雑記帳 2001年12月

■筋肉痛(2001.12.25)
 合宿が終わって帰宅した。疲れたの一言。身体のあちこちが痛くてつらい。明日はもっと痛くなっていることだろう。
 「お疲れさま」って、何かプレゼント欲しい。くれよ、サンタ。

 きょうで今年の雑記帳は書き納めということにします。
 それでは皆様、よいお年を。

■日曜日(2001.12.23)
 早く起きて風呂に入った。スパーの弁当で朝食を済ませた。これからあさってまで山に籠る。どうしてこの時期に?と聞かれれば成りゆきでとしか言い様がないけれど、この時期だからかえって気が楽ともいえる。

■TAMAGO(2001.12.22)
 今忘年会から帰ってきてパソコンに向かっているところ。いろんなゲームがあったりして楽しい時を過ごすことができた。こういう企画ができる人を尊敬してしまう。人を楽しませるすべつまりエンタテインメントということだろう。僕についていえば、いつまでたってもそれが下手だと思う。
 ヒトという生き物は人間になるまでに20年以上の歳月を要する。1羽の母親だけが卵を温める鳥類のようではなく、人間の場合は、数えきれない何人もの人たちによって温められ、卵がかえされるのだ。そんなことを思うと、次の育て親へとバトンタッチしながら新しい人間を育んでいくこの仕事というのは、たいへんな価値のある仕事だという気がする。いつでも、自分1人で育てていると思うなかれ。自分1人で大人にできると思うなかれ。
 忘年会は、嫌なことは忘れいいことだけを思い出にする会だと誰かが言った。それには大いに賛成だ。したがって、今年の嫌なことはもう忘れた。
 どういうわけか偶然預かった卵たちを次の育て親にバトンタッチしていく。そういう局面こそ大事だし、ありがたいことなのだ。人を育てることに関わる。それはすでにそれだけで素晴らしいことに違いない。
 どんな人間でも、いくつかの卵を抱えながら生きているのだろう。それを生業とする我々は、共同して白い卵を少しずつ金の卵に変えていくのだと、心地よく酔った頭でそんなことを考えてみた。
 今夜はそろそろ床に就き、酔いを覚まして明日からの合宿に備えよう。

■終業式前日(2001.12.21)
 久しぶりにビデオレンタルの店に行った。店先、だぶだぶの服装をした4、5人の若者たちが地面に座ってカップ焼そばを食べているのを見た。この寒いのに何やってんのかな。家に帰りたくないんだな。
 
■人間万事塞翁が馬(2001.12.20)
 その人にとって何が幸せなことかはわからない。状況はころころ変わる。いろいろなことが起こる。「現実」というのと「人の幸不幸」というのは別物なのだ。

■当世大学教育事情(2001.12.19)
 ある大学の4年生からうちの学校にアンケートの依頼があったらしい。卒業論文のためのアンケートだという。学校を通さずに学生本人が頼んできたのにも呆れるが、それを受け付けてしまう管理職にも呆れる。だいたい4年生が今から卒論書くってか。許せね〜。莫迦にしてる〜。3年生だったらわかるけれど、4年生だったらもう提出の時期じゃねえか。そんなんじゃもう留年決定だべさ。もし卒業できたら恐ろしいぜ。と、珍しく沸き起こった怒り。
 自慢するつもりもないが、オレたちの頃は卒論だけは命かけるくらいやってたよ。というのは大げさだけど、でも大学4年間のうち3年間は卒論やってたような記憶があるな。毎週毎週先生に案を見てもらっては返される、その繰り返しだったな。おまけに途中で指導教官が御栄転しちゃって、そのころからタイミング悪かったよな〜としばし回顧。とにかく結論、これくらいやったぞどうだざまあみろ!!って言えるだけのモノを作るのが、やはり卒論の卒論たるところではないかと思う。

