しているのだという。だから、人のために尽くすのが自分の務めなのだと言っていた。神が自分に託したのだから、それをやるのが喜びなのだと。カースト制度のことはよくわからないけれど、ただの差別ではないらしいということはなんとなく伝わってきた。インド憲法では差別は禁じられているらしい。でも、ガンジーはカースト制度を否定はしなかったそうだ。興味深い話だ。