1999べトナムの旅       ベトナムの写真    


 私は1999年の夏、ベトナムへ旅をしてきました。JICA(国際協力事業団)の中学校教員海外研修に参加したのです。今回は東日本の中学校の先生方がブロックごとにラオス、フィリピン、べトナムと3つのコースに分かれて研修してきました。
 7月27日、28日の両日は、東京の国際研修センターで事前研修をしました。そして29日、東北、北海道、北関東ブロックの12名はJICA東北支部のSさんとともにべトナムへと旅だったのです。
 これは、JICAに提出した研修報告書をほとんどそのまま載せたものです。個人の旅行とはまた違った視点で、また教師から見たべトナムの姿を感じてもらえれば幸いです。            



1.この旅のテーマは…
 海外の実情を知らずに日本という国の中だけで仕事をしていていいのか?
というのが、今回参加した最大の理由です。自分の授業が「井の中の蛙」になっていまいか。こんなことで子どもたちになにを伝えられるのか、これで本当に国際社会に通用する人間が育つのかという疑問。教師としてというより、人間としての視野の狭さに我慢できなくなっていたというのが正直なところかもしれません。まず、外を見てみよう、違った視点で日本を見直してみようということを考えていました。
 豊かだといわれるこの日本ですが、教育現場では不登校、いじめ等さまざまの問題が噴き出し、我々教師もどんどん忙しくなるばかりです。こんな状況はとても豊かとはいえないのではないか。単に物質的な豊かさは、心の豊かさとはまったく別のものだと思います。べトナムは、GDPの比較によると世界の国の中で最低レベルの貧しい国とされています。でもそれは「金」とか「物」とかが多い少ないのレベルでしかないでしょう。日本人が見失ったものがべトナムにはあるにちがいない。それを探してこよう。べトナムを訪れ、そこに生きる人々にふれることで、本当の豊かさについて考えてみたいと思いました。
 教師としては子どもたちの様子が一番気になります。どんな顔をしているんだろう。そこで、できるだけたくさんの子どもたちに会い、子どもたちの顔をしっかり見てくることにしました。自分の目を通して子どもたちの顔から何かを感じてくる。これは、教師としての挑戦だと思いました。


2.協力活動にかかわる人々の姿から
 青年海外協力隊については、国を越えて援助をする素晴しい仕事というイメージだけが先行して、現地で具体的にどんな仕事をしているのかについての知識はないに等しいものでした。そして、この旅での「研修」とか「視察」というものも実際現地に入ってみるまではその内容がどういうものであるか、私にはまったくの謎でした。
 しかし、実際にべトナムで活動されている日本人の方々にお目にかかり、お話をうかがってみると、べトナムの国づくりに汗を流している日本人がこんなにいるんだ。日本人も捨てたもんじゃない!と、日本人であることに対する誇りのようなものすら感じることができました。
 「国」という枠を越えて世界に飛び出し、その土地の人々といっしょになって力を尽くしている皆さんの生きざまにふれることができたのは、本当に貴重な経験でした。活動されている日本人の周りには一生懸命に働くべトナム人の姿がありました。国籍は違っても社会をよりよいものにしようという大きな志のもと、個人個人の信頼関係をベースにして一歩一歩努力されている姿は、まさに人間としてあるべき基本的な姿勢ではないかと気づかされました。
 1999年現在べトナムに派遣されている協力隊員や専門員の数はわずか40数名。その他のNGO関係の方々を含めても多いとはいえないでしょう。今回の視察で、国を越えた援助や交流はまだ始まったばかりだという印象を強くもちました。これからもっと人の行き来ができ、協力関係をつくりあげていければいいと感じました。
 今はまだ日本人からべトナム人への一方的な援助が中心だと思います。資金を提供しインフラを整備したり、高度な教育を施したり、日本の経験したノウハウを提供したりと、日本の援助はべトナムの大きな力になっています。そして、べトナム人はものすごい勢いで学び、経済的にも大きく伸びています。これから先を考えたとき、日本は与えるだけでいいのかと思います。日本人であることに誇りをもつと同時に、もっと謙虚な気持ちで外国の人たちと関わっていきたいと思います。たくさんの日本人がべトナム人と関わり、べトナム人から多くのことを学んでいるはずです。お互いが学び合う関係こそがこれから目指すべき国際関係なんじゃないでしょうか。だからこそ、我々教員の派遣がもっと行われればいいし、JICAも取り組んでいるのでしょう。