■おかしいと思うこと(2001.12.18)
 婚姻届の偽造によって見知らぬ男と結婚させられた女性が、戸籍を元に戻してほしいとテレビで訴えていた。理由はどうであれ戸籍を完全に元に戻すことはできず、現行の制度のもとではどうしても×印が残ってしまうのだそうだ。何とも気の毒な話。どうにかできないものか。
 保護者が学校に協力する姿勢をみせず、逆に敵であるかのような調子で教師批判をするのを聞くのはつらい。たしかに甘んじて批判を受けなければならない時もあるのだが、そんなときでも賢い保護者というのはけして子どもの前では言わない。ところが、昨今の親の中には愚かな方が増えているようで残念だ。
 
■チーズフォンデュ(2001.12.17)
 「おうちで手軽に」「レンジで1分」というコピーにひかれて買ってみた。封を少しだけ開けてレンジで温めていたらいきなり爆発音。見たらレンジの中はチーズだらけ。ひどい目にあった。

■勉強(2001.12.16)
 きのうの雪で辺りは真っ白け。太陽の光が乱反射して運転中ひどくまぶしかった。
 勉強に関する資料を作った。子どもの頃にもっと「勉強」しておけばよかった。
 ここでの「勉強」というのは「遊び」と同義だ。
 思いきり遊ばなかった子どもは、いずれ半端な時期にその弊害があらわれてしまう。 

■冷え冷えとした週末(2001.12.15)
 今週も終わった。きょうは寒かった。空は晴れていたが、地吹雪だった。たぶん真冬日だったろう。あと一週間で二学期も終わる。
 なんとかかんとかやってきた。だけど、めちゃくちゃだった。

■忠臣蔵(2001.12.14)
 高倉健の映画がテレビでやってた。元禄の世は遠くなってしまった。飽きて途中で寝た。
 街中クリスマスムード。おまけに大雪まで降った。やめてほしい。

■世界地図(2001.12.13)
 年末の本屋で来年のカレンダー付きの世界地図をもらってきた。「ひっつき虫」を使って部屋の壁に貼ったがすぐに剥がれ落ちてしまう。この世界地図、赤色の日本が真ん中にある見慣れたはずのものなのだけど、それがどうもそらぞらしく感じられてしかたない。何度貼ってもすぐ剥がれるので、もうそのままにして放っといた。床にぐしゃっと歪んだ世界地図。中心もなければ表も裏もない。このほうがよほどリアルだと思った。
 
■経過は良好!!(2001.12.12)
 まだ少し痛みが残るが、どんどん身体が快方に向かっているようで嬉しい。人間の回復力というのはたいしたものだ。
 星野仙一氏阪神監督就任か!?いいぞいいぞおもしろい。ぜひやってほしいです。

■日帰り入院!?(2001.12.11)
 日曜の夜中から激しい腹痛で一睡もできず。痛みに堪えきれず朝から仕事を休んで近くの開業医に行って診てもらった。腹部のX線撮影の結果、感染性の胃腸炎と診断された。処方された薬を飲んでしばらく寝ていたが痛みはひどくなるばかり。熱も上がってきたようだ。これはやばいと本気で思って、夕方高次救急センターに駆け込んだ。腹全体がとにかく苦しい。特に右側を押すと痛みが走る。朝から便通がなく、腹が張るようだったので、なんと生まれて初めての浣腸を体験する。熱が39℃。盲腸の疑いもあるというので、これまた生まれて初めてのCTスキャンで腹の断層写真を撮る。この時はもう入院か、手術か…と暗い気持ちになっていた。だが、診断の結果、盲腸ではなく盲腸の上部の大腸に炎症があることがわかった。この後炎症が盲腸に移る可能性もあるが、経過の観察が必要とのことだった。とりあえず点滴をしましょうというので、診察室奥のベッドへ。またまたこれも初めての点滴体験。2時間ばかり横になっているとだいぶ楽になってきた。さすがに救急病棟。その間、いろいろな患者が入ってきた。赤ちゃんを連れた両親、中学生、お年寄り…。そして、いろいろな人間模様が展開されていた。それを聞いていると、何とも言いがたい変な気持ちになるのだった。また、お医者さんや看護婦さんというのは素晴らしい職業だな!とも感じた。そして、健康ということはほんとにありがたいものだと思わずにはいられなくなった。治療がすべて終わり病室を出たのは午後11時を過ぎていた。
 病み上がりのきょうは午後2時で早退。通知表は今から取りかかるところ。明日中には提出してやる。
 ベートーベンの第九なんかかけている。こうやってだんだん無理の利かない身体になっていくのだな、少しずついろんなところにガタが来るようになるんだなと、手の甲の針の痕を見ながら妙な感慨に耽るのだった。
 
