¿Por qué? mi vida diaria y viaje del 11 de febrero de 2000

   ぽるけ? 日常と旅の記録(2000年2月11日〜)


■作者 ゆ (1967年 イーハトーヴ生まれ)  ■これまでの日記


■年頭所感(2018.1.1)

また新しい年が明けた。

毎年毎年よくも同じように年が暮れ年が明けるものだ。

だが、少しずつ世の中は変化を続け、

一年前とはまったく異なる世界がここにある。

いつでも最前線、わたしたちはもう一日も後戻りできないところにいる。

トロントの日々も北上山地で過ごした日々も遠くなったが、

そこで経験したことの精髄はいまの暮らしににじみ出ており、

日々これらに対する意識は新しく生まれ変わっている。

2014年の4月から、オランダ・アムステルダムに3年間在住した。

側からするとこの風体は飄々と見えるらしいが、

この3年間はそれまでの年と同様に厳しいものであり、

一瞬一瞬にいのちのすべてを傾けて動く毎日だった。

そうして動くということは、たえず全力で生ききることでもある。

建造物、自然、人々の姿、

これらの美しさに心を打たれながら、

遠き故国を憂いた。

日々出会うありとあらゆるものを通して、

別の社会のあり方を見つめることが、

自らの思考を広げたり深めたりすることにつながった。

それが何だったのか。

どういう意味があったのかはまとまっていないが、

これからの暮らしの中で多くを発見できるだろうと確信する。

ただそれは、生きていればの話である。

人生50年と言われた時代は大昔だ。

「あと5年」と意識し始めてから何年経ったのか。

すでに自分は自分の終わりを常に心に留めるようになった。

いつでもどこでも自分の死に方を意識しない時間は無い。

この年まで生かせていただいた。

いつ逝ってもおかしくない。

これだけ多くの貴重な経験をさせていただいたのだから、

いつ死が訪れたとしても納得しなければ嘘である。

みなさん、どうもありがとう。

何かを残すことには工夫を凝らしたい。

だが、それは言葉に限らない。

残るかどうかは問題ではない。

動くことで、風を感じられればよい。

少しでも気流を起こせればよい。

むしろ言葉でないものを残すべく、日々暮らしたい。

それがなければ、生きる意味はない。

意味のある生を送りたい。

■Living In Toronto(2003.8.17)

2003年の4月から、カナダ・トロント在住※

何年になるかわかりませんが、期限付きです。
この街との出会いはすべて偶然。
でも、枠からはみ出して生きることは、
自分の中では必然の成り行きでした。
これまでのすべての出会いに感謝しています。


ふるさとから離れて住むこの街は、
世界一の多民族都市といわれます。
いろんな人々がいて、
それぞれに何かしていて、
お互いにみな、
なんとなく、うまく、共存できる街。
「みんなちがって、みんないい」
この言葉を素直に体現している、
そんな街ではないかと感じます。
それを受け入れるカナダという国も
なんと懐の深い国でしょう。

そこでいつもふと思うのは、
日本はどうだっけということです。
カナダ、トロントの生活の中で、
毎日見たこと聞いたこと考えたことを、
載せていきたいと思っています。
こんなに貴重なありがたい体験を、
自分一人だけのものにするのは、
あまりにもったいない話ですから。
よろしかったら、おつき合いください。


※2006年3月帰国。

 


■イーハトーブの山小屋から(2002.1.20)

ここには電気はなく、
夜になるとろうそくの灯りがあるだけです。
それでも意外と明るくて、
表情だってわかるくらいです。
今、みんなが食堂に集まって、
隣の国のラジオに耳を傾けています。
おじいさんは孫をあやしながら嬉しくて笑顔が止まりません。
赤ちゃんは目をくりくりさせて周りを見ています。
僕は生姜とミルクの入ったお茶を飲みながら、
ゆったりとして濃密な時間を過ごしていました。
ふるさとから5000キロ離れたこの山小屋で、
なぜだか僕は、
イーハトーブという土地の名を思い出しました。
ほのかな温もりの中で、
浮かんだ言葉をノートに書き留めたのでした。
        
ふるさととふるさとは光で結ばれ、
そこには距離も国境もありません。
イマジネーションをひろげれば、
どこだって身近なドリームランドにできるのです。

イーハトーブの山小屋をベースにして、
ここから、旅をしよう。
ここから、語りかけよう。
見知らぬ土地に、見知らぬ人たちに。


■サイトを開くにあたって(3000.2.11)

いつも旅人でありたいと願っている。
現在は、北日本のとある中学校に勤務。

将来の夢、宇宙旅行。
そしていつか詩人になりたい。
生まれる場所は選べなかったが、
死ぬ場所は自分で決めるつもり。

四六時中、頭の中で音楽が鳴っている。
でも、音楽の教師ではありません。

人間が好きだ。(人間が嫌いだ。)
仕事が好きだ。(仕事が嫌いだ。)
独りが好きだ。(独りが嫌いだ。)
楽しければそれでいい。(楽しいだけの毎日なんて真っ平だ。)
いろいろな感情、いろいろな立場の自分たち。
みんなで仲良く暮らしています。

いつも変わらない毎日だけど、
この毎日が果たしてかけがえのないものであるのか、
よくわかりません。
ほんとに大事なことはいつの時代でも変わらない。
そう考えたら、
西暦2000年だろうと3000年だろうと関係ない気がしてきました。

いったい、変わらないものってなんだろう。
1000年たっても変わらないものって、
あるんだろうか。
もしあるとしたらそれは、
ほんとにほんとの本物だろう。
少しだけ枠をはみだして、
違った場所からものごとを眺めてみたい。
偽物の人生と本物の人生。
俺は断然、本物のほうがいいですから。

というわけで、
そんな自分の窓を開けてみることにしました。
どうぞあなたのお越しをお待ちしております。