3.どう生かすか?
 この旅で得た成果をこれからの教育活動に生かしていくわけですが、けして一時間の授業や学級活動で生徒に伝えられるものではありません。実際、自分の中でもまだ整理がついていない状態ですから。これから毎日子どもたちと向き合う顔から、少しずつでもにじみ出ればいいと思っています。べトナムの子どもたちと接して感じたことは、みんな「学びたがっている」ということでした。ハノイの学校で会ったのは「勉強が好き」「勉強したい」と素直に声に出して言う子どもたち。英語を自由に使って話しかけてくる子どもたちでした。この子たちが大人になるころにはべトナムはどれだけの発展を遂げているだろうと頼もしく感じました。と同時に、日本の子どもたちとの違いを感じずにはいられませんでした。
 文廟やホアンキエム湖のほとり等の観光地では、お土産売りの子どもにたくさん会いました。外国人と見ると絵葉書やTシャツを買えと、しつこいくらいにつきまとってくるのです。いわゆるストリートチルドレンなのでしょうか。なかには身元の「証明書」を見せる子どももいました。「要らない」というととても悲しい目をします。私はあの目を見るのがとてもつらかったです。買わないで、何度も「バカ!」と言われました。あの子どもたちは学校に通っているのだろうかと思うと、義務教育が徹底されている日本はやはり恵まれているといわないわけにはいきません。
 べトナムは社会主義国であることから、他の東南アジアの国に比べてもスラム化しにくい国なのだそうです。また、言語がローマ字化したために識字率も高いのだそうです。世界には満足な教育も受けることができない子どもたちがたくさんいます。その子どもたちの現状を私はまだまだ知らなすぎます。もっと学んでいく必要を強く感じました。そして、世界の子どもたちのためにできることをしていくのが、私たちの使命なんじゃないだろうかと感じました。べトナムの子どもたちのきらきらした目と悲しそうな目をいつまでも忘れずにいたいです。


4.各訪問先について
7/30(金)午前 〜JICA事務所
 ○高層ビルの11階がJICAのべトナム事務所が入っていました。窓から見下ろすハノイの街には高い建物はそれほど多くはなく、オフィスの立派さをひときわ感じさせました。午前中2時間ほど、べトナムの社会と経済の概況そして教育の現状についてかなり幅広くかつ詳細な説明を受けました。「なるほど現地に来て話を聞くというのは臨場感があっていいもんだ」とひとり感心しながら聞いていました。べトナムでは北部山岳地域に50をこえる少数民族がいること、フランスの植民地時代に漢字を廃止しローマ字化したこと、そのために途上国としては比較的識字率が高いのだということが印象に残りました。また、貧困層が富裕層を大きく上回っていること、しかしその富裕層でさえ、一ヵ月あたりの所得が3000円ほどであるということでした。だとすると、1台20万円もするバイクがあれほどたくさん走っているのは不思議です。トナム経済には数字にはあらわれない流通があるのだという説明を聞いても、なんだかピンときませんでした。他の先生たちが現地スタッフのハーさんと英語で自由に会話しているのを聞いて、英語の苦手な私は少しあせっていました。
7/30(金)午後 〜ジャパンスタディセンター
 ○ここではさまざまな専門職に就く若者たちが日本語の研修を行っていました。日本から来た私たちに研修生が日本語で質問をして、最後に発表するという形式の授業でした。
 札幌のK先生と私は、Gさんと一緒のグループです。Gさんは最初から、日本の学生は将来の夢がない。勉強をしない。とか、学校以外でも自分のことをしない。とか、厳しい指摘をしてきました。さらにべトナムの学生は社会に関心があるが、日本ではどうかという質問も。私たちは必死になって日本の現状を説明しました。日本の現状を自分なりにかみ砕いて話したつもりですが、研修生の日本語の上手なこと、そして、詳しく日本を勉強しているということに驚かされました。たいへんな刺激!これは心してかからねばいかんと気が引き締まりました。