■「アジアの働く子どもたち」からのメッセージ(2001.12.9)
 先月の教研で、フリージャーナリストでアジア女性資料センター代表の松井やよりさんが講演した。朝日新聞社の記者としてシンガポール支局等に勤め、アジアの女性問題や子どもの問題に広く携わってきた人である。2年生の教科書の「アジアの働く子どもたち」という文章を執筆しているので、話を聴けるのを楽しみにしていた。
 当日は、会場校の生徒たちも一緒だったので、中学生にも分かりやすい言葉で話してくださった。松井さんの思いというのは控えめで、いろんな事実の紹介のほうが中心だったが、中学生たちはこれを聴いてかなりのインパクトを感じたのではないだろうか。この日の講演を聴けた子どもたちはとてもラッキーな子どもたちだと思う。数日の旅行だけでは知り得ないひどい現状があるのだということ。「知らない」ということはそれだけで罪になってしまうのかもしれないということを感じた。
 ちょっと時間が空いてしまったが、その時のレジュメとメモを元に簡単に内容を書き留めておこうと思う。

○パキスタンのぺシャワールはカーペット工場が300件もあるカーペットの一大産地である。そこには朝から晩まで工場で働く6〜8歳の少年たちがたくさんいる。この少年たちの仕事は、カーペット表面をハサミを使ってきれいに仕上げる仕事である。その時に出るホコリを吸ってしまい肺がやられてしまう子が多い。その子たちの寿命は30〜40歳だという。染料で目をやられて失明してしまう子どももいる。これらの子どもたちは、貧しい親の借金のカタに取られて工場に売られた借金奴隷である。インドのベナレス近くにもカーペット工場があり、15万人の子どもが働いている。ネパールでも。少女たちはいずれインドの売春地帯へ売られる。その途中で真っ暗な工場で働かされる。
○タイのキャンデー工場。少女たちが午前8時から午後10時まで冷たい床に座りっぱなしで障害が出る。カミソリの刃の工場では12、3歳の少年たち。貧しい村からバンコクへ。駅周辺では斡旋業者が待ち構えている。泊まるところも板の間で何もないところ。夢は「学校に行きたい」「お金をためたら故郷に帰る」。子どもたちは健気に前向きに生きている。シャムスル君、エビの加工場で事故。機械に挟まれて片腕を失う。そのエビはすべて日本へ輸出されている。
○マレーシアのプランテーション。パーム椰子やゴムの木。今では子どもたちは働いていないが、インドネシアから出稼ぎに来た人たちが低賃金で働いている。パームオイル、クリーム、食用油。多くは日本へ輸出される。ボルネオ島の森林伐採。先進国が伐採して輸出。赤土が流出し川へ。魚や動物が減少している。プナン人、テラビント人、ブルット人等の先住民族の昔ながらの生活が脅かされている。その子どもたちが、伐採会社に勤めることに。素晴らしい少年少女。伐採事故の危険にもさらされている。かれらが日本へ来て粗大ゴミの山を見てショック。日本人に対して「物を大切にしてほしい」「木を粗末にしないで」。わたしたちの生活を支えている子どもたち。
○マクドナルドのおもちゃはベトナムで作られている。化学物質による中毒で何百人もの工員が病院に運ばれた。中国は世界一のおもちゃ生産国。中国のおもちゃ工場で火災。89人の少女たちが焼け死んだ。なぜか。少女たちは逃げられないように鉄格子に入れられ、ドアに鍵がかけられていた。タイでも、187人の少女が焼死する火災が起きている。ワールドカップ用のサッカーボールはパキスタンやインドの子どもたちが縫っている。ディズニーランドのキャラクター商品はホンジュラスの子どもたちが作っている。地球の経済活動は一つにつながっている。身近なものがどこで作られているかに関心をもとう。
○世界中で人身売買。タイから少女が日本へ来ると400万円。タイ北部の貧しい山岳民族。農村と都市の格差。閉じ込められて暴力。虐待を受ける。フィリピンミンダナオ島のイスラムの少数民族出身の少女サラ。家事労働者として中東へ。強姦され雇い主を殺す。死刑判決。「サラを救え」。フランスで反対デモ、署名。「生きて帰れたら学校へ行きたい。法律を学んで、弁護士になりたい」
○バングラデシュでは1万人の少女が縫製工場で働いていた。今では1500人に減っている。世界中で大キャンペーンが展開されている。アメリカ、ヨーロッパの市民団体がNIKEへ。カーペットのラベルキャンペーン。「このカーペットは児童労働で作ったものではない」というラベル。そのラベルがついたもの以外は買わない運動。"Stop child labor!"(カナダのキャンペーン)98年1月、フィリピンのマニラで1万5000人の働いている子どもたち自らが声をあげて行進を始めた。その時、日本人の記者は一人も来なかった。そのマーチがインドネシア、マレーシア、南アフリカ、ラテンアメリカ、ブラジルと広がり、スイスのジュネーブへと向かった。ILO(国際労働機関)への要求となり、99年ILO182号条約(最悪の形態の児童労働の禁止および撤廃のための即時行動に関する条約)採択へ。2001年日本批准。第2回子どもの商業的性的搾取反対世界会議が12月17日〜20日横浜で開催される。
○フィリピンやインドではストリートチルドレンへのボランティアでの教育が盛んだ。自由に自主的に子どもたちに選択決定させている。話し掛け方一つから、気持ちを理解するような工夫をしている。そういうボランティア活動からいろいろなことが学べる。
貧しい国々が貧しい理由の一端は日本にある。どんどん豊かな国と貧しい国の格差が広がっている。一人一人が何をできるか、考えてほしい。アジアの人たちを低くみず、尊敬する心をもってほしい。
 