7/31(土)午前 〜法務省
 ○法律のことは、日本にいても専門的な話を聞く機会はほとんどありません。法整備の専門家、弁護士のMさんはべトナムの法律を作るための調査やアドバイスをしています。ちょっと見ただけではわからないべトナム社会の裏の部分をいろいろお話しくださいました。まず、べトナムは合意と和解の社会であり、法律があってもなかなかそれが守られないのだということ。公務員の汚職が多くて死刑も多いということ。べトナム戦争の鎮痛剤から麻薬容認の土壌が広がり、麻薬が蔓延してきていること。この社会の慣習と新しい法律との整合性をもたせていくことがたいへんだということ等など。さまざまな問題が山積していて、少しずつしか進められないけれど、べトナムはやりがいのある国だと武藤さんは話していました。人々が一生懸命働いて、自分が仕事をしただけの手応えを感じることができる。月々国が発展していることがわかるということでした。
 べトナムの慣習と国際的な法慣習とはずいぶん違うことがわかりましたが、どちらが良い悪いではなく、違っていることをすり寄せながら合わせていくことの途方もない難しさを感じました。でも、国際社会のためにはだれかが取り組んでいかなければならない問題です。素晴らしい仕事をしている日本人に出会えたと感激しました。
 ○31日はこの後、文廟を見学。これは1070年に建てられた孔子をまつるための廟で、李朝時代の科挙の合格者の名前が漢字で石に刻んでありました。午後はホアロー収容所、玉山神社を見学、旧市街を散策。夜は水上人形劇を見学しました。


8/1(日) 〜市内見学
 ○午前、ホー・チ・ミン廟へ。                            
 民族的英雄ホー・チ・ミン主席の遺体がガラスケースに入れられて安置されていました。日曜日とあって長い行列ができていました。廟の裏手の住居、ホー・チ・ミン博物館、柱一本だけで建っている一柱寺を見学しました。この日も暑くて、休憩所で飲んだ3000ドン(約30円)の冷えたファンタがとてもうまかったです。午後には、民族博物館を見学しました。中国国境のラオカイから人民委員会の団体が来ていました。中には少数民族の衣装をつけた方もいて、展示品よりもそちらに目を奪われました。その衣装から民族の誇りが感じられました。日本人の誇りってなんだろうと少し考えさせられました。


8/2(月) 〜VINHへ移動、リプロダクティヴヘルスプロジェクト・母子保健センター
 ○ハノイから南へ約300キロ離れたヴィンという街へ、バスで5時間半かけて移動しました。国を縦断する国道1号線はきれいに整備されていました。車窓には形のふぞろいな田園が広がり、ヤシやバナナの木も見えます。煉瓦造りの四角い建物にも、ローマ字の看板にも見慣れてきたという感じです。ただ、日本では考えられない無謀な追い越しは、とんでもなく怖かったです。
 ○ヴィンはゲアン省の省都です。ハノイよりもずっとのんびりして、時間がゆったり流れているようでした。
「リプロダクティヴヘルス」とは「性と生殖に関する健康」のことで、べトナムの中でも特に貧困で助産婦の少ないゲアン省で、村の保健センターで提供されるサービスを改善し、清潔な環境で、安心してお産ができるようにするのがこのプロジェクトの目的です。ゲアン省では85%のお産が各村にある保健センター(CHC)で行われています。しかし、現状は分娩台がない、床が土間のまま、設備は不十分、雨漏りがするなど、安全が保証されていないのだそうです。また、分娩の技術や妊婦への指導のための知識も不足しています。そこで、必要な機材を入れるとともに、助産婦の再教育を施し、保健センターの設備を改善し、最低限必要な医薬品や避妊器具を供与しているということです。さらに、このプロジェクトの特徴は、JICAとジョイセフ(家族計画国際協力財団)というNGOが協力して取り組んでいるということです。
 ここで、二人の日本人にお会いすることができました。チーフアドバイザーのKさんと助産婦のWさんです。現地スタッフとべトナム語でやりとりする姿はお二人とももうすっかりべトナム人になり切っているように見えました。Wさんは、テレビの全国放送でもその活躍ぶりが取り上げられ、今やべトナムで一番有名な日本人だそうです。一代さんは毎日のように村々をまわり、助産婦さんに指導をしているのだそうです。Wさんにしっかりやっているねとほめられたいがために助産婦さんたちは前に教わったことを復習してくるのだそうです。短い時間でしたが、お話を聞いているうちに、表情が明るく一生懸命な人柄だからべトナムの女性たちがついていくんだろうなとわかりました。印象に残った言葉は、「このプロジェクトが終わり日本人が去っても前より悪くなることはない。べトナム人のスタッフが後を継いでいくから。今は日本人として日本の教育を受けたものが、日本人の感覚で活動していくことが期待されている。日本が注目されている」ということでした。
 この後、中庭でバレーボールをしていたおじさんたちに混ぜてもらい、少しの間でしたがいっしょにバレーをしました。とてもすがすがしい気持ちでした。


8/3(火) 〜ヴィン郊外・コミューンヘルスセンター(CHC)
 ○ヴィンのホテルで一泊。翌朝、ヴィンからバスで20分くらいの比較的近い距離にある保健センターを訪問しました。そこはこじんまりとした施設でしたが、床はタイルでピカピカで、井戸やトイレも整備されていました。ここで働く助産婦さんたちや人民委員会の副委員長さんも私たちを歓迎してくれました。バナナとミネラルウォーターのおもてなしがとてもうれしかったです。この後、少し離れたところにあるホー・チ・ミンの生家を訪ねました。ゲアン省はもっとも貧しい省だそうですが、子どもたちの向学心は強いのだそうです。ホー・チ・ミンを産んだ省だとすれば納得がいきます。午後はもうひたすら、ハノイへのバス移動。ホテルについたのはもう夕方でした。


8/4(水)午前 〜ハノイ外国語大学
 ○ハノイ外国語大学はべトナム随一のレベルを誇る大学です。私たちはちょうど日本語の授業の最中におじゃまさせていただきました。授業をしているのは協力隊のI先生。参加しているのは4年生を終え、卒業式を控えたばかりの学生さんたちでした。
 授業の内容は、日本の学校について後輩がまとめたテキストを正しく直していくというものでした。もちろんすべて日本語です。「〜を手伝う」なのか「〜に手伝う」なのか。「助ける」と「援助する」の違いはなど、微妙なニュアンスを学生たちが答えます。そして、I先生もすらすらとそれに説明を加えていくのです。自分はこれだけ的確に説明できるかなと思うと恥ずかしくなりました。    
 授業の後は、喫茶店に場所を移し、学生さんたちとの懇談会となりました。宮城のC先生と私のテーブルに座ったのは、ヴィン出身のNさんとSさんでした。彼女たち卒業生は卒業式を終えてから就職口を探すといっていました。「日本語教師になりたいけど難しい。もしなれなくても日系の企業に就職したい」と言っていました。二人とも日本語はペラペラで、私のほうが緊張しておかしな日本語になってしまいました。仕事が忙しくて自分の時間がなかなかもてないという話をしたら、「それはいけません!仕事だけが人生じゃありません!自分の時間はとても大切です!!」と思いきり否定されてしまいました。そのとおりですね。反省です。
 彼女たちは大学の先生の娘で、アルバイトもせず仕送りを毎月50万ドン(約5000円)もらうということですから、相当収入の多い家庭に育っているようです。とにかく、彼女たちの語学力だったら今すぐ日本に来ても十分やっていけるでしょう。ぜひ、希望の職業について活躍することを願ってやみません。
8/4(水)午後 〜ハノイ農業大学 
 ○近郊にあるハノイ農業大学では、九州大学を退官されてからこちらに赴任したというC教授からお話をうかがいました。ここでは主に教育と研究の質の向上を目指して取り組んでいるということでした。なにしろ、お金がないから本も買えず、設備もなく満足な研究ができないんだと嘆いておられました。べトナムの農業事情は社会主義下での食料自給の行き詰まりを発端とする1986年のドイモイ(刷新)から、ようやく向上してきて、米の輸出高は世界第3位、コーヒーの輸出高も第3位にまでなったそうです。ですが、都市と農村の貧富の差の拡大や国内市場の狭さなどたくさんの問題があるといいます。べトナムの人々はひじょうに優秀だ。人材の開発にもっと援助を集中させてほしいと話していました。初老の教授の熱のある言葉に、「援助は人から」という強い信念がにじみ出ているような気がしました。