■ジョン・レノン(2001.12.8)
 21年目の命日。さいたまのジョン・レノンミュージアムのことがテレビに出ていた。今日訪れる人は花を一輪持ってきてほしいと言っていた。大成建設ってのが前面に出過ぎてる気がするが、一見の価値はあるとこだと思う。

■平和集会(2001.12.7)
 そう名づけられたきょうの集まりに参加したのはたったの9名だった。100人くらいは集まるだろうと思っていたのに、がっかりだ。そこで渡された資料から、勝手に転載します。あすは太平洋戦争が始まった日。

もしも今日がついてない一日だと感じたあなたもこれを読んだら現実が違って見えるかも
                         
                                   作者 K.Leipold・ 訳 なかのひろみ
 
もし 現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を人口100人の村に縮小するとしたらどうなるでしょう。
 
 その村には…
    57人のアジア人
    21人のヨーロッパ人
    14人の南北アメリカ人
    8人のアフリカ人がいます。

    52人が女性で
    48人が男性です。
   
    70人が有色人種で
    30人が白人

    70人がキリスト教徒以外の人たちで
    30人がキリスト教徒

    89人が異性愛者で
    11人が同性愛者

    6人が全世界の富の59パーセントを所有し、その6人ともがアメリカ国籍

    80人は標準以下の居住環境に住み
    70人は文字が読めません
    50人は栄養失調で苦しみ
    ひとりが瀕死の状態にあり、ひとりは今、生まれようとしています。
    ひとり(そう、たったひとり)は大学の教育を受け
    そして、ひとりだけがコンピューターを所有しています。
 
もしこのような縮小された全体図からわたしたちの世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火を見るより明らかです。

また 次のような視点からもじっくり考えてみましょう。

もしあなたが今朝、目覚めた時、健康だなと感じることができたなら……あなたは今週生き残ることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています。

もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も経験したことがないのなら……世界の5億人の人たちより恵まれています。

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら……世界の30億の人たちより恵まれています。

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上には屋根があり、寝る場所があるなら……あなたはこの世界の75パーセントの人々より裕福です。

もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、家のどこかに小銭の入った入れ物があるなら……あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8パーセントのうちの一人です。

もしあなたの両親がともに健在でそして二人がまだ一緒なら……それはとても稀なこと。

もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間2倍の祝福をうけるでしょう。なぜならあなたのことを思ってこれを伝えている誰かがいて、そのうえ、あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。

昔の人がこう言いました。我が身から出づるものはいずれ我が身に戻りくる、と。

  お金に執着することなく 喜んで働きましょう
  かつて一度も傷ついたことがないかのごとく 人を愛しましょう
  誰も見ていないかのごとく 自由に踊りましょう
  誰も聞いていないかのごとく 伸びやかに歌いましょう
  あたかもここが地上の天国であるかのように 生きていきましょう

このメッセージを人に伝えてください、そしてその人の一日を踊らしてください。

                                           友人よりのメッセージ・2001・3
   http://www.bigroof.net/~pakpak/index.htm
 

■雪の日(2001.12.6)
 朝から雪が降り続いた。校庭に大きな雪だるまができていた。なんかホッとした。きっと、平和への祈りが込められているんだ。

■Ginger(2001.12.5)
 ついに姿を現したぞ。あんなもの普及したらますます体力が落ちるだろうな。それに街の風景もすっかり変わってしまうだろう。でも、おもしろそう。自転車くらいの値段になったら買うだろうな。
 サッチー逮捕。ああいう身勝手なおばさんは逮捕されて当然。可哀想なのは野村監督です。野球人としては「生涯一捕手」、名監督といっても、家庭じゃ妻の横暴をどうすることもできなかったんだね。

■足元から(2001.12.4)
 きのう降った雪が凍って滑るので歩きづらかった。今年はスノトレを買おう。もうちょっとちゃんと歩けるようにしよう。

■洋梨を食べながら(2001.12.3)
 テレビで年賀状の書き方が紹介されていた。墨で自由に描く線は生き生きとして何となくかっこいいのだった。しかも意外と楽そうだ。はがきは買ったものの、いつ着手することになるかるかわからない。詩を作ろうと思ったが、ウマくいかなかった。
 「ハリー・ポッター」と言うだけで子どもたちの目が輝いて少しおしゃべりしたがる。「おもしろそうだね」などと言ってはみるが、僕はあの手のやつはどうも苦手だったりするのだ。読んでみたいような気はするが、たぶん観ることはないだろう。

■ファドをききながら(2001.12.2)
    ポルトガルの民謡はちょっとさびしい感じだな。ヨーロッパの田舎には、日本では失われてしまったものがまだあるかもしれない。
 皇室の報道を見ていて信じられない思いだった。驚いた。テレビのニュースは偏っているのだと実感した。とどのつまり自分の感覚を頼りにするしかないんだ。
 地球がもっと小さかったなら、だいたい岩手県くらいだったらどうなっていただろう。やっぱり喧嘩はたえないだろうか。殺したりすることもあるのだろうか。

■いつものように(2001.12.1)
 またいつものように12月がきた。やっとこさここまできた。今年ももうすぐ終わりだ。5年連用の日記帳を買ってから5年経った。今月でそのページが終わる。この1ヶ月はその日記帳の方にちゃんと書こうと思う。
 この5年の間にいろいろなことがあった。そして、すっかり変わった。いつものようにというのはうそで、ほんとは過去のどの年とも違う12月がそこにある。
 5年前にある人が書いたものを読んで、はらわたが煮えくりかえるような思いがした。怒りがよみがえってきた。結局僕はある悪意に翻弄されていたのだ。
 以前もっとも醜い感情は嫉妬の感情だと思っていたが、今では憎しみや恨みの感情だと思っている。