8/5(木)午前 〜チュンヴン中学校(都市部) 
 ○街のど真ん中にある中学校は82年前、フランス領時代に建てられた建物で、この日は夏休み中の特別講習が行われていました。べトナムのトップクラスの学校で、たくさんの政治家や博士を輩出しているのだと、校長先生は自慢していました。べトナムの先生は転勤がなく、数々の賞状などを展示する部屋には校長先生の若いときの写真も貼ってありました。この学校には入学希望者が多く、保護者が校長先生の家まで押しかけてくると言っていました。夏休みも講習があるので忙しく、また、校舎を他の学校と共用しており午後には他校の生徒が勉強に来るということです。生徒の将来の夢の第1位は学校の先生、第2位は医者、第3位は技師、専門家だそうです。
 授業を少しだけ参観させてもらいましたが、みんな集中して勉強していました。さすがエリート校という雰囲気が漂っていました。子どもたちと接することができなかったのが残念でしたが、中には私達の姿を見てとても元気な反応をしてくれる子もいました。
8/5(木)午後 〜国立情報処理研修所 
 ○べトナム国家大学ハノイ科学大学の中にあるこの研修所では、べトナムの国家機関や教育機関に産業界のニーズに応じたコンピュータの最新技術を提供し、プロジェクトの最終段階では自立してこの研修所を運営できるようにすることが目的だということです。産業界や教育界の人々がここでコンピュータを学んでいるそうですが、インターネットやマルチメディアの研修の中に「発想法」の研修というのもあり、おもしろいと思いました。街角にはコンピュータゲームを置いた店もよく見かけるのですが、これはただのゲーム機であって、まだまだ子どもたちがコンピュータをいじれる環境ではないということでした。でも、携帯電話をもっている人もよく見ましたし、インターネットカフェもありましたし、日本ではこの20年くらいかかって発達してきたものが、べトナムではもっと短期間で広まっていくだろうという印象をもちました。


8/6(金)午前 〜アイモ中学校(近郊)
 ○市街からバスで30分ほどのところにある中学校を訪問しました。私は田舎の小さな学校を思い浮かべていたのですが、予想は裏切られました。生徒数1200、職員数60の大規模校でした。私たちがついたときはちょうど休み時間で、子どもたちは中庭でボールを使ったり、セパ・タクローをやったり、元気よく遊んでいました。「ハロー!」と声をかけてくれたり、カメラを向けると気軽に手を振ってくれました。やがて用務員さんらしき人が太鼓をドンドンとたたくと、みんな教室へ走っていきました。
   ここもやはり夏休みの講習中で、いつもは制服があるがきょうは私服だということでした。ハノイなどの大都市では中学校(4年制)までが義務教育になっていますが、その他は小学校(5年制)までが義務教育なのだそうです。ここの校長先生は「子どもを好きになることが、上手に教える方法だ」というべトナムのことわざを紹介してくれました。
 べトナムでは11月に「教師の日」というのがあって、生徒たちが先生に花をあげたり、親子と先生が交流するそうです。儒教の精神が根強く残っているのです。
 授業の様子を見に行くと、みんな立って、拍手で歓迎してくれました。授業の雰囲気はけしてかたくはありませんでしたが「勉強したいんだ」という気持ちは強く感じられました。英語も数学もずいぶん難しいことをやっていたようですが、「勉強好き?」と聞くと「はい」と笑顔で答えていました。私にとってこの反応はとても新鮮でした。
 校長先生の特別のはからいで、90分の授業は10分ほど短縮。生徒たちと私たちとの交流の時間をとってくださいました。太鼓がドンドンと鳴ると、子どもたちが教室から飛び出してきました。子どもたちは英語で話しかけてきます。私は英語が苦手なので、意思を十分に伝えることができず、とてももどかしい思いをしました。英語さえできれば、この子たちと会話ができるのに!私はなんとかボディランゲージを駆使してコミュニケーションをはかりました。たった15分でしたが、楽しいひとときを過ごすことができまし た。
 中学、高校、大学と8年間も英語を学んだのにこんなとき使い物にならないなんてほんとに悔しかったです。また逆に、自在に英語をあやつる中学生達に会って、べトナムでは国際社会に通用する人財が育っていると実感しました。
 旅もあとわずかとなり、ますますべトナムが好きになりました。このころから私は「ああ離れたくないな〜」という気持ちで、ちょっと切なくなっておりました。
8/6(金)午後 〜農業地域開発省、JICA事務所
 ○農業地域開発省では、農林水産省から派遣されたSさんから、べトナムの農業全般について、わかりやすく説明していただきました。ここでもべトナムの国について次のようなことを聞きました。「べトナムは楽しく、やりがいのある国である」なぜなら、国民が目標に向かって努力するし、国内での争いがない、そして独裁政治でないからだということです。この一番はじめの「目標に向かって努力する」かどうかが、楽しいか楽しくないかの分かれ目になるのだなと思いました。
 貧しさからは脱却しなければならない。だが、豊かになれるものからなろうとすると競争が起きる。そうなると、貧富の差が生じてしまう。この矛盾の中で政府もたたかっているし、人々もたたかっているんだと感じました。
 ○JICA事務所では、「国立公園における環境教育」というテーマで、専門家のAさんからお話をいただきました。森林破壊が急激に進んだという事実を知り、国立公園での環境教育の取り組みの事例を聞きました。環境教育は日本でも最近取り上げられるようになったばかりで、日本とスタートラインが近い取り組みだという感じを受けました。このような分野でこそ、お互いの知恵を出しあって交流していければいいと感じます。特に、学校間での交流など、子どものときからの取り組みが成果を生みやすいのではないかと思います。


8/7(土)午前 〜市内幼稚園
 ○JICA事務所のハーさんのご尽力で幼稚園の訪問が実現しました。私たちが滞在したホテルからほどない
距離にある幼稚園ですが、入ってみるとその設備の充実していることときたら驚きでした。ハノイ市内でも
最大の幼稚園で、児童数は500、職員数は60。日本の幼稚園を見たことはないので比較できませんが、
おそらく日本のより立派だと思います。競争率も高いのだそうです。べトナムも共稼ぎが多く、三食とも食事付きなんだそうです。   
8/7(土)午後 〜景勝地ホアルー見学
 ○ハノイから南へ約120キロ。中国の桂林を思わせるようなポコポコした山の間を縫うように流れる運河を、漕ぎ手を含めて4人乗りの小さな舟で渡っていきました。切り立った岩にはヤギの群れがいたり、途中鍾乳洞をくぐったりと片道1時間チャポチャポという水の音を聞きながらゆっくり進みました。
 しかし、帰り道はというと、舟の上で漕ぎ手のおばちゃんの執拗なお土産のセールスにあってしまいました。これにはいささか参ってしまいました。


8/8(日) 〜美術博物館、市場見学
 ○もう明日はべトナムを離れるという日。午前中は美術館で静かな時を過ごしました。私がとても気に入ったのは、漆で描いた絵です。赤黒い色調の絵は素朴で落ち着いた雰囲気を醸し出していました。そして、午後は市場や旧市街を散策。この日も蒸し暑かったでですが、汗を流しながらお土産を買いにせっせと歩き回ったという感じです。
 12日間のべトナムの旅ももう終わりです。この記録を書きながら、ひととおり旅を振り返ることができました。あらためて、内容の充実したいい旅だったということを思い知らされました。皆さんどうもありがとう。


5.日本に帰ってきて
 この旅のテーマがどれだけ達成できたかはわかりませんが、日本にいてはわからないことをいくつも収穫できたような気がします。自分が見たのはべトナムのほんの一面のみでしかないと思いますが、少なくともべトナムには希望があり、人々の顔が生き生きとしているように見えました。今でも、朝のハノイのバイクだらけの通勤風景が目に焼き付いています。帰国してから、東京の朝の地下鉄の中で見た人々の顔は生気がなく、あきらかにべトナム人とは異なっていました。
 この旅で私はべトナムが好きになりました。みんながさまざまな国を知り、さまざまな国を好きになる。この気持ちが広がっていけば世界はよくなっていくだ

ろうなと漠然とですが感じます。私は今もっとさまざまな国に目を向けて、できることから関わっていきたいという気持ちです。私の心の豊かさの追求はこれからです。道は遠く険しいですが、希望を捨てることなく元気に生きていきたいです。



6.感謝、感謝!!
 この旅に参加させていただいたことに、心から感謝しています。事前研修のうちは、海外についての知識も乏しく、私みたいな者が参加してよかったのかなと正直いって少し不安でした。でも、実際にべトナムの地を訪れて、やっぱり来てよかったと素直に喜びました。外国を見るだけでもたいへんなことなのに、今回は個人旅行ではとうてい味わうことのできない素晴しい旅をすることができました。
 午前に一つ、午後に一つという訪問日程も余裕があり、疲れもほとんどなく研修することができました。また、通訳のNさんが休日もずっとつきあってくださったり、運転手さんたちも細かく動いてくださったり、本当にお世話をおかけしました。JICA事務所の方々にも私たちのわがままを全部きいてくださり、計画になかった研修や観光まで設定していただき、おかげさまで有意義な旅になりました。皆様のご尽力に感謝します。
 そして、いっしょに2週間のプログラムをともに過ごした先生方、JICA東北支部のSさん、本当にありがとうございました。
 私は県外の先生方と交流することはこれまでほとんどありませんでした。今回皆さんと一緒に研修に参加し、それぞれの現状を交流したり、世代や地域を越えて、本音で教育観を語り合ったりしたことは大きな財産です。それから、皆さんと毎晩「ビアホイ」で笑いあったこともけして忘れられない思い出になるでしょう。住む場所は違っても、子どもたちのために一生懸命やっている仲間がいると思うと、私もふんばれると思います。本当にどうもありがとうございました!!
 JICAに対する要望としては、一つはこの教員の海外研修はたいへん有意義だと思うので、今後もどんどん拡げていってほしいということです。これからの国際協力は人と人との交流がますます大事になってくるでしょう。教員が世界を視野に入れることで、国際社会に通用する人財が必ず育つと思います。また、各国に研修に行った先生方が事後に交流したり、一般の人々に広く紹介したりすることで、成果が膨らんでいくでしょう。
 二つめは、NGOとの協力をさらにおし進めてほしいということです。VINHでのリプロダクティヴヘルスプロジェクトは、NGOとの協力の先駆的な例だということを聞きました。GOとNGOが手をとりあい、本当にお互いの国民の

利益になる援助関係を結んでいけるように、各機関への積極的な働きかけを期待しています。
 



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